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 リーゼは忙殺されていた。

 クラスティが姿を消したことでリーゼ本来の仕事、教導部隊の業務が増えたわけではなかったが、ギルド内に不安が広がっていくに従い、些細な調整を必要とする案件が増えていったのだ。

 申し送りや連絡事項が滑らかに伝達されないようになり、それらをいちいち確認する必要が発生した。相談に乗ったり悩みを聞いたり慰めたりといった人間関係に必要な時間も増えた。

 何より堪えたのはそれらが必要な作業なのかどうかもわからないということだ。

 どんな業務を行い、どこまで達成すれば、明日が明るくなるのか、リーゼにはさっぱりわからなかった。その不安感から〈D.D.D〉運営のあらゆる部分を理解して監視しようと思い、その膨大な情報量にほとんど鎧袖一触のように弾き飛ばされてしまったのだ。

 それで諦められればいいのだが、焦慮の気持ちからか、自分の限界すれすれまで働いてしまって、周囲に迷惑をかけている。


 やらなければならないことの優先順位もわからなくなり、どれだけやれば十分かもわからなかった。自分のすることなすことがすべて失敗のように思え、運営の邪魔をしているだけだと感じる夜が続いた。

 眠りは浅く、夜中にベッドで飛び起きることも多かった。

 出来事に対する遠近感が狂い、ちょっとしたトラブルがギルドの将来に立ちふさがる大問題に思えて、歯の根が合わぬほどの恐怖を感じた。

 逆に、すぐに処理しなければならない案件を過小評価して、被害規模を拡大してしまったこともある。

 リーゼにはクラスティに対する好意を抜きにしても、彼のギルド運営に関する仕事を一番近くで見てきたという自負があった。リーゼだけではなく、〈Drei=Klauen〉はそういう役職だったはずだ。

 しかしいざクラスティがいなくなってみると、ギルド運営も、作業の分担も、報告システムさえも理解していなかったことに気づかされた。

 クラスティが進めてきたように、ギルド全体が師団を単位として自律的に運営が続行される運営システムは非常にうまく機能している。そこに欠陥があれば、高山三佐が活動不能だった一か月の間に〈D.D.D〉は空中分解していただろう。

 衝撃だったその一か月を切り抜けられたのは間違いなくクラスティが作り上げた組織構造のたまものである。

 しかし新年を祝う冬祭り〈スノウフェル〉がおわった後は、目に見えない金属疲労にじわじわと浸食されるような日々だった。そしてそれはまだ終わりが見えていない暗闇なのだ。

 そんな日々を救ってくれたのはヘンリエッタたちだった。


「また青い顔をしてますわよ」

「そう、でしょうか」

 今日もリーゼはヘンリエッタにさらわれるように〈三日月同盟〉のギルドホールに連れ込まれていた。

 狭くはない食堂のあちこちに観葉植物が置かれ、その隙間には絵画や不思議なぬいぐるみが飾られている。それらは雑然としているはずなのだが、すべてが手作りの暖かさに満ちてもいた。テーブルはシンプルなベージュの木製で、それがほのかにオレンジの照明の下で明るい調和を見せている。

 〈三日月同盟〉の食堂は家庭的で温かい感じがする。リーゼはそう思う。


 遅めのランチを食べる、という名目で誘われて、すでにそれはごちそうになった。

 ギーロフという名の〈料理人〉(シェフ)がつくってくれたのだというクリームシチューだ。二月も末とはいえまだ寒い日が続く中で、それはありがたいごちそうだった。

 言葉少なく静かな食事となった。

 〈三日月同盟〉のメンバーはすでに昼食を終えてしまっているのだそうだ。そもそも半数近くはお弁当を携えて外出をしているらしい。

 午後のギルドホールにはのどかな時間が流れていた。どこからか、小さな話し声や台所を片付ける音がする。

 それはこの中規模ギルドの生活音で、その音色にリーゼは安心感を覚えた。


「目つきも険しくなってるぞ。リーゼ。主君と一緒だ」

 もう一人の参加者、アカツキはリーゼにそう告げた。黒髪の小柄の少女は、つぶらな瞳に少しだけ困ったような表情を浮かべてリーゼをじっと見つめている。アカツキと友達になったリーゼは、その表情が心配を表すものであると、わかるようになっていた。

