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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
ログ・ホライズンEp14 黄昏の孤児(みなしご)
131/134

131

◆2.05




 滝のように流れ落ちるハープの音色が奏でるのは耳馴染みのある音楽だった。この異世界にやってきてセレモニアルなパーティーには何度か参加してるが、今回はその中でも比較的居心地が良いものだとシロエは思う。

 貴族も参加しているし、貴族的な文化にも配慮をしている。

 現にシロエもタキシードで参加をしているからだ。

 しかしその一方で、料理がお仕着せではなくて温かいバイキングであったり、ダンスホールは別枠になっていたり、休憩用の(用途としては密談用かも知れないが)個室が用意されていたりと、日本出身の〈冒険者〉でも気詰まりな思いをすることがないように配慮されていた。


 それにしたところで、〈冒険者〉はもともとネットゲーマーにすぎないのだ。社交に才能を発揮するような人材もいたが、それは少数派であって、どちらかと言えば人見知りが多いのは事実である。顔見知りや友人同士では底抜けに陽気になるような男が、交流のない他人に対しては警戒のあまりか急によそよそしくなることも、珍しいではない。

 このパーティーでもそのへんは意識されているのか、竪琴をバックに〈大地人〉の女性が控えめな声量で歌っており、それをなんとなく聞くという体で距離感が確保されていた。


 シロエ個人といえば、一応は周囲を観察しつつ寄ってくる〈神聖皇国ウェストランデ〉の貴族をさばいている。本格的な交渉はまだ先だとはいえ、そんな理屈で動きを止めるような人間は居はしない。

 大物こそタイミングを図っているが、比較的勢力の小さな貴族たちは、だからこそ、我先にと(よしみ)を通じるために話しかけてくる。そのあたりは戦と同じで、自軍が弱いのならば奇襲しか無いという理屈だろう。

(専門じゃないんだけどなあ)

 そういった機微をシロエは〈自由都市同盟イースタル〉諸侯との付き合いで学んでいた。

 そんなシロエのそばには(と言うか背後には)、シルクホワイトの清楚なドレスに身を包んだアカツキが不機嫌オーラを出している。先程キョウの貴族に「シロエ殿も可愛らしいご息女をお持ちですな!」と言われて立腹しているのだ。もちろんその言葉はお世辞のたぐいであり、悪意はまったくなかったのだが、だとしてもアカツキにしてみれば子供扱いされたという事実は消えない。

 シロエの胸のあたりまでしか身長のない、小柄でツバメのようにスラリとした印象のアカツキだが、それはそれとしてまごうことなき〈冒険者〉である。そのアカツキが眼を三角にして怒気をはなてば、修羅場を知らない宮廷貴族にとってはよほどの重圧なのだろう。

 シロエに挨拶をしていたナントカ騎士爵とかも、ぎょっとしたように青ざめてそそくさと立ち去っていった。

 アカツキには悪いが、シロエとしては楽ができて助かっている。

「まあ、飲んでよ」

「うむ」

 いたわりの気持ちを込めて、アルコールの入っていない飲料を受け取ってアカツキにも手渡しておいた。


 今回のこの訪問団の政治的な目的は多岐にわたる。

 整理してみると、まず、〈自由都市同盟イースタル〉と〈円卓会議〉という事実上同盟関係にある二つの組織で、それぞれ目的が違うということがまっさきにあげられるだろう。

 〈自由都市同盟イースタル〉からすれば、限界にまで達した〈神聖皇国ウェストランデ〉との間の緊張を緩和して、将来にではあっても共存の可能性を増やしておきたい、贅沢を言えばその道筋に見当をつけたいというのがその思惑である。この考えについて、シロエは、カラシンを通して公爵セルジアッドから聞いている。

 また、これは大きな比重ではないが、マイハマ公爵家の立場からすれば、やがて家をつぐことになるであろうイセルスに外交面での経験を積ませ、得点を稼がせるというのも思慮のうちにあるはずだ。レイネシアを当主へという流れはいったん途絶えたが、貴族家の継承問題は甘く見れば災いを呼ぶと多方面からシロエは聞いている。そういった心遣いができない家はトラブルを抱え込むことになるのだ。これも理解できる。

