123
◆4.04
「大丈夫かな、ウルフちゃん……」
セララはぎゅっと拳を握って息を潜めた。
豪華な赤絨毯の廊下が今は静まり返り、どこか薄暗く感じる。普段であれば狩りの帰りや買い物に出かける〈冒険者〉たちで、無人ということはないこの通路に、今はセララひとり。
おそらくなんの意味もないであろうけれど、ギルドハウスの中から引っ張り出してきた灰色の毛布を頭からかぶっている。身体を隠すためという、ただの気休めだった。
ことの起こりは早朝、セララたちが目覚めてのことだった。
〈三日月同盟〉のギルドホールは今では二十近くの部屋を持つ、中規模ギルドとしてはかなり大きな本拠地になっている。
そういった部屋の一つで寝起きしているセララとギルドの仲間たちは、寝室から出て食堂に集合した。それがいつもの行動だったからだ。顔を洗って朝ごはんに備えて雑事をこなす。セララたちはいつも通りの日課を、いつも通りにこなした。
なんだかおかしいなと思ったのは、ギルドメンバーで戦闘部隊エースの飛燕が「ナナミいねえな、おかしいぞ」と言い出したことがきっかけだった。
気づいてみれば、ギルドメンバーの半数以上がいない。
ギルドマスターのマリエールが寝坊するのはさして珍しいことではないが、ギーロフやヘンリエッタがこの時間まで起きてこないということはありえないと思われたのだ。
その疑問はあっという間に危機感へと変じた。
ナナミを探すためにホールから子供部屋に入った飛燕がそのまま戻らなかったせいである。子供部屋の中はもぬけの殻だった。
――飛燕は煙のように消えたのである。
恐慌状態になりかけた仲間たちをなだめて、取りまとめて、その結果ようやく思いついたのは、レベルだった。
レベルの高いギルドメンバーは、消える。
そこからさらに掘り下げれば、もう少し条件を絞ることも可能そうだった。
レベル七〇程度を境として、それよりも高いギルドメンバーは、扉を開け閉めすると、消える。
飛燕とギルドの食堂で出会えたのは、飛燕がどうやら食堂のテーブルの下で寝ていたからだというのが、アシュリンの証言で判明したのだ。飛燕は最初から食堂にいたから、消えていなかった。それがドアを開けて、消えた。
消えたギルドメンバーとは〈念話〉も通じない。
なにかとんでもないことが発生しつつあるのだけはわかった。
食堂に集まったのは十七人だった。
セララを含めて全員のレベルが五十八から六十とすこしまで。
〈円卓会議〉は初心者及び中堅者のレベルアップを推奨していたし、度々引率をつけてのキャンプを行っていた。アキバ住民のすべてをレベル五十以上にするという計画は数ヶ月以上前に達成されていて、そういう意味でセララと仲間たちのレベルがおおよそ揃っていることは不思議ではない。
そもそも食堂に集っているメンバーは、セララの友人であるミノリやトウヤ、五十鈴と同じように、悪徳ギルド〈ハーメルン〉に囚われていた少年少女たちである。
小太郎、こもも、tate脇、デス・ゲイザー、聖夜、増田、めざましトメテ、ラディーブ、空、忍ぶ道にゃ、ナギ、ぺこぺこピザ、ミルキー、柚子、ゆぴあ。アシュリンとセララを除けば、皆あの騒ぎのあとに〈三日月同盟〉に加入した仲間たちだった。
額を寄せ合って話し合った結果、レベルが問題なのではないか、ということになった。本当は違うのかもしれないが、今のセララたちにはわからない。〈念話〉が通じない今、にゃん太に助けを求めることもできないのだ。
周囲のすがるような視線にセララは冷や汗を流す。
セララは〈三日月同盟〉の中レベル組のなかでも少し特別というか、外れた立場にいるのだ。〈大災害〉直後の混乱期、ススキノに取り残されてしまったセララは、にゃん太の保護を受け、シロエ一行の救出作戦の結果アキバに帰還した。もともと〈三日月同盟〉所属だったセララは、その後〈記録の地平線〉に足繁く通っている。
それはにゃん太との接点を失いたくないという乙女心からではあったが、いまではミノリ、トウヤ、五十鈴、ルンデルハウスというだいたい同年代の親友もできて、〈記録の地平線〉はセララにとって第二の所属ギルドとも言える場所になった。そんな友人たちと日頃の活動をしているセララは、〈三日月同盟〉の若手の中ではちょっとだけ特別視されているのだ。
