091
◆23
ひんやりした朝の空気の中でシロエは沈んでいた。
大通りを〈三日月同盟〉のメンバーや〈D.D.D〉の補給部隊があわただしく駆けていく。大規模戦闘部隊の派遣が決まったのだ。その準備に選抜メンバーも、その周辺もあわただしい空気に包まれていた。
シロエは木陰に座ってその様子を眺めていた。
周辺に人影はない。ときおり念話で準備資材の確認の問い合わせに答えながらシロエは物思いにふける。
すでに攻略部隊の編成は終了した。満足いく編成ではないが出来る限りの編成ではある。部隊は最小限の抽出メンバーだ。アキバやマイハマの防衛、〈冒険者〉の優先を主張する声も無視できなかったからだ。結論として、〈記録の地平線〉全員を含めたシロエに近しいメンバー、それも〈常蛾〉と交戦し眠りに対する耐性が証明された〈冒険者〉だけを選ぶことになった。そのために中堅レベルのミノリたちを連れていくことになり、不安は残る。
とはいえ、事態は流動的で最精鋭を投入できる状態ではない。
たとえば帰還を優先するにした所で、シブヤ遺跡の通信設備が帰還の決定打になる保証はないのだ。無事に確保できるかどうかという話ではなく、確保したところでちゃんと使えるのか? 利用できたとして月への通信が本当に帰還へつながるのか? それらのすべては現時点では「たぶん」としか答えられない可能性だ。
一方で〈大地人〉保護を目的としたところで現時点ではシブヤ大規模攻略がそれに直接結びつくという保証はない。ソウジロウたち〈西風の旅団〉の報告は異変を知らせるものではあったけれど、まだ解決の確証はないのだ。〈呼び声の砦〉と呼ばれる元遺跡であった大規模戦闘ゾーンはまだその内部は偵察されていない。入り口は封印されていてソウジロウたちでさえ内部に入ることはできなかったのだ。
そんなわけで十分な戦力とは言えない。とはいえソウジロウやリーゼなど大規模戦闘経験豊富なメンバーが参加を表明してくれたのは僥倖といえるだろう。
シロエの憂鬱の種は、実はそれではなかった。
どちらかといえばシロエは自らの内面に深く沈み込んでいたのだ。思いは千々に乱れていたが、それは一言でいうのならば、釈然としないというものであった。
敵が現れた。倒しに行く。言ってしまえば、今の状況はそれだけのことだ。しかしそれはシロエが作り上げた状況ではない。危難があらわれて排除をしに行くわけだから、主導権は危難にある。シロエにとっては、そのことそのものがなんだか違和感を覚える状況なのだ。そのなんだか釈然としない感じはもっとさかのぼれば、シロエがにゃん太班長に言った言葉にまでたどることができる。
――帰るべきなんだと思います。
もちろんその言葉は、考えなしに発したわけではない。シロエなりの思い悩みも逡巡もしたうえでひとつの選択だった。しかし結局それはどこまで行っても「べき」でしかなく、「帰りたい」とも「帰りたくない」ともシロエは言えない。現在のヤマトの諸事情を勘案したうえでそれがおそらく正しいのだろう、そうすべきなのだろう、そう結論しただけだ。
それは状況からすればほとんど自動的な答えであり、その答えの中にシロエはいない。主導権は社会情勢で、シロエはその中でおそらく正しいであろう答えを口にしただけだ。
シロエの中にあるもやもやした気持ち。
それはシロエにとって見知らぬものではなかった。むしろ慣れ親しんだ感情だといえるだろう。自分ではいかんともしがたい状況があり、その中で理性的に合理的に対応しようとすれば答えはおのずと出てくる。
答えは少ない。多くの場合ひとつしかない。
それはシロエにとっては日常といってもよい境遇だ。両親が共働きで仕事をしているのなら自分一人で食事を摂るしかないし、引越しをするのであればついていくしかない。ある特定の問題や状況があり、その中で意味があって有効な答えというのは、いつだってひとつしかない。それは改めて考えるほどがないほどの常識だ。
シロエのその正しさや常識や選択によって周囲は助かりいくつかのトラブルは未然に防がれることはあった。その選択は家でも学校でも「上手く」やることを可能にしたけれど、結果シロエは深夜のアスファルトの上をどこまでも歩き続けなければならなかったし、シロエが感じているのは、つまり「あの頃」と同じ感覚なのだった。
その常識はひどく息苦しいものであったけれど、結局答えとはそういうものなのだろう、どうしようもないのだろう、シロエはそう思った。今までもそうだったしこれからもそうなのだろう。
いらいらした気分の正体はシロエの焦慮と躊躇なのだ。
