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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
ログ・ホライズンEp14 黄昏の孤児(みなしご)
133/134

133



◆3.03



 イコマ、ミナミ、そしてキョウの都。それらは独立した居留ゾーンではあるが同時に極めて近距離にある共生関係の都市でもある。イコマからミナミに、あるいはキョウに移動するためには、〈大地人〉の操る馬車であっても丸一日あれば到着できるのだ。その時間は河川を使えば二時間程度に短縮されるし、〈冒険者〉であればなおさらである。

 キョウの都に居を構えるおごった貴族によれば、ミナミの街というのは「キョウの都が海に向かって設けた勝手口のような街」ということになるし、ミナミを根城にする〈冒険者〉の言葉を借りてキョウを語るならば「山の間にあるクエストくれる廃墟っぽい街」ということになるだろう。

 そうして互いに陰口を叩きあうのも、それらが切り離すことのできない生活圏として物流や人的交流で結びついているからなのであった。


 長い間〈神聖皇国ウェストランデ〉は窮屈な国だった。

 キョウの都の〈元老院〉がこの国を支配しているのだが、生活の場である西ヤマト、キシュウもセトも、それらの地域に点在する〈大地人〉の村々に実際赴任して統治しているのは、貴族ではない。貴族の使用人である代官である。

 貴族たちは任地に赴くことなく租税を取り立てており、それは地球の歴史を知る〈冒険者〉に言わせれば荘園であった。

 騎士団という武力を持たない〈元老院〉の実際の支配は、キョウの都とその周辺の僅かな地域にしか及んでいない。そのくせ彼らは古の血脈を誇り、地方の村を押さえつけていたのだ。村々からすれば、魔物の襲来や天変地異からの復旧を助けてくれない支配者など邪魔でしかないのだが、キョウの貴族たちはそのような陳情に対しては〈冒険者〉を呼び寄せてクエストを発行するという手法でごまかし続けてきた。そのような体勢が、もう百年以上続いていたのである。

 〈大災害〉が起きて〈元老院〉と〈冒険者〉の対立が一瞬懸念されたが、両者は歴史的な結びつきに至った。〈Plant hwyaden〉の成立である。貴族たちはここにいたって、やっと本物の軍事力を手に入れ、西ヤマト一帯に平穏がもたらされた。

 しかし、〈冒険者〉はけして言いなりになる人形ではない。

 彼らもキョウの貴族によってヤマトにおける地位と生活基盤を手に入れたとはいえ、そもそもの力関係で言えば経済力も武力も名声も〈冒険者〉のほうが優越しているのである。〈元老院〉が優れているのはこのヤマトの歴史や力学に対する知識と老練な政治手腕だけであった。

 それゆえ両者の関係は徐々に、最終的には激しい綱引きの様相を呈するようになった。もちろん〈元老院〉と〈冒険者〉が争うというような単純な図式ではない。そんな図式になってしまえば、ずっと以前に西ヤマトは〈冒険者〉の支配する地となっていただろう。

 〈元老院〉がそうであるように〈冒険者〉も一枚岩ではなく、執政ウーデルはそこをついて〈冒険者〉同士を対立構造に持ち込んだのである。そのために貴族たちや商人たち、ひいては街に住む市井の民草までもが緊張を強いられることになってもだ。そして、その張り詰めた空気こそがここ最近のキョウの都市圏を特徴づける通奏低音だったのだ。


 その都市圏が、いま、沸き返っている。

 〈自由都市同盟イースタル〉からの使節団を迎え入れて、人々はぐつぐつと沸騰寸前のスープのように活動的になっているのだ。

 それはただ単に東からの客人が来たからというだけではなく、その客人のもたらす風が長い間凝り固まっていた都の体勢をゆるがすのではないか? という期待の表れでもあった。〈Plant hwyaden〉を二分するという対立が徐々に明らかにされ、それには〈元老院〉も絡んでいるということは、少し目端の利く〈冒険者〉にも街の〈大地人〉にも理解されつつある。