〈三日月同盟〉でももちろん若手は戦闘をする。今後の安全のためにも五〇レベルまでは確保したいというのは〈円卓会議〉の希望で、〈三日月同盟〉はその〈円卓会議〉の代表会議を構成するギルドのひとつなのだ。しないわけがない。
しかしその〈三日月同盟〉から見て〈記録の地平線〉は特別なギルドだ。
ギルドマスターであるマリエールが親しく付き合っているシロエのギルド、つまり友好ギルドではあるがそれだけではない。
セララがシロエと出会ったあの救出作戦だって、実行するだけの知識や戦闘能力に欠けると判断したマリエールたちが、シロエに依頼したのだと聞いている。つまり〈記録の地平線〉は〈三日月同盟〉から見れば、とんでもない戦闘系ギルドなのだった。
そしてその〈記録の地平線〉に通っているセララも、同年代、同レベル帯の仲間たちから「私達とはちょっと違う」「場数を踏んでる」「優しげに見えて武闘派」と一目置かれているのである。
もちろんそんなことを言われてもセララは困ってしまうし、実際言われれば反論くらいはする。しかし、無言で信頼に満ちた視線を向けられると、言葉になってないだけあって言い返すことはできないし、実際、よくよく考えれば、サフィールへの旅やシブヤでの大規模戦闘など、少しくらいは難易度の高いクエストに参加していないわけでもない……ような気もする。
セララ的にはミノリたちと一緒に泣いたり笑ったり騒いだり、目の前にあらわれたことを一生懸命こなしてきただけなのだが、あとから指摘されれば、「かなり大暴れした?」というのは否定しづらい。
とはいえこんな未知の状況で、頼られても困る。
困るのだが、この食堂には経験豊富な高レベルがいないために、誰かが何かをやらなければならないし、その誰かというのは、消去法で行くとセララになってしまうようなのだった。
(うううう。怖いよう)
セララは〈三日月同盟〉ギルドホールへとつながるドアを背に、廊下に座り込んで番人を務める。セララたちがドアを開け閉めしても特に問題がないということは、ギルドホールの中での実験ですぐにわかった。
次にセララが考えたのは、どうにかしてギルドの、あるいは知り合いなら誰でもいいから高レベルの誰かに連絡を取ることで、それもできないのであれば、せめて知恵者のミノリとくらいは合流を果たしたいということだった。
〈念話〉は使えない。
となれば歩いて探しに行かなければならないわけだが、その考えはフライパンに落とした水滴のように蒸発して消えた。
ギルド会館の階段までぞろぞろと歩いて移動したセララたち一行は、そこで犬頭をもつ大規模戦闘級モンスターと遭遇したからである。
ギルド会館は、モンスターの闊歩する危険なゾーンとなりはてていたのだ。
逃げ戻った〈三日月同盟〉のギルドハウスは安全だ。
だがだからこそ、セララは通路で一人身を潜めている。
「まだ帰ってきませんかあ?」
背中のドアが細く開いて、そこからアシュリンが顔を出した。空色のワンピースドレスは彼女のトレードマークだ。タレ気味の耳をピクピクと動かしている。
「うん。まだなの。心配なんだけど――」
言いかけたセララが振り向くと、通路のはるか先から真っ白いかたまりが滑るように駆けてきた。
「ウルフちゃん!」
セララの声を聞いた白くて丸々と仔狼は、しゃがみこんだセララの懐へ体当りするように収まると、犬かきのように手足を動かして、抱きしめたセララの腕の中からぽふんと首を突き出した。
「どうでした? 危なかった? 無事な人はいた?」
白い仔狼はセララの問いかけに興奮したように喉を鳴らし、ジタバタと動く。
ウルフちゃんと呼ばれる狼の正体は召喚獣だ。
攻撃、防御、索敵、移動、補助など多目的な助けとなる召喚獣は〈召喚術師〉の得意技だが、召喚対象によっては他職でも運用可能だし、〈召喚術師〉に続いて得意なのはセララが務める〈森呪遣い〉である。
なかでも、ウルフちゃんは狼――つまりドルイドが召喚獣として運用可能な動物系の対象であり、セララはこの仔と〈ラグランダの杜〉の頃から相棒として付き合い続けている。本来はセララの護身と攻撃を受け持つ召喚獣であるのだが、長い付き合いと頻繁な召喚のせいで、セララとの絆は深まり、そのせいかどうかは分からないが最近では随分協力的になってきた。
