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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
ログ・ホライズンEp11 クラスティ・タイクーン・ロード
99/134

099

◆ Chapter3.01 




 洞窟内部に入ったレオナルドたちは厳しい寒気が和らいだことにほっとしていた。

「なんだよ。想像するより暖かいんだな」

「鍾乳洞というものは年間の気温がさほど変動しないものらしいですよ」

 春翠(チュンルウ)の答えはそんなものであった。

 話を聞いてみると、地底というのは地表と比べて温度が安定しているものだそうだ。それはここがセルデシアであるからというわけではなく、地球世界でも同様であるらしい。

 〈天狼洞〉の内部はコッペリアの呪文〈バグスライト〉の淡い光で照らされていた。幅は数十メートル、天井の高さはそれを越えるほど。入り口から入ったばかりではあるが、広大な空間だった。

「ひゃばあ!?」

 意味不明な声をあげて突如開脚中腰になるカナミだが、プルプルと震えながら踏みとどまる。

「マスター。足元が滑りまス」

「良く知ってる!」

 それはそうだろう、転びそうになったばっかりだ。あんな不自然な姿勢で我慢しきったあたりは流石〈武闘家〉(モンク)だと思いながら、レオナルドは肩をすくめて先へと進んだ。こちらはラバー風素材のブーツのおかげで滑る気配はみじんもない。

「とはいえ随分じめじめしたところだな」

 滑らかな石の上を歩きながら、レオナルドはあたりをきょろきょろと見回した。空間そのものは幅十メートルほどもあるのだが、その大半を水の流れが占めている。通路などとは言ってみたが、どちらかと言えば、地下の大空洞を流れる川の横に浸食された歩行可能部分がある、という方が正確な表現だろう。

 もともとそういうデザインのダンジョンなのか、それとも〈大災害〉以降こうなってしまったのかレオナルドは地元民でないから知る由もなかったが、大自然の脅威を感じさせる光景ではあった。

 流れが激しいわけではないので水音は耳障りではない。むしろ、巨大な洞窟内に低く響いて、落ち着くような背景音となっている。


 先頭を歩いていたカナミは、何度か振り返りながらいつもよりもゆっくりと進んでいた。コッペリアを心配しているのかと思ったが、どうもそういうわけでもないらしい。奇妙な動きであごに手を当てたり頭を抱えたる仕草は滑稽だ。困っている風には見えないが困っているらしいと気が付いたレオナルドは、思っていたことを尋ねてみた。

「カナミ、エリアスのこと気になるのか?」

「うん」

 子どものようなしぐさで頷くカナミに、レオナルドは呆れた。

「気になるなら無理においてくる必要はなかっただろうに」

 一緒に入れないことはたしかだが、それならそれでほかの手段を色々試してみるくらいはできただろう。どうしようもなく留守番を割り当てるとしても、例えば一晩ゆっくり野営をしながら説得するとか、やりようはあったはずだ。

「うーん。でも、エリエリ、なんだか怖い顔してたしさぁ」

 足元の石を蹴とばすカナミの答えははっとするようなものだった。

「なんだか、喧嘩したいみたいな? 自分に八つ当たりみたいな? 顔してたよねー。だからお留守番がいいと思ったんだよ。あんな顔で暗い洞窟に入るとかゼッタイ良くないもん」

 くるんと回転してコッペリアに「だよね?」と話を振るカナミだったが、コッペリアのほうはいつも通りの至極冷静な口調で「よくわかりません、マスター」と返すのみだった。

 一方、レオナルドのほうはコッペリアとは違い、ショックに近い感銘を受けた。

 筋肉と反射神経が知能を獲得したような奇跡の生き物カナミが、こんなふうに他者を思いやったり物事を解決しようとするとは思わなかったのだ。カナミという存在は、突発的なトラブルを起こすことしかできないと思っていた。いや、現在形でそう思っている。

 カナミは進化したのかもしれないぞ。

 アメイジング。こいつは大ごとかもしれん。

「おいカナミ」

 お前凄いなあ、と言おうと思ったレオナルドだがカナミはそれを待たなかった。「コッペがなんだか冷たいんですけどぉぁぁ?」と叫んだのだ。

「?? コッペリアは状態異常(バッドステータス)をもちません?」

 コッペリアも悪かった。

 カナミの「かまってほしいサイン」を素で切り捨ててしまったのだ。その結果、カナミは泣きまねをしながら前方に向かって駆け出していく。その泣き声が、無駄に高性能な〈冒険者〉の体力のせいでドップラー効果を引き起こすほどの速度で、だ。

 曲がりなりにもダンジョンなのだからもう少し警戒が必要だとは思うのだが、慌ててメンバーを見回すレオナルドに地元の春翠(チュンルウ)は「三十分くらいは分かれ道もありませんし、モンスターも出ないはずです」と告げた。平静な表情はカナミの奇行に馴れたことを示している。

