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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
ログ・ホライズンEp14 黄昏の孤児(みなしご)
132/134

132



◆3.01


 夕暮れを黒く染めてた南方の雨雲は日が暮れるとすぐさまランデ真領を覆ったようだ。湿気を含んだ風が吹き付けて来たかと思うと、雨は細く、だが間断なく降り注ぎ始めた。

 〈冒険者〉はその技術から明かりを豊富に持ち夜更かしなども行うが、だとしても大粒の雨の中で騒ぐほどの酔狂者はそういない。〈大地人〉はそもそも夜更かしの習慣がない。雨の降りしきるこの夜、ミナミの街もキョウの都も早いうちから木戸を閉めて眠りについた。


 同じ雨雲は両者の東南にあるイコマも同じように覆っていた。

 陽の光がないから確認はしづらいが、分厚い黒雲が天に群れていて、強い風が吹く度に、波のようにイコマの木々が揺れる。夜半になり雨は大粒になっていたので、森は億千万のそれに打たれて、荒れた海のような音を立てていた。

 強い雨と闇のせいで視界は極度に悪く、山道ではいっそうだった。

 イコマと呼ばれる地域はさほどの広さはない。帝の直轄地として民草の出入りは禁じられているものの、逆に森林官の管理を受けていて間伐も植樹もされている里山である。木々がしっかりと根を張っているために、がけ崩れや地すべりの恐れはないが、場所によっては地面が粘土質のため、雨に濡れてひどく滑りやすくなっている。

 本来であれば集団行動には適さない環境下で、淡墨色の外套に身を包んだ兵士たちが密集隊形で行軍していた。大粒の雨が毛織の外套を重く湿らせていたが、彼らは猟犬のような眼光を隠しもせずに、地面に張り付くように目的地を目指す。


 やがて見えてきたのは豪雨の中で頼りなげにゆらゆらと揺れる小さな明かりだった。

「……」

「……」

 声を出さないやり取りで視線を交わして意志を確認すると、闇から飛び出した二人の兵士が、赤毛の女将軍に駆け寄る。

「離宮の様子に不信はありません」

「この天気です。寝静まっている様子」

 斥候の報告にミズファはふむ、と頷いた。彼女もまた重たげな外套をまとい、降りしきる雨の中でどこまでも鋭い視線を投げかけている。

「決行を」

「〈赤き夜特務隊(クリムゾンナイト)〉であれば可能です。離宮の従僕など、魔導列車でパワーレベリングを行った我等であれば敵にもなりません」

「イコマは都市結界の範囲外。衛兵が駆けつけることはありません」

 双子のように互いの言葉を継ぐ二人の斥候の言葉に、ミズファは尚も鋭く闇を見つめた。

「〈赤き夜特務隊(おまえら)〉のレベルはまだ六十前後。〈冒険者〉が出てきたならば刃が立たたないだろう?」

「数が我らの味方です」

 どこまでも固く張りつめた声にミズファは顎先を撫でる。数が味方、という彼らの発言は、大人数で〈冒険者〉を取り囲めば勝てるという話ではない。一流の〈冒険者〉がもつ九十というレベルは、六十レベルが取り囲んだからと言ってそれで圧倒できるような戦力ではないのだ。この理不尽な世界において個人の戦闘能力とはそれほどに大きな意味を持つ。

 彼らが言ったのはそういう意味合いではなく、〈冒険者〉が十数人警備についていたところで、多数の特務部隊がなだれ込めば離宮の〈大地人〉を血祭りにあげること十分に可能だろうという意味である。今回の目的はイコマ離宮の混乱と濡羽の命だ。濡羽も高レベル〈冒険者〉だが、たったひとりで良いのならばミズファが用意した専用装備で暗殺できる可能性は高い。