「大丈夫です。まだまだへこたれません」

「あんまり意地を張りすぎてはだめですよ」

 たおやかな表情のヘンリエッタに、リーゼはたしなめられた。もっとも、その両腕の間にはアカツキがいて、彼女を背後からヘンリエッタが抱きしめるような体勢だ。

「アカツキさんは二十歳(はたち)なんですよね?」

「? そうだ」

「ヘンリエッタさんはにじゅうは」

「コホン」

 確認はさえぎられ、その先をリーゼはあっさりと手放した。世の中は追求しすぎない方がよいことが沢山ある。

「わたしは二十歳だ」

「はい」

 リーゼは機嫌を損ねたようなアカツキに救われた気分になる。

 年齢と容姿のギャップに苦しむ彼女には若く見られることを忌避しているが、どちらかと言えばそれは羨ましがられる特徴なのだ。若々しいという意味でもあるのだから。

 しかしそれを高校生である自分が言ってしまえば角がたつだろう。その程度のことはリーゼにも判る。

「なんだか不思議ですね」

 そこまで考えてリーゼは不意に気が付いて、びっくりしたような気分になった。

 アカツキは二十歳の大学生。ヘンリエッタは大企業に勤めるOLだったそうだ。ミカカゲは調理師専門学校で製菓職人を目指す学生、ミノリは中学生、ナズナは歯科医助手。

「歳のことか?」

「いえ、元の世界にいたら、きっと友達になんてなれなかったと思って」

「そうかもしれないな」

 アカツキは途方に暮れた様な表情で静かにそう答える。ヘンリエッタにかまわれている友人がおかしくて、リーゼの頬から、本当に久しぶりに笑みがこぼれた。

 頬が緩むその感覚が久しぶりでリーゼは驚く。自分で思うよりもずっと緊張していたのだと。


「いえ、そんなことありませんわ! 可愛いは惹かれ合うと申しますもの、わたしとアカツキちゃんはどうあっても出会ってました!」

「そんな断言は不要だ」

「でも最近はなでなでをしても怒られませんわぁ。もう、わたし幸せっ」

 そんなリーゼの前で、ヘンリエッタとアカツキは、いつものようなじゃれあいを繰り広げていた。ハートを飛ばしているような表情のヘンリエッタと、憮然としてはいながらもさほど嫌がってはいないアカツキだ。アカツキは嫌なのだろうが、抵抗を諦めている。それはきっと、昨年の事件でまだアカツキが引け目を感じているせいなのだろうとリーゼは予想しているのだが、あえて助けの手はさしのべなかった。

 抱きしめられる体温が、アカツキには必要だと思ったからだ。


 なんにせよ、リーゼが親しいと思える二人と過ごす時間は和やかなのだ。

 自然とほほが緩んでいく。後頭部から背筋にかけてずっしりとたまっていた、しびれるような疲労がゆっくりと溶けて抜け出していくような気持さえした。

「……怖いメガネがいなくなると大変か」

「ええ、そうですね。ずいぶんとクラスティ様には頼ってたとわかりました」

 借りてきた猫のように首をすくめてヘンリエッタの攻撃に耐えていたアカツキは、笑みを浮かべたリーゼに小さく尋ねた。それはリーゼの直面している問題だ。

「主君も困っていた」

「シロエ様も、そうでしょうね。〈円卓会議〉の外交ではクラスティ様が顔になっていました。不在期間的にはまだまだ平気ですが、これからのことを考えれば、問題が起きるのは明らかですものね」

「〈円卓会議〉の業務は申し訳ありませんが、負担できません」

 〈円卓会議〉にとっても確かにクラスティの失踪は大問題だろう。

 とはいえ、それはさすがにリーゼには背負えない。背負えないと、やっと素直に言えるようになった。

 教導部隊の隊長として、大規模戦闘の指揮はできる。攻略工程表マネジメント・プロットを書くことも。しかし、それらはあくまでゲームの攻略だった。少しだけ自分を褒めていいのであれば、ゲームの攻略を、異世界である現在のアキバでギルド訓練に適用しているだけだ。