 そんなんでいいのかと、前方の闇と仲間を交互に見るレオナルドだが、心配しているのはレオナルドだけのようで、肩をすくめて諦めた。

 エンジニアは切り替えも大事なのだ。


 この鍾乳洞はかなり巨大だ。そのせいで閉所恐怖症じみた圧迫感を覚えないで済む。一行は焦らず着実に闇の中を進んでいった。

「エリアス卿は晴れ渡った春の空のような方ですが、春は雷雨の季節でもあります」

 コッペリアと並ぶ位置で油断なく索敵に努めるレオナルドに、コッペリアは独り言のような口調でそう告げた。

「どういうこと?」

「コッペリアはエリアス卿についての情報を求められていたのではありませんか?」

 そうか、とレオナルドは納得した。

 コッペリアの中では、先ほどのカナミとの問答がまだ継続中だったらしい。

「不足する返答だったでしょうか」

 いつも通り平淡な声色だったが、それがレオナルドにはどことなく悄然としているように聞こえた。艶のある藍色の髪に包まれた小さな表情は、前髪と洞窟の影に包まれてよくわからない。小柄で、どこをとっても細工物のように美しい少女だった。

 コッペリアを見るときいつでも感じる名前を付けられないような気持ちで、レオナルドは「コッペリアの返答は詩的な比喩が多いよな」と応えた。返答をしてから、なんて気の利かない男なんだと、自分自身に呆れかえる。

 ジュニアハイスクールじゃあるまいし。

「コッペリアの語彙蒐集基礎データには各国の気象予報及び歳時情報が含まれていました」

「そっか……」

 アオルソイの夜、大岩の上で話した記憶がよみがえる。

 コッペリアはカナミのことを「黎明のような女性」と評した。それは間違いではないと思う。

 誰よりも真っ先にトラブルに飛び込んで、結局力づくで新しい展開にたどり着くあの傍若無人な女性は、そういう意味でまさに夜明けのような存在だ。暁の女神エオスと言えば言いすぎだろうけど――ギリシャ神話でのそれは「薔薇色の指をした」などと言われるほどの美女であるのだ。カナミを表するにそれは褒めすぎだろうと思う。どちらかというと戦車で蹂躙を開始する戦神アレスとかそんな感じだ。

 つまり、営業にしたらダメなタイプ。でかい案件を受注成功するだろうが、顧客にどんな約束をしてくるかわかったもんじゃない。

 おい最悪だな。レオナルドは独り言ちる。


 コッペリアは語彙に気象予報及び歳時情報を用いていると言っていた。ウェザーリポートで他者の性格をポートレートしているわけだ。

 ――あなたにとって彼は、彼女は、どんな人?

 その質問は、考えてみればずいぶん難しく、また色んな意味を含む問いかけに思える。天気と同じく、人間は移り変わっていく。晴れだけがその人物ではない。人間にはいろんな側面がある。カナミを黎明だというコッペリアも、エリアスを春雷にたとえるコッペリアも、コッペリアの一部だ。

「コッペリアはマスターを見ます。エリアス卿を見ます。レオナルド卿を見ます」

 その「卿」ってのは何だよ、と喉まで出かかったレオナルドだが、コッペリアの様子に言葉を飲み込んだ。

「その色は複雑で変化を続けます。コッペリアはそれを判ろうとして言葉にします。コッペリアの中に、皆さんの肖像画があります。様々な色をしています。コッペリアの色ににじんで、あたりを明るく照らします。コッペリアはとても――」

 言葉を切ったコッペリアは、遠く闇の先へ向けていた視点を足元に落とし、迷子になったような表情で首を左右に振った。

「よくわかりません」

「そうか」

 ニューヨーク出身の気の利かないギークは、こんな時にかけるしゃれた言葉を持っていない。「そうか」なんて重々しく頷いて見せるだけだし、重々しいと思っているのも自分だけで、本当はぎくしゃくしているのだって自覚している。

 言葉の調子からコッペリアの「わからない」はネガティブな感情ではないのだろうと思う。もしかしたらそれはただの願望かもしれないが、レオナルドにもよくわからない。

 コッペリアの中にはレオナルドの肖像画もあるらしい。

 レオナルドの中はどうだろう?

 コッペリアの肖像画はあるのだろうか?

 もちろんある。

 それは薄い桜色を背景にした、おすまし顔の少女の肖像だ。

 よそ行きの笑顔ではない。どちらかと言えば、あっけにとられたような、きょとんとした表情をしている。しかし、もし羽毛の羽ペンでその柔らかい頬をなでたら、くすくすと柔らかい声を上げて微笑んでくれそうな、そんな肖像だった。

 我ながらどうかしている。おとぎ話かよ。

 レオナルドはそう思った。

 コッペリアの中にあるレオナルドの肖像画(イメージ)はきりっと格好いいヒーローであったらいいのだが、まあ、ニューヨーク出身のエンジニアは、そうそう甘い話はないと理解している。


 ほひょうともうひゃあともつかない奇声が前方から聞こえてきた。

 カナミだ。

 なんだか喜んでいるらしく、慌てたような嬉しいような声が断続的に聞こえてくる。

「やっぱりもっさもさで可愛い! 想像通りにジャストけむくじゃらー!」

 近づいてみれば、想像通り、カナミが体長二メートルはある巨大な狼の首にしがみついていた。灰色の毛をした理知的な表情の巨狼は、どこかうっとうしそうな表情で、控えめに尻尾を揺らしている。

