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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
ログ・ホライズンEp13 夜啼鳥(ナイチンゲール)の唄
119/134

119

◆2.04



「ひゃっ!」

 真面目くさった顔のレリアが立ち上がって断言すると、引っ掛けてしまったのかテーブルの上の炭酸飲料の瓶がグラグラ揺れた後に倒れて、床に散らばってしまった。ガラスの砕ける音に、レリアは涙目になって「私はいつもどーしてこうなのか……」と肩を落とす。

 慰めながらも片付けようとするセララとレリアを横に、今度は妹のほうが話し始めた。

「リトカたちは地下帝国で毎日楽しく暮らしてたんだけど、ある日突然ばんばーん! って大きな音がして、入り口が崩れちゃったのだ。でも、あんまり気にしないで毎日こたつでゴロゴロしてたの」

 地下帝国とは大層な名前だが、実態はただのダンジョンだ。

 信じられないことにこの姉妹、イズモ地方にある〈ネノクニ大空洞〉というダンジョンの中に住んでいる。それはシロエが〈エルダー・テイル〉を始めた頃からそうだった。

 入り口が崩れたというのも心当たりがある。

 〈ネノクニ大空洞〉は、拡張パック〈黎明の偵察者〉で再整備され、ダンジョン内の幾つかのエリアにはいけなくなった。――ポンコツ姉妹の住処がそれで、彼女たちは拡張パックの波に乗りそこねた、過去の登場人物だったのだ。直継やアカツキなど、中堅〈冒険者〉たちが彼女を知らない理由がそれだ。

 〈アマルドールのウロコ集め〉のような苦行クエストは、たしかにないわけではない。しかし、近年は明らかに減少傾向だ。レベルキャップが九〇まで上昇した〈エルダー・テイル〉では、レベル五〇程度の初期難関クエストは作りなおされるかバランス調整を受けていて、極端に人気のないクエストはそもそも廃止されてしまう。

 彼女たちの存在もそうで、最近の〈冒険者〉(プレイヤー)は知らない存在なのだ。

 〈冒険者〉からみれば切なくも懐かしい(てとら風に言うと頭の痛い)〈古来種〉の姉妹であるのだが、まさか本人たちはさして気にもせずに地下深くで暮らし続けているとは思わなかった。


「おモチ食べてねー。みかん食べてねー。ねー様と耳の毛なでてピン!となるようにしてたの」

 まったりした笑顔で宣言するリトカに、直継が「正月かよ」とツッコミを入れる。シロエとしても全くの同感だ。

「お腹いっぱいになったらうとうとしてー。毎日くてんくてんしてたんだけど、きのこグラタンがおいしくてねえ、眠くなって寝ちゃったら、なんだか気が遠くなって……」

「お恥ずかしながら寝坊してしまったのです」

 この姉妹の脱線具合はすごいな。

 シロエは半眼になってそんなことを思う。

 しかし、だとすると、彼女たちは拡張パック八弾のころには、すでに引きこもり生活(実際には閉じ込められていたわけだが)に突入していたのか? 

「ねー様が起こしてくれないから!」

「リトカがちゃんとお布団に行かないでおこたで寝るからでしょう」

 ふしゃおー!ふしゃおー!

 ねー様が、リトカが!と言い合いながらぽかすかじゃれあう二人を見ながら、シロエはさらなる思索を続けた。しかし、だとすると〈大災害〉の瞬間をこの姉妹は寝坊して過ごしたことになる。拡張パック〈サンドリヨンの遺産〉から眠りについたとして、この世界の時間で五十年。とてつもない時間ではある。

「目が覚めたら真っ暗で、洞窟が崩れてて、埋まっちゃってたの」

 やはりそういうことらしい。


「なんだかこいつら狼牙族なのにしっぽ膨らむと猫っぽくねえか」

「キャラがブレてるんですよ。ふっふーん。二流ですねえ」

 しかし、シロエのそんな真面目さの横で、ギルドメンバーたちは容赦のない感想を述べていた。

「なんだか、リトカ姉ちゃんとかレリア姉ちゃんって呼ぶの躊躇われる」

「トウヤが言うなんてよっぽどだぞ、シスターズ」

 てとらの厳しい意見に、責任を感じたのか、トウヤとルンデルハウスの年少男子コンビが弁護に入る……ようにみえて、あまりフォローになっていない。それにしてもこの二人は仲良くなったな、とシロエは少し微笑んだ。

 シロエ自身は、自分が情けなくも直継に助けてもらってばかりなのを自覚している。だから、この年下の二人が、どうやら良い友人関係を築けていることが嬉しかったのだ。


「ち、ち、ちがうよ? そんなに寝坊助(ねぼすけ)さんじゃないよ? リトカはいざとなればデキる子なんだよ」

 どうもカオスなことに、こちらはこちらで待ってくれないのが玉に瑕である。「そのセリフは自分で言ったらダメなやつだろぉ」という直継のつっこみにも精彩がない。

「だって、だって。そのあと、おっきな黒いのが来たんだもん。リトカたち地下帝国護衛騎士団は、全員でその黒いのと戦ったの! すごく強かった……。護衛騎士団の勇士たち、マッシュ、ファンギ、エノキ、ボルチニ……。みんな傷つき、倒れて……」