月の浜辺でシロエはあの時代に別れを告げたはずなのに、いままたこの苦しさを抱えている。決心だけではだめなのだ。シロエは今、別の答えを持っていない。
「シロエ様」
照れくさそうに笑うリ=ガンが顔を半分覗かせて手招きをしている。
シロエが陰から立ち上がり怪訝に思いながらも近づいていくと、廃墟の中から両手を広げて飛び出してきた〈大地人〉の賢者はぐるりと回って装備を見せてきた。
「どうですー? 格好いいですか。これで私も準備は万端ですかねえ?」
リ=ガンは巨大な箱型の背嚢を背負い、頬を緩めた。彼が背中に手を回し、その金属製と思しき箱についたメーターやパイプをいじりまわすと、魔法石の脈動が強くなる。
「いやあ。我が〈ミラルレイク〉の歴史もバカにしたもんじゃないですねえ! ちゃあんと個人用装備だってあるんですよ、シロエ様。これはアルヴ戦争時代に作られた障壁発生装置です。何とかお供できると思いますよお、そりゃもう。ね、ね!」
そんな風に言うリ=ガンはこんな状況にもかかわらずとても楽しそうだった。リ=ガンの言葉に連れて、魔法装置からは白い蒸気が奮起するように小分けに漏れる。
「おっさんも行くのかよ?」
通りかかった直継が大楯を広場におろしてそう尋ねた。
「はい。呼び声の砦の入口には特殊な封印がほどこされているようで。それを、解呪して欲しいとシロエ様に頼まれました」
リ=ガンが照れて頭を掻きながら答える。
シロエとしては申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
この〈大地人〉の研究者のHPはさほど多いわけではない。大規模戦闘攻略部隊に参加できない、安全な位置からついてきてもらうつもりだ。今回の放送遺跡は通常の大規模戦闘ゾーンと比べて危険度は比較的少ないとシロエは考えている。モンスターの多くは襲撃から推測するに二十四人戦闘ランクではなく、六人戦闘ランクだろう。だがだとしたところで、当然危険がないわけではない。
「このような事態、この世界の歴史で初めてのこと……。ミラルレイクの名を継ぐ者として、見届ける責務がありますからね」
謝罪するシロエに、リ=ガンはそう答えた。
その表情はにこやかな中にも強さがあり、決してそれがただの義務感だけではないとシロエに知らせる。リ=ガンにはリ=ガンなりにやりたいことや知りたいことがあり、それは一命をかけるに値するものなのだ。それは今のシロエにはまぶしく見えて少し羨ましかった。
「まあそれにわたし」
リ=ガンは恥ずかしいのかしきりに頭を掻きながら、困り顔で微笑む。
「ちょーっぴり、憧れてましてね。地下遺跡っていうんですか? 探索っていうんですかね? 冒険っていうんですかね! 〈魔法学者〉なんて名乗ってますが、やっぱり、まだ見ぬものをこそ見たいというのは学者の本能じゃないですか。〈世界級魔法〉の研究だって進みましたよ。いやはや、不思議なこともあるものですねえ。関係ないと思ってた研究がふいに結び付く瞬間ってあるんですねえ。魔法における極大がもしかしたら極小と巡――」
「うっちもフル装備やでえ! 直継やん」
「ボクなんてフルアーマーですからっ。直継さん!」
何とも言えない金属的な音を響かせて、直継の両脇からマリエールとてとらが激突した。中央でひしゃげている直継は力任せにはねのけるわけにもいかなくて、交通事故にあったかのような表情で青ざめている。十二職業のうち最も高い防御能力をほこる〈守護戦士〉だとはいえ、非戦闘時で気を抜いていればこうもなる。ましてや相手の二人も〈施療神官〉であり十二職業の中では決して武装も筋力も劣るわけではないのだ。
リ=ガンが「呼吸ぴったりですねえ、連携ってやつですねえ」とにやにやと呟くのにシロエも苦笑いするしかなかった。どこがフルアーマーなん、一張羅のくせに! 失礼ですねアイドルたるもの常にベストの可愛らしさをファンの皆さんにお届けしてるんですよ一張羅ではなくベストエフォートですよ! と言い合いを始める二人の間で直継はおろおろとなにかコメントを挟もうとしていたが上手くいかないようだった。てとら一人が相手であれば丁々発止のやり取りができる直継でも、大変な戦いなんだな、とシロエは小さく笑った。
答えを出すのが難しい問いはある。
答えを出すことができず時間だけが過ぎる。それが正解であるような問いも、多分、世の中にはある。
しかしシロエの胸を冷たく焼く焦りがあった。論理的に考えて正しい答えを選んでいるはずなのに、シロエの気持ちは晴れなかった。