 自然、イセルス及び顧問キリヴァ侯爵、護衛アイザックたちの戦いは「友好的に振る舞いつつも、言質を取らせない」「親しく接しはしても、上下の格付けを相手に許しはしない」ということになる。

 現にこのパーティーにおいても、イセルスに近づこうという人間は多い。アイザックはそんな場に対して「今日は〈冒険者〉のパーティーで、イセルスは将来のために経験を積まなきゃならねーから、貴族の方々は自重してくれるよな?」と、馬鹿に大きな声で宣言してしまった。空気を読まないにもほどがあり、キリヴァ侯爵も苦笑いだが、らしいな、とも思う。

 もっとも、シロエの見るところイセルスという少年はあれでいてなかなか気の回る性格に思える。現状況においてもっとも重要な部分は何なのかという点をはっきりさせて、やや意固地なくらいにそれを墨守するというタイプだ。経験が浅い今の年齢では、それを利用されることもあるかもしれないが、経験さえ積めば良いリーダーになれるのではなかろうか? それがリーダー初心者シロエの感想である。自分でも的確な感想なのかどうかは自信がない。

 それに仮に多少の失点はあっても、イセルスは嫡子ではあるがセルジアッド公爵本人ではない。それゆえ、あとでまだリカバリーが効くわけだ。そんなことも考え合わせて、孫を代表にしたのであれば、あの大公爵は見たとおり食えない人物だということになる。こちらの予想に関しては自信があるシロエだ。


 さて、そんな〈自由都市同盟イースタル〉使節団とは別個の、アキバ〈円卓会議〉の使節団としては、〈Plant hwyaden〉との関係改善、できれば地球往還のための協力体制の構築というのがテーマとしてはある。

 シロエとしては非常に気が重いのだが、情報交換の必要があるのも確かだ。

 〈Plant hwyaden〉内部の情報はKRを経由してすら全てが手に入るとは限らないのだが、それにしてもロエ2のような情報源はおそらく存在しないだろう。あれはシロエからみてもイレギュラーな存在に思える。

 誤解を恐れず言ってしまえば、アキバの冒険者の間には〈Plant hwyaden〉に対する不信感がある。それは寄り合い所帯としてギルドそれぞれの独立性をそのまま温存したアキバが感じる、巨大ギルドが君臨する体制そのものに対する不信感だ。

 しかしそれはあくまでどことない胡散臭さ、どことない割り切れなさにすぎない。〈D3〉となった現在はともかく、〈D.D.D〉も〈海洋機構〉も〈大災害〉後、そのメンバーを大きく増やした。非常事態になれば大樹に身を寄せて安心を得たいと考えるのは、人として当然の感覚だ。だからその部分を否定する訳にはいかない。

 しかし一方で、対立組織のない一極集中は暴走しがちだという程度の政治知識は、日本出身者としてだれにでもあって、事実〈Plant hwyaden〉にそういう傾向があるのをアキバの〈冒険者〉たちもうっすらと知り始めている。

 そういう難しい状況下で交渉をしなければならないのは非常に気が重いものだ。少しでもきっかけをつかもうとシロエだって出立までの期間に情報収集に努めてみたがブレイクスルーとまで言えるほどの突破口はなく、引き続きの調査はミナミへと向かう旅路のうえにも覆いかぶさっていた。つまりはここまでの旅路の間も、シロエは普段と変わらない量の報告や連絡を処理していたわけで、いまも目の下にくまがあるのは仕方ないのである。

「主君大丈夫か、変な笑いが出てるぞ」

「変にもなるよほんと」

 アカツキがつんつんとスーツの裾を引いてくるのにシロエは肩をすくめてそう言った。

「カラシンさんは『僕は商業系を担当しますね!』とか言いそう」

「ああ……」

「僕は商業系を担当しますね!」

「うわっ」

 突然背後から声をかけられてシロエはよろめく。

 振り返れば満面の笑みを浮かべたカラシンだった。


「そんなに驚くことはないでしょお」

「びっくりしますよ!!」

 カラシンも今日ばかりはタキシードを着て洒落た印象だ。爽やかに似合って見えるので、シロエはちょっとした劣等感をもってしまう。〈円卓会議〉のメンバーは誰であっても見栄えがいいのである。