 なんだか大層な名前の騎士団が出てきたが、実態は〈走り茸〉(マイコニド)〈踊り茸〉(ニョロエノキ)などの中立モンスターだ。地下帝国とはダンジョンのことだし、地下帝国皇帝と名乗るリトカは実際には〈森呪使い〉(ドルイド)である。護衛騎士団というよりは、それらは彼女の召喚生物か、甘く見ても彼女の子分なのだった。

 しかもそれらが全部キノコ種のモンスターであると考えると、軍勢を率いる指揮官というよりも、どちらかと言うとキノコ農家であると解釈したほうが正しい。

 〈エルダー・テイル〉時代、焼ききのこをごちそうになったことが有るくらいである。


「なんでリトカだけで戦ってるの!? わたしはどうしたの、リトカ!」

「ねー様はよだれたらして寝てた」

 リトカ。あなたはちょっとそこに座りなさい! 座ってるもん。からーげ食べてるもんと言い返す姉と妹の舌戦を聞きながら、シロエは考える。

「それって最近のことかな?」

「うん、そうだよ。まだ十日たってないよ」

 もぐもぐと頬張りながら応えるリトカの言葉にシロエは頷く。

「そして、大規模戦闘(レイド)だった?」

「そうなの。地下帝国にいたモンスターたちがぜーんぶ敵に回って襲いかかってきて、リトカたちは頑張って戦ったんだけど、毎晩毎晩襲われて、それで逃げてきたのだ! 大きいのも戦ったの。エレイヌスっていってた」

 シロエはうなずいた。

 通常であればモンスター自身が名乗るなど、そうはありえない事件だが、〈典災〉であると考えれば辻褄は合う。彼らは程度の違いこそあれ、会話できる程度のコミュニケーション能力はあるのだ。それが通じるとは限らないのが、タリクタン戦の手痛い失敗でもあったわけだが。


「えー!? 崖崩れから逃げてただけじゃなかったの!」

「騎士団のみんないなかったでしょ、ねー様!」

「とうとうリトカが見捨てられたのだとばっかり……」

 仲良く口論を始める姉妹をはおかずの取り合いを繰り広げるが、比べてみれば、やはり姉のほうがやや冷静のようだった。

(苦労性の匂いがする……)

 少しも嬉しくないが、最近とみに鋭敏になった同輩を見つけ出すセンサーがそれをシロエに伝えた。

 ――「ケンカは駄目ですよう」「でも、唐揚げもーらい!」「あー!あー!!!」「ねー様びっけつ!」

 しかしそんな風に、ひとかたまりになってじゃれあうような二人の少女と年少たちを見ると、なんだか、なだめるのも、叱るのも、違うような気がしてしまう。

「まったく。あれじゃ子供じゃないですかっ。むう」

 頬をぽくりとふくらませるてとらの言葉で、シロエは腑に落ちた。

 てとらの言うとおり、彼女たちは子供なのだ。

 〈エルダー・テイル〉がゲームであった頃、彼女たちの無軌道でわがままな言動は、一部の〈冒険者〉(プレイヤー)の反感を買ってしまったけれど、こうして異世界となってしまった現在、素直に見れば当たり前のようにわかる。

 彼女たちは確かに〈古来種〉で〈イズモ騎士団〉で、あの当時にしてはレベルが高かったけれど、しかし同時に幼い〈大地人〉でもあるのだった。ドジなのも、騒がしいのも、〈冒険者〉の足を引っ張ってしまうのも、そう考えれば当然ではないか。

 だから(、、、)ミノリたちと(、、、、、)出会ったのだ(、、、、、、)

 シロエはその発見に小さく心を震わせた。

 その意味するところや価値はわからなかったが、この気付きが正鵠なのだという実感があった。


「んでよ。シスターズ。その黒いのってのはこっちに向かってきてるのか?」

「ツグツグでっかい!」

「わかりませんが、皆さんに助けてもらったのは、一戦して疲れ果ててしまったところでしたから」

 直継の疑問に答えたのは姉のレリアの方であったが、求める情報は「発見したのは〈ハーモクロスの小島〉です」というミノリの補足だった。

 シロエの僅かに動かした視線で察してくれた小さな〈神祇官〉(かんなぎ)が、二人を拾った場所を端的に教えてくれたのだ。

 〈ハーモクロスの小島〉といえば〈八の運河のハイコースト〉近辺の、河川にある中洲である。

 アキバ周辺部はひとつあたりの面積が小さいエリアがモザイク状に配置されているために、たどり着くためにはかなり多くのエリアを経由しなければならないが、移動時間だけで言えば数時間もかからない、西から来て〈ハーモクロスの小島〉までたどり着いたのならば、アキバはもう目と鼻の先だ。

「んじゃあ、こっちに向かってきてるってのも、無理のない予測だなあ」

 直継の言葉は彼女らの言う黒くて大きいの、すなわちエレイヌスの進路についてだ。

「この近辺で他に目指すべき目的地もないだろう」

 続ける言葉はもっともで、山陽地方からはるばる〈ハーモクロスの小島〉などという場所までやってきて、アキバを素通りする意味も必要も思いつかない。それが数日前のことであるというのならば、今晩にでも〈典災〉の襲撃があると考えてもいいだろう。