「……この洞窟の狼はモンスターじゃないのか?」

「いいえ、モンスターですよ」

 戦闘が発生していないことを不審に思ったレオナルドの問いに春翠(チュンルウ)は答えた。

「じゃなんであんな有様(フレンドリー)になってるんだ?」

「おそらく」

 小首をかしげた春翠(チュンルウ)は慎重に話し始める。

「誰かがすでに調教(テイム)した〈賢狼〉なのでしょう。単独行動をしているのは、主人がこの近くにいるのではないかと思います。この洞窟の狼は、遭遇したら戦闘になりますし、戦闘終了後に調教可能ならばできるといった感じですからね」

 そういうことらしい。

 カナミの方はと言えば、先ほど泣きながら駆け出していったことも棚に上げて、コッペリアを呼んで狼の首筋をなでさせたりしている。本人のほうは抱きしめて頬ずりをしっぱなしだ。

「おいカナミ」

「なに? ケロナルド。あげないよ?」

「あげないよ、じゃないだろ。その狼はもう調教(テイム)済みらしいぞ。カナミのじゃなくて、もう誰かのものだ。そんなに抱き着くんじゃない」

「えーっ。もっさもっさなのに!?」

 毛並みの善し悪しは関係ないだろう。レオナルドは内心突っ込んでやったが、カナミには通じていないようだった。「ねえキミどこの子?」などと狼に真面目に尋ねている。

 狼の方はと言えば、一通り撫でられて義務は果たしたとでも言いたげな態度だった。決して無理やりというわけではなかったが、カナミの抱擁をするりと抜け出して、二三歩すすむとゆったりとしっぽを振った。

 出来た狼だな。レオナルドは感心した。

 悠揚迫らぬその態度は風格を感じさせて、なまじっかな人間(例えばカナミ)よりもよほど知的で思慮深い性格をうかがわせたのだ。

「とても賢い狼です」

 コッペリアのそんな感想に礼を述べるように、低い声で一言鳴くと、狼は不意に洞窟の天井を見上げた。

「どしたの? コウモリでもいたのかな?」

「空を飛ぶ魔獣はこの洞窟にはいないはずなのですが……」

 カナミと春翠(チュンルウ)がそんな事を言いながらつられたように闇に包まれた洞窟の天井方向を見上げた。いや、コッペリアとレオナルドも言葉は発しなかったが見上げていた。全員が狼の動作に誘われたのだ。

 どこかで乾いた小さな物音がして、一瞬後に小石が落石してきたのだとわかった。レオナルドたちは、それが一体何を示すのかわからず顔を見合わせたが、次の瞬間浮遊感を感じるほどの揺れが洞窟を襲った。

(地震かよ、ジーザス!)

 巨大な質量が崩落していく轟音が響き渡る。

 前後左右の感覚を失い、振り回されるような衝撃の中、レオナルドはとっさにコッペリアの細い手首をつかみ抱き寄せようとした。

 しかしそれがどこまで果たせたかはわからない。

 冷たい水に落ちたような記憶とともに、レオナルドの意識はそこでぷっつりと暗闇に閉ざされたのだから。




◆ Chapter3.02 




 覚醒はいつも通りのわずかな不快感を伴っていた。

 目覚めが悪い方ではないと思うのだが、むしろ睡眠の存在そのものが不快だ。意識を断絶して休息するなど不合理だと思う。生涯のうち二十五パーセントを意識不明で過ごすのならば、寿命を二十五パーセント減らして休息時間をなくせばいいだろうに。クラスティはそう考えた。

 感覚を探るが左右の手、両足に不備は無いようだ。

 ずいぶん湿ってこもった匂いがする。上半身を起こすと、その場所は案の定、閉鎖された地下空洞のようだった。手をついた地面は土ではなく滑らかな石でできている。ここは鍾乳洞であるらしい。手のひらに感じるわずかな水の流れが危うい状況を予感させた。

 エリアスとの戦闘は地盤崩壊で終わったようだ。そのあたりまでは記憶がはっきりしている。その後の崩落に巻き込まれて気を失っていたのだろう。残りのHPは15%ほどか。危ういところで助かったというよりは、良いところに水を差されたという思いが強い。


 洞窟内部は淡い光があった。大きな岩の向こうに光源があるらしい。

 不審に思っていると、その岩からシルエットになった頭部がひょいと突き出された。

「やっほ、クラ君目が覚めたんだね!」

 地下には不似合いなほど陽気な声だった。

 クラスティは数瞬の間静止して、慎重に言葉を選んで返答した。

「復帰したようですね、カナミさんは」

「うわ、驚かない上になんか距離ある返答っ!」

「虚心に距離を置きたい心境ですので」

「ひどいじゃない!」

 そんなことはないと思う。

 クラスティにとっては三舎(さんしゃ)を避ける相手だ。

 おまじないで消えてくれる相手でもないのでクラスティは身体を起こして近くの丸岩を椅子がわりに腰を下ろした。別段不快な相手というわけでもないし、知らない相手でもないのだが、やりにくい相手ではある。