大事な何かが失われるような恐怖がシロエの背中を波打ち際のように洗っている。シロエは呼吸を止めるように、ぐっと気持ちに力を入れる。そうしていないと、拳も膝も震えてしまいそうだ。
今回の大規模戦闘は多くの〈冒険者〉と〈大地人〉の運命を変えてしまうだろう。それは予感ではなく、現実的な可能性として目前にある。この切迫した状況において、シロエは十分な選択肢を探すことができなかった。予習不足だ。シロエの得意分野ではないのだ。間違えてしまうかもしれない。取り返しがつかないかもしれない。失敗の予感がシロエの背中にへばりつき精神を真黒な冷水に鎮めようとする。その気持ちを意図的に押さえつけるのはシロエにとってずいぶんな重圧だった。
「シロエち。準備完了のようですにゃ」
「うん、班長」
にゃん太の言葉で視線を上げたシロエは背伸びをして広場を見渡した。
攻略部隊二十四名が遠征用の装備で揃っていた。
シロエの友人。直継、アカツキ、にゃん太、てとら。ギルドの後輩、ミノリにトウヤ。ルンデルハウスに五十鈴。
〈三日月同盟〉からはマリエールとヘンリエッタ。小竜に飛燕。そしてセララ。
〈西風の旅団〉のソウジロウにナズナ。さらに〈武士〉のイサミ、くりのん、オリーブ。
〈D.D.D〉からはたっての希望で参加したリーゼ、リチョウ、ユズコ、狐猿。そして〈D.D.D〉ゆかりの高レベル回復職の櫛八玉。
シロエとリ=ガンを足せば二十五名。小さな部隊ではある。
結局シロエは本当の意味でフリーハンドな部隊召集をできなかった。自分のギルド〈記録の地平線〉。古くから付き合いのある〈三日月同盟〉と〈西風の旅団〉。助力を申し出てくれた〈D.D.D〉(というよりもその部隊長リーゼ)が今回の攻略部隊のすべてだ。
他人に頼ることが苦手、などというのは優しい言葉だと思う。人間関係構築能力が絶望的なのじゃないかと、自分自身に涙がこぼれそうだ。
色んな事を予想してそれなりに手を打ってきたとシロエは思ったが、やっぱり足りない。現実というのはいつでも容赦ないなあ、と肩を落とした。それでも悪い事ばかりだけではないだろう。マイハマはアイザックとカラシンが支えてくれた。たとえそれが誰かの予定通りであったとしてもだ。
だがモンスターは待ってくれない。〈典災〉だなんてシロエの手には余る。こちらはただの凡人に過ぎないのだ。ただ、こうしている間にも太陽は巡り、〈常蛾〉の羽ばたく夜が迫ってきている。
「冒険者がどのような判断を下すか、見守らせて頂きましょう」
見送りに出てきてくれた菫星に頷くと、その背後に勢ぞろいした〈円卓会議〉のギルドマスターたちと視線を交わした。焦慮の色の濃いアインスを見つければ小さな苦笑がこぼれる。目指す場所は多分同じなのに、どうにもボタンを掛け違ってしまったこのギルドマスターをシロエは嫌ってはいなかった。
だからこそ、空元気でもいいからと声を振り絞って出発を告げる。
「目標はシブヤダンジョン奥にある、レイドゾーン『呼び声の砦』。そのアンテナを破壊し、常蛾の増加を阻止。これを殲滅します」
九時三十二分。
シロエたち〈呼び声の砦〉攻略部隊はアキバの街を出発した。
目指すは〈プレイヤータウン〉シブヤ。
シロエはまた新しいテーブルへつくことになった。今度の賭けのチップは大きい。そしてシロエは、まだ勝利がなんなのか、それすらもわかっていないのだ。
◆24
「静か、ですわね」
「そんなわけないじゃん。大規模戦闘ゾーンなんでしょ? どっかから狙ってるって」
たどり着いたシブヤの街は不気味に静まり返っていた。〈D.D.D〉に入ったはいいものの右も左も判らなかった自分に、大規模戦闘のノウハウを仕込んでくれた櫛八玉の声を聴きながらリーゼは頷いた。
緑に浸食された廃墟群はアキバと同じだが、こちらの街は元々商業のメッカであるせいか幾分カラフルだ。「生きている」古代のビルはガラスのように見える〈玻璃水晶〉で煌びやかな姿を見せている。だがその見かけに反して人の気配はしない。
大規模攻略チームは魔力の切れた〈動力甲冑〉の横を通り抜けた。〈供贄一族〉の巡回衛士が身につけていたものだ。あの〈常蛾〉の鱗粉はある種の魔力を奪う。選別基準は不明だが、それは無類の力を誇る〈動力甲冑〉の防御力、抗魔力をも磨滅させるほどだ。昏睡状態になった〈供贄一族〉は救助されているはずだが、重量がある鎧はこうして取り残された。
