092
◆26
めまいのような感覚が引き伸ばされる。
これは転移に付きものの見当識失調だ。〈大神殿への転送〉や〈帰還呪文〉などにみられるあいまいな移動の感覚。
シルバーソードとの攻略中にも何度か使った緊急転移呪文である。この呪文はチーム全体を、攻略中の大規模戦闘ゾーンの緊急安全地域まで転移させる。安全地域は多くの場合、ゾーンの入り口もしくはその付近のモンスターが現れない空間だ。現実となったセルデシアにおいてどこまで安全が保障されるかはわからないが、今のところ敵性存在の姿はないようである。
先ほどの戦いで犠牲者が出た。ロストとは死亡した後に蘇生呪文が間に合わずゾーン入口の安全地域、すなわちここまで転移させられたことを示す。死亡者もその後の時間経過によりロストとなったはずだから、合計八名がシロエの呪文ではなく、死亡による転移で再合流したことになった。
周囲を見渡せば、そこは二十メートル四方ほどはある大きな箱型の空間だった。調度は存在せず、ガラクタのようなものが壁際に積まれているばかりのその部屋は、倉庫のように見える。
転移直後の緊張した雰囲気は数分もたてば途切れたように消え去った。
耳を澄ましてもモンスターの立てる物音は遠い。少なくとも最低限の安全は確保されたといえるだろう。蘇生直後は能力値にペナルティが課せられる。大神殿での蘇生や高位蘇生呪文であればこのペナルティは軽減されるが、攻略中の死に戻りともなれば筋力や敏捷性などほぼすべての数値が数十パーセントは低下するのだ。メンバーのうち三割の能力値が低下中とあらば、すぐさまの戦闘は厳しい。だからこれは助かった、といえるだろう。
すこしだけほっとした空気の中でぽつぽつと雑談が始まった。
まだ目を覚まさない死亡者もいるせいで、その会話は控えめなものだ。
こんな大規模戦闘は久しぶりだと軽口をたたく〈D.D.D〉のメンバーもいた。シロエ自身も〈奈落の参道〉に参加していたからには理解しているが、大規模戦闘はそもそも初見で攻略するようなものではない。何度も全滅を繰り返し攻略法を見つけていくようなものだ。
しかし、シロエは今戦っているこの戦場を、純粋な意味で大規模戦闘だとはみなしていない。その証拠にこのゾーンは〈奈落の参道〉に比べれば小規模で、通路は細いし、出てくるモンスターの大半もパーティーランクのものだ。このゾーンは明らかに大規模戦闘エリアとして設計されたものではない。何らかの要因で突如徴用された施設なのだ。そしてシロエはその原因もロエ2の手紙からうっすらと察しているし、仲間たちもおそらく〈典災〉の仕業だとあたりをつけているはずだ。
シロエは、それなりの勝算をもって攻略に挑んだ。
しかし現状は戦線崩壊の上撤退だ。
「ごめんな、マリエさん。俺が居ながら、みすみす突破されちまった」
「大丈夫やって。あんな地面からガオー! なんて予想できひんもん。うち、参加決めた時からちゃあんと覚悟決めてるんやで? アカツキちゃんと大規模戦闘練習したもん」
ささやきで謝罪をかわす直継とマリエールの姿に罪悪感がわく。
先ほどの奇襲がしのげなかったとは思えない。予想できてさえいれば対処できる程度の敵レベルと軍勢だった。そして予想は、しておくべきだった。シロエのミスだ。
「みんな、ごめん……」
自分自身に愛想が尽きるとはこのことだ。
不完全な決断で大勢の仲間をこの戦場に連れ出した。シロエは指揮官だ。この大規模戦闘に対して責任を持つべき立場だ。しかし、何に責任を持てばいいのかわからない。勝利、だとは思う。でもいったい何が勝利なのだろう? 〈典災〉の撃破なのだとシロエは思い込もうとしてきた。しかし、それをしたからといって何かが解決されるわけではない。アキバの街で失意に沈んだ人々も、にゃん太が出会った青年も、〈オデッセイア騎士団〉も救われることはない。
シロエはここにいたってもはっきりした結論を出せない自分を不甲斐なく思っていたし苛立ってもいた。
(結局、アインスさんのいったことが引っ掛かっているんだ……)
今まで言葉にできなかったことがほんの少しだけ判った。
この世界は、狭い。
その狭さがシロエの感じている息苦しさの原因だ。
アインスの言う「動けない人たち」のことはわかる。アインスが求める援助は間違っていないと、シロエも思う。
しかしそれを受け入れれば、アキバの大多数の住民は反感を持つだろう。大手ギルドは分裂してしまうかもしれない。
どちらが正しいかと考えること自体がおそらく罠なのだ。