 〈大災害〉の後、クラスティは常々「今までと何も変わらない」と言っていた。。「今までやってきたギルド運営と、これからのギルド運営は変わらない。向こうでの生活と、こちらでの生活は変わらない」と言っていた。多くのギルドメンバーは、クラスティ得意の捉えどころのない発言だと思っていたようだが、リーゼは知っている。あれは掛け値なしの本音だ。

 それどころか「〈大災害〉後の世界は現実と同じで刺激が少ないね」といっていたのも本音である可能性が高い。クラスティは、言葉の意味そのままに、変わらない日常として〈D.D.D〉を過ごした。

 アカツキが主君と呼ぶ青年シロエも瞠目すべき存在だ。〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)ギルドマスターのあの青年は、ゲームを攻略する技術をそのまま転用して、〈大災害〉を攻略した。

 その手法や方針は説明されればわかる。MMORPGはとコミュニケーションのゲームだ。だから心底命がけで言葉を尽くすのであれば、ゲームにおける攻略は(、、、、、、、、、、)現実に転用できる(、、、、、、、、)。その理屈はわかるが、そんな理屈を本気にして、実行するなんて信じられない。


 だがそれは果たしてそんなに異常なのだろうか?

 クラスティやシロエはたしかに特別だが、〈海洋機構〉のミチタカや、〈ロデリック商会〉のロデリック、〈第八商店街〉のカラシン、それにソウジロウ、アイザック、アインス、マリエール、目の前にいるヘンリエッタ、櫛八玉に、そのほか大勢の人たち。

 彼らも皆、ある意味では〈大災害〉の前後で変わっていないのではないか?

 変り果て刻々と変化を続けるこの世界において、彼らは「彼ら自身であること」を最大の武器にして戦い続けている。

 クラスティとシロエは状況にかみ合ったが、揺らぐことのない自分自身と今までの経験で目の前の状況を解決するという点においては、ほかの皆も二人に対して勝りこそすれ劣るところはない。


 つまるところは昨年末のアカツキと、今のリーゼはまるで同じなのだ。

 ゲームの攻略方法やマニュアルを中心にして、それが正確か間違いなのか、十分なのか不十分なのか、そういう次元で勝負をしているから勝てないし、毎日が不安で胸が苦しいの。それは自分のレベルや〈幻想級〉装備の有無で思い悩んでいたアカツキに等しい。

 そうではなく、もっと自分自身の意思とか決意とか、覚悟や生き様を中心に据えるべきなのだ。リーゼはそう思った。クラスティはもとより、ミチタカやアイザックには、その中心があるから強いのだと思う。

 ――自信なんて持てないが。


「きっと沢山、迷惑かけているし、まだかけてしまいそうです」

「気にしなくてもよろしいですわ。大変なのは存じ上げていますもの。それに、シロエ様が何か手を打ってらっしゃるでしょう」

「……主君は、迷惑だなんて思わない。それに止めてもきっと自分から助けに行く」

 リーゼの問いに対する返答は意外なものだった。

 ヘンリエッタはすました顔で大丈夫だと請け合い、その胸元に抱き寄せられた小柄な美少女も頬を染めて、決然と笑っている。

 いつも無表情な彼女が笑うのは、まるで花びらがこぼれるようだった。

 あの戦いを経てアカツキも変わったのだ。そして、自分も変わったはずである。

 自分ももう一歩前に出なければならない。焦りや不安からではなく、後回しにしてきた課題をなさなければならないのは今だ。自責する高山とリーゼだけでは、状況の改善は望めない。

 クラスティがいない今、〈D.D.D〉には〈Drei=Klauen〉が必要なのだ。



 ◆



 この世界には数々の魔法の品物(マジック・アイテム)が存在する。

 武器や防具、装備品、書籍や、家具の形態をもつものまで種類は様々だ。

 〈大災害〉を経て入手可能な魔法の品は爆発的にふえたが、それ以前から〈冒険者〉にとって便利だと求められていたジャンルのひとつに「鞄」があった。

 〈エルダー・テイル〉において正確な表現をするのならば「コンテナ」ということになるだろう。ほかのアイテムを収納可能なアイテムであり、ポーチやカバンといった手ごろなものから、木箱、金庫、タンスといった大きなものまでさまざまだ。