大規模戦闘といえばパーティーランクの十倍以上のHPを誇るレイドエネミーばかりが脅威として注目されるが、実はそうではない。二十四人級ともなれば、〈冒険者〉側の攻撃力も単純に考えて二十倍以上、連携によっては五十倍に達する。本当の脅威はエネミー側の連携や増援といった要素であり、つまりそれはゾーンの地形そのものが〈冒険者〉たちに牙をむくということなのだ。シブヤの街区はプレイヤータウンにふさわしくモザイク状に切り分けられ、立体的な交差を見せている。それが戦闘エリアとなった今、遮蔽物の多い見通しのきかない戦場となった。
頬にふれる髪を手袋に包まれた指先で後ろへと流したリーゼは機械式懐中時計を取り出すと視線を落とした。
「月の出まで……。あと六時間」
このエリアは〈エルダー・テイル〉五番目のプレイヤータウンとして設置された街だ。それまでの四つ、アキバ、ミナミ、ススキノ、ナカスの反省を踏まえ、それらとはまた違った作りになっている。
既存四つのプレイヤータウンの問題点とは、街の中心機能、すなわちギルド会館、銀行、大神殿、解放市場、〈都市間転送装置〉に人が集まりすぎてしまうということだ。これらの重要施設はゲームのプレイヤーが日常的に使わざるを得ない施設であり、もっといってしまえば、プレイヤータウンだとはいえこれらの施設以外の部分はゲーム時代、ただの背景にすぎなかった。だからこそこれら施設は混雑の発生源になってしまったのだ。
シブヤはそういった問題点を踏まえギルド会館、銀行、解放市場を持たないプレイヤータウンとしてうまれた。その代りに多数の〈都市間転送装置〉を備え、残りの四つの都市に常時接続をすることで都市機能をまかなう設計だったのだ。
〈都市間転送装置〉が沈黙し〈常蛾〉があふれる現在、この街はほとんど無人になっているという。
「おお、来た来た!」
「右前方から八! 人型、〈人食い鬼〉亜種」
「〈絶命の一閃〉!」
「〈飯綱斬り〉!」
「〈フレアアロー〉!」
戦闘が始まった。
リーゼは誘導性の高い〈サーペント・ボルト〉を撃ちながらも周辺状況の把握に努める。〈D.D.D〉であればレイド初期の情報収集はエリア構造と敵構成の把握が最重要課題だ。しかしそれは、メンバーの能力を事前の連携訓練で十分に相互理解しているからである。寄せ集めである今回のメンバーでは仲間の能力確認と連携構築が最重要課題だ。幸い、モンスターの能力は決して高くはない。リーゼは情報収集に意識を割いて戦闘を継続できていた。
それは先輩の櫛八玉もそうであるし、〈西風の旅団〉古参メンバーもそうであるようであった。身に沁みついた動きとでもいうべきか。大規模戦闘に重要なことが言葉にしないでもわかっているのだ。
そして、それは不思議なことに〈記録の地平線〉の若手でも同様であるらしかった。
金髪の青年ルンデルハウス、中衛型〈吟遊詩人〉五十鈴、巫女服をまとうミノリ、〈武士〉の兄弟トウヤ、後衛支援型〈森呪遣い〉のセララ。この五名はレベル六〇弱だ。今回の探索行の主力が九〇レベル以上を中心に編成してある以上、彼らを連れてくるべきではない。
しかし、彼らは〈常蛾〉のMPドレイン攻撃に対して極めて高い耐性を持っていることが実証されている。高レベル〈冒険者〉であれ失うことが避けられない彼らの鱗粉攻撃をほぼ無効化できるのだ。それがどんな理由かはわからないが、その一点を買われて侵攻メンバーに編入された。アキバ防衛のために突撃部隊へ過剰な戦力配備が躊躇われたという事実もある。〈D.D.D〉から今回のレイドへ出向しているメンバーもリーゼを中心に四名にすぎない。それも無理を言って参加を希望したのだ。
そんなわけで通常戦力としては期待してなかった中レベル組の五名だったが、思ったよりもずっと動きがよい。連携の形になっている。
もちろん彼らには好材料がある。彼ら自身は六〇レベル程度だとはいえ、その彼らに対して支援をしている大規模戦闘部隊のレベルは九〇オーバーだ。つまりかれらは強力な能力上昇特技の支援を受けている。しかも十名以上の多様な支援を得られる二十四名規模では支援そのものも多重化され、彼らの現在の実質的な戦闘能力は七十レベル程度に達しているだろう。九〇レベルのチームが同様の支援を受けても上昇幅は二~三であることを考えれば、これは有利な点であるといえるだろう。
またヘイトの問題もある。いくら支援を受けたとしてもその結果彼らの能力は見かけ上七〇程度にすぎない。つまり彼らが全力で攻撃をしたり回復をしても、現在この二十四名部隊の第一防衛役を務める〈守護戦士〉直継の発生させるヘイトには到底かなわない。ヘイトを過剰に稼ぐ心配がないというのは、つまり、敵に狙われないという意味だ。
つまり、彼ら中レベル組は周囲の支援を十分に受けて、限界以上の能力を思うままに発揮できる環境にあるのだ。