「だからだから、リトカたちは逃げてきたわけじゃないんだよ!」

「特使です。危機を知らせる秘密の使者! 決してお腹が空いていただけでは……」

 ぐぐー。

「……まだ沢山あるのにゃ。今は体力をつけるために食べるといいにゃ」

「いただきまーっす!」

「いただきます!」

「ねー様はこの菜っ葉サラダ食べるといいよ。リトカははんばぐいただきます」

「リトカ! お野菜のこしちゃダメでしょう。もう、子供舌なんだからっ」


(大規模戦闘クラスの未知のモンスター。〈典災〉か……)

 この時点でシロエはそう判断した。

 リトカ自慢の地下帝国護衛騎士団は、クエストで見かけたことがある。

 レベル六十五のモンスターの集団だ。数多くの特技を自由自在に使いこなし、戦術を持って戦闘を行う〈冒険者〉は、同レベルのモンスターよりも強い。おおよそ五レベル上だと換算できるだろう。二十四人(フルレイド)規模であったはずの地下帝国護衛騎士団は、〈冒険者〉換算では六十レベルの大規模戦闘(レイド)集団に匹敵する。

 シロエはほっとしていた。

 新たな敵は〈召喚の典災タリクタン〉よりも余程レベルが低い。

 レイドの規模も同程度。

 また今回は、レリアとリトカ姉妹のおかげで情報的にも先手が取れている。敵は西から海岸沿いに向かってきているらしい。

 もちろんだからといって絶対の防衛戦構築が可能なわけではないが、〈円卓会議〉に警告するだけの余裕は十分にあるだろう。シロエは即座にヘンリエッタとリーゼに短い念話で警告を発する。

 〈エルダー・テイル〉において、レベル差はかなり大きい。

 レベル差が五以上下のモンスターは戦闘で勝利しても経験値を得ることができない。つまりそれは、レベルが五以上はなれた格下相手には、特に工夫もせずに戦闘勝利が可能だという意味だ。

 同様に、レベルが上の相手との戦闘は命中率やダメージに大きなマイナスの補正がかかる。これはレベルが上の相手には余程の工夫をしないと不利な戦闘しかできないということであり、その差が五つにもなれば、余程高位のアイテムを助けを借りるでもない限り、ダメージを与えることもままならなくなる。

 〈冒険者〉の能力で表示されているレリアとリトカのレベルは六十五。

 その仲間が倒れても、二人が逃げ延びることが可能だったという事実、暫くの間戦闘をして良い勝負をできていたという事実は、敵のレベルが六十五からさほど離れていないことを示す。

(高く見積もっても七〇。それなら……)

 〈黒剣騎士団〉や〈D3〉、〈西風の旅団〉に頼るまでもない。

 レベルに任せた圧殺が可能な戦力差であり、アキバの〈冒険者〉であれば、広場で募集した程度のメンバーであっても対抗可能だろう。

 〈エルダー・テイル〉において、レベル差はそこまで大きな格差なのだ。その意味で、今回の敵は相当有利で、与し易い。〈奈落の参道〉に比べれば何十倍もマシだ。


「主君、主君」

「なに? アカツキ」

 人見知りな部分がなくなったわけでもないアカツキが、小さな声でシロエを呼んだ。

「これはあれか? うちで飼……住むのか?」

 とはいえ、その瞳が輝いているところを見ると、不愉快というわけではないようだ。どちらかと言えば歓迎している雰囲気なのだが、その歓迎の方向性を思ってシロエは言葉が詰まる。

「アカツキち。犬を拾ってきたわけではにゃいんですから」

「そうだよ。わんこなら自慢のがもういますっ」

「ミス五十鈴っ」

 班長のとりなしもどこを吹く風。今日の晩餐はどこまでも大騒ぎのようだ。〈記録の地平線〉はシロエを含めて九人。賓客である姉妹を含めても十一人。それだけのはずなのに、食卓の話題はピンボールのようにはねて、どこまでも混沌としていく。目の回るようなせわしなさだが、表情は全員明るい。

「えーっと、シロエ兄ちゃん。急だけど、うちに居させてあげても、いいかな?」

 トウヤは、そんなことを微笑みながらシロエに願った。

「あんな廃墟でいつまでも野宿させられないよ。それに、こう……言いづらいけど、この二人、お金渡してもすぐ使っちゃって宿暮らしもできないとおもう……」

 その後半を聞いて、シロエは鼻白んだ。

 言われてみればそのとおりなのだろうが、言った当人であるトウヤも「ひどいこと言ってるのはわかるけど、仕方ない」というあきらめ顔だ。背後で「食費爆発だよっ」「アイドルはボクだけでいいのにっ」「票が割れるよっ」とわめくてとらは別にして、シロエはしばらく考えこんだ。

 ことがこうなっている以上、少なくとも件の〈典災〉が現れ、少なくとも一旦撃退するまで、彼女たちはアキバで保護をすべきだろう。一通りの情報は聞いたと思うが、性格上なにか漏れがある可能性は十分にある。

 もちろんギルド会館や契約をした宿屋に滞在してもらうのもありなのだろうし、〈イズモ騎士団〉というネームバリュー的にそうするのが正しい判断なのかもしれないが、彼女たちの生活能力を聞く限りトラブルを呼ぶ可能性も否定出来ない。