 一般的なコンテナ・アイテムは内部に様々な品物を、その容量が許せば入れておくことができる。魔法のコンテナ・アイテムともなれば、大きさを無視して収納したり、収納した物品の重量を軽減したり、あるいは特定の収納したアイテムに変化を加えるものなどもあり、把握が難しいほどのバリエーションをもっているのだ。

 〈ダザネッグの魔法の鞄(マジックバッグ)〉はレベル四十五以上で装備できる魔法のコンテナ・アイテムである。これより低い装備レベルの魔法のコンテナ・アイテムもなくはないが、収納可能な量や入手難易度の関係でメジャーとは言えない。

 また、生産職としてアイテムを仕入れたり販売するなどをしなければ、普段使いにおいてこの鞄は二百キログラムという十分な収納量を持っている。さらにこの鞄の性能を上昇させる高レベルのクエストなども存在し、多くの〈冒険者〉にとって末永く愛用することになる逸品なのだ。

 〈ダザネッグの魔法の鞄〉は〈エルダー・テイル〉中級者が必ずと言ってよいほど手に入れる、魔法の鞄の登竜門的なアイテムといえるだろう。


「準備は整っているのかー?」

「ばっちりだぜ、師匠」

 居間に顔を出した直継にトウヤは胸を張って答えた。この大きな部屋ではトウヤやミノリ、五十鈴、ルンデルハウスといった年少組が旅行の準備をしている。

 〈魔法の鞄〉があれば荷物をまとめるのは簡単なのだが、あいにく年少組はまだそれを手に入れていない。むしろ、鞄を手にれるために旅に出るのだ。〈ダザネッグの魔法の鞄〉を入手するクエスト「魔法の鞄を手に入れろ」は四十五レベルで受けることが可能になる。いまとなってはあまり意味のない制限なのだが、アイテムの装備可能レベルは〈大災害〉以降でも拘束力を持っていた。

 トウヤたちは〈魔法の鞄〉を作るための素材を入手するために、初めてアキバの街を離れるつもりなのだ。

「馬車の準備もおわってます、直継さん」

 追加報告をしたミノリはメモ帳片手に旅の準備に余念がないようだ。


 目的地は「レッドストーン山地」だ。

 道なりで百六十キロメートルほどだという。馬車で向かうから、おおよそ往復で二十日ほどの旅だろうか?

 トウヤはまだ見ぬ山々や自然を夢想してちょっとそわそわしてしまう。

「いやあ、だってレッドストーン山地っていったら、長野の当りなんだろう? 山に川に、森! それから、行ったことのない村!」

「んーむ。旅をするのは久しぶりだ。その心得は、このルンデルハウス=コードに任せておきたまえ」

「そういやルディ兄ぃは旅してきたんだっけ?」

「そう。途中までは〈冒険者〉と一緒だったんだが、ボグポートからアキバへは一人で来たのさ。だから経験はばっちりだ」

「うんうん。水は馬車に樽乗っけてけよ」

「わかってる!」

「トウヤ、ほら。下着もう二組」

「こっちにもう詰めてあるってば、ミノリ」

 トウヤとしても心が沸き立つのを抑えきれないのだ。元の世界で旅行に行ったのなんてずいぶん昔のことだ。遠出というのでさえ珍しい。しかも今回は、年少組の友人だけで泊りがけの旅だ。修学旅行よりもずっと面白そうではないか。馬車で出かけるというのもロマンを掻き立てる。


 トウヤたちはフローリングの床の上に荷物を広げていた。

 ミノリのチェックを受けながら、着替えや保存食や救急用品を荷物に詰めていく。とはいっても、トウヤとしてはミノリほど厳しく考えなくてもいいと思っている。手作りの服ならばともかく、〈エルダー・テイル〉由来の装備品は耐久度さえ十分にあれば、汚れや傷が自動的に消去される。そういう意味では、ずっと鎧姿で過ごせば、着替えは下着くらいあればなんとかなる。食糧だって、楽しみを求めなければ質素なものでも過ごせるのがこの世界である。