「更に前進。館を視界内に抑える高台を()るよ」

 肉食獣じみた笑みを浮かべミズファはそう言った。

「――濡羽ひとりならこっちが有利だ。あの女最大の守護者である衛兵が駆けつけられないイコマに住んでいる。それが緩みだろうさ」


 〈大災害〉において濡羽が〈Plant hwyaden〉とウェストランデを掌握できた最大の理由は、ミナミおよび周辺都市の〈衛兵〉を絶対的な味方につけることに成功したことだ。その裏にどのような密約があったかはわからないが、〈衛兵〉及びそれを司る西ヤマトの邦衛(くにえ)の一族を傘下に収め、ひいては大神殿の管理権を接収したことが、巨大ギルド〈Plant hwyaden〉躍進の背景となった。

 レベル九十の〈冒険者〉さえも戦闘能力で上回り物理的に排除する〈衛兵〉と大神殿の封鎖権は、事実上、指名した〈冒険者〉の絶対幽閉機能に等しい。それが西を統べる夜の女王・濡羽の権力の源泉である。

 しかし、だからこそ濡羽はミナミに住むことができなかった。

 もしミナミに住んでしまえば濡羽の恐怖政治があまりにもあからさまになってしまうからだ。

 ギルドの運営は合議制であると見せかけるために、独裁色を薄めるために、濡羽ひとりの暴走だと思われないために、〈十席会議〉と〈Plant hwyaden〉本部は、イコマの離宮に置かれた。この場所であれば濡羽はその軍事力を振るえないからだ。

 政治的には正しい判断だが、汚れ仕事を繰り返したミズファから見れば油断である。いついかなる状況であろうと備えを怠るのであれば、それ相応のツケを支払うことになるのは世の習い。


 前方に突出した部隊に向かって軽く手を振れば、外套をまとった特務兵は体当たりをするように離宮の守衛を屠り去った。

 同じ〈大地人〉とはいえ守衛や門番のレベルは十をいくつか超えた程度。レベル六十に達した特務部隊から見れば幼子に等しい。これは何も守衛たちのレベルが低いというわけではない。レベル十程度は、貴族の私兵や守衛としては決して実力不足というわけではないものだ。騎士団ですらレベル二十程度が標準というヤマトではそれが当たり前。従魔により生命の危険なく強制レベルアップを繰り返した〈赤き夜特務隊(クリムゾンナイト)〉が異常なのである。

 守衛を始末した先遣部隊は手際よくその死体を門から離れた茂みに引きずり込んだ。普段であればともかく、雨の降りしきるこの深夜であれば発見される恐れは殆ど無いだろう。

「濡羽を探索する。一班は西、二班は東。三班は北。残りは着いてこい。――出会った侍衛共はすべて殺せ。隠蔽工作はしなくていい。〈自由都市同盟イースタル〉の仕業に見せかける。いないとは思うが〈冒険者〉が警備についているのであれば、目潰しを使用して逃亡。離宮から引き離せ。行け」

 回廊に入ったミズファは外套のフードを跳ね上げる。

 水気でしっとりした前髪をかきあげて、夜闇に沈む渡り廊下を睥睨した。深夜番の明かりが、雨の向こうにゆらゆらと揺れる離宮の中庭が見える。


 その雨で霞んだ暗闇の中から朧な人影があらわれた。

 細身だが鍛えられた体躯に、切りそろえられた金髪をもつ一人の青年枝。秀麗だが、どことなく高慢でそれ以上に融通の効かなそうな、いかついというよりは文官のような容貌。

「狗か」

 ミズファが声をかけた相手はロレイル=ドーン。〈十席会議〉の第九席。今回の任務の目標のひとり。

「このような夜更けに血の香り。ミズファ殿、謀反ですか?」

「生っている果実をもぎに来ただけさ」

 ミズファからすればこの邂逅は予定されていたものだった。

 ロレイル=ドーンは濡羽の側近である。〈Plant hwyaden〉設立以前より濡羽に臣従した〈大地人〉。ギルド設立の立役者だ。濡羽に忠誠を誓い、〈十席会議〉二席を持つのも、濡羽が実質二票を持つためという側面が強い。