――前脚に泡立て器を持ってマヨネーズを撹拌してくれるくらいには。
「なに言ってるんでしょうー?」
「ウルフちゃんでもしゃべれないから、うーん」
そのウルフちゃんが興奮した様子でぐるぐると周り、身振り手振りで何かを伝えようと頑張るが、やがてそれだけではどうにもならないとお腹を見せて、呼吸を荒くしながら舌を出す。
セララはいつものように、仕方ないなと眉を下げながらお腹を掻いてあげるのだが、まだ柔らかい毛に埋もれた首輪に挟まれたメモを見つけた。
「お手紙ですー」
「……ミノリちゃんだ!」
短いメモはミノリからだった。
ミノリたちは、トウヤ、五十鈴、ルンデルハウス、アカツキ、それにレリアとリトカという客人姉妹の七人で動いているということ。
ウルフちゃんの動きでセララがいるとわかって、ギルド会館に向かっているということ。
周囲にいるモンスターはレベル六十五。つまり、ミノリやセララたちであれば、十分に注意すれば勝てなくはないということ。そしてできれば、ギルド会館のエントランス大ホールまでは迎えに来てほしいということ。
ミノリたちは情報によって、そのギルド会館最上階付近にこそ、今回事件の黒幕、ボスのような存在が潜んでいると判断していること。
そして――。
「大規模戦闘になるみたい」
「へ?」
セララは最後の一行を読むと呟いた。
いいや、それは、ただの呟きよりも強い声だった。
「アシュリンちゃん、トメテと柚子ちゃんに伝えて。六人でお出かけするって。残りのみんなは、お弁当作って! それから、それから……えーっと、ありったけの〈水薬〉あつめて!」
「え、あわわ。はいです!」
ぱたぱたとドアの中に駆け込んでいくアシュリンを待つこともせず、セララは「すぐ行きます! こっちは十七人」とだけ走り書きを追記して、忠犬座りをして見上げてくるウルフちゃんの首に、そのメモを再びくくりつけた。
「ウルフちゃん。ミノリちゃんの匂いはわかるよね? もう一回お願い! 大事な用だから!」
セララの忠実なる白丸狼は、同じ指示を二回とはさせなかった。
うぉふ、と(本人は凛々しいと思いこんでいるらしい)声をあげると、手足が空気に溶けるほどの勢いで無人の廊下を駆け出してゆく。
セララはそれを見送って、ギルドハウスのなかに引き揚げた。
すぐにでも仲間を集めてミノリたちを迎えに行かなければならない。
戦闘はあるだろう。でも、ミノリがいうのならば突破は可能なはずなのだ。
◆4.05
「助かった、セララねえ」
「お出迎えありがとうございますなのだ!」
〈三日月同盟〉のギルドハウスに転がり込んだミノリたち七人と、出迎えに来てくれていた六人。ギルドハウス入り口にある、カントリー調の出迎えスペースで息を整えている様を、一番最後にドアを占めたミノリとセララはほっとして見つめた。
「このドアは大丈夫なんだよね?」
「うん、〈灰斑犬鬼〉は中に入ってこないみたい」
セララの答えを聞いて、ミノリはやっと一息ついた。
街中を巡回していたモンスターのレベルは六十五、パーティーランク。
それは想定どおりで、格上ではあるけれど対抗できないわけではなかった。ミノリのレベルは五十九だが、トウヤは六十三だ。戦闘に付き合い続けているルンデルハウスもレベルを上げて六十一となっていたのも良かった。楽勝ではないが十分に対抗できる。
しかし、それは「戦える」というだけのことに過ぎない。
今アキバの街はダンジョンだ。ミノリははっきりと認識を改めたし、仲間にもそう告げた。
〈ラグランダの杜〉でもそうだったように、ダンジョンとは、自分たちのレベルがモンスターより高ければ攻略できるというものではない。
たとえ一群の〈灰斑犬鬼〉と戦い勝利したとしても、戦闘中別のモンスターに見つかってしまえば乱入を受けて、数の暴力に蹂躙されてしまう。
今回、敵は地上を巡回しているモンスターだけではないのだ。空を飛び、無音で急降下してくる〈鎖吐蝙蝠〉や、物陰にひそみ襲撃までは一切気配を掴ませない〈貪り食う汚泥〉も存在する。
リーゼが書いた情報メモとアカツキの隠行索敵がなければギルド会館にたどり着くのは難しかっただろう。攻略が初回である、地形や敵の配置情報が不十分であるというのは、ダンジョン踏破に当たって、それほど大きなハンデになりうる。
「でも、なんとか戦えた」