「そもそも僕がそっちを担当するのは当然でしょ? 妥当ってやつですよ」

 カラシンが商業を担当するのは妥当なのだが、シロエが政治案件を担当するのは全く妥当ではない。しかし、その言葉はアカツキに「そもそも今回のこれは、主君の希望だと聞いたぞ」という応えでとどめを刺されて喉の奥で死んだ。

 それは事実である。

 たしかに面倒だ。

 やりたくはない。

 だがしかし、おなじ〈放蕩者の茶会〉出身のインティクスが、その〈Plant hwyaden〉の実権を握っているということを聞いたならば、彼女との交渉を何処かの誰かに押し付けるなんて言う選択肢はシロエにはない。

 インティクスに対する思いは複雑だ。

 いい仲間ではあったと思うし、仲間としての好意はあるけれど、嫌われていると思う。〈放蕩者の茶会〉解散のあと、シロエもインティクスも〈エルダー・テイル〉を続けたけれど会話は全くなくなった。

 避けられていたのだろう。

 そしてシロエもインティクスを避けた。嫌われているという予想が高確率でなされる女性に対して、自分からアプローチするという戦術をシロエは持っていないのである。

(なんといっても臆病なだけだけど)

 〈放蕩者の茶会〉がなくなって、シロエだって凹まなかったわけではない。喪失感をあたりに振りまくのは正しくないと思ったから我慢しただけで、でも、我慢したから立ち上がるのに年単位の時間がかかってしまった。シロエが過ごしたソロの時間は、そういうことなのだと、今のシロエは思っている。

 しかもそれだけ時間をかけた上で、立ち上がるために、直継やアカツキ、班長や双子にまで支えてもらって情けない限りだ。

 シロエよりずっと生真面目で才媛だったインティクスが、シロエよりずっと熱心に取り組んでいた〈放蕩者の茶会〉の解散に対して取り乱したのも、ある意味当然なのだろう。女性心理についてはよくわからないけれど、もしかしたら恨まれているのかもしれないとさえ思うのだ。


「まあ、こちらはおまかせを。仕込みもしてきました。……僕はシロエ殿ほど焦ってないですから、気楽にいきましょうよ」

 カラシンは人懐っこい笑顔でシロエの肩を叩いた。

 その言葉にシロエは苦笑いを浮かべる。

 たしかに焦っているのかもしれない。

 だが〈召喚の典災タリクタン〉、〈失望の典災エレイヌス〉を知ってしまったシロエからすれば急ぎたくもなるのだった。

 おそらく彼らは(、、、、、、、、)同意を求めている(、、、、、、、、)のだ。

 他の誰にわからなくても〈契約術式〉を扱うシロエにだけはわかる。なぜならそれはシロエの操る術も、対象の同意を必要とするという点で彼らと同じだからだ。

 シロエの想像通りであれば〈共感子〉と言うのは非常に強力なエネルギーだ。〈冒険者〉の超人的能力はこの〈共感子〉というエネルギーを源泉として駆動している。

 〈共感子〉は通常個人内部で循環していて個人単位での運用しか出来ないが、厳しい限定条件をクリアすれば奪うことも可能であるようだ。

 しかし、本格的に得るためには提供者の同意を必要とする。

 混乱に乗じて物欲の対価としてそれを求めた〈度量の典災バグリス〉。ほろ酔い気分のデートを通じて異性の警戒心をかいくぐった〈結婚の典災カマイサル〉。地球世界への帰還を対価に活動を停止するほどの〈共感子〉提供を求めた〈召喚の典災タリクタン〉。対象の憧れを砕くことにより絶望を誘発しようとした〈失望の典災エレイヌス〉。

 おそらく、彼らはほんとうの意味では、力づくで〈共感子〉を奪うことが出来ないのだ。いいや、むしろ〈共感子〉の本質として、力づくで移譲が許されない、その瞬間に壊れる何かであるのかもしれない。


 そこに思いが至った瞬間、シロエには〈Plant hwyaden〉が暗闇を走る暴走車両に見えた。

 〈自由都市同盟イースタル〉と〈神聖皇国ウェストランデ〉の歪んだ関係も、巨大単一ギルドとして関西で孤立する〈Plant hwyaden〉も、〈典災〉からみればこれ以上なく熟れた狩場なのではないか? 混乱や失望を通じて被害者に偽りの同意を強要する彼らにとって、この状況は大きなチャンスなのではないか? 