 シロエは頷き「当分はうちに住んでもらおう。お布団も買ったしね」と告げる。

「ごちそう食べたいです!」

「こらっ。リトカっ!!」

 ふしゃおー。ふしゃお。と威嚇混じりにじゃれあう二人に困った表情のミノリ。シロエは笑って全員に宣言した。

「アキバでの遭遇があるなら、戦いも一週間以内にきっと起こる。まずはそれまで、一緒にいてもらおうよ。ね?」




◆2.05



 そんなわけで、〈記録の地平線〉には二人の居候が増えることになった。

 廃墟に暮らさせるよりはずっとマシだったし、その判断自体はギルドメンバー全員の同意するところである。

 なかには微妙な表情をするメンバーが居ないでもなかったが、それはどちらかと言うと急な話で頭がついていかないといった理由からだった。

 てとらは最後まで「ポンコツ姉妹がきたら破産するよう」と抵抗していて、それは涙ぐむまでの有様だったが、「美味しいご飯をみんなで食べるのは、とっても大事なことですにゃ」というにゃん太の言葉に説得されたようだった。最後には「巣は大事だもんね」と頷いていたので、大丈夫なのだろう。


「んじゃ、おやすみなさーい」

「むっふぅ。むにゃむにゃ」

「お世話になりますむにゃ」

 二人を当面の寝室に通した五十鈴は、廊下でルンデルハウスと合流して、ダイニングホールを目指した。レリアとリトカの姉妹は満腹になってあっという間に眠くなってしまったが、時刻はまだ二十時過ぎ。五十鈴たちにとっては眠るような時間ではないのである。

 ダイニングホールは、磨きぬいたフローリングで構成された大きな吹き抜けの一角だ。数十畳規模の開放感ある大きな空間には、一般家庭ではちょっと見ないサイズのウッドテーブルが置かれ、二十人くらいまでなら食事できそうである。リフォーム時はたしかにそういう目的で作られた空間なのだが、気候の良いアキバにおいて、〈記録の地平線〉のメンバーは街を見渡せる、オープンテラスでの食事を好んでいた。こちらのホールのテーブルは、雨天の食事や来客人数が多い時の対応用にくらいしか使われていない。

 その空間の片隅、屋内キャットウォークに繋がる階段の影は、年少組の縄張りだった。階段下の物置には、クッションやひざ掛けを入れておくことが出来たし、綺麗なフローリングの上は、集まって雑談するのに格好のスペースなのだ。五十鈴たちはもちろん個人の部屋を持っていたけれど、年少組五人で集まって話すとなると、どの部屋もちょっぴり手狭なのである。異性を部屋に入れるのは、気恥ずかしいという理由もないではない。

 完全な物陰というわけではないが、観葉植物で軽く視線を遮ったその一角には、大きなクッションとローテーブルさえ置かれている。週に二回程度だが、五十鈴たちはこの場所でシロエやにゃん太に勉強を診てもらうこともあったのだ。


「満腹!」

 五十鈴は声を上げながら、それでもぽふぽふとクッションを叩いて、そこに腰を下ろした。ルンデルハウスは気取った仕草で周囲を確認して「トウヤは直継さんと訓練か?」とつぶやく。

 トウヤは毎晩、攻撃特技の任意発動について、直継の指導を受けている。直継に言わせると、技の見せあいっこをしてるだけ、となるのだが互いに充実しているようだ。

「そうじゃないかな」

「ミス・ミノリは?」

「うーん。なんだろ。……あ。シロエさんのとこかな?」

「――そうか」

 五十鈴は、ぽてんと巨大なクッションに身を投げた。柔らかなコットンの感触に頬を埋めるようにして、ちらりと見上げれば、ルンデルハウスは片膝を立てて抱えるように床の上の分厚い魔導書に視線を下ろしている。

 最近勉強しているという〈フラッシュニードル〉の呪文の応用だろう。

 〈妖術師〉(ソーサラー)は攻撃魔法の使い手だ。様々な属性もつ魔力の塊で敵を攻撃する。そういった属性魔法の大部分は、火炎、冷気、電撃の三種類にわけられる。どれかひとつの属性の魔法を覚えたからと行って、他の属性の魔法が使えなくなるわけではないが、魔法使いは杖や指輪などの装備によって属性ダメージを上昇させていることが多い。装備できる強化アイテムの数は限られるので、自然と「得意な属性」というのは生まれてしまうようだ。

 ルンデルハウスは出会ったときから火炎属性の呪文を主力にしている。

 しかし、属性が偏りすぎると、モンスターの種類によっては満足にダメージを与えられないこともあるのだ。火炎の呪文は、たとえば〈火蜥蜴〉(サラマンダー)には効果が薄い。

 そこで属性の違う呪文や、属性そのものがない呪文を抑えとして学ぶ必要が出てくる。

 〈フラッシュニードル〉は無属性軽量呪文で、ルンデルハウスがギルドマスターのシロエに相談して、使いこなそうとしているのだ。

(なんてことは、練習付き合ってるわたしも覚えちゃったのだ。たはは)


 食後のけだるい充足感の命じるままに、五十鈴は身を捩ってのびをして、そのまま脱力をする。満足の吐息をつきながら、薄目を開けて床の高さから見上げれば、口をへの字にしたルンデルハウスの横顔だ。魔法発動の呪文を口の中だけで呟いている。

 この世界の灯りは、みんな優しい。

 蛍光灯やLEDの隅々まで照らし出せす漂白されたような光ではなく、ランプシェードをおぼろに透かすオレンジの灯火であったり、柔らかく脈動する〈マジック・ライト〉の灯りであったり――。種類は様々だけど、ともした人の思いを汲み取ってどこかぬくもりが感じられるような灯りが、セルデシアに満ちている。