「セララたちが迎えに来てくれて、助かったぞ」
アカツキが胸を張って礼を述べているのがすこしおかしかった。ミノリたちは七人で、パーティーシステムの六人からは一人あぶれる。その役を引き受けて、パーティーから常に前へと突出するように、進行方向の敵性確認をし続けてくれたのは、アカツキなのだ。
(素敵だし、きれいな人だ……)
ミノリはそう思う。
その上、可愛らしいところもたくさんある。
照れ屋なのですぐどこかに行ってしまうけれど、それでも隠れて見守ってくれている。アカツキが狩りの引率をしてくれるときは、いつもそうだ。いまこうしてアカツキが師範システムの恩寵を受け一緒にいてくれるのだって、遠征の前日から自分たちにレベル同期をしていてくれた結果である。
彼女がシロエと一緒にいるのを見ると胸が痛む。けれど同時に、頼りがいのある家族という気持ちだって、ミノリの中にはある。嫌いになんてなれないのだ。
「それより、今後です。……大規模戦闘って書いてありましたけど」
その話はもうすでに〈三日月同盟〉のメンバーに伝わっているのだろう。
招いてもらった食堂は、中央の巨大なダイニングテーブルの上にいくつもの木箱が並べられていた。〈水薬〉、〈宝珠〉、〈呪符〉――種別は様々だが力を秘めた消耗アイテムだ。〈三日月同盟〉は戦闘偏重のギルドではなく、所属メンバーのサポートをする生活系ギルドなので、職人の作ったアイテム在庫も豊富にある。
とはいえ、積み上げられたアイテムのうち、九割は使い物にならないだろう。〈エルダー・テイル〉において、アイテムにはアイテムレベルが存在し、使用者のレベルから見てふさわしいアイテムレベルのものしか使用できないか実用的ではない。ミノリで言えば、ミノリのレベル五十九以上のアイテムレベルを持つアイテムは装備も使用もできないし、その一方であまりにもレベルが低い、例えば四十九レベル未満のアイテムは使用できても効果が薄く意味がない。
それは全員がわかっているのだろう。在庫をかき集めた〈三日月同盟〉十七人の表情は、不安の色があった。
「いま、アキバは不思議な現象でダンジョンになってしまっています」
セララに視線で促されたミノリは、とりあえず喋り始めた。
〈三日月同盟〉のメンバーはアキバの街の様子を知らないだろう。
まずは報告をしなければならないと思ったのだ。
「街中と、このギルド会館のような大きな建物にはモンスターが発生しています。種別は〈灰斑犬鬼〉、〈鎖吐蝙蝠〉、〈貪り食う汚泥〉の三種類すべてレベルは六十五。ですが、他にも未確認が数種いるようです」
普段シロエにその日の活動を報告しているせいか、そこまではスラスラと喋ることができた。
「シロエさんの予測によれば、このギルド会館上層部に、異変の元凶である、おそらくボスモンスターがいるはずです」
何人かが息を呑むのが見えた。
驚くのも当然だと思う。〈三日月同盟〉のメンバーからみれば、自分たちの住んでいるマンションの最上階に悪魔が住み着いたと言われたようなものなのだ。
「多分ですけれど、このアキバには高レベルの人がもういません……。七〇レベル以上のひとは、強制的にレベルを低下させられて、神殿か、アキバの外へ送られているんだと思います」
不安がわかるのでミノリは申し訳ないような気分になってしまった。
別にミノリ自信が何か原因を作ったとか悪いことをしたわけではないけれど、ここにいるメンバーは、アキバの中でも大規模戦闘に慣れたベテランではない。むしろ経験で言えば薄い方に属するメンバーだ。
「それじゃ……」
「ちょっとまって」
「でも!」
そんなふうにざわめいてしまうのも仕方ないと思う。
だが――。
「はい。ここにいるこのメンバーが、大規模戦闘をするのが当面は最も解決に近いです」
ミノリが考えるところの、最も前線に近く、決定的な戦力が、この〈三日月同盟〉メンバーなのだ。シロエの走り書きではギルド会館でメンバーを探せ、としか書いてなかったが当然セララと〈三日月同盟〉の若手組を意識してたのは間違いない。
でも、難しいとは思う。
このメンバーがミノリの考えうる最善のメンバーで、それは、もし仮に五人や六人のベテランが混じってもそうだと断言できる。ミノリが現在理解している大規模戦闘のための連携は、メンバー同士が最低限顔見知りであることが必須だ。だから、ミノリからすればこのメンバーが間違いなく最強である。