この世界は狭い。ヤマトサーバーに現在存在する〈冒険者〉は三万人弱。〈大地人〉はその数十倍程度と推測される。百万人程度しかいないのが〈弧状列島ヤマト〉であり、おそらくその人数比はセルデシア世界全てでも大差はない。
さらに言えば〈冒険者〉の力は強力すぎる。戦闘能力に限って言えば、〈大地人〉の百倍にすら匹敵するだろう。生産能力などはさらに隔絶が予想される。
少ない人口と過剰な能力が、この世界を狭くしている。例えば自分が不幸になった時、それがすぐさまほかの誰かの責任だと思い込んでしまうほどに。だから持つ者と持たざる者の間に亀裂が生まれるし、帰還を最上位の課題だと考える人々とそうではない層の間に反目が生まれる。互いに互いが原因だと考える。そう考えざるを得ないほどに、互いの間に距離が近く、この世界には互い以外が存在しない。
世界がゼロサムゲームの呪いにとらわれたように閉鎖されていて、逃げ場がない。この世界ではだれもが被害者であり当事者なのだ。
もちろんシロエはそうは思わない。けれど、そう信じ込んでしまう気持ちはわかる。
今回の大規模戦闘攻略で胸が塞いでいたのもおそらくそれが原因なのだとシロエは理解した。
この狭い世界においては〈典災〉を倒して〈大地人〉を救うのも、〈大地人〉を見捨てて通信のための設備を守るのも、それぞれが不完全で誰かには不利益を与えてしまうのだろう。シロエたちが最善を考え、良かれと思ってした行動も、どこかの誰かにすれば簒奪者のそれなのだ。
(にゃん太班長の苦しみも、根っこは多分同じなんだ……)
正解がないという予感。
何を選んでも失敗してしまうという痛み。
それがシロエの足を停滞へ釘付けにした。シロエの歩いている道は、おそらくどこにもつながっていない。
乾いた音ともに、シロエは一瞬訳が分からなくなった。
火が付いたような頬の熱さにうつむいた顔を上げれば、心配そうな仲間たちが見えた。どうやら、シロエはその先頭に立つヘンリエッタに頬を叩かれたらしい。
泣きそうな顔をしてるなあ。
最初に考えたのはそんな事だった。五十鈴のことだ。ミノリは口を引き結び、意志の強い顔をしている。トウヤの決意、セララの心配、ルンデルハウスの期待。
そしてシロエを見上げるヘンリエッタは柳眉を逆立てている。
柔らかな髪が肩に流れて、本当にきれいな人って怒っている表情でも美人なんだなあ、などという益体もないことを考えた。もちろん現実逃避だ。平手打ちを受けて、思考が飽和しているだけだ。
次の言葉を見つけようとして、失敗して、痺れる頬と雰囲気に謝罪の言葉を述べようとして、それはしてはいけないことなのだとシロエは思った。
ヘンリエッタにそんな顔をさせてしまったのは、自分なのだから。
「シロエ様」
「はい」
「殿方は――もっと我がままに生きるものです」
「はい」
シロエは反射的に頷いた。
そんなことを言われてもすぐにそんな風に生きられるわけがない。シロエには何が正しいかわからないのだ。それなのに何かを選ぶなんてできない。でも、ヘンリエッタの真摯さがシロエの言い訳を許さなかった。ここは「はい」と答える以外にない場面だ。シロエにだってそれくらいはわかる。
「あ、あの……、シロエさん。わたし……たちはこの世界に残れます」
「ミノリ?」
「……サフィールの街で、なんか、うまくいかなくてさ。ありがとう、助かったって言われたから全部失敗じゃないよ。でもさ、帰ってこないものもあるんだ。だからさ……うまくわかんないけど」
「トウヤ」
必死な双子がシロエに言葉をかけてくる。
「元の世界に帰るのって幸せなことだよね。帰りたいのは、幸せになりたいからだ。だったら、みんなが幸せにならなきゃ」
「はい。そうです! わたしたちが幸せになるために〈大地人〉さんを見捨てていくのは違います」
ふたりがシロエに語り掛けるその意味が、ふわふわとしたシロエの中に染み込んできて、ゆっくりと理解されてきた。たぶん、それは、心配するなということなのだ。そして、自分たちは後回しだということを訴えているのだ。
「あー。わたしたち、もっと後回しでも、いいです。シロエさん」
「俺たちが帰るのは、全部済ませた、そのあとだ!」
その証拠に、口をへの字に結んだ五十鈴やすまし顔のルンデルハウスがミノリとトウヤに続いた。その後ろではにゃんたに見守られたセララが小さな拳を胸の前に集めるように何度もうなづいている。
「シロ、だっていってるぞ」