 どうやら扱うアバターは変わったらしく職業は〈盗剣士〉(スワッシュ)から〈武闘家〉(モンク)になっているようだ。しかしその姿というより印象はあまり変わっていない。好奇心の強そうな青い瞳が卵型の輪郭にはまっている。いつでも歓声をあげそうな大きな口も健在だ。

 ヤマトサーバーに旋風を巻き起こした集団〈放蕩者の茶会〉ディボーチェリー・ティーパーティー。それを率いていた伝説的な女傑、〈七陸走破〉ツーリスト・オブ・セブンコンチネントのカナミだ。

 ゲーム外のコミュニティでは様々なうわさをされていた謎めいた女性である。

 その評価は、スペシャリスト集団である〈茶会〉を指揮した伝説的なリーダー、圧倒的なカリスマを誇る麗人などの好意的なものも多かったが、嫉妬からか悪意に満ちたものも少なくなかった。いいや、ギルドという明確で到達可能な「身分」を否定したうえでサーバーでも希少な〈幻想級〉(ファンタズマル)アイテムを入手していた〈茶会〉は〈D.D.D〉よりもよほど激しい嫉みに晒されていたといえるだろう。

 とはいえ、当の本人はそんな悪意の存在を歯牙にもかけないどころか、知ろうとさえしなかった。大規模戦闘(レイド)組織の長として、当時何回も顔を合わせていたクラスティは面識があるわけだが、この女性は、断じてそのような世間の風評に左右される人間ではない。

 もっと始末に負えないものだ。


「なんだかみんな驚かないんだよねぇ」

 視線で促すとカナミは「KR(ケイアール)も落ち着き払っちゃってさあ」などと言った。

 クラスティは、自業自得なのではないかと考えた。

 つまりはいつも破天荒なことばかりをしているから、なにをしても周囲が驚いてくれなくなるのだ。

「カナミさんの実力ならばありうる、と思われたのでしょう」

「そっか」

 えへへ、と笑うカナミから、クラスティはわずかに距離をとる。

 普通人間は親しい相手には迷惑をかけない。

 だから親しくなるというのは被害を減らす方法たりうるのだ。

 ごくまれに、親しい相手にこそ迷惑をかける人間もいる。そういう相手からは距離をとるのが被害低減の方法だろう。

 しかるにこのカナミという人間は、クラスティの知る限り、好意も隔意も与える被害の量には無関係という稀有な人間だ。むしろ、かかわる頻度こそが被害の量を決定するという、ある種の自然災害のような女性である。唯一救われる点は、振りまくのが被害だけではなく、幸運も含むという点だろうか? そちらのほうも心理的距離間とは関係ないらしい。いいやそもそも、カナミが周囲にふりまくフレンドリーさは、こちら側の希望を考慮しない種類のものだ。ある意味では、出会った時点ですでに幸も不幸も散布済みという、途方に暮れるようなモンスターである。

(世の中は広いものですね)

 始末に負えないが稀有ではある。

 遭遇が難しいホッキョクグマ(レアキャラ)のような人物だ。

 広い世界には自分のような若造の手には負えない妖怪のような人間(祖父とか)、このカナミのような自然災害人間、損得よりも情実で動くアイザックのような義人、問題解決のために際限なくリソースを注げるシロエのような傑物もいる。なかなかままならないわけだが、それはクラスティに不思議な満足感を与える現実でもあった。


「クラ君なんでこんなとこいるの? ヤマトサーバーにいたんじゃなかったの? 地震起きたの何か知らない? あ、ちょ、ああん! ごめんってば!!」

 カナミの矢継ぎ早の質問は、彼女の裾にかみついて強引に尻もちをつかせた巨大な賢狼、求聞(ぐもん)によって遮られた。求聞はいいから落ち着け、とでもいうように、カナミの前で豊かな灰色の尾を一振りすると、クラスティの掌に湿った鼻先を押し付けて、満足したようにその足元に巨大な体を横たえた。

「その子も知り合い?」

「ええ」

「その子、賢いよねえ。わたしもしばらく気絶してたんだけど、その子に引きずってもらって助かったんだよ。かしこかわいい! クラ君の居場所も知ってるみたいだったよ」

「そうですか」

 クラスティは求聞の耳の後ろを掻いてやった。彼は大型犬(?)特有の鷹揚な態度をもって、気にする必要はない、とでもいうように目を開けることもなく寝そべったまま、太い尾をくゆらせている。


「そちらはなぜ中国サーバー(ここ)に? ひそかに復帰していたのですか?」

 カナミから投げられた問いをあっさりと無視したクラスティは、逆に問い返した。意地悪をしたいわけではないのだが、カナミに情報を与えたところで、別に利益がある気もしない。ここはこちらが優先的に情報収集をすべきだろう。