しかしだからといって、目の前の十七人は、ミノリの誘いに乗らなければならないというルールはない。
「でも、大規模戦闘だよ? そんなのできるのかな……」
「でもやらなきゃいつまでもこのまま? なの?」
「詳しいことはわかりません。――待ってれば解決するかもしれませんし、もっとひどいことが起きるかもしれません。でも……」
不安でざわつくメンバーにミノリは丁寧に答えながら、それでも届かなさを感じていた。
なるべく丁寧に説明したいがミノリだって(それをいうならアキバ中の誰であっても)まだ戦ってない戦闘の情報なんて多くもつはずがない。
不安に揺れる友人たちを勇気づけたいとは思うが、必勝の保証なんてできるはずがない。
誠実でありたいけれど、誠実であればみんなを誘うのは不可能だ。
板挟みのような思いで、ミノリは言葉を途切れさせた。
でも、のあとには続きがない。
そんなミノリに手を差し伸べてくれたのは、双子の弟だった。
「やろうぜ!」
トウヤは強い声で呼びかけた。
「やろうよ。大規模戦闘! だってさ、そうしたら、勝てるじゃん」
「負けるかもしれないんだよ?」
不安そうな眼鏡の少女に、トウヤは強く頷いた。ミノリにとってはされたくない質問だったのに、トウヤはむしろ「よく言ってくれました!」とでも言いたげな様子で、言葉を重ねる。
「そりゃこの大規模戦闘には負けるかもしれないけれどさ……。『待ってればどうにかなる』には勝てるじゃん」
トウヤは熱く、いつになく熱く断言した。
その一言で潮目が変わった。
「トウヤどういうことだ?」
「へ? どどど、どうしたんでしょう?」
わからなかったのはルンデルハウスにセララ、モフール姉妹にアシュリンくらいだっただろう。
トウヤが遠回しに指摘したのは〈ハーメルン〉での生活だった。
膝に力を入れられないほどくたくたになるまで働いて、温かい布団もなくて、饐えた匂いの充満するくらい部屋の中で、浅い眠りで夜明けを待ち続ける日々。諦めきったわけではなかったけれど、希望を持つことがまるで罪悪のように感じさせられて、ただ自分の愚かさを後悔し続ける長い時間。誰か助けてくれないかという虚しい希望と、誰も助けてくれるわけがないという自虐を繰り返す毎日。
この食堂に集まった二十四名のうち、その殆どはそれを覚えていた。あそこから逃げ出して〈三日月同盟〉へやってきたのが、このメンバーだったからだ。
ミノリも、トウヤも、あの夜の中にいたからだ。
「うん」
「うん」
「わかった」
「やろう」
「そうだね。できるよね。今度はできる」
「戦えばいいだけじゃん」
「簡単だよ!」
トウヤが誘ったのは、大規模戦闘ではなくて、あの夜のやり直しだった。
あの脱出の夜、ハーメルンの囚われ人はミノリの掛け声で一斉に逃げ出したが、それはシロエたちの救援あってのことだった。だから「もう一度やろう」と、トウヤはそれだけを言ったのだ。
その言葉に火をつけられた仲間たちは、口を真一文字に引き結んで頷いた。中には不敵に微笑むものさえいた。いずれもミノリよりは年上だが、大人と云うほどの年齢ではないメンバーだ。不安な気持ちがないわけがない。
でもそれ以上に、あんな思い出を放置しておくのは嫌だったのだ。
〈記録の地平線〉に入れてもらって、ミノリはその気持ちが薄まっていたのかもしれない。シロエの近くにいて寝ぼけていたとは思わないが、様々な冒険を経て、過去になっていた。でも、〈三日月同盟〉で肩を寄せ合っていたあの夜の仲間は、ミノリたちには遅れたかもしれないが、癒やしの一年を経て、いまやり直しの機会を得たのだろう。
うまく話をまとめられて、ちょっとすねた気分でトウヤを見たミノリは、大きな笑みに出会って視線をそらす。トウヤはこうしてミノリにはできないことをたやすくやってのけることがあるのだ。仲のいい自慢の弟だけれど、悔しくないわけではない。
そのトウヤに「細かい説明!」と促されて、ミノリは深呼吸した。
「……わかりました。やりましょう。でも大規模戦闘はみんなほとんど初めてのはずです。訓練時間はとれないけれど、せめて、準備をして話を聞いてください」
『重要なのは情報。出来る限りを集めるべき』