 とはいってもトウヤはそう言う無粋な発言はしない。

 ミノリが一生懸命なのはわかってるし、それは良いことだ。兄たるもの(ミノリは自分が姉だといっているが)、妹の面倒を見るものである。

「むう」

 その横で、ルンデルハウスが膝をついて荷物を掻き回し始めた。

「どうしたんだ? ルディ兄」

「むむむ。僕のブラシがないのだ。身だしなみを整えるのもエレガントな〈冒険者〉の務め」

「え?」

 そうなのか? と突っ込みを入れたさそうな直継の呼吸を無視してルンデルハウスは続ける。

「困ったな。あれは重要なアイテムなのだ。なにせ金貨百枚もしたわけで」

「ルーディ」

 そんなルンデルハウスに声をかけたのは五十鈴だった。

 エスニックな布地で作られた自分のバッグを置くと、ルンデルハウスが散らかした荷物の中から手際よくスモークブルーのポーチを取り出した。

「洗面セットの中だよ? ルディ。あと荷物は片づける」

「そうか、ミス五十鈴。見つかってよかった」

 笑みを浮かべて荷物を片付け始める二人を見ると、トウヤも嬉しくなる。


 ルディも五十鈴も〈記録の地平線〉の大事な仲間だし、今となっては兄妹みたいなものだ。

 幼いころ、トウヤはサッカー少年だった。今思えばサッカーをそこまで愛していたかどうかはわからないけれど、元気いっぱいのトウヤにとって放課後の校庭を友人と駆け回るためには、ボール一つがあれば十分だったのはたしかだ。

 足が動かなくなった後もトウヤは、友人たちの集まりに何回か顔を出した。

 しかし二月もすぎたころ、トウヤはそれをやめた。

 うらやましいとか憎いという気持ちがあったわけではない。友人たちが気を使い、トウヤの前ではサッカーをしなくなったのが申し訳なくて、いたたまれなかったのだ。

 トウヤはそうして友人と距離を置くようになった。

 そこにいるみんなが笑顔でいるのはトウヤにとって重要なことなのだ。

 トウヤの家族は、トウヤが車椅子に頼らざるを得なくなった時も、いやな顔一つしなかった。トウヤは自分が大事にされていることをわかっている。でもそんな理屈とは別に、家族の顔がこわばる瞬間、唇を噛みしめたことだってあるのだ。自分のために笑顔を我慢する誰かがいたのなら、トウヤはそれを痛みとして感じる少年だった。

 だからトウヤはルンデルハウスや五十鈴、ミノリの笑顔を見るとほっとする。

 そしてシロエという青年を尊敬する。

 あのときシロエが守ったのは、ルンデルハウスの命ではない。みんなの笑顔なのだ。

 こうして過ごせる時間を守ったのだ。それは特別にすごいことだ。


「んっふふう~」

 荷物をやっとまとめて小さな山にした後、五十鈴は眼をきらきらさせたまま、抱えたリュートケースを大事そうに撫でている。

 年少組だけで狩りに出て〈魔法の鞄〉の素材アイテムを入手してくる。クエストの旅だ――そんな計画を立てたとき、一番喜んだのは自分だか、五十鈴も負けず劣らずに嬉しそうだと思う。トウヤ自身のことはともかく、五十鈴の理由はよくわからない。

「五十鈴姉ちゃんも、旅嬉しいのか? なんで」

「嬉しいよ? みんなで行くの楽しいじゃない。それにツアーっぽくない?」

 ツアー?

 直継を含め、そこにいる全員がその言葉の意味を捉え損なった。

「だってさ、馬車でさ、じゃかじゃかじゃーん! って」

 五十鈴は立ち上がると、ケースを抱きしめたまま、それをかき鳴らすようなしぐさをする。嬉しそうなおさげがぴょんぴょんと跳ねて、五十鈴の気持ちを表しているようだ。

「ツアーとはミュージシャンが演奏を目的に旅をすることですにゃあ。有名アーティストは世界規模で行うこともありますし、インディーズな皆さんが自費で旅をすることもありますにゃ」