 ちょっとしたきっかけがあれば一気に形勢が傾き決着がついてしまうかもしれないその状況に、使節団が現れたのだ。それは西ヤマト全体の未来が近い将来明らかになるという予兆のように思われた。

 人々は街角や酒場でそのことについて語り合ったし、誰もがちょっとした事情通のように自分の考えをひけらかしたがった。


 執政であり公爵であるウーデルはキョウの都の実質的支配者であり、斎宮家を傀儡として操る巨魁なのだが、最近では彼こそが次世代の本命だと押す声は少ない。それは何も彼の政治的実力が不足しているわけではなく、〈冒険者〉という存在が桁外れなので比べるとどうしても見劣りするというだけのことである。

 しかし、〈Plant hwyaden〉内部の、この巨大ギルドを司る二人の美女による対立を加えると話は一気に複雑化する。――事情通によるもっともな解説によれば、〈Plant hwyaden〉の頂点であり〈冒険者〉の心を掌握する〈漆黒の納言〉濡羽と、同ギルドの(まつりごと)一切と闇を司る〈吠えたける静寂〉インティクスは、終わりのない主導権争いの渦中にあるのだという。

 二人の勢力争いは拮抗し、互いを戴く配下や協力者の数や勢力も釣り合い容易には決着付かない情勢にある。濡羽がほとんど勝利を掴んでいると断言するものもいれば、いいやインティクスの隠し資産の額は計り知れないと反論するものが居て、街の酒場でも決着のつかない話題なのだ。

 そしてこの拮抗した千日手とも言える二人の力関係において、勢力で劣ると言わざるをえないウーデル公爵という要素は無視できないだろう。酒場で語る酔漢のなかでも賢しげなものはそんな風にうそぶく。ウーデルは自分を高く売りつけて漁夫の利をさらうだろう、と。


 何にせよ、そうして沸き返るミナミの街をルンデルハウスに並んでトウヤは歩いていた。用心棒をしますよ、とついてきたソウジロウを引き連れての行動である。つなぎを頼んだトウヤとしてはソウジロウに先方を紹介してもらわないと困る。正確に言えば、トウヤは困らないが要件を抱えているルンデルハウスが困るはずだ。

 そのルンデルハウスといえばどうやら緊張しているようだ。普段は落ち着きが無いくらい騒がしいのだが、いまは硬い表情で道を急いでいる。

「大丈夫だよ、ルディ兄」

「うむ。……もしかして、僕は難しい顔をしてたか?」

「うん」

 素直に頷くトウヤにルンデルハウスはうろたえた。

 そんなふたりをみていたソウジロウがくすくすと笑う。

「ふたりは本当に仲がいいですね」

「まあな!」

「親友だからな!」

 そんなソウジロウの前で、ふたりはこれ見よがしに肩を組んでガハハハは、と笑ってやった。トウヤとルンデルハウスのふたりにとっては「格好いい熱血戦士のポーズ」なのだが、傍目には大型犬がじゃれ合ってるような光景だ。


 ゆっくりと暮れてゆく夕日の中で、気の早い店舗がひとつふたつと〈蛍火灯〉を灯しはじめる。ぼんやり滲んだ灯りが街を彩り始める時間だ。夕飯の算段をする〈大地人〉や盛り場へ向かう〈冒険者〉で混み合った通りを、三人はその流れに逆らうように進んでいった。

 トウヤが手元の地図を何人か確認して、たどり着いたのは〈鴨川亭〉という名前の小さな料理屋だった。裏通りに面したのは小さなくぐり戸で、頭を下げるように通り抜けると、そこにはほんの数メートルほど小さな庭があった。