 このダイニングホールも、階段脇に吊るした〈蛍火灯〉と、夕暮れにミノリが灯して回った〈バグス・ライト〉照らされて、ほんのり琥珀色に染まっている。

 ルンデルハウスもだ。

 金色の髪の輪郭が逆光の黄金色で縁取られ、なんだか教会に飾ってある聖人かなにかの絵のように見えてしまい、五十鈴は含み笑ってしまった。とても格好良くて、とても豊かだった。


 穏やかな時間が過ぎた。

 ルンデルハウスは左手で前髪を掻き上げようとして、それがへにょりと落ちてきてしまい、情けない表情を見せる。暖かくなったこともあってヘアワックスで左側の前髪をあげていたのだが、騒がしい夕食を過ごしたために、セットが緩んで落ちてきてしまったらしい。

「むむ」

「もう。ルディ、ほら。ここに来るの」

 五十鈴は膝立ちになると、そんなルンデルハウスの袖を引っ張って、強引に自分のクッションの前に座らせた。背中から抱きかかえるように髪の間に指を差し入れる。

 少し癖のある金色の髪が、五十鈴の指のあいだをすべる。

 冗談のように豪華な王子様ヘアなのに、肩をすくめる様に「むむむ」と唸るルンデルハウスが優しげな大型犬のように可愛らしくて、五十鈴はちいさく笑った。

「お風呂に入って流さないとね。でも、ふかふか」

「紳士の髪の表現として、ふかふかはどうなのだ」

「良いじゃない。褒めてるんだから」

「そうなのか? なんだか疑わしいな」

 ポーチからだした櫛で、前髪の左側半分ををかきあげるように流す。

 普段の無造作な髪型も良いと思うけれど、そうしてちょっと手を加えるだけで、ルンデルハウスは途端に貴公子然とするのだ。

(あれ。最初から貴公子だったっけ?)

 五十鈴はそんなふうに、心のなかで自分を茶化しつつ、丁寧に髪をなでつけて満足すると、ルンデルハウスの耳をつまんで、少し引っ張った。

 素材がいいので、なにをやってもいい感じになるのだ。

 ミノリもそうだ。

 ちいさくて、可愛らしくて。だからついつい、髪をいじったり服を押し付けたりして、かまってしまう。ひょろりと細いばかりで、いくら頑張っても今ひとつな自分とは雲泥の違い。地球世界の自分といまのこの身体を比べれば、こちらのほうが肌が丈夫で綺麗だったり、筋量の関係で姿勢がいいという差はあるのだが、胸が壊滅的なせいで胴長に見えるという弱点だけはしっかりと継承されてしまっている。

「何たる格差」

 今日の五十鈴はキャミソールにぺろんとした暗色のカットソーなのだ。似合う人が着ればとても似合うのだと思うけれど、五十鈴ではメリハリがなくて薄い体の線が透けて見えるだけという残念衣装になっている。

「なにかいったか? ミス五十鈴」

「なーんにも」

 ルンデルハウスの背中にくっついたままなんだか離れがたくて、五十鈴は自分でもちょっと理不尽だとは思いつつ「ルディはなんだかキラキラしててずるい」と言ってやった。

 そのままほっぺたをむにゅむにゅと引っ張ってやる

「なにを着せても似合うんだもん」

「僕はこれでも社交界のアライグにゅ」

 後頭部を抱え込んだせいで言葉が尻切れトンボになったルンデルハウスを見下ろしながら、左右に揺さぶる。

「いつも櫛をなくして、寝癖でぴょんぴょんになってるクセに。社交界とかそんなすごいところに行ったら、ルディ恥ずかしい失敗しちゃうかもよ?」

「失敬な」

 不本意そうな声を上げるルンデルハウスだが、それでもおとなしく座っていた。鼻先で柔らかい髪が揺れて、五十鈴は指先で追いかける。


「そんなのだから、ルディとかミノリとか、どうしても飾り立てたくなっちゃうのよねえ。自分で服着るよりも楽しいんだもん」

「キミはなんでそうやって僕の耳を引っ張るのだ」

 抵抗はしないが、声だけで遺憾の意を表明するルンデルハウスに、五十鈴は飼い主の威厳を持って断言する。「なんか、触ってると落ち着く」。それは混じりけのない純然たる感想なので、五十鈴としてもどうしようもないのである。

「まったく……」

「ルディはともかく、本日のミノリ隊員のコーデは自信作ですよ」

 今日のミノリの夕食の装いを思い出して、五十鈴は笑み崩れた。

 桜ピンクのアスコットタイは最近のヒットコーデだ。ミノリが最強に可愛くなったと思う。五十鈴が着たら、勘違い偽物になってしまうような装いも、栗色の髪をもつ意思の強そうな美少女のミノリは華やかに着こなすのだ。少し悔しい気持ちもあるが、着付け師匠としては満足しきりである。

「あれならいくら朴念仁のシロエさんだって、ときめきですよ。そうは思いませんか、ルディ隊員」

「――」

 しかし、五十鈴の問いかけにルンデルハウスは、何かを抱え込んだような雰囲気で、答えに詰まっているようだ。

「どしたの?」

「……ミス・五十鈴」

 やっと口を開いたものの、二人の間に再び沈黙が訪れた。

 快活で、口が軽いと言っても良いルンデルハウスにしては珍しい態度を、五十鈴は訝しく思う。こんなふうに言いよどむなんて、初めてではないだろうか?