 そんな疑念をシロエは〈円卓会議〉に告げたし、会議のメンバーは全面賛成ではないものの情報収集と関係修復の必要性は認めてくれた。それが〈円卓会議〉から見た今回の使節団派遣の背景である。


「考え込みすぎですよ、シロエ殿」

 茶化すようなだが少し優しいカラシンの声に、シロエは気を取り直した。

「それにしても、ソウジロウ殿どうしたんです?」

「なにが?」

「いや、何ってわけじゃないですが。普段だったらもっと女性の山作ってません?」

 ああ、とシロエは呟いた。

 言われてみれば、そういう人だかりが見えない。

 パーティーそのものへの参加はしているはずだ。一緒に訪れたのだからそれは間違いない。だとすれば、広間から離れたのだろうか?

「トイレですかね」

「そういえば、トウヤとルンデルハウスもいないか」

 シロエも首を傾げる。

 常にシロエの後ろに控えていてほしいと言うほどに子供扱いをする気持ちはないのだが、ざっと見渡したところ広間に見えるのはイセルス公子とキリヴァ侯、アイザック、護衛のメンバー、〈西風の旅団〉のメンバー。そういう状況であれば見当たらない三人が気にかかる。

「まあ、たぶんどこかでモテてるんでしょうけど」

「あーうん」

 カラシンの言葉にちょっと疲れを自覚しつつ頷いたシロエは、それでも自分のギルドの若い二人くらいは確認しようと考えた。

「主君、探しに行くのか? ではわたしも手分けをしよう」

「もしかしてドレス落ち着かないの?」

「そ、そんなことはない」

 アカツキは頬を染めると気配を絶って姿を消した。そんな様子にシロエはほっとするやら困るやらだ。意識してみると、アカツキのドレス姿は可愛らしいし、眺めていたいという気持ちもあるが、同時に見せびらかしたくないという気持ちもある。自分のことながら呆れたものだと思う。

 それはそれとして、シロエにも新しい仕事が産まれたようだ。気が重くはあるが、それは西へ向かうと決めたときから予想されていたことではある。ひそかな視線を背中に受けつつ、シロエは大きなガラスづくりの開口部へと向かった。

 歓迎式典の夜は、まだ始まったばかりなのだ。




◆2.06




 灯りの落ちた中庭は広間から続く会場の一部だ。

 貴族の屋敷はそういった用途を考えて造園がなされている。宴席の空気に膿んだ酔客がベランダで涼んだり、白い柱にもたれかかった男女が恋を語らったりしている。月明かりに照らされた小さな湖と玩具のような橋は一夜限りのロマンチックな出会いを提供し、涼やかな四阿は友人同士の語らいの舞台だ。

 そして木立ちに隠された古い石の長椅子も。


 気配を感じていたシロエは、ひとり庭に出て月明かりを頼りのこの小さな空間を見つけ出した。夜風にさわさわと揺れる梢はそんなシロエを見守っているように、優しい影を落としている。

 喧騒を離れて密やかな暗がりに身をおいていると、シロエとしてはとても落ち着く。小さい頃からの経験で、ひとりで長椅子に座るのは慣れているのだ(慣れていて良いものでもないのだが)。

 シロエはその長椅子にひとりで座って風の音に耳を澄ませていた。

 確実な保証はなかったが、パーティー会場で感じた密やかな視線で予感は感じている。その確からしさはもうすでに手で触れて確かめられるほどだった。


 人混みを離れた夜の中で耳にしているからそう感じるのかもしれないが、音楽は甘く物悲しげな輪舞曲だった。その音が急に昏くなる。音量が下がったわけではないのに、背景が遠のくようにおぼろになり、夜の闇が一段とその深さを増した。