 料亭そのものの入り口も小さく、すれ違うのには互いに気をつける必要が有る程の狭い廊下には、タレ目の〈猫人族〉の女性が出迎えてくれている。


「トウヤ様とルンデルハウス様、他一名様ですね。お連れ様がお待ちです」

「はい!」

 こういう場所の礼儀作法がわからないままトウヤは勢い良く答えて、給仕の背中を追って料亭の中へと足を踏み入れた。

 狭い通路は柔らかい灯りで照らされて、しかも何度も曲がりくねっていた。どうしてこんな面倒くさい作りなんだろうという疑問は、ふすまに似たスライド式の木戸で通された個室に入って氷解する。広く取られて足元まで有る窓は中庭に面した小さなウッドデッキに面しているのだった。

 丁寧に頭を下げて出ていった給仕に残された三人は、席につくのも忘れてその光景を楽しんだ。

 紫と白の清楚な花の乱れるその中庭は、薄暮と個室から漏れる明かりの中に幻想的に浮き上がり、美しかった。このレストランは、中庭に面した四つか五つの個室を顧客に提供しているのだろう。そのため個室を繋ぐ通路が曲がりくねって不自然な形になっていたのだろうと、トウヤは感心した。


「ひさしぶりですね。〈西風〉の。そちらのふたりにもアキバで何度か、顔はあわせましたか」

 庭の光景から視線を戻せば、ちょっと複雑な表情をした狩衣の男、アインスが高級そうなテーブルを前に座っていた。

「ご無沙汰しています、アインスさん。こちらの水には、慣れましたか?」

 屈託なく微笑むソウジロウに、トウヤはすこし引く。

 トウヤが知っている限りでも、このアインスという〈冒険者〉は一時はアキバ公爵を拝命し〈アキバ統治府〉を立ち上げるという方法で、〈円卓会議〉を割った当の本人であったはずだ。トウヤ本人は全く含むところがないし、その後のアキバの雰囲気が悪くなってないことから、大喧嘩をして険悪になったわけではないと思うのだが、だからといってソウジロウのようになんのためらいもなく挨拶できるというのは、すごいと思う。

 トウヤから見てソウジロウは直継に次ぐ(刀術に限れば一番の)師匠筋では有るわけだが、その内面は到底真似できない深さがあるように思われた。ナズナやてとらからは「むしろ真似してはダメ」という警告も受け取っている。


「暮らすに不自由はしてませんね。アキバも上手くいってるようで」

「アインスさんがいろいろ残してくれましたから」

 そうですか。

 そんな風にアインスが答えた短い会話で、どうやら心の整理がついたようだった。警戒と挑戦の色を見せていたアインスの細い目が、ふと緩んで優しい雰囲気になったのだ。

 なんだ。話に聞いてたより、ずっといい人っぽい。

 失礼にも、トウヤはそんなことを思った。


 席に座ったタイミングで、再び現れた給仕の人が、なんだか高価そうなはちみつ色の飲み物を淹れてくれて、お菓子を並べてくれた。席に座ったトウヤたちにアインスが伺うような視線を向けてくる。

 こういう正式っぽい雰囲気の席で、トウヤはどんな風に喋っていいのかわからない。ルンデルハウスの希望を聞いてソウジロウに頼み込んだのはトウヤなのだから、話のきっかけを作るのもやらなければと思い込み、頭をぐるぐるさせているのをソウジロウは察したのだろう。「今日は僕もアインスさんも代理みたいなものですから」と水を向けてくれた。

 トウヤは少しホッとして「お願いがあるのはルディ兄――じゃなかった。〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)のルンデルハウスです」

 と隣に座る金髪の友人を紹介する。

「トウリ様に会いたいというのは……」

「ルンデルハウス=コード。僕が依頼しました」

 席から立ち上がって優雅に頭を下げるその仕草は洗練されている。

 普段じゃれ合っている冒険仲間のルディ兄とはちがってなんだか格好良いのだ。中身はトウヤと突撃(ゴー)殲滅(ファイ)できるダン友(ダンジョン攻略における相棒のこと)だが、こうしてきちんとしていると流石だと賞賛の念を禁じ得ない。

 五十鈴姉ちゃんもこういうところを素直に認められないからいつまでも足踏みなのになあ、とトウヤは心のなかで腕組みしてウンウンと頷いた。

 