「なぁに?」

 ルンデルハウスはどこか困ったような声で、確認するかのように何度か口を開いては、言葉を探しているようだった。

「ミス・ミノリのことだが――」

 なにか深刻なことでもあったのだろうかと耳を傾ける五十鈴に、ルンデルハウスは静かに述べる。 

「あまりけしかけるのはやめないか?」

 まばたきを何度か繰り返して、五十鈴はやっとルンデルハウスが言おうとしたことを理解した。

 ルンデルハウスは、シロエとミノリをくっつけようとしていることを危惧しているのだろう。ギルドの先輩に当たるアカツキもシロエを慕っている様子が有る。だからかもしれない。

 しかしミノリとアカツキの間が険悪なわけでもないし、そんなに大げさな話でもないのだ。

「友達の恋路を応援するのは、乙女の正義だよ? ミノリ隊員はもっと自信を持つべきだと思うわけですよ」

 数多の歌にあるように、恋は乙女のエネルギーなのだ。そもそも、ミノリが今まであんなに健気に頑張ってきたのは、絶対にシロエに対する恋があったからなのだ。どんどん可愛くなっていく友人のまぶしさを、五十鈴は誰よりも知っている。

「ミノリはわたしの、自慢の大事な友だち。恋せよ、乙女! だよ」

 ルディは深刻になりすぎです。

 五十鈴はそう人差し指を振った。

 ルンデルハウスの瞳の中には五十鈴にはちょっと理解しがたい複雑な色が宿っていたが、五十鈴はそれを男子の照れ隠しだと考えた。そして、頭の固いルンデルハウスに、いーっと顔をしかめて見せさえした。

 この夜、五十鈴はまだ幼かったのだ。

 それは五十鈴の友人にくらべて無知であったが故であったが、だからこそその応援は無垢だった。




◆2.06




 暖房も冷房も必要のないこの季節、〈記録の地平線〉のギルドハウスでは居室のドアが開かれている場合があって、この時の執務室もそれが該当した。

 大騒ぎだった食事の後片付けは一時間もかかって、それを手伝っていたミノリはお風呂をつかい、明日の準備をしてからここへ向かってきたのだ。

 ドアの隙間から覗き込めば、シロエがいつも通りの姿でペンを走らせていた。手元にあるのは薄いノートのようだ。ミノリは助かった気持ちで、ノックをした。手元の書付が便箋や一枚紙などだったら、手紙とか仕事の書類を書いていたのであろうから、遠慮しようと思っていたのだ。

 中世ファンタジー的なこのセルデシア世界ではあるが、少なくともヤマトにおける紙事情は、さほど悪くはない。シロエのような〈筆写師〉は、文字や図形の描写のみならず、そのために必要なアイテムを作り出す生産能力も持っている。具体的はペンやインクと、紙やノートだ。

 貴族社会など、権威を演出する必要がある場合は、羊皮紙などもよく使われているが、木製紙も決して珍しいと言うほどではない。シロエほどの高レベル〈筆写師〉ともなれば地球世界で使われていたような紙の殆どは作成できる。――とは言えそれには高レベルで希少な素材が必要になるために、普段使いするのは僅かにクリーム色でざらついた感じがするコピー用紙のような紙なのだが、それにしたって使い心地が悪いということなどない。ミノリが日常使っているのもこういうメモ用紙である。


 そんなことを考えながらミノリは、そっと部屋に滑り込み、シロエが顔を上げたタイミングでペコリと頭を下げた。

 普段であればもっと明るく声をかけることができるのだが、今はどことなく罪悪感があるせいか、自分の表情が曇っているのがわかる。

「どうしたの? ミノリ。遊びに来たの?」

「いえ、その。……騒ぎを持ち込んでしまったみたいで」

 ミノリは恐縮してそう言った。

 謝罪するのは、それはそれで違う気がする。僭越にすぎる、とでもいうのだろうか。でも、申し訳ないという気持ちがあるのは事実だ。

 シロエが忙しいのなんてわかりきっていたから、自分たちでなんとか出来ないかと一旦はアキバまで連れ帰ってみたのだけれど、結局はシロエたちの手を煩わせる結果となってしまった。

 あの姉妹(レリアとリトカ)を放置しておけばよかったなんて思っているわけではないけれど、もうちょっとできることがあったのではないかと思う。

 シロエはきょとんと目を丸くして、ミノリを見ると、少し困ったように微笑んだ。照れたような笑みはミノリにとっては見慣れた表情で、それを見るたびに安心するような、切ないような気分になってしまう。

 シロエの、一番シロエらしい表情だとミノリは思う。

 戦闘時の凛々しい表情も、計画を語るときの狩人のような表情も好きだけど、自分たちに見せるはにかんだ笑顔がミノリは一番好きだ。

 しょうがないなあ。と少し呆れられてるのかもしれない。

 シロエの前では背伸びをして、少しでも大人っぽい自分を見てもらいたい気持ちは、ある。でも同時に、まだまだだよ。こんなことはなんでもないよ、と子供扱いをされるのが、暖かくてくすぐったくて、心地よさに身を委ねたくもなるのだ。