「この先は我が主の寝所。通す訳にはいきませんね」

「本気かい? いくら久爾永(くにえ)出身のあんたとはいえ、このイコマでは戦う力はない」

 普段の儀礼的なものではなく、より実用的な暗色の手甲を着けているようだが、どちらにせよ、その程度でロレイルがミズファに抗すことなどできはしない。

「わかってるんだよ。”近衛長”。あんたのレベルは四〇ちょいだ。うちの手勢に勝てる数字じゃ、ない」

 ミズファはロレイルを鋭く睨みつけながらも、薄ら笑いを浮かべて片手を振った。訓練された特務兵はそれだけで闇の離宮へと散ってゆく。濡羽を探索するために。足止めであることをわかっているだろうに、ロレイルは硬い表情のまま「ジェレド老のつくった玩具ですか」と訪ねてきた。

「気狂い爺がそっちじゃないのが不思議かい?」

「あなたまでがオーブをつかっているとは」

 ミズファの唇の端に笑みが溢れる。

 何を言っているんだこのお坊ちゃまは。

 育ちの良いロレイルの眉根が嫌悪感で歪むのは、ミズファにとって甘露とでも言うべき快楽だった。

 使えるものがあれば使うだろう。

 人を殺すには素手よりも棒が良い。棒よりは手斧、手斧よりは剣。当たり前の話に、この名門の男は何を言っているのだ。それは持つものの余裕なのだろうが、その余裕がミズファの気に障る。


「そうさ。あたしだって〈従者召喚の宝珠〉を使ってる! 命の危険なくレベルだけをあげる技術があれば、〈大地人〉(あたしら)だって〈冒険者〉なみになれるのさっ!」

 叫ぶのと飛び込むのは同時だった。

 幾度となく血を吸った軍用サーベルが五月雨のような虚像を伴ってロレイルに突き進む。

「手数がっ」

 やっと顔色の変わったロレイルをミズファは「甘い」と攻め立てた。右、左、反転して前に出した利き足、脇腹。自由自在な急所を狙い、鋭いサーベルを縦横無尽に踊らせる。

 剣を抜いたロレイルだがその反応速度はミズファに全く追いついていない。それもそのはず、この男は〈回復職〉(ヒーラー)であり戦闘上級職たる〈戦将軍〉(ウォーロード)たるミズファとはその戦闘力において圧倒的な差があるのだ。ましてや今や二十以上のレベル差がある。

「……〈元老院〉ですか? それともインティクスですかっ?」

 だからこそ、頬や額を切り刻まれ朱に染まるロレイルにミズファは答えた。

「へぇ呼び捨てとはねえ。あんたの忠誠心は大したもんだけど……。はン。あんたの主人はあんたほどに思いやりがあるかね?」

濡羽さま(わがあるじ)を侮辱するのはやめてもらいましょう」

「くはははは。いまから死ぬっていうのに律儀なものだ!」

 ロレイル=ドーン。

 〈十席会議〉のひとりにして濡羽の身辺を守る近衛騎士。

 〈Plant hwyaden〉でもっとも忠勇なる男と呼ばれるが、ミズファからすればそれは半ば以上蔑称だ。

 忠犬。キョウの酒場で揶揄される、その名こそがふさわしい。どこまでも愚かで、どこまでも盲目な、濡羽の狗。

 ミズファのもっとも唾棄すべき存在。

 ほんとうの意味で強者であったあの〈冒険者〉よりもなお下衆な、生まれにあぐらをかいただけの名門の思い上がり。

 抹殺するにあたって何ら躊躇を必要とせぬただの障害物(にくかべ)

「死ねっ!」

 赤い髪を夜に引き、全身をひとつの剣と成して放った一撃は、だがしかし、重苦しい金属音と魔法陣によって防がれた。


「あなた達が新しい力を手に入れたように……!」

「!?」

 暗闇の中、不気味に脈動するターコイズブルーの〈魔力紋〉(マナライン)を輝かせるその鎧姿は――。

「ミラルレイクの叡智は我が力にもなる、ということですよ」

 アキバを脅かした殺人鬼へと連なる力に満ち溢れていたのだ。





◆3.02



「それは……! 動くのかい〈動力鎧〉(ムーバブルアーマー)が」

 宙空に現れた魔力紋章の表面を、ミズファの放った衝撃波が波紋のように伝播してゆく。それは魔力を秘めた鎧の機能ではあるが、本質的には〈神祇官〉(かんなぎ)の障壁呪文と原理を共通する、衝撃蓄積魔術だった。