 台所からお茶のセットを持って現れたにゃん太が、直継のいるソファーテーブルへと近づきながらそう説明をしてくれた。

「良いな、ツアー! 大銀河の演奏旅行!」

「行くのは伊豆の先だ」

 続いて現れたてとらは直継に駆け寄り、それをいさめるようなアカツキ、シロエがはいってくれば〈記録の地平線〉のメンバー勢ぞろいだ。


 そういう風に説明されればトウヤだって聞いたことがある。

 ライブハウスや武道館に言ったことはないけれど、ビデオクリップはWebで見たことくらいあるからだ。

 自分と、ミノリと、五十鈴と、ルンデルハウス。それから〈三日月同盟〉(おとなり)から参加のセララ。五人で馬車に乗ってツアーに出かける。考えたことはなかったけれど、それはなんだかとてもわくわくする思い付きだと感じた。

「そっか、ツアーか! どどどんっ。ってね」

 トウヤが手元のリュックサックを手のひらでドラムのように叩くと、五十鈴は少しびっくりしたような表情だったが、すぐに笑ってりゅいんりゅいんふぃーん、と口先で楽器の音まねをしながらくるりとまわって見せた。

「ツアーか……初めて聞いた言葉だが、それはすごいな。四十二で村をめぐるのか」

「いやいや。今回そんなに村を巡ったりはしないよ。ね? ミノリ」

「レッドストーン山地までいくとなると……シロエさんの地図だと、それでも、四つか五つは村がありますよ」

「いいじゃん、行こうぜ、村。どっちにしろ水とか補給しないといけないんだし」

 トウヤはすかさず提案した。

 山に登って小型のワイバーンを狩るのはそれはそれで楽しいだろうが、〈大地人〉の村を訪ねて演奏をするのだって負けず劣らずに楽しいと思う。どうせ村に出会ったら一晩くらいは泊まるのだ。両方出来るなら、した方がずっと良い。

 みんなの同意するような声に五十鈴は「わー! ツアーだよ。うん、ツアー!」と喜ぶ。その笑顔はまぶしいほどだった。

「よーし、道案内と仕切りはこの僕に任せておきたまえ」

 立ち上がって宣言をしたルンデルハウスも晴れやかな表情だ。

 トウヤは音楽なんてよくわからないが、体力任せで太鼓をたたき続けることはできる。セララは簡単な鍵盤楽器ができたはずだし、ミノリも五十鈴にリュートを習ってたはずだ。アーティストのライブという話ならとても追いつかないかもしれないが、五十鈴の手伝いをするくらいなら十分楽しそうだった。


「うっれしいなあ!」

 叫んだ五十鈴は、いつものようにルンデルハウスの頭を抱え込むように抱き寄せていた。ルンデルハウスはトウヤたちの中では一番年上のはずだし背も高いのに、五十鈴のスキンシップには苦手意識があるらしく、抵抗できずなすがままにされてしまう。

――ルディ兄ぃかーっこわりい。へへへ。

 と笑いかけて、トウヤはその言葉を飲み込んだ。

 なんだかんだ言ってミノリには世話になっていて逆らえない自分も同じだと気が付いたからだ。反省だ。

 この旅を通して、自分とルンデルハウスは、男子のコケンたるものを発揮しなければならない。「男ってのはいざというとき身体を張るもんだぜ!」と腕を組んで自説を展開する直継の表情を思い出す。

 もちろん頼れる仲間ではあるけれど、旅の仲間のうち三人は女の子なのだ。

 男子たる自分(と友だちのルンデルハウス)が守らなくてどうするというのだろう。

「ミノリ、ミノリ! わたし弦の予備とか、もう、買いこんじゃう!」

「もう、五十鈴さんってば!」

 楽しそうに笑うメンバーを見ながらトウヤはそう思うのだった。



 ◆



 〈エルダー・テイル〉における馬車は数種類あるが、そこにも〈円卓会議〉結成後の技術革新は押し寄せていた。もとより板バネは一部の高級馬車に採用されていたらしいのだが、懸架式やスプリング式、軽量素材なども導入されつつある。

 変態的技術を惜しげもなく使った代物が〈ロデリック商会〉で開発されアキバの住民一同をあきれさせた。空力考慮やテイルウィングの付いた馬車が一体何の意味があるのかわからなかったのだ。しかし、そういう一部の暴走から得られた工夫は、単純で安価なものからじわじわと市場に浸透していった。