「連れてきてくれてよかったよ。大事な情報も手にはいったし。先手は……取れないかもしれないけれど、情報があるのとないのとじゃ大違いだし」

「そうです……よね」

大規模戦闘(レイド)だから……。ああ、座ろうよ」

「はい」

 ミノリは素直に頷いて、書類棚の前の丸椅子をシロエの大きな執務机の前に持ってきて、腰を掛けた。五十鈴に選んでもらったブラウスには、桜色のタイが結ばれている。可愛らしいその色が、背中を押してくれた。

 この部屋には応接セットもあるけれど、そちらに座ってしまうと執務机のシロエとは距離が空いてしまう。もちろんその場合、シロエもソファーに移動して雑談に付き合ってくれるとは思うが、そこまでさせるのは気が咎めた。

 それにシロエは執務机の前に座っている姿が似合うのだ。

 ミノリは自分的な特等席で、そのシロエの授業を受ける位置へと椅子をずらす。


「ミノリも〈召喚の典災〉戦には参加したから少しわかると思うけれど、大規模戦闘(レイド)に勝つためには情報が不可欠だ。味方の戦力、装備や特技を含めた個性、補給の有無、戦場の地形、そして敵の能力や行動パターン――」

 ミノリはシブヤ〈呼び声の砦〉での激しい戦いを思い出す。

 あのとき、敵であったタリクタンは戦いの中で二回も姿を変えた。

 最初の姿であった大柄で褐色な老人は、杖術の物理攻撃に配下モンスターの召喚、そしてヘイトリスト上位貫通の電撃攻撃をもっていた。

 大ホールに落下して変身した第二の姿は異形の巨人。高速移動を繰り返し、その両拳でヘイト上位者を乱打し、戦線を崩壊させてきた。

 最後の姿は巨大な樹木にも似た恐ろしい姿。ステージに根を張り移動こそしなくなったものの、紫色のガスと、ヘイトリスト上位貫通の電撃を乱発。さらには自己回復さえ使いこなした。

 どの姿もそれぞれ特有の攻撃方法を持ち、難敵だと言い切れた。

 そもそも、大規模戦闘(レイド)の目標であるタリクタンと戦うために、ミノリたちはあの〈呼び声の砦〉を攻略しなければならなかったのだ。当時のミノリは、それをただ単純に「ボスの居場所にたどり着くためのダンジョン突破」だとしか考えていなかった。

 しかし、攻略の終了した今ならば、それが全くの誤りであったことがわかる。

 〈召喚の典災〉と戦うにおいて、最初にして最大の関門が、タリクタンとその配下を同時に相手取らないということだった。雲霞の如き無数のモンスターを引き受けながら、あの難敵と戦うのは不可能だ。シロエが我が身を囮にしておこなったあのカイティングは、〈召喚の典災〉を配下から引き離すため。ビルの高さを利用して一気に戦場を移動させたのは、タリクタン最大の武器である〈召喚された魔物〉の数を制限するため。


「そういった情報が多ければ多いほど勝利は近づく。多くの大規模戦闘(レイド)は自分たちのレベルと挑戦すべき課題のレベルが拮抗しているから、現実的には、情報が多ければ勝てるというよりも、十分な情報が手に入らなければ勝てない」

「はい」

 ペンをくるりと回したシロエはそんなことを言った。

 たしかにあの戦い(シブヤレイド)は激戦だった。ひとつ選択を誤れば全滅していた可能性は十分にある。しかし、その激戦でさえ、シロエの策により〈召喚の典災〉の長所を完全封印したその上に成り立っていたのだ。相手の土俵で戦っていたのなら、勝率など欠片もなかっただろう。

 空を埋め尽くす無数の魔物。

 〈召喚の典災〉

 その僅かな情報から、シロエは戦う前に、目標の戦闘能力の大半を封じたのだ。

 情報の重要性は万金に勝る。

 ミノリは深く頷いた。

「――だから今回の判断、ミノリは間違ってないよ。それに、〈イズモのポンコツ姉妹(シスターズ)かあ」

「彼女たちは、何かあるんですか? シロエさん」

「あー、うん。彼女たちについて考えていたわけじゃなくて……。ミノリたちも、レベル五〇を超えたでしょう?」

「はい」

 それはもう随分以前の話で、ミノリたちのレベルはもはや六〇付近だ。

 だがこの話は授業の一環だと判断して、ミノリはポーチからメモ帳を取り出して、シロエの話を書き留め始めた。

「〈エルダー・テイル〉は、昔ね、一番最初の頃、上限レベルが五〇だったんだ。最初期の大規模戦闘(レイド)はみんなレベル五〇でやったんだよ」

「そうなんですか?」

 聞き返した。

 〈大災害〉前のプレイ経験も含めて、ミノリとトウヤは〈エルダー・テイル〉に触れた期間が短い。とても長い歴史を持ち由緒あるMMOだと聞いてはいたが、ミノリたちが触れたときにはすでに上限レベルは九〇だったのだ。昔のことを言われても想像しにくかった。

「うん。だからいまでもそのレベル帯から大規模戦闘(レイド)は始まる。五〇未満の大規模戦闘(レイド)コンテンツは数えるほどだけれど、五〇以降は十刻みで多くの挑戦が用意されている。それらは〈エルダー・テイル〉の拡張パックが発売されるたびに追加されていったものなんだ」