 見慣れた、しかし禍々しいその姿は都市の衛兵が纏う〈動力鎧〉。しかし重量のある胸甲を排除し、腰鎧と脚甲だけを選んでアレンジしてある。上半身はいつもの軽装鎧だが、篭手は魔力回路を接続したのか、禍々しい青緑のラインに縁取られ、雨の降りしきる中庭を鬼火のように照らしていた。


「わたしの出自を考えれば当然でしょう」

 余裕を持った口調でうそぶくロレイル=ドーンに、ミズファの剣は二度、三度襲いかかる。レベル差を考えれば十分に届いていた、いいや実際に届いているはずの攻撃は、半透明な障壁にそらされて空中に波紋を描くばかり。

「ここには都市結界はない! 魔力供給がないはずだ……。それがこの場所に十席会議が作られた理由! 濡羽の子飼いのあんたが、誰も暗殺できないように」

 だが、衛兵の鎧は魔力で動く。

 それも膨大な魔力を必要とする古代の秘宝(アーティファクト)であるはずのそれは、都市結界という魔力供給装置がなければ自重すらも支えられないはずなのだ。

 〈Plant hwyaden〉がその本部をミナミの市中ではなく、イコマに置いた理由がそれだ。衛兵の持つ百レベル越え(あっとうてき)な戦闘能力を支配下に置いた濡羽が、〈十席会議〉を私物化しないための措置であったはずだ。そしてそれはミズファが襲撃を決心した成功要素のひとつでもあった。


「いつの話をしているんです」

 だがそれに返るのは含み笑いの気配。

 そして放たれたロレイル=ドーンの長剣の一撃。

 濡羽の近衛を名乗る金髪の青年が操る剣はその容貌にふさわしい正統のものであった。教師に習ったような素直な一撃。ミズファにとって反吐が出るように育ちの良い攻撃は、だがしかし、圧倒的な速度を持っている。

 技ではない。

 ただひたすらに高レベルであるがゆえの莫大な筋力が、見え見えの袈裟懸けを必殺剣に変える。

 ミズファが身を躱しえたのは、ただひたすらに戦闘経験の差であった。いかに高レベルであろうとロレイルは〈施療神官〉(クレリック)。〈大地人〉には珍しい〈冒険者〉のもつ戦闘職だったが、しかしそれは〈回復職〉であり〈武器攻撃職〉ではない。

 そしてミズファのもつ職業(クラス)〈戦将軍〉(ウォーロード)こそは勝利に特化した万能職である。その相性の差を活かして、ミズファは颶風となった剛剣を躱す。


「……エンバート=ネルレスの実験を引き継いだね?」

「彼に活動資金を提供してたのは〈元老院〉(あなたがた)でしょうに!」

 アキバを震撼させた殺人鬼。〈供贄一族〉の裏切り者。堕ちた衛兵。エンバート=ネルレス。〈冒険者〉の集団すら退ける彼の強さの秘密は、衛兵が用いる〈動力鎧〉だった。能力上昇効果を受けて百レベル以上の戦闘能力を持ったエンバートは、魔力供給による耐久力上昇や転移能力を駆使して一時期、アキバの街を夜間活動不能状態にまで追い込んだ。

 心弱く嫉妬に駆られていたエンバート=ネルレスに毒を滴らせたのは〈十席会議〉であり、彼に〈霰刀・白魔丸〉の購入資金を秘密裏に融通したのは〈元老院〉だった。

 組織構成員のひとり、現場担当の武官としてミズファもそのことを知っている。


 もとより血の香りは好むところだ。

 ミズファは避けるような笑みを浮かべてロレイルに迫る。

 当たれば肉が裂け骨が砕ける攻撃に我が身を晒すような気迫で接近する。

「……魔力は! どこに……!!」

 逃げる訳にはいかない。

 生き延びて闘争を続けられるのならばそれもやぶさかではないが、今逃げたとしてもミズファには得られるものがないのだ。せめてロレイル=ドーンと〈動力鎧〉の秘密を探らなければ、どこかで激突して命を落とすのはミズファになるだろう。いいや、その実力さえ見極められない今、背を向けた瞬間叩き切られる可能性もあるのだ。