 とろりと甘さをましたその闇から、朧に白い(かお)が浮かび上がる。

 さして背が高いわけでも、身体が大きいわけでもなく、むしろ骨格は華奢に見える美女だ。濡れたように黒い髪を緩やかに流したその姿は、周囲の闇を煮詰めたようでもあり、あるいは夜の清らかさを拒絶したようでもあった。

 喪服のように禁欲的なドレスのうえに、彼女は金糸と朱の刺しゅうを散りばめた豪華なショールを羽織っていた。

 艶然と微笑むその表情は、アキバの廃墟で出会ったときと変わらない魔法のような磁力を放っている。


(気が重かったもう一人の原因だ)

 シロエは困ったように頬をかいた。

 インティクスが〈Plant hwyaden〉の実務を司っていると知れば、〈Plant hwyaden〉の権威を司っているのが彼女、ミナミに君臨する〈西の納言〉濡羽。

 シロエは濡羽をじっと見つめた。

 濡羽もまたシロエを見つめているのを意識しながら。

 花の蜜のように甘いほほ笑みを浮かべた濡羽が足を止めると、夜の風がふわりとその髪をなびかせた。

「シロエ様」

「濡羽さん」

 礼儀から言えば、頭を下げるべきなのかもしれなかったがシロエはそうしなかった。眼前の油断ならない女性から視線を外すことが油断のようにも思えたし、それとはもっと別の不思議な気持ちで濡羽を観察していたいと言うだけのような気もした。


「ずいぶん長くかかりました」

「ご無沙汰しています」

 それを察したのか穏やかな表情のまま続ける濡羽もまた、頭を下げたりはしなかった。

(不思議だな)

 あのアキバの廃墟では破滅の魔女のように見えた濡羽だが、シロエはその佇まいにじっと視線を凝らした。濡羽の全身から放たれるしっとりと憂いに満ちた艶美は健在で、その場の空気ごと何もかも溶かし尽くし、舐め取り、吸い込むような昏い誘惑を放っている。

 でも、シロエはそれに流されない確固としたものが自分をつなぎとめているのもわかるのだ。

 だからシロエは長椅子から立ち上がり、改めて濡羽と視線を合わせた。自分より少し低い身長。一歩前に出れば触れられる距離で、二人は言葉を探した。

「――助かりましたか?」

「はい」

 シロエは苦く笑いながら肯定する。

 初手から恩を着せられてしまった。

 とはいえ、あのシブヤの大規模戦闘(レイド)の折りに、〈Plant hwyaden〉が〈円卓会議〉に歩調を合わせてくれたことは事実だ。ここは感謝の言葉を述べておくべきなのだろう。

「――長くかかりました。ずっとシロエ様の言葉を考えていました。わたしはシロエ様が欲しかったけれど、シロエ様はくださらなかった。そのほうが良いとあの日おっしゃった。敵でいたほうが良いという、あの言葉の意味を」

 しかし濡羽はどうもそんなつもりはないようだった。

「あなたを悔しがらせることが出来ましたか」

 自慢げにそう言うと、少し胸を反らせて笑った。

 そんなふうに微笑むと(たぶら)かすような美貌であるはずの濡羽が、少し幼く見えておもったよりずっと可憐だった。

 意表を突かれたシロエは、二三度まばたきをして「ええ」と頷いた。濡羽はそれが楽しかったのだろう、喉を鳴らすように笑い声を立てた。

「あなたに出来ないことをしてみました」

「それは最初から。僕は〈Plant hwyaden〉を作ることなんてできなかったでしょうし、貴族の相手だってできなかったでしょうし」

「ふふふふ。シロエ様がこの先すすむのには、〈Plant hwyaden〉の力が必要ですものね」

「そうですね。……〈典災〉のことも、〈大地人〉のことも、話し合う時が来たと思います」

 たぶん、それは〈Plant hwyaden〉の頂点に位置する女性の、自慢だったのだろう。己を誇るように、でも少し不安な様子を見せる濡羽のそれを、シロエは素直に受け入れた。