「そんなこと言う必要はないのだ直継。主君は、主君もわたしも絶対に大丈夫だ」
振り向けば、一番最初から〈記録の地平線〉についてきてくれた二人がいた。励ますような男臭い笑みを浮かべる直継と、はにかみと憮然を混ぜたようなアカツキだ。小さな蹴りと押しやりを繰り返す二人を見て、シロエはやっと眼前に光景の意味を理解した。
シロエが自分に失望している間、ここにいる人たちはシロエに期待してくれていたのだ。
その自覚はささくれ立っていたシロエの思考を清流のように洗い流した。その視界で見つめなおしてみれば、シロエを責めるような表情は仲間たちの中にはひとつもなかった。
「シロエさん。先ほど航空偵察のウッドストックさんから連絡が入りました。敵首魁の位置が判明、二十四名ランクボス八十六レベル〈召喚の典災 タリクタン〉。このゾーン屋上部鉄塔の根本で、虹色の光をもってモンスターを召喚中とのこと。――月の出まで残り三十四分。時間がありません。百名規模の討伐に切り替えるなら、ここが変更不能点です」
渦巻く黄金の髪をもつ〈D.D.D〉の戦術士官は現在状況を丁寧にまとめてくれている。挑発するようなその物言いですら、隠された心配でしかなかった。
「そんな召喚やなんて。あんなに仰山いたのに、もっと敵が増えるんの?」
「厳しい戦いになるだろうねえ。どうかなあ白眼鏡は」
「今までの指揮であれば、この先は突破できません」
「シロエ様次第でしょうね」
腕を組んでそっぽを向いたヘンリエッタの冷たく見える眼鏡の奥の瞳が揺れている。憤りに見えるそれは多分、そんなものではなくて、多分期待と信頼なのだ。ヘンリエッタは自分の役割として、シロエの目を覚まさせようとしてくれたのだ。
シロエが言い出すのが怖かったわがままを、かなえようとしてくれる人がいる。もちろん世界はそんな風には動かないけれど、シロエ一人というわけでもない。理解してみればそれは当たり前のことだったが、当たり前なりに、れっきとした奇跡でもあった。
「わかった。どちらか一方なんて、無理だったんだ。そんなのは設問が間違えていたんだ。目指すべき価値のない答えは目指すことができない。少なくとも、僕には無理だ。でも望んだゴールなら攻略することができる」
強く言い切ったシロエは拾い上げた眼鏡をかけた。
シロエの前には最初から自分たちのわがままを通すために集まった二十四人がいたし、まだ月の出までには十分な時間がある。願いをかなえるための時間は、いつだって十分にあるのだ。諦めない限り。
「残り三十分。行きましょう。ここからが攻略作戦の本番です」
そして、シロエは最後の作戦指示を開始した。
◆27
そして作戦が開始されミノリたちは戦闘の真っただ中にいた。
年少組の役割は攻撃手である。もっともそれはその方面に優れているというよりも、防衛役や回復役を務めるにはレベルが不足しているという理由に依った。攻撃も与えるダメージにおいてレベルが低い分どうしても低くなる傾向がある。しかしその点は、高レベルの支援とMP補給による連続攻撃でまだ解決できる可能性があった。
もちろん九〇レベル級のモンスターの相手をすることはできない。
六〇レベルから七〇レベルの〈常蛾〉や〈月兎〉を選んでの範囲攻撃によって貢献するのがミノリたち中堅レベル組の役割だ。
「まーだいくよ! ルディ!」
「心得た! 〈オーブ・オブ・ラーヴァ〉!!」
五十鈴のリードに従ってルンデルハウスが火球の呪文を投射する。レベルが上昇して個数の増えた小火球は金髪の青年の誘導に従い、次々と〈常蛾〉を打ち抜いていった。一撃で倒しきることはできずとも、翅を焼けば鱗粉を減らし地上に落とす事が出来る。
〈呼び声の砦〉の内部は一般的なダンジョン、たとえば〈ラグランダの杜〉にくらべて狭くて入り組んだ通路が続く。愛想のないくすんだ色の直線と、交差路の連続だ。その圧迫感のある空間でミノリたちの混成部隊は闘っていた。
「トウヤっち、掃討しますにゃ」
「了解っ!」
にゃん太とトウヤ、加えてセララの呼び出した召喚狼が駆け出してゆく。魔法砲撃でHPを失った敵集団を撃破するためだ。
「〈護法の障壁〉!!」
「さんきゅっ!」
ミノリの余裕を持ったダメージ遮断魔法を援護にしてトウヤは刀を振るう。その背中を見つめながらミノリはひとつうなづいた。ここまでのところ、役割分担はうまくいっている。