「はい」

 昔はこの世界も狭くて、ひとも少なく、アイテムやモンスターの種類だって限られていたのだろうか? そう考えるとなんだか不思議な気がした。自分の居ないところでもこの世界には歴史がありどんどんと開拓されていったのだ。


「だから、ミノリたちももう大規模戦闘(レイド)デビューするレベルなんだよね。もちろん〈常我の眠り〉に耐性があったということもあったけれど、だから前回の作戦でも参加してもらった。レベル五〇はクラス奥義の特技もくるしね」

「〈インフィニティ・フォース〉や〈神降ろしの儀〉ですねっ」

「使っている?」

「はい。慣れてきました」

 〈インフィニティ・フォース〉は〈付与術師〉(エンチャンター)の〈神降ろしの儀〉は〈神祇官〉(かんなぎ)の奥義特技だ。

 通常、クラスの特技というものは低レベルで習得し、一定レベルごとに再習得する。例えば〈神祇官〉(かんなぎ)を代表するダメージ遮断呪文〈禊の障壁〉はレベル七で習得し、一七、二七、三七とより上位のものを習得するのだ。これは、低レベルで習得した〈禊の障壁〉がレベルアップに従って、どんどん力不足になっていくためだ。基本的な特技はほとんど全てがそうで、低レベルで習得し、使い方の変わらない同じ系統のものを順次バージョンアップしていく。

 レベル五〇で習得する奥義は、それらの基本的な特技とは異なる。

 低レベルで習得する系列の呪文が存在しないのだ。レベル五〇になって初めて、そして唐突に習得する強力な特技なのだ。

 〈神降ろしの儀〉は〈神祇官〉(かんなぎ)の、つまりミノリの覚える奥義呪文だ。効果時間中は、使用した特技の熟練度が一段階上昇したかのようにあつかわれる。すべての特技が、強力になる。ただその強力になる方向性は特技によって詳細が異なるために、使い方が難しい。

 ミノリももっと練習したいのだが、強力な特技というのは、その強力さにふさわしく大きなヘイトを稼いでしまう。〈再使用規制時間〉(リキャストタイム)も長いため、一回の戦闘で複数回使うことも難しい。使いこなすための練習すら難航しているのが実際だ。

 そもそもこの種の上位特技は大規模戦闘(レイド)を想定しているので、トウヤたちと出かけるパーティー遠征では、オーバーパワーを持て余すという側面も大きい。


「本当はミノリたちも大規模戦闘(レイド)に連れて行ってあげたい。〈エルダー・テイル〉だったら手頃でちょうどいいアイテムが手に入るコンテンツがいくつもあって、ちょうど楽しくなってくる時期だし……」

「〈大災害〉ですからしかたないですよ」

 慰めるミノリに、シロエは肩を落として、おどけてみせた。

 また優しい目で笑っている、とミノリは温かい気持ちになる。

「まあ、それに、なんだか気絶しそうなほど忙しくなってるしね」

「ふふふふ」

 シロエはミノリの先生だ。

 多分、それは変わらない。

 でもそれだけでは済まない締め付けるような気持ちも、醜くて暗い嫉妬も、自分の中には潜んでいるということを、ミノリは知っている。

 不器用なシロエがもっとみんなに受け入れられればいいと思う。私の先生はこんなにすごいんだぞ、とアキバの街で叫びたい衝動がある。

 だというのに、シロエを独占したいという気持ちも、誰にも触ってほしくないという気持ちも、やはりあるのだ。

 アカツキの視線に気がついて、諦めたふりをしても、心の中でシロエへの思慕が息絶えてくれない。だから五十鈴にまで見透かされている。自分のことなのに、ミノリにはちっとも自由にならない。自分の子供さに呆れ果てて愛想が尽きるほどだ。

 シロエのそばにずっといたい。

 その気持ちはシンプルなはずなのに、言葉には出来ない。


「ごめんね。ミノリたちほったらかしでさ。少し落ち着いたら、夏休みがてら大規模戦闘(レイド)に連れて行くから」

「本当ですか!?」

「うー。うん。たぶん。……なんとか。だから、ミノリもみんなも準備しておかないとね」

「そっ。そのっ!」

 そんな自分を踏み越えるために。

「なに?」

「シロエ先生と、偵察に――」

 ミノリは少しだけ勇気を振り絞った。

「準備の大規模戦闘(レイド)の買い出しを、消耗品とか教えてくれませんか?」

 何が変わるのか、変わらないのか、それはわからない。

 でも一緒にいたいという気持ちは、否定しがたくあるのだ。

 それを確かめないといけない。

 五十鈴に言われたからではなく、アカツキに嫉妬したからではなく、おそらく、心が少し育ったから。ミノリはそう思う。

 トウヤが気づかせてくれた「ミノリがすべきこと」を廻って、いろんなことを学んで、見て、はしゃいで、シロエのそばに戻ってきて。

 自分は、自分を確かめるだけの力がついたと思うから。言葉にしてしまえばひどく単純なその気持ちを、自分自身にさえはっきりと言わずにごまかしてきたけれど、きっとそれを確認するための強さを手に入れたと思うから。

 サフィールへの旅を裏切らないために、ミノリはだから踏み込んだ。

「ミノリは熱心だなぁ。うん、わかった。こっちも差し入れ、用意しておくから。予定、あわせよっか」

「はいっ!!」

 両手をぎゅっと握って、これだって立派な、ミノリだけの決戦戦闘(レイドバトル)なのだから。



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