 濡羽は魔女ではあるのだろう。

 KRがいうように、この地を統べるために様々な陰謀を企んでいるということもあるのかもしれない。

 しかしそれでも、一万を超える〈冒険者〉の声に耳を傾け、その組織を運営するというのは並外れたことだ。その煩雑さも、苦労も、シロエはよく知っている。自分も同じことを手がけてきたのだ。


 シロエは濡羽という鏡を通して、セルデシアで過ごした自分を振り返った。そして小さく笑って頷く。

 あの廃墟での邂逅の記憶が再生され、新しく意味を付加され、解釈され、シロエを満たした。あの夜、濡羽に感じた強い同情や誘惑は、おそらくシロエの弱さだった。シロエが連れて行ってほしいと感じていたから、濡羽の提案に魅力を感じたのだ。

 あの夜敵として濡羽を断ったのは、決して濡羽のためだけではなかった。突風のようにシロエの人生に現れて全てを塗り替えてシロエを新しい場所へと連れて行ってくれる人。新しいカナミを、シロエは断ったのだ。

 自分で目標を見つけるのが苦手なシロエにとって、その提案は渡りに船だった。そんなふうに生きられればとても楽だったと思う。それは、いまでもそうだ。しかし、濡羽をカナミにしてしまうことは、シロエにとっても濡羽にとっても大きな不幸につながっていた。そのことも、今のシロエにはわかる。

 あの夜、シロエは濡羽と対等ではなかった。

 濡羽の情けで撤退してはもらえたけれど、シロエの中に、濡羽に返せるものがなかった。

 しかし時間が流れてシロエも変わった。たぶん、シロエは、もうかつてのシロエではないのだ。〈放蕩者の茶会〉のシロエではないし、ソロプレイヤーのシロエでもない。その事実に、郷愁のような寂しさと満足感を覚えながらも、シロエはそれを心の奥底に優しくしまいこんだ。


「あなたと踊るために、やっと。……臆病な自分を変えて、やっとあなたの前に立てる。あの日みたいに、あなたに助けてほしくて、あなたを堕すためではなく。あなたを助けられる力を持って。だからこそあなたの(もの)となって」

 瞳に煌めく星のような輝きを宿して告げる濡羽に、シロエはだから同じ強さで立ち向かう。

 濡羽はたぶん魔女だがシロエは魔女を恐れる必要がなくなった。だからこうして会話をしていられる。それはとても小さくはあるが、ひとつの前進ではあった。濡羽に惑わされてしまうとは思っていなかったが、翻弄されてしまうかもしれないと弱気になっていたシロエはホッとした。今日の濡羽となら、友達にだって慣なれるかもしれない。


「歯ごたえのある相手としてなら踊ってくれるのでしょう――?」

「〈記録の地平線〉のシロエとしてなら」

 たぶん、それは契約だ。

 あの夜と同じように、言葉ではなく互いの魂の求めるとことして交わす契約だ。

 濡羽は己の証明(かち)の見届人としてシロエを選んだのだ。

 シロエは己の証明(へんか)の見届人として濡羽を受け入れた。

 たぶん、これでいいのだとシロエは思った。

 敵対者としてしか結び会えなかった縁も、嫌い合う同士としてしか結べなかった縁もある。途切れたと思っていて繋がった縁も、繋がってると思っていたけれど最初からなかった縁も。濡羽との間の縁はこれでいいのだと、この時シロエは思った。


「やっとです。……全てを振り切ってシロエ様と決着をつけられます。あなたがわたしを手に入れるか。わたしがあなたを手に入れるか。……そうですよね?」

「そういうことではないと思うのですが」

 混ぜ返すような濡羽の言葉に、シロエは口をへの字に結んで答えた。

 魅惑するような怪しい笑みはそのままだったら、たぶん、濡羽のなかに陰湿なものはないのだと思う。あの廃墟で感じたような、追い詰められて切迫した、今ここでその手を取らなければ死に絶えてしまうような、甘苦しい切なさはない。