「要件は?」

「〈ナインテイル自治領〉の……滅びたコード家の顛末の報告を。そして叶うなら代替わり叙勲を」

 ルンデルハウスは自分の望みを簡潔に伝えた。

 腰を下ろしもせずに、テーブルを挟んで見つめ合うルンデルハウスとアインスの間に時間が流れた。

 庭から漏れ聞こえるかすかな虫の音に耳を澄ませてトウヤは考えた。思ったよりもずっと容易く、ルンデルハウスがミナミの権力者へと接触することは成功してしまった。ソウジロウが一肌脱いでくれたことが原因なのだが、それだけに胸騒ぎは強い。もちろんそんな懸念は、シロエやソウジロウにはもちろん、ルンデルハウスにだってこぼすわけにはいかない。とりあえず目的に対しては順調に進んでいるのだから。


「……わかりました。お伝えしましょう」

 アインスは頷いた。その決断で、トウヤの属する〈記録の地平線〉はナインテイルの地への細い絆を手に入れることになる。とりあえずの了解を得た三人は詳しい面談の手はずを整えるのだった。




◆3.04



 そして週が開けてシロエたち一行はキョウを訪れていた。

 とはいってもミナミからの距離は近い。拠点を残したまま数日の荷を持っての移動である。

 初めて訪れたキョウの都の印象はおもったよりもひっそりとしているな、というものだった。もっとも〈大地人〉役人に先導されて朝早くから中央通りをまっすぐに進んだだけなので、あくまで第一印象である。

 到着したのは〈白砂(はくさ)御所〉と呼ばれる政庁で、ここで〈自由都市同盟イースタル〉から迎えた使節団を歓迎する儀式と宴が開かれるとのことであった。


 とはいってもそれは到着早々盛大に祝われると言うものではなく、まずは特別に設えられた控えの一角に案内されて休憩となる。小中学校の教室よりも大きなスペースだが家具調度は最小限であり、ここがシロエたち〈円卓会議〉特使の控えの間であるということらしい。隣接する別の大広間にはイセルスたち〈自由都市同盟イースタル〉も通されており、控室というよりも控えの建物というべきスケール感であった。

 一見したかぎり、この御所は美しい場所だ。〈白砂御所〉の名の通り、緑の濃い幾つもの庭園を、真っ白に漂白されたような白砂の小道が繋いでいる。

 もっとも美的素養のないシロエとしては、なんだか結婚式場みたいな雰囲気だな、というものだった。

 現代日本人にとって儀式(セレモニー)用の建物と言うのはあまり身近ではない。毎週礼拝に行くような人間ならば別だろうが、そうでない者にとって学校の講堂や体育がかろうじては集会するための巨大空間として馴染みがある程度だろうか。それらは特定の儀式の方向性にむけて整えられているわけではないとするならば、次点としてあがるのは結婚式場や葬儀場だろう。そういう意味でシロエの指摘は的外れということはなかった。


「予定変更、ですか?」

「ええ、そういう連絡です。二時間ほどずらすと」

 何かと騒がしい雰囲気の本殿に耳を澄ましながら過ごしていたシロエたちにそんな報せがもたらされた。 

「それは――。イセルス公子の方へも伝達済みで?」

「あっちもだ。まとめた連絡を受けた」

「まあこういう典礼の話ですからあちらの指示にあわせたほうがいいとはおもうんですけれど。なんですかねえ、不手際ですかね」

 ちょっと呆れたように述べるカラシンに広間の面々は同意するような表情を見せている。


 シロエ、カラシン、ソウジロウ、アイザックの四人、そしてそれぞれの副官はくすんだ藍色の円卓会議制服を身に着けている。一応かしこまった気分で着ているわけだが、だとしたところでその着付けの手間は〈大地人〉の貴族に比べれば遥かに簡単だった。髪の毛に念入りに櫛を入れるところまで含めても一時間もあれば十分であり、朝から待機を続けている部屋の中では弛緩した雰囲気がただよっていたのである。