シロエの冊子を思い出しながら、ミノリは言葉を紡ぐ。
「アカツキさん、その……上層部へのルートを偵察お願いできたりしますか?」
「無論だ」
「えっと、それから、最初に……」
ミノリは気合を入れ直した。躊躇いも、動揺も、不安も焦燥もこの先は許されない。そんな機会はあったとしてもずっと先だと思っていた。
ミノリは今日これから、初めて大規模指揮者になるのだ。
◆4.06
とうとう大規模戦闘が始まった。
〈三日月同盟〉のギルドハウスがある五階の長い通路を駆け抜けて、階段ホールへと一行は向かう。吹き抜けのホールには〈灰斑犬鬼〉がいるがたやすく撃破した。
そもそもこの亜人の群れは六十五レベル程度の〈冒険者〉六人で戦うべきパーティーランクのモンスターだ。二十四人である現在、さほど恐れるべき敵ではない。
もちろん前後左右から複数のグループで囲まれてしまえばその限りではないわけだが、いまのミノリたちは部隊戦術を駆使できる立場にある。
シロエに聞いた様々な大規模戦闘の事例では、モンスター以外にも、そのダンジョンの地形や罠、また構造そのものが挑戦すべき課題として立ち上がってくるとのことだったが、今回に限っては馴染みのギルド会館だ。ミノリは〈中小ギルド連絡会〉の事務作業でこの巨大な建物には慣れ親しんでいるし、〈三日月同盟〉所属の子たちにとっては住んでいるビルでもある。〈円卓会議〉重鎮が執務をしている上層階への出入り経験でさえ、少ないもののないわけではない。
さらに言えばアカツキの先行偵察効果は効果的だった。たしかに最上層〈六傾姫の間〉にむけて警戒が厳しく、また多数のモンスターが出入りしているという情報を得ている。
そこまでわかっているのであれば、Aチームを先頭に小走りで進みながら、CとDチームで敵を高速に撃破していくだけだった。
道中は順調だったが、ミノリに苦労がなかったといえばそうではない。むしろミノリは、今しかできないことを必死にこなしていたのだ。
『何はともあれ、味方を知ること。それが基本にして到着点だよ。情報ってのは敵のそれだけじゃない。味方のそれこそが重要。そして得た情報を共有することも』
二十四人大規模戦闘である今回、その基本度どおり二十四人を四つの六人パーティーに配置し、その連合部隊を結成しなければならない。
だがその配置をする以前にメンバー二十四人の全体像について触れなければならないだろう。
レベルで言えば最高レベルはトウヤの六十三。最低レベルはアシュリンの五十八だ。
この分布は悪くない。特にトウヤが務める第一防衛役、いわゆる「プリマ・ディフェンダー」、「メイン盾」が六十三レベルというのは朗報だ。
シロエメモによれば、この大規模戦闘の全体レベルは六十五。〈エルダー・テイル〉時代であれば、六〇レベルで挑戦するゲームコンテンツであったことを意味する。大規模編成全体で最も重要な第一防衛役のレベルがその基準よりも三レベル優位なのは、戦力的にかなりのアドバンテージだ。
一方で、役割分布には不安点がある。二十四人の内訳は戦士職四人、回復職十人、武器攻撃職七人、魔法攻撃職三人。魔法攻撃職と戦士職が圧倒的に少なく、バランスが悪い。
『回復職は編成の基盤。最低六人は欲しい』
シロエのメモではそうなっていたけれど、十人はいくらなんでも多すぎる。その分、魔法攻撃職が足りていない。
今はまだいい。敵はパーティーランクだし数もさほど多くない。こちらの人数で囲んで攻撃すれば余裕で勝てている。
しかし、シロエの書いた小冊子には様々な大規模戦闘の事例も書かれていた。
こちらの防衛能力を試してくる大規模戦闘。
こちらの回復能力を試してくる大規模戦闘。
こちらの物理攻撃力を試してくる大規模戦闘。
こちらの魔法攻撃能力を試してくる大規模戦闘。
このチームには魔法攻撃力、すなわち属性攻撃能力が足りない。たとえば物理攻撃能力に対しては大きな防御能力を持っていて、おまけにヒットポイント回復能力を持つような強力なレイドボスが現れた場合、チームは危機に陥る。
その間にも侵攻は続く。
扉を蹴破る勢いで流れ出てくる〈貪り食う汚泥〉。濁流のようなそれをトウヤの突撃が切り裂く。
もとはエスカレーターであっただろう空中階段を駆け上がったチームに、ミノリは指示を出した。
「先頭交代! Cチーム突撃してそのまま盾役を!」