「そういうことにしたいのです」

 むしろ悪戯そうなからかいの視線に、シロエは困ったときの仏頂面で首を振る。


「このセルデシアのことが少しづつ分かってきたいま、〈典災〉という脅威がわたしたちを脅かすいま、多くの〈冒険者〉はいまよりももっと安定して信頼できる組織を求めているでしょう。〈Plant hwyaden〉と〈円卓会議〉は、ヤマトにのこされたたったふたつの可能性。ふたつの組織は、経過はどうであれ、いずれひとつに合流せざるを得ません。そうしないと……〈大地人〉の間にも争いが起きるでしょう?」

 残念そうに口を尖らせた濡羽は、一転、理知的で有能な女教師のような口調で説明を始めた。

「そして合流するとなれば、〈円卓会議〉を主流とし〈Plant hwyaden〉が吸収されるか、〈Plant hwyaden〉が中心となり〈円卓会議〉が吸収されるか、そのふたつしかありえない。……今回の顔合わせでどこまでこの話が進むかはわかりませんが、将来はそういうことにしかならない。もうひとつの可能性をシロエ様もわたしも受け入れたりしませんもの」

 それは――。

 シロエとしても同意せざるを得ない見識だった。

 東西の歩調を合わせる、協力体制を形作る。そんな議論は〈円卓会議〉でも行われていたし、まさにその考察がシロエを今回ミナミに向かわせたわけだが、その先を考えればより緊密な連携は要求されてくるだろう。そもそも、〈円卓会議〉や〈Plant hwyaden〉の中枢に関わり合いのない一般の〈冒険者〉からすれば、上は一枚板のほうがありがたいはずだ。

 シロエのようにそれを実際切り回す立場からすれば面倒が先にくるとしても、それは末端からは見えないし、斟酌されない。

「ですから、あなたがわたしを手に入れるか。わたしがあなたを手に入れるか。――そういうことになります。それはあの夜の約束です」

 悪戯そうに断言する濡羽に、シロエは嫌そうな視線を向ける。

 あの夜は自分でも随分持って回った言い方をしてしまった自覚はあるのだが、濡羽には随分根に持たれてしまっているようだ。関西が大変だった時期に手を課さず、アキバを中心にした〈円卓会議〉体制のみに注力してしまったのだから、恨まれても仕方がない。

 そういう意味でやはり女性は怖い。このネタでどれだけ引っ張られるかわからないのだ。頭を低くしてからかいに耐えるしかないだろう。


 だが、話の雰囲気からすれば濡羽はインティクスとの溝を埋めつつあるのだろうか? いいやむしろこれは濡羽の勢力が〈Plant hwyaden〉のなかで優位にたちつつあるという雰囲気に思える。

 そう考えれば、今夜の濡羽の雰囲気も少しは理解することが出来た。おそらく、濡羽もまたシロエと同じように、この異世界で過ごす一年間で自らの居場所を手に入れたのだ。あるいは、着実に手に入れつつあるのだ。

 その意味では、〈円卓会議〉と〈Plant hwyaden〉は、互いに居場所を手に入れた同士の新しいステージとして、その関係を進化させる時期がやってきた。それだけのことかもしれない。

 あまりにも優美で内面を伺わせない白い微笑の濡羽が、今日に限っては童女のように微笑んでいるのもそのせいなのだろう。

「もうしばらくお待ち下さいませ。開戦の鐘はキョウで鳴ります。〈元老院〉を掌握し、〈Plant hwyaden〉のすべてを挙げて、シロエ様との交渉(たたかい)ましょう。ラスト・ワルツを――わたしは待ち焦がれています」

 シロエはその言葉に頷いた。

 何れにせよ本当の話は、キョウの都で行うしかない。

 そこにはインティクスやKRも待ち受けているはずだ。

 どうにかして良い関係を築ければ良いと、シロエはそう考えていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] ロエ2出番!?
[一言] 誤字報告 〜そういった心遣いができない家はトラブルを抱え込むことになるのだ。 「できない家」→「できないうち」では?
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