 どうせこうなるだろうと思ったシロエたちは、〈魔法の鞄〉で軽食に加えてテーブルや椅子まで持ち込んでいたので、住環境が悪いというわけではなかったが、普段慣れているわけでもない絢爛な式場の雰囲気は落ち着くものではなかったのだ。

「なんだかバタついている感じでしたねえ」

 肩をすくめたレザリックの言葉に、ひとつのソファセットに集まったシロエたちは視線をそちらにやった。

「揉めてるんだとおもいます」

 指を振るタロはつづける。

「少しばかり聞き込みをしたんですよ。どうも濡羽さんとインティクスさんの関係が悪くなって、そこに貴族たちの茶々が入って、式典ではだれの名前を先に呼ぶのか? とか、だれとだれが隣りに座るのか? とか文句が出ちゃって準備が遅れてるんだそうです」

「くだらねえなあ」

 半ズボンの円卓制服を着こなすタロの報告を、果物をかじるアイザックはいつもの調子で切って捨てた。

「どうなるんすかねえ」

 それにカラシンはさして悩んでいるでもない口調で合いの手をいれる。


 どうなるのか。

 シロエはその言葉をなんとはなしに心のなかで繰り返してみた。

 もちろんカラシンが言ったのは「今日の顔合わせの儀式はどうなるのか?」だろう。多少深読みするにしても、せいぜいが「キョウの貴族たちは僕たちをどうするつもりなのか?」程度の軽い疑問であるはずだ。

 しかしその発言を受けたシロエの心が映し出した問は「この先、ミナミの地はどうなってしまうのだろうか」というものだった。

 マイハマ公の嫡子であるイセルス公子を派遣するというのは〈自由都市同盟イースタル〉と〈神聖皇国ウェストランデ〉の歴史において画期的な決断である。〈自由都市同盟イースタル〉は現状切れる最高のカードを切ったと言って良いだろう。

 だからこそ、この問題は〈自由都市同盟イースタル〉において一旦終わっているのだ。イセルス公子を代表とする親善使節団および、〈円卓会議〉を巻き込んだ〈冒険者〉を送るという決断によって、ボールは〈神聖皇国ウェストランデ〉側に渡った。〈自由都市同盟イースタル〉の手を握るにせよはねつけるにせよ、目下、決断すべきは〈神聖皇国ウェストランデ〉なのである。

 政治の役割とは、もちろんその種の決断を行い責任を取ることである。

 そうであるから〈神聖皇国ウェストランデ〉はその判断を行うべきだ。――だがここでひとつ問題になる。〈神聖皇国ウェストランデ〉、というよりもその実質的な統治機構である〈Plant hwyaden〉の〈十席会議〉が割れているということだ。

 そしてこのシーンにおいて〈十席会議〉の主導権争いが、そのまま〈自由都市同盟イースタル〉への対応判断に直結している。濡羽が〈円卓会議〉との宥和を唱えてしまった以上、政治的な対立軸としてインティクスはそれを拒否するか、少なくとも方向を違えた決断をしなければならないだろう。そうでなければ争点が消滅してしまう。


 濡羽は「もうしばらく待ってくれ」と言った。その意味するところは、勝利するという自負だ。

 シロエはあの夜の庭園を思い出す。

 勝つつもりで、その勝算もあるのだろう。あの夜の濡羽には悲壮感がなかった。緊張感と恐れはあったけれど、意思があった。

 だがその一方でインティクスはどうだろう?