 クラスティの思惑を知ってか知らずか、カナミは思いつくままに答え始める。

「別に内緒で復帰したわけじゃないんだけど、復帰したのが西欧サーバーだったんだよねー。引退したのも向こうに渡るからだったしさ。遠いから、育ててからでいいかなあ、って思ってたらなんだか連絡しそびれちゃって。あ、復帰したのは2月くらいだったんだけどね。そのあと〈大災害〉(てんやわんや)あったでしょ? わたしのこの身体、みんなとフレンド登録してないし。連絡取れなくなっちゃって。でね、氷山のなかでエリエリが凍ってたから助けて、花の荒野でコッペちゃん拾って――」

 〈古来種〉の英雄がこんなところにいたのはカナミのせいらしい。

「あ、エリアスってのはね、エリアス=ハックブレードのことなんだよ。金髪イッケメーンのほら表紙キャラ!」

 知ってる。

 表紙というのは書籍に対する言葉であってゲームのそれはジャケットやパッケージというべきだが、なにを言いたいかはわかる。

「んでね〈テケリの廃墟〉でケロナルドと合流して、KR(ケイアール)もいたんだけど、ヤマトに帰っちゃったみたい。いまは春翠(チュンルウ)っていう地元の娘と一緒に五人旅かなっ」

 ほとんど説明になっていないことだけは完全に理解できる。

「でね、〈典災〉(ジーニアス)っていうのがいてねー、戦いになって、勝った! うぃーあーちゃんぴよん!!」

 カナミの発した言葉がちらりと明滅するようなイメージを連れてきた。

 金色の女だ。

 もっとも血まみれの口元に乱れた髪、縞を持つ虎の手足を持つものを女と表現して許されるならだが。豪華な装飾品に埋もれた人食いの貴女――鋭い頭痛を習慣で押し殺したクラスティは、わずかに笑った。

 敵だ。

 これもカナミという存在の影響だろう。本人は意図せず、周囲に恩恵を与えることもある。またひとつ、何か手がかりを手に入れた。どういう意味を持つのか、いつ役に立つのかはわからないが、自分には敵が増えたらしい。それだけはわかる。


「何笑ってるの? クラ君」

「いえ懐かしい話を聞いた気がして」

「そっかー。クラ君もそんな人並みのことを言うなんて! びっくりだよ」

 貴方にそんな扱いを受けるいわれはない、と思ったクラスティだが、求聞の揺れる尾を見て大人げというものに思いをはせ、発言を変えた。

「いったいどういう人間だと思われているのですかね」

「それはほらー」

 瞳だけで上の方向を見上げたカナミは、思い出すように人差し指を口元にあてると「なんかこう……」と話し始めた。

「硬くて、でっかくて」

 〈守護戦士〉(ガーディアン)として当然だろう。

「無表情でメガネから光線出す感じ? つまり、ほら、スーパーロボットみたいな!! 恐怖の火星大王ロボみたいな!」

 クラスティはカナミをじっと見つめた。

 言われていることに心当たりがないかと言われれば、わからないでもない(火星ロボは不明だが)。とはいえ、それを言われて何か改善できるかと言われれば、改善できるような部分はほぼないし、改善したいかと言えば面倒でしたくない。だが参考にならないわけでもなく、おそらく大勢にそう思われているのであろうな、程度の説得力はある。

「でもクラ君はよかったよね。なんか昔は人に迷惑かけないように我慢重ねてた感じしてたしさ」

 カナミは腕をぐるぐると回した後、小首をかしげた。

「久しぶりに見たらゆるんだ感じでよかったよ。変な呪い(バッドステータス)ついてるけど関係ないよね!」

 どうやら過去はそんな風に思われていたらしい。

 当たらずとも遠からずと言ったところだろうか。


 妾腹の鴻池晴秋(クラスティ)としては目立つという選択肢は禁忌なのだ。留学中はまだ監視も甘かったが帰国してからは、本家の子弟からなにかにつけ不愉快な干渉を受ける。

 クラスティのほうは彼らの利益(トロフィー)に手出しをするつもりも、それどころか本家が言う事業に参加する気もない。放置しておいてもらうのが望みだが、そうもいかないのが現実だ。祖父や   などは(クラスティからすれば非合理的な)期待をかけてくれているが、それはある種の甘えではないかと、皮肉な気持ちで思う。自分たちの手に余る血族の暴走を、妾腹の外様に解決させようというのだから。

 クラスティが〈エルダー・テイル〉をしてきたのも、ある側面では擬態だ。オンラインゲームにめり込むボヘミアンを気取れば周囲も諦めてくれるかと思っていた。何かに打ち込むことを禁じられたクラスティにとっての「祝祭と蕩尽」が〈エルダー・テイル〉だった。

 そのゲームの最中でさえ人に迷惑かけないように我慢重ねているように見えるとは、自分自身に呆れかえるばかりだ。

 目の前の災害的な女性は、どうせあてずっぽうで口から出るままに喋ったのだろうが、それでもこれだけ他人を串刺しにするような内容を放つことができる。率いていた〈茶会〉そのものが、ランキングをズタズタに切り刻むような戦績を上げることができたのも、道理というものだろう。