 アキバの街で作られる製品は様々だが、なかでも〈大地人〉に需要が大きいものの一つが馬車である。

 アキバの街で作られるアイテムのうち魔法の力を必要とするものはマナの少ない〈大地人〉には使いづらいし、現代地球の快適性を追求するアイテムは〈大地人〉から見て「なんでそこまでこだわるのか?」と疑問を抱かせるものがほとんどだ。

 〈冒険者〉にとってはお小遣いで買えるようなアイテムであっても〈大地人〉にとってはそうではない。もちろん〈自由都市同盟イースタル〉の領主や貴族が購入する高価なアイテムはそれでもいいのだが、それでは必要とされる数は増えてゆかない。


 そこへ行くと新式の馬車というのは実に理想的な製品なのだ。

 魔法の力を使うものももちろんあるが、そうでない、機械的な工夫で利便性をあげた馬車は〈大地人〉にも使用可能だ。あまりにも性能を向上させてしまうと、必要な〈御者〉レベルが上昇してしまうという欠点はあるが、幸い〈御者〉や〈交易商人〉といった職は〈大地人〉においてもメジャーなもので人数が多いため問題になりにくい。

 価格は当然高くつくが、そもそも馬車は消耗品ではない。商人が用いる場合、商売の効率を考えればさほど長い時間をかけず利益で取り返すのは可能な額だし、農民が購入する場合個人ではなく村単位でお金を出し合い共同購入する事が多い。そのため高価格が問題になりにくいのだ。

 クロームモリブデン鋼の農機具と並んで、アキバから〈大地人〉が購入したい製品の上位に位置するのが馬車だった。


 五十鈴たちが購入した馬車もそんな製品の一つだった。

 もちろん〈冒険者〉向けのハイエンドな馬車もあるのだが、基本は普通の馬車だ。耐火炎対冷気対電撃防御ランク八十などという性能は、五十鈴たちの手には余る。

 丈夫で、取り回しやすくて、荷物がたくさん詰めて、五、六人が乗れるものであればそれで十分だ。荷馬車や箱馬車という線も考えたのだが、幌馬車という選択に落ち着いた。幌に使用する布は奮発をして撥水性のものにする。どうせ野営はテントで行うつもりなので、馬車そのものに雨天の居住性を求めないでも良い。

 それは比較的軽量の馬車だった。

 五十鈴たちがまだ中レベルだということと目的地までの道中が不整地も多いということを考えあわせた結果、車体の重さがさほどでもないほうが良い――そんなアドバイスをにゃん太とロデリックの二人組からもらった結果、そういう判断になった。

 代金はきっちり五等分して支払ったため、この馬車は正真正銘、五十鈴たちの持ちのなのだった。セララとミノリは市場でキルトのクッションを買ってきて、幌の内側に据え付けた。荷物いれは防水仕様で、仮に水浸しになってもこの中にいれておけば無事だろう。トウヤが幌に|〈記録の地平線〉《LOG HORIZON》のマークをいれよう! と発案してそれは全員一致で支持された。

 そのあとミノリが絵を描こうとして、五十鈴が羽交い絞めにして止めたことは、ちょっと思い出したくない出来事でもあった。


 馬車をひく馬のほうは〈冒険者〉らしく〈召喚笛〉を購入することで済ませた。

 〈召喚笛〉とは〈冒険者〉に使役される獣を呼び出す魔法のアイテムの一種だ。高位のものになると〈鷲獅子〉(グリフォン)など、飛行生物や幻想生物を呼び出すことができるものも存在する。これは膨大な種類がするアイテム群で、単純に馬を呼び出すものでもかなりの数があるのだ。呼び出す馬の種類や能力、一回呼び出してから馬が手伝ってくれる時間、使用回数、使用してから再び使用可能になるまでの時間。様々な要素があり、当然価格もぴんきりだった。

 この世界には主に〈大地人〉が使用する「普通の馬」も存在する。笛を吹いても突然現れたりせず、制限時間が過ぎても逃げ去ったりしない、ずっとそばにいて生活を共にする動物としての馬だ。

 しかしそういう馬は餌を与えて世話をしなければならないし、〈冒険者〉のレベルで言うことを聞かせることもできない。無難な選択肢はやはり〈召喚笛〉ということになるのだった。