 シロエは最近の彼女の動向は知らないが、おめおめと負け戦に突き進むような性格だとは思えない。少なくとも〈放蕩者の茶会〉における彼女はそのような人物ではなかった。

 どちらが勝利するのかシロエはわからない。

 その争いに関与するつもりは今のところないというのもある。シロエたちアキバの住民からすれば、〈十席会議〉の争いは関西の人々が扱うべき問題だ。面倒くさいから勝手にやってくれという気持ちがないとまでは言わないが、むしろその主成分は自分たちが口出しをしてはまずいだろうという遠慮だった。この地に住む人々の未来に口出しをするのが不遜であるような、現代日本人の精神を持つシロエやアキバの代表団の心には、どこか申し訳ない気持ちがある。

 もちろん厳密に分析すれば、互いに鍔迫り合いを続ける女性二人(そのうえどちらもいわゆる美女に分類される)の間に飛び込む気概をシロエは持ち合わせない。自分でも少し情けないとは思うのだが、女性の対立の仲裁のやり方など、いままでに取得した単位には含まれてなかったのだ。


「インティクスさんは何を望んでるんですかね」

「シロ先輩にわからないものは僕にもわかりませんよ」

 ため息とともに漏らした内心だったのだが、思いもよらずソウジロウからの返答があった。ソウジロウは何が楽しいのか、シロエと目が合うとニコリと笑って「てへへ」と頭を掻く。

「主君にもわからないことがあるのか」

「女性ですから」

 アカツキの指摘に、シロエは降参するように顔をしかめて両手を上げる。その様子にアイザックは「あー」と間延びした声をコメント代わりにした。その示す意味は「女性がわからないという意見には同意できる」なのか「シロエはそういうやつだな無能だな」なのか、シロエにはわからない。前者だったら少しマシかな、とも思うが後者の可能性も高い。

「主君はニブチンだからな」


「アカツキはわかるの?」

「わたしは優秀な忍びなので調査してある」

 そこまで言われて言い返してやろうと笑ったシロエが聞いたのは、アカツキの意外な返答だった。なんとアカツキは、〈円卓会議〉の制服のどこの隙間からか小さな巻物を取り出してスルスルと広げたのだ。どうやらそれは彼女流のメモ帳らしい。

「もともと〈Plant hwyaden〉のギルドマスター濡羽はギルドの立ち上げとイベント以外には姿を見せず、実際にはインティクスというサブギルドマスターが運営していたようなのだ」

 アカツキは胸を張って読み上げる。

 ミナミにたどり着いて一週間あまり、しょっちゅう姿を消す彼女はその特技を活かして周辺の噂を集めて回っていたらしい。もちろん類似の情報はシロエとカラシンのコンビだって入手しているわけだが、アカツキが自主的に集めて整理までしていたというのが感動的だった。

「にも関わらず、この間の事件にあたって濡羽が全面に出てきて陣頭指揮を取った。その件から二人の仲がギクシャクし始めてしまったらしい。インティクスはパス制度なるものを推進してて」

「パス制度?」

「ご飯チケットだ。食事がもらえる」

 胡乱げなアイザックの疑問にアカツキはざっくりと答えた。

 シロエは流石に助け舟を出すことにした。

「ギルドメンバー、つまりは西の〈冒険者〉全員なわけですが。彼らに独自発行したパスポートを渡す制度です。パスポートのランクに応じて、食事やポーションや矢などの消耗品を無料で配給する制度ですね」

「聞いちゃいたけど怪しげな制度だな」

 アイザックは乱暴に鼻を鳴らした。

 どうやらそれが彼流の感想ということらしい。

「ぶっちゃけると、〈冒険者〉の公務員化ですよ。モンスター素材やら作成したアイテムは全部〈Plant hwyaden〉で買い上げる代わりに、納品した量や品質に応じてパスポートをもらえるって話です」

「それなんの意味があるのだ?」

 解説の後半を引き受けたカラシンの説明に、アカツキは巻物を構えたまま小首を傾げる。どういうルールが存在するかは調査でわかっても、その目的を理解するためには分析が必要だし、大規模戦闘(レイド)経験の薄いアカツキにはわかりづらいものだろう。