目の前には十数個の半透明な表示窓が存在した。普段使用しているパーティーメンバー全員の状態表示以外にも、各リーダーの表示、第一防衛役の表示など、合計で十数人分だ。普段の多寡が二倍程度の情報量なのに、ミノリはその動静におぼれそうだった。
HPを回復する魔法は当然のようにMPを消費する。ダメージを与える魔法や白兵特技もだ。前線に出れば状態異常を受ける可能性があり、それを予防する特技や解除する特技が必要となる。
このように状態における数値や表示は相互に依存しあう関係にある。前に出るのか、下がるのか、人数が増えればその選択肢は爆発的に増加する。表示窓がたかが二倍になっただけで、考慮すべき自由度は十倍になっている。ミノリはほとんど初めての大規模戦闘のなかで、その負荷と目まぐるしさと必死の格闘を続けていた。
まるで海底まで潜るかのように息を詰めて数字を睨み付ける。基本的なルールは六人小隊と同じだ。HPとMPの交換。殲滅ペースと防御能力の釣合。殲滅ペースと補給能力のトレード。しかし、その基本的な交換レートが複線化し、絡み合い、大きな波になってミノリを翻弄する。
主幹通路を挟んだ向かい側の枝道にライトイエローのたなびく髪が見えた。ミノリは祈るような気持ちで状況を確認する。あの髪の持ち主はリーゼだ。現在の作戦の柱となる存在。彼女のMP七十八パーセントに合わせるために、ルンデルハウスには自重を伝える。
「そろそろ行くよ!」
聞きなれた親しい声が通路に響く。シロエだ。
虹色の光があふれ出し、激しいMP変動が観測される。
ミノリはずっと考えてきた。
自分の中にある不思議な決意の正体はいったい何なのか、それはどんな所へ自分を連れていくつもりなのか、ずっとずっと考えてきた。
もちろんシロエは大好きだ。ミノリの大好きな人だ。
だから自分の中にあるとても頑固な塊を恋だと誤解した時もあった。でもそれは勘違いなのだと気が付いた。シロエとは関係のないところでも顔を出すそれは、ミノリ自身の行動を、それはダメ、それは良いというように寸評するのだ。トウヤによれば、それはシロエに出会うずっと前からそうであるらしい。ミノリはずっと前からそうだったといわれた。
トウヤによればミノリは聞く耳を持たない暴走気味の姉ということであるらしい。自分ではそんなつもりはさっぱりないので、その評価は不本意なものだった。
しかしこの世界にきてから、そういわれても仕方ないのかな? と思わないでもない。
ミノリの中にはミノリでも変更できない断固たるものがあって、それが時節ミノリを突き動かすのだ。その塊は、たぶん、シロエの栄養をうけていて、〈記録の地平線〉で過ごすたびに成長しているように思う。そしてそのことをミノリは喜んでいるのだ。きっとそれは悪いことではない。
ある夜ミノリはベッドに寝転がってぼんやりと考えた。
身体の中にあるその頑固な塊は別にミノリだけの専売特許ではない。
トウヤにだってあるし、セララにだってある。五十鈴にももちろんルンデルハウスにもある。普段、それはうずもれていて見えないが、いざというときになれば出てきて、ピカピカと輝きだすのだ。それは思いも知れない知恵深さであったり、優しさであったり、びっくりするほどの捨て身だったりする。ミノリはラグランダやサフィールの街にいたる旅で、それを何度も見てきたのだ。
人間の中には、普段は見えない隠された頑固さがあって、それはふとした瞬間に浮かび上がって周囲に触れるのだと、ミノリはそんな風に思った。
あの締め付けられるような朝の来ない夜の底で、小さく響いた念話の声は、浮かび上がったシロエの中のそれだったのだ。
思い出してみれば、父や母にもミノリはその気配を感じていた。疲れ切って苛立っている父母も父母だが、それは本物ではないのだ。誕生日にトウヤと自分を祝福してくれる父母も、多分本物ではない。もっと深く隠された、例えばダイニングキッチンでトウヤと二人で宿題をしているとき、アップルティーのための湯を沸かしながら、学生時代の自慢話をしてくれる母のような――よくはわからないが、たぶん、指先がかすかに触れたあの感じが大事なものだったのだと思う。
ミノリはトウヤの事故をきっかけに「良い子」になったと言われていた。でも、それは不幸だったからとか、トウヤがかわいそうだからだとか、そういう理由で「良い子」を演じていたわけではない。
ミノリはただ単純に父母とチームになりたかったのだ。幼い時からトウヤとはチームだっから、そういう関係が増えると、いいなと思っただけなのだ。
頼りに、されたかったのだ。