 緩んだのは中原サーバー(こちら)に来たからではないとクラスティは考えた。

 鴻池本家のない世界(セルデシア)へとやってきたせいだ。

 自由気ままにふるまえるわけではないが、あちらの世界よりもよほど好き勝手にはできているのだろう。自由(そんなもの)は仮初めだとわかってはいるが、食いちぎりたくもなる。

 求聞(ぐもん)と一緒だ。平穏を求めて身を横たえるのには耐えられても、鎖に繋がれるのは御免というわけだ。

 ひねくれているかもしれないとは思ったが、改めるつもりも毛頭ないクラスティは立ち上がり、眼鏡の位置を直してカナミに語り掛けた。

「そう思ってくれるのなら幸いですね。自分も歳取ってこらえ性がなくなったようですし。――趣味の続きをするために、地上へ出ましょうか。どうやら心配されているらしくもある。思い出せなくたって、それはなくならないわけですしね。――不本意ですがそれまでは一緒に活動したほうがよさそうです」




◆ Chapter3.03 



「くしゅんっ」

「レイネシアさま、お風邪ですか?」

「冷たい風におあたりになってしまったのです?」

 心配げに眉を寄せる二人の令嬢、アプレッタとフェヴェルにレイネシアは小さく手を振って否定した。

「いいえ、そんなことは。この〈水楓の館〉は冬でも暖かいですから。きっとこれは不出来なわたしを故郷の父母が噂しているのですわ」

 アキバの職人が作り上げた信じられないほどふかふかなソファーに座ったレイネシアは小さく微笑んだ。あまり大げさな笑みは必要ない。同じ〈大地人〉の貴族にはそれで十分に通じるし、気品もあり貞淑だと好まれるからだ。

 初夏の風の吹き始めたアキバの街、その中心街に燦然とそびえる迎賓館兼在アキバイースタル交流官公邸〈水楓の館〉。緋色の絨毯を踏みしめた奥のこじんまりと居心地の良い応接室に、三人の淑女が集まり久しぶりの会話に花を咲かせていた。

 今日の客人はレスター侯の息女アプレッタと、スガナ男爵の孫娘フエヴェルだ。〈自由都市同盟イースタル〉領主の血族では、同じ世代に属するために、昨年の領主会議では同時に社交界デビューをした三人である。それ以降手紙のやり取りなどで親交を温めてきていた。それもあって、訪問は和やかな雰囲気の中で行われたし、公務の体裁をとっているとはいえ、レイネシアにとっては半ば休暇のような扱いであった。


「いかがでした? アキバの街は?」

 レイネシアは、それでも若干の気後れとともに、慎重な質問をぶつけてみた。

 アキバの街の雰囲気などは、率直に言ってレイネシアの手に負えるものではない。

 毎日あちこちで爆発が起きるし、得体のしれないチラシや小冊子がどこからともなく流れて来るし、商店のすべてには歴史がないためにいつの間にかなくなるものも多いし、そのくせ新規開店セールが毎日のように行われる。

 ギルド会館前の広場や〈銀葉の大樹〉前では奇抜な装束(鎧や魔法装備だと言われている)を身に着けた〈冒険者〉が仲間を募集していたかと思えば、突如座り込んで冒険の獲得品を露天売りし始めることも日常茶飯事だ。

 控えめに言ってもこの街は狂気のるつぼであり、その収拾や責任をレイネシアに求められても、困る。

 しかしその一方で、嫌ってほしくないともレイネシアは思っていた。貴族令嬢の二人に問いかけたのは、そんな複雑な気持ちのあらわれだった。

「もう、もうっ」

「それは素敵で!」

 そんなレイネシアの思いを知ってか知らずか、ぎゅっと握りしめた拳を小さく振った二人は、満面の笑みで話し始めた。

「なんでしょうか。あの衝撃的な食べ物は」

「甘いのです。それこそ最上級の砂糖とミルクで作ったクリームよりも」

「濃厚な肉汁の中にも鮮烈な構想と、それを支える大地の様に芳醇なスープ!」

「一口食べれば身も心もとろけるような!」

「煮干しとサファ出汁の濃厚なハーモニー!」

 ふたりの話を混ぜてしまうと全く意味が分からないが、案内につけた侍女から、二人がアキバの街で立ち寄った〈牛乳ぷでぃんぐ〉と〈Yes家ラーメン〉の事だろうと当たりをつけることはできた。どうやら二人はアキバのグルメに出会ったらしい。

 レイネシアは少し懸念を覚えて重ねて探りを入れる。

「危険なことや、騒がしいことはありませんでしたか?」

「危険?」

「騒がしい?」

 きょとんとした二人の令嬢は顔を見合わせて、思い出すように話し出す。

「危険なことと言えば、メニューの多さですわね」

 おっとりと垂れた瞳を静かに閉じたアプレッタは小さな手を祈るように組み合わせたまま続ける。

「レイネシアさま。四種類の具に二種類のスープ、そして味わい変更を可能とする三種類のトッピングがあるスープ料理(ラーメン)をご存知ですか? 原理的に二十四回食べないと全貌を把握できないのですよ」