 今現在最も優先すべきは情報収集であり、ミズファは言葉を重ねながらも左右に視線を走らせる。何処かにこの状況のヒントの欠片でもないかと探っているのだ。それは優秀な軍人でもあるミズファの防衛本能の発露でもあった。


 しかしそのミズファの視線の動きにロレイルも気づいたようだった。

「結界はありませんよ。この新型には〈蓄魔炉〉(マナチャンバー)が搭載されています」

 弾き飛ばしたミズファに青緑の魔力立ち上る剣を向けながら、ロレイルはそう種明かしをした。

「そいつぁ……」

 距離が開いたことを幸いと、中庭の円柱を防護に取るミズファの身体を構成する肉に、ぶるりと異様な震えが走る。

 最悪で最高な報せだった。

 エンバート=ネルレスは強力だった。

 最終的にはアキバの街の〈冒険者〉たちに討ち取られたと報告を受けているが、それもアキバ〈円卓会議〉が都市防衛結果を停止することにより、魔力供給を遮断したがゆえの勝利だったと聞いている。

 つまりそれを逆に言えば、あの忌々しい猫頭を擁するアキバの連中でさえ、魔力遮断をせずにエンバート=ネルレスを打倒することは不可能だったということなのだ。

「顔色が悪いですよ。……一〇〇レベルの攻撃をくらいますか!?」

 なぶるように振るったロレイルの剣が、ミズファの隠れていた円柱を砕く。

 切り裂くと言うほどの技はない、ただ力任せの破壊。

 だがもちろんその拙い技は、ミズファの命を軽々と刈り取るだろう。


「くくくくく」

 ミズファは笑った。

 最高の報せでもある。

 〈蓄魔炉〉といったか。

 軍人であるミズファにはもちろん技術的なことはわからない。魔法技術であればなおさらである。だがしかし、それは魔力を蓄積して運用できる発明なのだろう。腰鎧から背中にのびる背嚢の様な膨らみが、それなのだろう。脈動するような青緑の光が、ロレイルを守っている。

 舌なめずりをしたミズファは欲望を自覚する。

 欲しい。

 あの鎧があれば、より高く駆け上がり、より多くの血を楽しむことができるだろう。もしそれが叶わなかったとしても、この場所に戦場がある、それだけでミズファにとっては芳しい誘いの調べなのだ。


「生きてるって感じがするねえ、たぎるねえ!」

「狂人め。死にゆくものが何を!」

 気を呑まれたような一瞬のあと、再びミズファを飲み込もうとする破壊の旋風が吹き荒れる。身を翻し、ひねりこみ、ミズファは舞った。

 迫り来る死の予告に、蛇腹剣の切っ先を差し込み僅かにそらす。そして生まれた隙間に半身を滑り込ませ、肉を切られても致命傷を避ける。

 細身身体のいたるところにできた傷から、鮮血を夜の回廊に振りまいて、ミズファは野卑な嗤いを浮かべていた。

「……瞬間移動はできないみたいだねぇ!」

 打ち合わせた剣先で、ミズファの蛇腹剣が砕けた。

 武器のランクで言えば互角だろうが、単純な加速度勝負がロレイルに勝利をもたらしたのだ。しかしミズファは、その砕けた剣先のギラリと尖った断面をむしろ新しく手に入れた凶器として振るう。


「あれは都市結界と衛兵派遣施設ありきの技術ですからね。――しかしこの鎧の強度と速度だけで、あなたをすりつぶすのは十分ですっ」

 むしろ自らを励ますような言葉を紡ぐロレイルを前に、ミズファは戦の狂気を積極的に纏う。

「あんた、全然戦いってもんをわかってないよっ」

 力で及ばず、技も無効化され、体力も手数も遥かに劣る。

 ミズファが今挑むのはそんな戦いだ。

 しかしそんな戦いはミズファにとって日常茶飯事で、そうでない戦いのほうが珍しい。貧民窟出身の孤児にとって、すべての戦いは信じられないほど不利であり、絶望的でなくてはならなかった。絶望的である(オッズがたかい)ということは、勝てば信じられないほどの対価を得られるということなのだから。