「目的はいくつもあると思いますよ。計画的生産による効率化とか、実態貨幣の節約とか、生活経費の保証によるギルドメンバーの気持ちの安定とか」

 シロエは予想できる目的のうちマイルドで通りが良いものを幾つか言葉に乗せた。

 ――生活物資化や生活環境をパスポートランク制度に集約することで、〈Plant hwyaden〉の権力を高めて造反者に対する制裁を可能にするとか。

 ――〈エルダー・テイル〉本来の金貨システムから〈Plant hwyaden〉内部の経済を切り離すことによって、たとえ仮に東西の間で経済戦争が起きた場合でも防衛能力を高めるとか。

 生臭い理由はたくさんあるのだが、このメンバーでその辺の機微がわかるのはカラシンくらいだろう。

 案の定彼は口をへの字にしつつも開かない。〈自由都市同盟イースタル〉やアキバからすれば厄介な手ではあるのだが、〈十席会議〉の立場から見てみればなかなかの妙手でもあるからだ。

 日常生活の売買をポイント制に移行することで、〈十席会議〉は金貨による現金収入のすべてを、ゾーンの買い占めや維持に使うことが出来る。豊富な資金を背景にした土地取得効率はアキバを大きく上回るだろう。

 同じ〈冒険者〉による圧力を警戒する、それは防御行動だった。


「ばーん! 地味な格好でも輝くアイドルのボク登場!」

 そんな空気を全く無視して現れたのはてとらだった。

 式典だということを意識して一応〈円卓会議〉の制服で揃えている彼女だが、小さな紺色の制帽とダークピンクのラインが走るリボンタイ、挑戦的な丈のホットパンツにサイハイソックスを合わせていた。同じ制服のはずなのにステージ衣装にしか見えないスタイルに一同が言葉を失ってる隙にスルスルと近づいてくると、ソファーの隙間にお尻からダイブして二三回弾む。

「ダメダメですよう。アジトの場所も変わっちゃってるし、みんな暗い眼しちゃってるし、カズ彦さんには連絡付かないし。可愛いボクが忘れられちゃったんじゃないかって自信喪失ですよ!」

「そっか、連絡取ろうと、頑張ってたんだ」

 シロエはギルドの仲間のことを改めて見直した。

 疲れたのか、やれやれですよと大げさにため息をつくてとらを見つめて少し考える。窓の外の陽は高い。まだ正午にすらなっていないはずだ。

 式典が二時間遅れるのであれば会場には設営責任者として〈十席会議〉の誰かがもうすでにいるかもしれない。いや、シロエたちがこうして控室に詰めているという現実を考え合わせれば、濡羽もインティクスも、式典会場である〈声明殿(しょうみょうでん)〉には居なくても、どこか専用に準備された控えの建物にはすでに現れているはずだ。


 ――インティクスに会おう。

 先程まで自信の無さからためらっていた自分を叱りつけるように、シロエは決心をした。インティクスが野心を持ってミナミの地で支配力を強めているのは、もうすでに報告からわかっている。

 それを一方的に非難できるほどシロエは聖人ではないが、それでもカナミの元で一緒に戦っていた仲間なのだ。何か掛ける言葉があるべきだし、話す内容だってあるはずだ。

 勝ち目のない戦いを続けるインティクスではないことはわかっているし、インティクスの手元には、シロエの勘が正しければ莫大な量の資金と戦力があるはずなのである。インティクスと濡羽が決着をつけざるを得ないにせよ、せめてシロエとアインスのように、願わくば修復の可能性を残した形で対決をしてほしい。

 アインスの善性に甘えてしまった自覚のあるシロエは、だからこそインティクスと話をしなければならないと腰を上げた。

「知り合いを探してきますね」

 まだ式典の開始には余裕があるでしょうから。

 そんな言葉を残してシロエは〈白砂御所〉の探索へと乗り出したのだ。

 今この場所には、ヤマトはともかくとしてミナミのすべての運命を決められるほどの要人が揃っている。言葉をかわすことはけして無駄にならない。そう考えて。


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[一言] 誤字報告 〜にも関わらず、この間の事件にあたって濡羽が全面に出てきて陣頭指揮を取った。その件から二人の仲がギクシャクし始めてしまったらしい。 「全面に出て」→「前面に出て」では?
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