実際にはミノリはただの子どもで、日本ではあまりにもできることが少なく、学校へ行って帰るしかできなかった。お金を稼ぐこともできなかったし、強行すれば余計に父母にも心配をかけたと思う。だから、今よりもっとよく判ってなかったミノリは説得も出来なかったし、結局チームにはなれなかった。幸せな家庭だったとは思うけど、やっぱりミノリとトウヤは父母の子どもだった。
ミノリは、トウヤやセララ、五十鈴やルンデルハウスの中の輝かしさを見ることができる。それはチームである証明だ。直継やアカツキ、にゃん太やシロエの中にも見ることができる。でも自分たちは心配される側の年齢なので、まだ、チームではない。
背伸びかもしれないけれど、トウヤが言ったのは、そして自分が願ったのはそういうことなのだと思う。自分たちはまだまだ大丈夫だ。近くにシロエたちが居ればもっともっと頑張れる。だからシロエたちに「足手まとい」扱いされたくない。〈記録の地平線〉に住んでいるのだ。仲間はずれは嫌なのだ。
「ミノリちゃん、先行ウルフちゃんが蛾の群れ発見、メイン通路です」
「予定通り迂回します。トウヤ、次の右手階段を上がって!」
荒く弾む呼吸を我慢しないで吐き出したミノリは、振り返って確認しながら隊列を調整する。今この臨時六人組のなかでルンデルハウスが一番体力に余裕がない。ルンデルハウスを振り切ってしまっては、パーティーの編成が崩れてしまう。しかし、彼には余裕がありそうだ。隣の五十鈴が〈子鹿のマーチ〉で移動力を上げながら励ましている。五十鈴とルンデルハウスの好一対にミノリは小さな笑みをこぼしてしまう。これだったらまだまだ大丈夫だ。
ミノリは現在遂行中のミッションを正確に把握していた。
おそらくその把握の深度は周囲の予想を裏切るレベルだったろう。いまこの大規模戦闘攻略チームにおいて、シロエの立案した作戦を完全に把握しているメンバーといえば、シロエ本人、リーゼ、にゃん太、ナズナ、櫛八玉、直継――つづいてくりのんやてとらが入る程度であり、レイド慣れをした〈D.D.D〉のメンバーでさえ結果が分からない、それくらい先例のない戦術が進行中だったのだ。
この〈呼び声の砦〉攻略における現在の問題点は何か?
それは無制限の増援だ。
ここの敵の強さそのものよりも増援の頻度と断続性によって、精神力やMPがすりつぶされているのが敗退の原因だ。
勝てる相手であるとはいえ、戦闘に遭遇してしまえば「第一防衛役がヘイトを稼ぐ」、「その防衛役に回復呪文をかけて安全を確保する」、「ヘイトの範囲内で攻撃を与えてモンスターを殲滅する」という手順が必要になる。一度に十体の敵が現れるのならこの手順は一度で済むが、一体の敵が十回あらわれるのなら、十回すべてで手順を繰り返さなければならない。これではいくらMPがあっても枯渇してしまう。
シロエが考えた作戦はこの問題点を解決するものだ。
通常、戦士職のヘイト上昇特技は単体対象のものでも、範囲対象のものであっても|視界内の敵にしか効果がない《、、、、、、、、、、、、、》。それは〈エルダー・テイル〉の常識だ。しかし、今回に限りは別の手段が存在する。〈常蛾〉も〈月兎〉もMPを好むのだ。そもそも彼らは、MPを奪うためにアキバやほかの街を襲っていた魔物なのである。MPにひかれてこの〈呼び声の砦〉から各地へと襲来していたのだ。「その性質と彼らの探知能力を用いて撒き餌をする」。シロエはそういっていた。
〈マナ・チャネリング〉と〈マナ・サイフォン〉の組み合わせで、付近に高密度のMPをばらまく。シロエ自身が生餌になって、モンスターを引き付ける。作戦の第一段階の要諦は、シロエ自身を防衛役にした引き回しだった。
(でも、それはシロエさん自身を的にした危険な作戦だから……)
ミノリは緊張のあまり乱れる呼吸を歯を食いしばることによって整える。
「かかった!」
「こっちだ、主君!」
直継とアカツキの声が聞こえた。
作戦は決行され、虹色の光をたなびかせながらシロエたち第一パーティーが駆けてゆく。数十メートル遅れて追いかけてゆくのはモンスターの群れだ。普通のヘイト増加特技は視界内のモンスターにしか効果がないが、この方法だったら、おそらく施設内すべてのモンスターに、いいやより広範囲のモンスターにさえ効果があるはずだ。
事実息をひそめるミノリたちの前の通路を、まるでミノリたちが透明であるかのように〈常蛾〉の群れが飛び去ってゆく。
「待機地点に移動だ、ミス・ミノリ」
「うんっ!」