「その傷浅くはありませんよ?」

「戦いってのは、勝つってのは、そういうんじゃないんだよ、ねえっ!!」

 身のうちに飼う戦熱の狂いに任せてミズファは前に出た。

 頬をすり抜けるロレイルの鋼を感じながら嫌らしい笑みを叩きつけてやる。ミズファから見れば、ロレイルは半人前どころか卵の殻も取れないお坊ちゃまにすぎない。

 自らが殺し損ねた女の返り血に眉をひそめるような、可愛らしい子供だ。

 息を呑む金髪の青年を、ミズファは、だからこそせせら笑った。

「――あんたらの秘密、知ってるよ。〈スザクモンの鬼守(おにもり)〉だったんだろ? キョウの都にモンスターが現れる理由! 〈東の供贄〉と別れた、いや放逐された理由!」

「!!」

 精神的優位を確信したミズファは攻撃を加速する。

 振り回す蛇腹剣が砕けて銀鋼の破片を巻き散らかすのも気にせず、むしろその欠片をロレイルに叩きつけるように狂奔する。

「濡羽に従ったのは〈元老院〉から離れるためだったんだろう? 東の一族の口も封じ、汚れた歴史を闇に葬るために! キョウの鬼を滅ぼす許可を得るために!」

「黙れ!」

 殺しきれない。

 ミズファにとってそれは火を見るより明らかな事実であり、そんなことはとうにわかっていた。心の戦いで今これほどに圧倒していても、ロレイルの鎧はいまもなおその主人を守っている。レベルの差はそれ程に大きいのだ。

 いま現在のように一時的に勝つことはできるが殺し切ることはできないし、そうであればいずれ自分自身を取り戻したロレイルに反撃を受けるのは自明である。その反撃は、容易くミズファの命を奪うだろう。


 だからこそミズファは局地的勝利を捨てる決心をできた。

 すでにハンドサインで部隊には撤収の合図を送ってある。

 ミズファの狂ったようなこの戦いは撤退の時間稼ぎでもあった。十分とはいえない情報収集だったが、そこで得られた情報は値千金。濡羽の懐刀であり、武力に劣る彼女の守護者でもある〈近衛長〉――その実力は今まで全く評価されていなかった。

 ミナミの街を武力制圧できる衛兵の長。それだけの認識であり、濡羽のそばに侍るロレイル自身は、姫へ熱を上げるお飾りの儀仗兵だとばかり思われていたのだ。しかし、そのなまくらの剣には、人を殺せる刃がついていたことになる。その事実にミズファは歓喜で震える。

「なあロレイル=ドーン」

 親の敵でも睨むかのような憎悪の視線を涼風のように受け流して、ミズファは哀れみと誘いを等分に含んだ媚笑を送る。

「あんたの姫は、あんたほどにはあんたに入れあげてはいないよ」

「……」

 答えはない。

「あんたたち犬の一族(、、、、)が日の当たるところへ出ることはない。あんたの姫はアキバの想い人を優先するだろうよ。あんたら一族の願いよりもね」

 強い憎しみだけが、耳に痛いほどの雨音のなかで二人の間を繋いだ。

 激しい精神の動揺を示すかのように、魔力光の鬼火があたりを妖しく照らし、その明滅の中ミズファは逃げ出した。

 それだけの戦果を得たのだ。

 濡羽の命も、その財産も、作戦目標のほぼすべてを達成できずになおミズファはごきげんだった。彼女子飼いの特殊部隊はまだ手元にあり、イコマの闇に不和の種は蒔かれたのだ。濡羽は強く、その支配体制はインティクスに比べて盤石に見える。しかしどんな場合でも、ひとりの強者が支配への道を登るその難しさと不安定さをミズファは知っている。

 濡羽は勝者であり勝ちつつあるが、その勝利を掴み続けることができるかな? 悪意に満ちた笑みを雨に隠して、ミズファは次の戦場へとひた走った。



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