 領地の防備状況を語るような真剣な声に、レイネシアも気合を込めて姿勢を正す。そうしないとソファーからずり落ちてしまいそうだからだ。

「騒がしいというよりもにぎやかな街ですね」

 勝気そうな表情のフエヴェルは頬を林檎色に染めて微笑んだ。

「わたしは今日一日で、生まれてから見たすべての〈冒険者〉よりも大勢を見かけました。〈冒険者〉の皆さんは良くお笑いになりますし、音楽が好きなのですね。アキバはどこにいても、どこからか小さな音色が流れてきます」

 フエヴェルはうっとりとしたような表情で賛美した。

 それを聞いたレイネシアはようやく胸をなでおろす。街の案内にはエリッサが育てた〈水楓の館〉侍女をつけていたから、何かトラブルがあれば即座に連絡が入っただろうし、二人が楽しんだという報告も受けていたので大きな心配をしていたわけではなかった。しかしそれでも好印象を持ってもらったかどうかはわからなかったのだ。


 アプレッタとフエヴェルはレイネシアの文通友だちと言える令嬢だ。そのやり取りの中で、アキバの街に興味を持ってくれたふたりは、以前から訪問を希望していた。

 レイネシアも誘っては見たのだが、この世界において旅というのは難易度が高い。生活のために農地から離れがたい領民はもちろん、格式を整えたり警備に人材が必要になる貴族も、旅をするというのは一大決心を要するものだ。何週間もかかるような遠隔地にろくな決意もなく出かけていく〈冒険者〉は特別な存在である。

 今回の訪問は往路の護衛に〈シルバーソード〉の〈冒険者〉が名乗り出てくれたことと、復路は領主会議に合流できることなどから、ようやく実現したのだ。もちろんレスター侯とスガナ男爵が娘たちの懇願にほだされたという側面は、小さくない。

「気に入ってもらえたならばなによりです」

 レイネシアは不思議な喜びを感じて感謝の言葉を告げた。

 この街を作り上げたのはレイネシアではないし、〈冒険者〉は基本的にこちらの言うことを聞いてはくれない。しかし、この街にもう半年以上暮らしているのだ。彼らの破天荒さと同じくらい、優しさにも触れている。

 文通相手ではあっても、この二人の令嬢は領主の血族だ。その影響力はアキバへ運ばれてくる輸入にも影響を与えないとは限らない。レイネシアからすれば信じられないほどアキバの街の〈冒険者〉は美食家だ。収入の半分以上を美食に費やすものも少なくないと聞く。アキバの街に利害を与えうる存在だと言えるだろう。

 だからというわけではないが、二人にはこの街を嫌ってほしくはなかった。二人だけではなく、誰にもだ。この街は、レイネシアの生まれて初めての任地なのである。


「ところでレイネシアさま」

 花のように微笑んだフエヴェルが勢い込んだように話題を変えた。その横に座ったアプレッタも「にゅふふふふふふ」という、可愛らしくも貴族令嬢にはふさわしくはない笑い声を漏らしている。

 理由もなく嫌な予感を覚えたレイネシアはソファーの上で身を硬くして「なんでしょう?」と小首をかしげた。いついかなる状況であろうと、優雅な対応を反射でとることができるのは、レイネシアの特技である。貴族社会において強力な武器とも鎧ともなるこの才能は、しかし、今この時、レイネシアを微塵も助けないようだった。

「クラスティ様とはどうなったのですの?」

「隠しているのですの?」

「お付き合いの進展は?」

「ベッドの中ですの?」

 まぜっかえすのはフエヴェルだが、アプレッタの正面突破のような問いかけのほうも厄介だった。レイネシアは乾いた笑い声を咳払いでごまかしながら、表情に気合を入れた。世界の黄昏を憂う銀月の巫女姫――などと呼ばれるポーズである。

〈七つ滝城塞〉(セブンスフォール)攻略作戦の戦場の渦中から、クラスティさまの行方は失われてしまったのです」

 レイネシアはそのまま視線をテーブルに落とした。

 瞳の中をのぞき込まれてしまえば、あんまり心配していないことがばれてしまうかもしれなかったからだ。

 実際クラスティの安全を願うなんてきっとばかばかしい。

 〈緑小鬼〉(ゴブリン)の大軍団の中で血に酔って大乱闘を繰り広げるような人なのだ。エリッサのようにひ弱な〈大地人〉の心配なんて何の役にも立たないだろう。

 そもそも、どちらかと言えば腹立たしい気持ちが強い。

 あの妖怪メガネが無断で行方不明になどなるから、こんな質問に晒されるのだ。アプレッタとフエヴェルはもちろんだが、同様の問い合わせや気遣いは他からだって受けているのである。レイネシアに面倒な役割を押し付けて、クラスティ自身はどこかで仕事をさぼっている(そうに違いない!)と思うと、ふつふつと怒りがわいてくる。