「ルディ、〈瞑想のノクターン〉するから」
ミノリたちは武器を構えたまま早足で通路を進む。複雑なこの階層を大規模戦闘チームは召喚獣をつかってある程度構造把握していた。
目指すのは最も長い主幹通路。その通路に罠を張るのが、ミノリたちの役割だ。
配置についたミノリたち第三パーティーはそこでリーゼ率いる第四パーティーと合流する。ミノリたち年少組をまとめて再編成した第三はにゃん太以外はレベル五〇前後。正直言えばこのチームの弱点だ。しかし、それでも所定の位置まではたどり着いた。
視線が合ってふわりとほほ笑んだリーゼは、そんなミノリを褒めるように通路の奥を指さした。複雑な経路をたどって疾走するシロエたちが、それこそ雲霞のようなモンスターを引き連れてくる。
「用意はよろしくて?」
リーゼの凛とした声に一同は気合のこもった答えを示す。
〈付与術師〉が防衛役を行うなどという命を投げ出した戦術。その報酬は、ダンジョン全体のモンスターをこの長い通路へと駆り集めることだ。直線状の通路には何百という〈常蛾〉、〈月兎〉、〈人食い鬼〉がMPを奪おうと殺到している。
この体勢であればこそ、可能な攻撃があった。
これだけ密集して逃れられないモンスターにであれば、範囲攻撃の効果は何倍にもなる。
「火力集中! お願いします!」
叫ぶような指示が聞こえた。それはミノリたちとすれ違うように駆け抜け、反転をするシロエ。そのシロエをかばうように、アカツキ、直継が再度飛び出してくる。
まばゆいばかりの輝きが基幹通路を満たし、炎と氷、そして電撃の魔法エネルギーが水蒸気とイオン臭を周囲にぶちまけた。
殲滅作戦が開始されたのだ。
中心となるリーゼの〈フリージング・ライナー〉は怒涛の水流と化して通路を洗い流し、そこへ限界まで範囲を広げたルンデルハウスの〈ライトニング・ネビュラ〉が重なる。本来連発できない大型呪文は、詠唱速度加速の支援を受けて、二回、三回と連続で放たれた。
その攻撃は、ダンジョンそのものが静けさを取り戻すまで続けられた。
◆28
一方そのころ、第二パーティーは全く別の経路をひた走り、上階を目指していた。
「うん、あーん。……わかった。無理すんじゃないよ、髭爺さん」
ソウジロウの隣を走るナズナは、耳元から片手を離す。戦闘中であれば難しい念話だが、パーティーの周辺にモンスターの影はない。すべての敵はシロエの放つ虹色のMPに引かれて罠へと殺到しているのだろう。
その度合いまではわからないが無茶な作戦なのはソウジロウも理解している。防御能力もHPも低い魔法職が敵を引き付けるのだ。事故が起きればあっという間に戦線は崩れて作戦は失敗に終わるだろう。
しかしソウジロウはさして心配はしていなかった。
「続報入ったよ、ソウジ」
「どうなってます?」
「狙いばっちり。屋上の放送塔を使って召喚してるみたいだ。〈召喚の典災タリクタン〉。レイドランク八六レベル」
「そうですか」
ソウジロウは笑う。これで役目が果たせそうだ。
〈グランデール〉のギルドマスター『キャノンボール』のウッドストックといえば腕利きの飛龍乗りだ。そのウッドストックが〈呼び声の砦〉上空からの航空偵察を行い、その結果をナズナに連絡してくれたのだ。敵首魁の名前はタリクタンというらしい。姿そのものは払暁の偵察で確認されていたが、これは朗報だった。
ソウジロウたち第二パーティーが、シロエたち主軸三部隊から離れて別行動をとっているのは理由がある。
シロエの戦術――MP漏えいによる疑似タウントでゾーン内のモンスターを一網打尽にするというのは欠点がひとつあるのだ。もし、その範囲内に敵の首魁、レイドモンスターがいるのならば完全に乱戦になってしまう。増援モンスターを狭い通路で殲滅するという戦術はボスモンスターを巻き込んだ時点で崩壊してしまうだろう。この戦術を行うにあたって、ボスモンスターはシロエのもとに行かせてはいけない。分断して、最終的には打倒するのが作戦の要諦だ。
「ソウジ、なんだかうれしそうだね」
「はいっ」
ナズナの問いかけにソウジは答えた。
身体が軽い。両脚に翼が生えたようだ。いつにもまして切れのよい肉体は迷いのなさの反映だろう。〈放蕩者の茶会〉時代を思い出す。あの頃、ソウジロウはまだ新入りだった。
相棒と〈エルダー・テイル〉をプレイし、基本を身につけ、MMOにありがちなさまざまな出来事に首を突っ込み、はぐれ、知り合いを作り、そして〈茶会〉に出会った。〈茶会〉はソウジロウがネットゲームで出会った最初のコミュニティで、守りたいと思える場所だった。