しかしそういった好材料を差し引いたとしても、彼らの動きはよい。
ヤマトサーバーを代表する超大規模ギルド〈D.D.D〉で教導部隊を率いてきたリーゼにはわかる。前後の位置取り。前衛を邪魔しない角度での攻撃の出し入れ。選択する特技の順番と、その構成。モンスターからの攻撃を受けないという条件にもかかわらず、常に全体攻撃を意識した周辺メンバーへの頼り方。そして、声を出しての伝達。たとえ九〇レベルになったとしても、いいや、レベルとは全く関係のないプレイヤースキルの領域で、五名は新人とは思えない動きをしている。
あらかじめアカツキ経由で「新人の面倒を見てほしい」と頼まれ、教導部隊出身ということで当たり前のように引き受けたが、彼らの出来は想像以上、いやかなり非常識なレベルにあるようだ。〈D.D.D〉にスカウトしたいほどである。
「そっちに漏らしますよー」
「食べちゃえー、リーゼ―」
場違いに明るい声は〈西風の旅団〉のソウジロウとナズナ。かつて〈放蕩者の茶会〉に参加していた、ある意味伝説級のふたりだ。この侵攻部隊では第二パーティーに属して第二防衛役と第二回復役を務めている。第一パーティーが敵主力を食い止めてひきつける役割を受け持つとすれば、そこから漏れたモンスターを補足して足止めをする、遊撃的な防衛を任務とするチームだ。
その二人が、意図的にモンスターを後逸させる。
セオリーにないその行動の意味は「乱戦時の動きを確認しておけ」「第三、第四パーティーの連携を磨け」であり、それ以上に「中レベル組を育てろ」というメッセージだ。
その証拠に〈朧渡り〉から放たれたソウジロウの攻撃は、〈人食い鬼〉に移動速度低下のアイコンを張り付けている。
「前衛を〈人食い鬼〉四が突破!」
リーゼを振り返るようにミノリという少女が報告する。もちろんその景色はリーゼにだって見えていた。本来であれば省略してもよい手段。しかしそれをミノリは省略しない。その意図は「指示を求める」ということ。このミノリという少女は、リーゼと同じレベルで戦況が見えているのだ。であるならば任せて問題はない。
「リチョウ、バックアップに! ミノリさん。小隊を指揮して全力攻撃!」
弾かれたように進む五人組を見てリーゼは目を細める。良い部隊運用だ。
その一方で期待外れだったのが総指揮だった。
大規模戦闘の成否を決める要素数は多いがその中でも重要なのは指揮だとリーゼは理解している。今回の攻略部隊にはタレントがそろっている。
第一防衛役の直継は安定したタウントワークで前線を強力に維持している。遊撃の中心であるソウジロウ、リーゼの動きも素晴らしい。アカツキ、にゃん太といった攻撃陣の処理能力も高い。個人技でいえば、サーバーイベントさえも攻略できるレベルであるとリーゼは評価する。
しかし全体の戦術判断でいえば、特筆すべきところがなく、凡庸で、しかも思い切りが悪いように思われた。慎重であるといえば聞こえはいいが、果断さに欠ける。
「なんだいなんだい。しけた顔しちゃってさあ」
第一パーティーに前線を任せて下がってきたナズナが気やすい調子でリーゼに声をかけた。リーゼは少しだけ躊躇ったが、率直な感想をこぼしてしまう。
「不甲斐ない」
「何がさ?」
ひょうたん型の水筒からぐいっと飲んだナズナがのんびりした声でリーゼに問いかける。
「――ミロードも認める〈放蕩物の茶会〉の名参謀、シロエさんの戦闘指揮を見られるかと思っていたのですが、思ったほどではありませんね」
「あははははは。ま、そうかもね。シロエはヘタレだから」
「そう……なんですか?」
ナズナの意外な言葉にリーゼは視線を上げた。
〈放蕩者の茶会〉で長い間一緒に戦っていたはずのナズナは、リーゼの評価に気を悪くした様子もなく、いつものからかうような笑みを浮かべて胸をそらしている。
「そうそう。ヘタレだよお。名参謀っていうよりはヘタレ参謀だよ」
リーゼは胸の痛みを覚えた。
ナズナの言葉に反発したくなって、そして気が付いたのだ。自分がシロエに押し付けようとしていた期待はリーゼ自身の都合だった。自分に出来ないことを――今のギルド運営の問題点やクラスティがいないことの不安をすべて解決してくれるような。一陣の涼風のような。そんな万能をリーゼはシロエに求めていた。なにもリーゼ自身を救ってほしいとか、そこまで甘い望みを抱いていたつもりはない。しかしそれが可能なほどの才能を見せてほしい、そんな願いを抱えていたことに気が付いたのだ。それを願って、この攻略部隊に志願したのだと、リーゼはやっと気が付いた。