 五十鈴たちが購入したのは〈ライマンの双子馬笛〉というアイテムだった。

 購入した馬車のサイズから考えて馬は二頭必要だったし、笛を二つ買うよりは二頭召喚できるアイテムのほうが安かったという理由もある。でもどちらかというと、名前と馬に一目ぼれという側面も大きかった。〈双子馬笛〉という名前はミノリとトウヤを想像させたし、呼び出された馬は、荷馬という触れ込みだったが、がっしりと精悍で最高に恰好よかった。


「わふぁあ。わふぁあ!」

 意味の分からない歓声を上げたセララは大喜びで双子馬にキャベツをあげていた。召喚馬なので餌付けなどは必要ないのだが、そんなことは関係ないようだった。

 ルンデルハウスが慣れたしぐさで馬の首筋をぼろ布で拭っている背後から、五十鈴は声を潜めて話しかけた。

「ルディ、あのさ」

「どうしたんだい? そんなにおっかなびっくり」

「さわっても怒らないかな?」

「大丈夫だろう。この子はおとなしいし、今はそんなに苛立ってないようだ」

 馬は五十鈴をちらりと見ると、興味を失ったようにあとはセララたちが与えているキャベツに集中したようだ。おとなしいというよりも食い意地が張ってるだけなのではないか? 五十鈴はそんな疑問を覚えたが、好奇心には勝てなかった。

 生唾を飲み込んで、恐る恐る触れてみた。

 馬の体は想像してたより暖かく掌の下では筋肉が感じられた。五十鈴はそれにわけもなく感動してしまった。考えてみれば、こんなに大きな動物に触ったのは、生まれて初めてだ。

 身じろぎをするように脚を踏み変えるだけで、圧倒的な馬の筋力が駆動しているのがわかる。それは議論不能な勢いで「あ、これは生き物だ!」という実感を五十鈴に与えた。


 別に言い訳するつもりはないが、五十鈴はほかの生き物の肌に触れた経験が少ない。五十鈴が、というよりは、普通の女子高生は日常的に大型生物に触ったりしないと思う。高校生ともなれば親に甘えるような歳でもない。ふざけて友人女子に抱き付いたりはするが、それはあくまで服を着ている前提であり、肉体に直接なんてことはない。

 そのせいで、大きな生き物に触れた感動でびっくりしてしまったのだ。

「ん? ミス五十鈴。どうしたんだい? 馬が怖いのかい?」

 目を丸くしてしまった五十鈴に、輝かしい金髪をさらさらとさせながら、ルンデルハウスが心配そうにのぞき込んできた。

「ううん」

 五十鈴はぶるぶると首を振った。

「全然怖くない。かわいい」

 そうか、それならいいんだが。というルンデルハウスのその髪の毛に五十鈴は手をやって、くしゃりと撫でた。そうされたルンデルハウスは口をへの字にして不満げな表情だったが、五十鈴の頬は熱くなってしまい、いじわるのようにかき混ぜてしまう。

(うん、大丈夫。わんこに触っても平気だ)

 五十鈴はそうやって確認してみた。

 馬に触れた瞬間、なんだか非常に恥ずかしいような、びっくりしたような気分になったのを、ルンデルハウスに触れてごまかしたのである。抵抗するルンデルハウスに悪いとは思うが、それでも仕方ないものは仕方ないのだった。

「五十鈴さんも、キャベツあげますか?」

「うん、あげるあげる。ほら、ルディも!」

「僕は良いのだ。そういうのは」

「仲間はずれは、ダメでしょ。この子もツアーの仲間なんだから」

 照れくささを吹き飛ばすように五十鈴は叫んだ。

 その声にびっくりした馬が鼻を鳴らしてにらんでくるのに、ぺこぺこと頭を下げる。「馬は臆病なんだから叫ぶなんてあり得ないぞ」なんてルンデルハウスに怒られもした。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「もっとちゃんと謝りたまえ」

「ごめんなさい。ほら、ルディもあやまって!」

「なっ。まったく……許せ、馬よ」

 ニンジンを四本献上して仲直りをしたころには、すっかり日も傾いていた。

 こうして旅立ちの日はあっという間にやって来たのだった。


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