当時〈茶会〉は生まれたばかりだった。カナミを中心に大規模戦闘に挑戦したいメンバーが集まり始めてはいたが、メンバーは固定ではなく、半分以上は攻略のたびにその場で募集しているような有様だった。何度かの参加の後、ソウジロウは本格的な参加を打診され快諾した。より本格的で高レベルのハイエンドコンテンツへ挑戦したいという気持ちも強かったが、ソウジロウは仲間がほしかったのだ。優しくしてくれる女性は多かったが戦友とは言えない。ソウジロウはひりつくような戦いを求めていた。
その時はすでにカナミ、シロエ、KR、インティクス、直継、にゃん太、忍冬、ストールボーン、ぬるかん、ナズナといった古参メンバーは参加済みだった。ソウジロウと前後して、トゥリ、沙姫、 鞍馬、 詠などの同期も参加をして 〈茶会〉は形作られていったのだ。懐かしくて輝かしい、それはソウジロウの思い出である。
「シロ先輩の作戦ですからね」
「そうかい」
ナズナの声もどこか笑みを含んで嬉しそうだった。それがソウジロウの身体を、前に、さらに前に加速させる。
「くあー。ソウジ、お前、シロエのこと好きすぎだろ!? ホモかよ! おまえホモなんかっ」
くりのんの悪口にも笑みをこぼすソウジロウは、狭い階段を三段飛ばしで駆け上がる。高性能な〈冒険者〉の身体能力で加速されたその姿は、まるで発射台から解き放たれたロケットのようだった。
この作戦の要諦は、敵集団の分断。
とくにその首魁を孤立化は最重要課題。
そしてそれは、ソウジロウを筆頭とする第二に任された任務なのだ。再編成を終えた一行は風を巻いて走った。後続の心配はない。ソウジロウが役目を果たす時、シロエが自分の持ち場で失敗することなど、ありえない。ソウジロウが憧れる三人のプレイヤーのうち一人なのだ。
「先輩がその気になった今、僕の役目はただひとつっ」
ソウジロウは〈神刀・孤鴉丸〉を一閃させる。切り裂いたのは屋上へと通じる鋼鉄のドアだった。夕暮れの逆光の中へと飛び出し、そのまま間髪入れずに跳躍する。
「〈一騎駆け〉!」
そこはひらけた空間だった。このセルデシア世界において、〈大地人〉は高層建築を作ることが少ない。マイハマの〈灰姫城〉に見られるようにその技術がないわけではないのだろうが、コストが圧倒的にかかるのだろう。〈呼び声の砦〉は神代の廃墟であり、それゆえ周囲には匹敵する高さの建築物はない。地上十階程度の高さはセルデシアにおいて摩天楼に等しかった。
投げ出されたかのような屋上広場の中心部には、その十回程度の高さからさえさらに空中に突き出した巨大な鉄塔が存在する。それがおそらく月への通信を可能にする魔法装置――放送塔なのだろう。
その根元部分に浅黒い肌をしたしわ深い老人がいた。
八十六レベル、レイドランクモンスター〈召喚の典災タリクタン〉。
「視認一体! 大盤振る舞いだ。行きな! ソウジ!」
ナズナの振りかざした腕の先に無数の小さな足場が生まれる。
口伝、天足通。ナズナの会得した〈エルダー・テイル〉の範囲を逸脱した能力だ。その正体はダメージ遮断魔法〈禊の障壁〉を仲間ではなく空間に分割配置することにより足場とするもの。ダメージを遮断する能力はほとんどなくなるが、何もない空中に作られたきらめく半透明の板は、空中移動を可能にする。
天足通とは仏教で悟りを開いた結果得られる六神通という異能のひとつなのだという。いわゆる神通力というもののひとつだ。もちろんナズナが用いるそれは、ゲーム時代の能力を応用して研鑽した果てに得られた彼女自身の能力で、仏教とは関係ない。しかし、天足通の効力といわれる「城壁や山を飛び越えられる」、「空中を自在に駆け巡り鳥と並走できる」というのは、この口伝の名称としてぴったりだと思えた。ソウジの口伝、天眼通も同じ起源のネーミングだ。
そのナズナの口伝を足場に、ソウジロウは宙に躍り上った。
半ば腐食したコンクリートの高台にあって〈召喚の典災〉は異教の司祭のように見えた。浅黒い肌に白い総髪、白と紫のゆったりしたローブに、ねじくれた長い杖。〈召喚の典災〉という名前を見てソウジロウは腑に落ちた。その異能でタリクタンは無尽蔵のモンスターを呼び出していたのだ。放送塔と天をつなぐ虹色の柱はMPの泡だった。この敵が〈大地人〉や〈冒険者〉を昏睡状態にしたのだと思うと、青く燃えるような闘志が湧き上がる。
「〈浮舟・兜割り〉っ!」