「ミロードの認めた人ならと、なんだか甘えてばかりですね。わたし」
しかし気が付いたとしても失望や自己嫌悪がぬぐえるわけではない。
リーゼ自身の手は小さく、出来ることは少ない。
しかしそれでも今目の前の大規模攻略は成功させなければならないのだ。シロエの指揮が振るわないのならば、自分が前面に立ってでも。リーゼは胸の痛みと苛立ちを込めて、前方に現れた敵群に〈フリージング・ライナー〉を解き放った。
◆25
〈呼び声の砦〉に侵入してから、モンスターの攻撃は熾烈になった。
「戦いづらいぞ、こいつは」
「直継、もう少し前に! マリエさんっ」
「判ったで! 〈リアクティブ・ヒール〉!」
シロエは前線を押し上げながら周囲の様子を必死に探る。
けっしてモンスター個体の戦闘能力が高いわけではない。本式の大規模戦闘ゾーンでは出現するモンスターも大規模戦闘ランクとなる。このゾーンで登場するモンスターの七割程度はパーティーランクだった。レベルそのものが高いとしてもそれぞれの職分を生かした連携と集中攻撃で各個撃破はたやすい。
問題はこのゾーンの構造と間断のない増援だ。
シブヤの街はプレイヤータウンというオープンフィールドエリアだった。スペイン坂は入り組んでいるとはいえ、おおよそ道の幅は五メートル以上はあり、隊列を組むにせよ連携するにせよ余裕があった。しかし旧世界の放送局だったというこの古代遺跡は屋内ゾーンとなっている。迷宮じみて複雑なその通路は幅三メートルがやっとでやたらに曲がり角が多くて見通しが聞かない。
朽ちる様子のない鋼鉄製の扉にはどれも個性がなく、気を抜けば前方と後方の区別を失ってしまいそうな怖さがあった。
そして、その迷宮の奥からはまるで廃棄物でもあるかのように無尽蔵のモンスターが供給されてくる。〈人食い鬼〉や〈牛頭戦鬼〉、そして数多いのは〈常蛾〉に〈月兎〉だ。
あらゆるドアを確認する必要があるのも進行速度にストレスを与えた。
〈呼び声の砦〉には数多くの広間がある。天井の高い空虚な空間はしかし、通路の先端や曲がり角から連結しているわけではなかった。一様な表情を見せる鋼鉄のドアの向こうにあるのだ。モンスターが潜んでいることは多くなかったが、それらの空間には半透明の卵に包まれた〈月兎〉や白い糸につつまれた繭などがぎっしりと壁に張り付いていることが大きかった。
近寄るとはじけて襲い掛かってくる〈月兎〉や生れ出る〈常蛾〉は、放置すればシロエたち攻略部隊の後背を遮断し挟み撃ちを仕掛けてくるかもしれない。もしそうはならなかったとしても、日が暮れれば羽化してアキバを襲う可能性もある。それを考えれば、討伐しないという選択肢をとることはできなかった。
「追加出現ウサ6ですー」
「局長にばっかり、戦わせないんだからっ!」
「あと、三時間四十五分!」
仲間をかばいながらもソウジロウと盾役を交代するのは〈西風の旅団〉のイサミという〈武士〉だ。同じギルドだけあって手慣れた交差でターゲットの受け渡しを行い、前線に出る。負担軽減のための基礎的な連携。しかし、シロエはそれに打ちのめされる。
いまの処理はシロエが先に気が付くべきだった。
シロエの指揮の遅れをメンバーの個人的な技量がカバーした形だ。判断の遅れ、躊躇い。不完全な予測。それらが大規模戦闘チーム全体の効率を圧迫している。
シロエの弱さがこのチームの足を引っ張っている。
その自覚がありながらも対応策を打てない自分がいる。
月がのぼるまでの時間はあと三時間半程度だろうか。外部景観からの予測によれば、このダンジョンを探索する時間は十分にあるはずだ。にもかかわらず得体のしれない焦りがシロエの胸にはある。判断に確信が持てないのだ。いくら未見のエリアだとはいえ、大規模戦闘にはそれなりの定石がある、攻略方法にさえ存在するのだから、ゾーンの設計やモンスターの配置などにあるのは当然だ。
シロエがこのエリアで見かけたモンスターは五種。巡回や通常配置のそれとしてはこれで出そろっただろう。特定の広間や中ボスとしての追加はあっても、ゾーンの出現モンスターの傾向はつかめたといえる。ダンジョン構造の方も徐々にわかってきた。細くて天井の低い通路と巨大な広間の組み合わせ。没個性な階段と鋼鉄製のドア。先ほどの回廊から外部の巨大な別施設が見えた。おそらく敵の首魁はその別施設か、そうでなければ当初からの予測通り〈呼び声の砦〉の特徴的な塔部分にいるはずだ。
(大丈夫。まだ時間はある)