「行方、不明――ですの?」

「存じ上げませんでしたわ、そんな!」

「申し訳ありません。ことは〈冒険者〉の皆様がたに関わることゆえ、手紙に書くこともできなかったのです」

 二人の版のは淑女らしく細い悲鳴のようだった。

 腹立たしい上に面倒だったので手紙には書かなかった事実をごまかして、レイネシアは重い口調で続けた。

「情けないレイネシアを許してください」

 小さくなって呟いたセリフは「この話題、そろそろ切り上げませんか?」という意味だったのだが、人柄の良い二人にそれは通じなかったようだ。

「それは心細かったでしょう。レイネシア様」

「いとしい騎士さまが戦場に消えるなんて、アプレッタなら耐えられませんわ」

 心配そうな二人の表情に、胸がちくりと痛む。

 そんな風に言わないでほしい。本当に心配などしていないのだ。無断でいなくなったから腹立たしいだけで、近況を連絡してくれれば行方不明だってちっとも構わない。

 いや、そうではなかった。無断も行方不明も困る。面倒くさい公務をレイネシアだけが務めるのは不公平だ。クラスティも苦労をすべきだ。居なくならなければこんなことにはならなかったのだ。許し難い。

 つまりレイネシアがもっているのは心配ではなく理不尽の是正を求める気持ちである。騎士だなんだというのならば義務を果たすべきではないか。そんな風に考えていたらなんだかむかむかしてきた。別にアプレッタが言うようにいとしい騎士だなどということはないのだが――。


「え――?」

 いとしい、という言葉ではっとしたレイネシアはアプレッタのほっそりとした指にはまる銀色の輪を見た。そして確認のために走らせた視線は、フエヴェルの指先にも同様のものを発見した。

 信じられないが、事実だ。

 窓際に控えたエリッサが瞳を静かに閉じたままこくりとひとつ頷いた。その様子はまるで「姫さま良いところにお気づきになられましたね」と言わんばかりだった。

「もしかして、その……。お二人は……」

「え。あ。あの」

 夕暮れ迫るアキバの金色の灯りが差し込む応接室に静寂が満ちた。

 一呼吸の間に真っ赤になるアプレッタ。その隣で頬に手を当てたままくねくねと身もだえするフエヴェル。二人の指にはまっている銀の指輪は、まごうことなき婚約の証なのだ。

「ええ。そうです。その……。いえいえいえいえ、これはその、大した指輪ではないのですよ? クラスティさまのような大将軍、大英雄というわけではなくて、領地の貴族の一人ですから。そう! 手近なところで手を打った結果ですので」

「そんなこといってアプレッタはプディング半分こにして食べてたじゃありませんか?」

 しかもどうやら一緒に旅をしてきたらしい。

「フエヴェルだって旦那さま自慢をしてたじゃないのっ! 髪の毛が柔らかくて素敵だとか。領内で一番の力持ちだとか。そのうえケープまでプレゼントしてもらったくせにっ」

 こっちもだ。

「アプレッタだって髪留めを選んでもらってたじゃありませんか? ほらこれなんですレイネシア様。『君の髪には真珠が似合うね』とか言われて」

 そんな報告聞いてないとレイネシアは考えたが、それは別に侍女の怠慢というわけではないだろう。誰も恋人の睦言まで報告しようとは思わない。胸焼けするような内容であればなおさらだ。

 全身から力が抜けていく。

 なんで私だけがこんな目に合わなければならないのかと、レイネシアは祈りたい気分だった。

 クラスティが行方不明になったこととは全く別の理由で沈痛な表情になったレイネシアを見て、さすがの二人も反省をしたのか会話が一瞬で停止した。そのことにほっとしたレイネシアは、無理やりな笑みを浮かべて顔を上げる。

 そんなレイネシアの様子は、レイネシアの内面とは全く無関係な受け取り方をされてしまったようだ。レイネシアにもよくわからないが、つまりそれは「悲しみに耐える気高い銀姫」と評される反応である。

 アプレッタとフエヴェルは「申し訳ありません、レイネシア様」「クラスティ様と連絡が取れないレイネシアさまの前ではしたない騒ぎをお目にかけてしまいました」「クラスティ様はきっとご無事ですわ」「あれだけの武神がむざむざ後れを取るはずはありません。お元気を出してくださいませ、レイネシア様」「レイネシア様がお沈みになられていては、クラスティ様も心配で敵を蹴散らせませんわ」などと謝罪をはじめるのだ。


(ないですから。クラスティ様が負けるとか。困るとか。あまつさえ私のことを気にかけるとか、全くないですからっ!)

 うつむいたレイネシアはそんな苛立ちと不思議なさみしさに襲われた。良くはわからないが、きっと公務を一人で行うストレスなのだろう。なんだか胸が痛くなってしまし、貴族令嬢にふさわしい返答ができなくなた。

 なぜこんな理不尽な気持ちにならなければならないのか、マイハマ公爵家の姫レイネシアには全く理解できなかった。産まれてから今までの間、どんなパーティーでも、厳しいレッスンでも、目の回りそうなアキバの公務でも、こんな気持ちは感じたことがない。

 理解できるのは、すべての責任が妖怪こころ覗きにあるということだけだった。


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