「了解にゃあ」
「セララちゃんリトカちゃん柚子さん、攻撃中心の援護に重点移してください。回復は周囲におまかせで! tate脇さん前に出ちゃってください!」
ミノリは回復職に攻撃指示を出した。
六人組の普段の狩りなどで、回復職が魔法攻撃を多用することは珍しい。それは他の職業でもできる「ダメージを与える」ことにMPを消費しすぎて、肝心の回復や蘇生がおろそかになるのを恐れるせいだ。
それゆえ一般的な回復職は攻撃指示があっても忌避感を示すことが多い。結果として負傷者を出してしまったときの罪悪感を恐れるからだ。しかし、回復職過多のこのチームでは必要な指示でもある。
『指示を出すときは名前を呼んで個別に依頼を。その人のやりたい方向性を考えてね。プレイスタイルはその人の装備をじっくり見つめればヒントがある。「回復職の人は〜」なんて全体向けの指示はNGだ』
シロエの小冊子に従って、なるべくその通りに指示を出したが良かったかどうかはわからない。ミノリにはなんで個別に名前を上げてまで指示を出すべきか、その理由はわからないのだ。
でも、何かきっと理由があるのだろうと信じて続ける。
ミノリにできるのはそれだけだからだ。
セララはわかる。普段の狩りでも一緒なので、そのスタイルが、召喚獣ウルフちゃんによる攻撃補助と、妨害魔法による牽制だということをミノリは知っているせいだ。
リトカは短い付き合いだが、召喚よりの〈森呪遣い〉だとおもう。ペンギン像のついた長杖は魔法攻撃も可能かもしれない。
柚子とtate脇は装備からの予想だ。柚子のもつ占術盾とtate脇の持つ両手曲刀からだったのだが、外してはいなかったようだ。
「いいのか? 捗るぅぅう!」
「やったー! きのきのどーん!」
駆け出したtate脇は嬉々として白兵戦闘に移り、リトカは(役に立ってるかどうかはよくわからないが)小さなきのこを召喚してどんどん前線に送り込んでいる。
『大規模戦闘の基本は二十四人だ。いつも組んでいるパーティーを四つ作り、それぞれのパーティーに戦術を紐付ける。これを編成と云う。編成は大規模戦闘開始の最初の一手だ』
ミノリは小冊子の文章を思い出す。
それはミノリにとって、この上なくほっとするシロエの声を感じさせる、慕わしい聖典だ。『メンバーの配置はバランス良く。戦士職、回復職はどのパーティーにも欲しい。特に重要なのは第一パーティーだ。一番信頼できる戦士と、できれば三人のクラスの違う回復職。それから持久戦に備えて〈付与術師〉か〈吟遊詩人〉を配置する』
出撃直前、ミノリはその教えに従って四つのチームを作った。
Aチームは、トウヤ、ミノリ、リトカ、こもも、アカツキ、アシュリン。
大規模戦闘攻略においてある意味最も大事な第一チーム。防衛役は〈武士〉のトウヤ。〈神祇官〉、〈森呪遣い〉、〈施療神官〉《クレリック》の回復三職でそのトウヤを支え、〈暗殺者〉のヘイト補助でさらなる安定化を図る。アシュリンは最もレベルが低いが、このメンバー唯一の〈付与術師〉だ。攻撃には期待できないがMP回復の付与は欠かせない。
『第二は第一の控えもしくは遊撃。回復職は二枚は欲しい』
Bチームは、めざましトメテ、セララ、空、ゆぴあ、増田、ミルキー。メンバー唯一の〈守護戦士〉めざましトメテはBチームに配置した。第一防衛役を任せるかどうか迷ったが、レベルと場数からトウヤにまかせ、控えとして協力してもらうことにする。パーティーリーダーは〈森呪遣い〉のセララだ。|〈三日月同盟〉のみんなに慕われているからBチームの取りまとめを期待する。空は〈施療神官〉《クレリック》でゆぴあは〈神祇官〉だ。Aチームと同じく回復職三人は贅沢なのだが、今回のメンバーはそもそも回復職が多いためこのような編成になる。増田は〈吟遊詩人〉で、ミルキーは〈盗剣士〉だ。特に〈盗剣士〉は一名しかいないため、その強力な弱体化特技には期待したい。
『第三、第四は回復は控えめで。むしろ攻撃力を重視。――これは基本案であって、詳細は大規模戦闘ごとにいろいろあるんだけどね。攻撃力が足らないと戦闘が長引いて、ジリ貧になることも多いから』