シロエはまるで自分を説得するかのように現在状況を確認して、中庭へ向かう指示を出した。部隊のMPは半減に近い状況だ。最後まで持たないとなればどこかで回復をさせなければならない。
中途休憩は大規模戦闘攻略のための基本的な戦術行動だ。間違いはないはず。怪訝そうな顔の直継に頷くとシロエは率先してそこだけは緑が残された中庭へと進むのだった。
「やっばいね。戦闘の汗をぬぐう少女。きらめく香りっ」
「西風は仲がいいですねぇ」
「まあ、局長が厳しいからね。喧嘩禁止」
「そのおかげで毎晩ときめきハプニング」
「くりのん、ステイ」
足を投げ出してへたばる〈西風の旅団〉の明るさにくらべて〈三日月同盟〉の方は消耗が激しいようだった。MP残量も残り二割を切っている。〈エルダー・テイル〉においては回復呪文をはじめHPの回復手段は比較的多いがMPのほうは手段が極めて限られる。
一番有力なのが非戦闘状態で安静にすることだ。じっと座っているか横になっていればおおよそ二時間ですべてのMPを回復することができる。この数値は何の付与も与えていないときのもので、適切な食料アイテムや〈付与術師〉のマナ回復特技や〈吟遊詩人〉の歌で加速することができる。大規模戦闘チームを形成している現在ならば、三十分程度の休憩で最大MPの半分は回復できるだろう。
ゲーム時代であればほんの数分の休憩なのだがこの世界ではそうもいかない。初見の大規模戦闘ゾーンでは安全地域の確保も難しいのだ。
緑が残る中庭はこの遺跡の中央部に存在するようだった。
四方を壁に囲まれて出入りできるように見えるのは二か所だけ。〈呼び声の砦〉入り口付近でリ=ガンが待機している〈復帰地点〉を除けば一番安全であるかのように思える。
シロエも腰を下ろして、じっとMP表示を見つめた。
コップに水がたまるかのように、表示バーはその長さを増してゆく。〈付与術師〉であるシロエは他の職業よりもMP回復速度で優れている。装備も回復速度を重視する効果を持つものが多い。
回復が早く意外にも元気なのは年少組だ。
緊張こそしているものの油断をしない表情で背中合わせに固まり、四方を監視しながら休憩をしている。
ソウジロウやナズナ、直継ににゃん太班長はそれぞれに疲弊したメンバーに声をかけて飲み物を配っているようだ。その様子は〈放蕩者の茶会〉当時にそっくりで、シロエは微笑ましい気持ちになった。
マリエールにヘンリエッタ、小竜に飛燕の〈三日月同盟〉組は肩で息をするようにうつむいている。ここまで本格的な大規模戦闘ははじめてという話だったのでそれも当たり前かもしれない。特にマリエールは第一パーティーで直継専属の回復職として集中を続けていた。てとらが歴戦の経験を活かして無数のフォローをしていたが、それでもマリエールの精神的な疲労は大きいだろう。もしかしたらこの中庭で、編成を変更したほうがよいかもしれないとシロエは思った。とはいえ、代わりをどうすればいいかと考えるとなかなかに難しい。ナズナはたしかに手練れの回復職だが、ソウジロウとの連携に習熟しすぎている。〈放蕩者の茶会〉のころからそうだった。
物思いはくるくると表情を変えてシロエを弄んだ。戦闘中ならまだ少しはましだが、こうして一息つくような状況になれば、懸念や焦慮があふれ出してくるのだ。
アインスの言うアキバの沈鬱が心配だった。アイザックたちによって窮地を脱したとはいえマイハマを襲った刺客は、この後訪れる〈神聖皇国ウェストランデ〉と〈自由都市同盟イースタル〉の間の関係悪化を予言している。〈魂魄理論〉を聞いた時の言い知れない違和感。終わりのない変転を遂げる〈大災害〉後のこの世界。〈航海種〉を名乗る一団、シロエのサブキャラクターであるはずのロエ2。
〈オデュッセイア騎士団〉と〈北風の移動神殿〉。
シロエの手には余る、かといって無視をするわけにもいかない無数の軋みが氾濫を起こしている。いいやそれも多分おためごかしなのだろう。シロエはそんなに傲慢に思い上がっているわけではない。もっと個人的な問題だ。シロエはシロエの判断に覚悟ができていない。納得ができていない。ただそれだけなのだと思う。
〈円卓会議〉を立ち上げた時も、レイネシアの演説を後援した時も、ルンデルハウスを助けた時も、供贄の黄金を求めた時も、シロエはその決断に覚悟があった。その選択でもし不利益が生じたとしても後悔はしないという納得があった。
振り返れば今のシロエには覚悟がない。シロエの選択には納得が足りない。だからその失敗が恐ろしいし信じることができない。それだけのことなのだ。