足場を生かした体術移動から上段の攻撃につなげる。本来であればそれは両手持ちでの刀にふさわしい真っ向唐竹割りだ。ソウジロウは〈武士〉としては少数派に属する反撃重視の二刀流ビルドであるため、両手にはそれぞれの刀を装備している。そのため、本来の斬撃ではなく、身体に巻き込むような回転を用いてその技を繰り出さなければならない。
その攻撃がタリクタンの肩口に食い込んだ。
手ごたえは、ある。
もちろん相手はレイドモンスターだ。ソロモンスターの数千倍から数万倍のHPをもつハイエンドコンテンツでの難敵である。ソウジロウの一撃程度で、HP表示が減少する様子は見えない。しかし、ソウジロウの攻撃は障壁にはじかれるでもなく、装甲に食い止められるでもなく通用している。そもそも相手のレベルは八十六である。勝てないはずがないのだ。ここが〈エルダー・テイル〉同様の世界であり、ソウジロウたちがちゃんと二十四人であるのならば。
「ナズナ、イサミ。援護を」
「まかせてっ。局長!」
「はいはいっと」
〈百舌の速贄〉を放つのは術師系のモンスターを相手取る際の定石だが、それが不調に終わるや否や〈旋風切り〉へと連携するイサミに〈大災害〉直後の怯えは見られなかった。ナズナの援護、〈天足法の秘儀〉を生かして高速で間合いをつぶし、ソウジロウのために隙を作り続ける。
それにこたえるためにもソウジロウは〈兜割り〉から〈火車の太刀〉へとつなぐ。大気を切り裂く刀の音が心の行く先をも導くようだった。
ソウジロウは長い間おびえていたことがある。
〈西風の旅団〉を作ったことだ。
誰にも言われたことはないが、いつの日か「お前が作ったギルドって、〈茶会〉の代わりなんじゃないのか?」といわれるかもしれない。
シロエを〈西風の旅団〉に誘い断られた日、その恐れが胸に巣食ったのだ。自分でも気が付かぬままに、大勢の人に望まぬ生きざまを強いているのではないか? それはソウジロウの隠された躊躇いだった。
〈茶会〉での日々がとても楽しかったから、もしかしたらその日々を取り戻そうと自分はしているだけなのではないか? もしそう問われたら自分は何と答えられるのだろう? ソウジロウはものを考えるのが苦手なので結論らしきものは出てこない。しかしその問いそのものがソウジロウの奥にある鈍い痛みを呼び起こすのは本当のことだった。
〈エルダー・テイル〉を初めて舞い上がっていたあの頃も、〈茶会〉が解散してしまったあの時も、ソウジロウが頭を下げて一緒にいてほしいと頼んだ友は自分の道を進んでいった。友達運がないのだと、ソウジロウは思う。
だからソウジロウはうれしかった。
今ふるう一太刀は歓喜と充足をもって打ち下ろされた。
復活したシロエの指揮は、かつて〈茶会〉で過ごしたあの日のままだった。いいや過去よりも冴えわたり、大規模戦闘チームの各員へ浸透している。空中を跳ねて身をひねる瞬間に、アイコンへ視線を走らせて〈構え〉を切り替える瞬間、仲間の息遣いを感じた。実際その姿を視界に収めているわけではないのに、その存在はたとえようもなく身近に感じた。考えていることも、何をしようとしているのかも、克己も、すべてを我が事のように感じた。
そんな理由で戦闘を好むのは頭がおかしいといわれるのだろうが、唇が吊り上がるのが分かる。敵を殺したいわけではない。自分が拡散して接続してゆく感覚の中で、普段わからないことが理解されてゆく。それは普段の戦いでも感じられないわけではないが、シロエの指揮の中では比べようもないほど濃い実感として感得された。
つまりはソウジロウの取り越し苦労だったのだ。
イサミも、ナズナも、オリーブやくりのんも。
ちゃんとソウジロウを友人だと思ってくれている。もちろんその感情にはいろいろ混じっているだろうし全員が同じ質のものではないのだろうが、ソウジロウが感じている仲間への絆は、一方通行ではない。
そんな単純なことすら大規模戦闘を通してしか理解できない自分は、本当に察しが悪いとソウジロウは自嘲した。
そして離れたと思っていたシロエがその理解を手助けしてくれたことに、不思議な縁を感じた。
「だから、タリクタン」
ソウジロウは鍔鳴りの音を立てて〈神刀・孤鴉丸〉を眼前のレイドボスに向ける。その背後には狐面の神使が半透明に立ち現れ、能の演目のように両腕を広げる。〈幻想級〉の刀が空気を震わせるような圧力でその霊力を高めているのだ。
「しばし僕と踊ってもらいますよ。あなたを下へ行かせるわけには、いかないんだ」