Cチームは魔法攻撃メインの火力チームとした。忍ぶ道にゃ、tate脇、ラディープ、五十鈴、ルンデルハウス、ナギ。ルンデルハウスとナギという貴重な魔法攻撃職二名を擁し、その援護とMP管理を〈吟遊詩人〉である五十鈴に依頼する。その三人を守るのが〈武士〉である忍ぶ道にゃと、〈森呪遣い〉、〈神祇官〉の両名だ。
一方で物理攻撃に秀でるのがDチームと言える。姉妹の姉の方レリア、小太郎、柚子、デス・ゲイザー、聖夜、ぺこぺこピザ。このチームは〈武闘家〉、〈森呪遣い〉二名、〈暗殺者〉三名という偏った構成だが、仕方ない。そもそも全体の構成が偏っているのだ。
チームが互いの能力を深く知り合って連携をこなすためには長い時間がかかる。大手戦闘系ギルドが強いというのは、そういうことなのだ。装備が違うとか知識が違うとかいう以前に、連携習熟のための練習時間そのもので大差がついている。
比べればこの即席チームはへっぽこだろう。
訓練時間もなければ、連携の考えもまだ根付いていない。
そもそもメンバーを振り分けたのが出撃直前、まだ三十分も経ってない。
救いなのは、レイド経験こそないものの、殆どは〈三日月同盟〉のメンバーと〈記録の地平線〉メンバーで顔見知りであるということと、大部分は〈ハーメルン〉で惨めで鬱屈した日々の記憶があるということ。
あのときの経験があるから、みんなはミノリなんかの言葉に耳を傾けてくれる。力を合わせて戦わなければならないという気持ちが強いのだ。
『指揮官の仕事は勝てるチームを作ること。戦闘の結果はチームづくりの結果』
だが、それでもやはり、四職のバランスは悪いし、それを上手にカバーし合う動きはできていない。
「後続なっし!」
「進もう!」
ギルド会館もまた、このセルデシア世界に無数にある古代ビルの廃墟のひとつだ。太古の昔にはエレベーターが動いていたのかもしれないが現在は当然稼働していない。
ミノリたち一行はエレベーターホールを突っ切って、階段室へと向かう。思い鋼鉄製の防火ドアを開けたのは、リノリウムで守られた淡いミントグリーンの階段が上下へと続く、無機質の空間だ。
上空から舞い降りてくる〈鎖吐蝙蝠〉に、またチームの弱点がひとつ見つかる。対空攻撃役の不足だ。それでもルンデルハウスの活躍で、蝙蝠たちを焼き落としながら一行は先へ先へと進んだ。
歩みを止めれば、敵の物量に囲まれてしまう。
敵の襲来タイミングを読んで、撃破しながらどんどんと前方の陣地をとってゆく。その繰り返しで前線を押し上げる。
今このときしか、大規模戦闘本番のボス戦闘前のこの時間しか、互いに連携を深めるチャンスはない。その短い猶予時間が、刻一刻と過ぎてゆく。
「目的地発見!」
「通せんぼしているの、ふっ飛ばしちゃおう! 行くよ、ルディ!」
「承知!」
「私もいますっ」
五十鈴の援護を受けたルンデルハウスとナギ、二人の〈妖術師〉があたりを白く染めるようなまばゆい雷光を解き放った。そこへ〈暗殺者〉たちが一気に踊りこんで制圧する。
オゾン臭が立ち込める通路の突き当りで、一行は互いに顔を見合わせ合う。この扉の向こうは、明らかに決戦の地だ。
「休憩したいが、時間をかければ雑魚が集まってくる可能性は高い」
アカツキの言葉にミノリも、他のみんなも頷いた。
「みなさん、回復のポーション、戦闘中は使いにくいから、飲んじゃって。あと。飲みものも! サンドイッチも!」
慌ててすこしパニック気味なセララの言葉に、一行は飲み物に口をつける。乱暴に腕で拭うその眼差しは強く、意思は固まっているようだ。
もっともっと時間をかけたかった。
少しずつお互いがわかりかけてきたところだった。
話し合って訓練すれば、もっと強くなれるのはわかっている。
試したい組み合わせがあった。
決めてみたい連続技があった。
それでも練習の時間は終わったのだ。
「準備はいいですか? みなさん」
準備なんて全然良くないミノリは、未練を断ち切るように笑顔を見せた。
『準備に溺れないで。不十分を恐れないで』
シロエの言葉は、いまもミノリを突き動かしている。やりたいことは沢山あったけれど、今はこれが精一杯だ。もう一度巻き戻しても劇的な改善はないと思える。ミノリたちは、持てるだけの精一杯を持ち込んで、このドアの前にたどり着いたのだ。
「この奥で決戦です。……行きましょう!!」
おう! という響きが重なった。きっと激しい戦いが待っている。
事件の決着は、もう目の前にあるのだ。