ふと灯りが陰った。吹き抜けの中庭の直情には青空が広がっていたはずなのだがと視線を上げたシロエに見えたのは、重力に引かれて降下をする数十体の〈人食い鬼〉だった。そして同時に東西の壁に亀裂が走り、爆発するかのように瓦礫を走らせて飛び出してきたのは牛頭のモンスター〈牛頭戦鬼〉。
「敵襲!」
「ちょ、待てよまだっ」
「ひゃああ、あかん! あかんって!!」
それは青天の霹靂だった。
安全だと思い込んでいたこの中庭で、しかも警戒を強めていた出入り口ではない部分から強力なモンスターが襲来してきたのだ。
「こいつら、大規模戦闘ランクだ!」
「僕が右を、直継先輩左頼みますっ」
左右に分かれる二人の盾職。しかし、回復職は追随できなかった。装備変更をしていた隙を突かれてマリエールは出遅れたし、ナズナとソウジロウは距離が離れていた。その穴を埋めるようにミノリとセララが全力の呪文を矢継ぎ早に飛ばすが、中庭は一気に乱戦に持ち込まれた。
隊列は完全に崩壊していた。
それを支えたのはまたしても個人の技量だった。
「休ませちゃあくれないって訳か」
「レイドって言うと、いっつもこうだよな」
メンバーの中でも最も大規模戦闘経験が豊富な〈D.D.D〉参加組はいち早く精神的体勢を立て直し、戦線を構築すべく動き出す。〈武闘家〉であるリチョウを戦闘に、前衛型の〈神祇官〉櫛八玉が続いた。
「まあ〈どん引き〉の姉御と一緒と聞いたときから拙者覚悟していたでござるよ」
「私を疫病神みたいに思ってないか? 泣くぞ? ゴザルも後で絶対泣かす!」
「私も行きますっ」
「援護しますわっ。〈ドレッドウェポン〉!」
軽口をたたきながら猛然とした勢いで敵軍を切り裂く。〈暗殺者〉の狐猿。そして〈召喚術師〉のユズコ、〈妖術師〉のリーゼが続く。五人の職業のバランスは悪くなかった。盾職、回復職、白兵戦闘職がそれぞれ一名に、遠距離魔法職が二名。実際、〈D.D.D〉の五人組はシロエの目の前で十体に迫るモンスターを撃破した。
だがそれはだからこそ悪手だった。
二十四名規模の大規模戦闘チームは全体を第一から第四の四つのパーティーから構成されている。それぞれの機能を果たすために計算された六名パーティーが四つだ。その四つのパーティーから五人のメンバーを突然抜いてしまったらどうなるか? 残った十九名のバランスは崩れてしまう。
これが〈D.D.D〉の本体であったら話は違っただろう。彼らの習熟訓練はこんな突発状況のチームメンバー組み換えにも対応しているに違いない。しかし今回のチームは〈呼び声の砦〉攻略のために組まれた臨時のモノだった。
振り返り目を見開いた一瞬で固まるセララをにゃん太がかばった。
〈絶命の一射〉でモンスターのヘイトを引き付けてしまった飛燕が後退をした。
乱れた戦列を立て直すために直継が〈フロントライン〉を叫んだ。
その時間を稼ごうと周囲を見渡したてとらが〈残響の宝石杖〉をかざした。
それらが一斉に起きた。
そして大地が裂けた。
各々が最善を尽くすために出来る範囲の行動をしようとした。しかしその努力をあざ笑うように、中庭の土を撥ね飛ばし巨大な触手状の蔦を持つ植物型モンスターが現れ、隊列は復帰不可能なほどの痛手を受けた。
「エネミー追加!〈毒根の多頭花〉」
九三レベルの大規模戦闘ランクエネミー。しかも絡み合うその姿は複数体の存在を示唆していた。数メートルの高さに隆起した大地と亀裂の底に分断された仲間たちが視界から外れた前衛に狂ったように回復呪文を投射するが、当然効果を発揮することはない。
「ダメです、私の〈四方拝〉じゃ一瞬でっ」
ミノリの詠唱した緊急回復呪文の障壁さえも、このランクの猛攻を抑えることはできない。あちこちで響くガラスの割れるような音は、崩壊の前奏曲だった。
無力化呪文で複数のモンスターを停止させているシロエの背中が一気に凍り付く。その程度では焼け石に水なのだ。にゃん太が、マリエールが、トウヤが、オリーブが、狐猿が――虹色の光の泡となって弾ける。
「ロスト3! 死亡5っ!」
土煙の向こうで悲鳴のような声が聞こえた。戦線は完全に崩壊だ。
この惨劇はシロエのミスだった。
安全だと思いこんだ油断が、立て直せると考えた未練が被害を拡大させた。
「シロ先輩!」
「シロエ、こっちももう、もたない!」
切迫した声に背中を蹴られるようにシロエは唇をかみしめる。身体はすでに黄泉へ行ったかのように冷たく、心は凍り付いたように重かった。
「――撤退しますっ。〈フリップ・ゲート〉!!」
断ち切るような光に包まれて、〈呼び声の砦〉攻略チームは戦力の半分を失い撤退を決めた。
荒れ果てた中庭には異界のモンスターの勝鬨が響き渡るのだった。