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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
ログ・ホライズンEp12 円卓崩壊
113/134

113

◆ Chapter4.04 



「無理無理無理」

 手でばってんを作ったカラシンが心底かんべんしてくれという表情で真っ先に声を上げた。

「あの魚類の下について東西の物流取り仕切りるとか全然無理。生理的に受け付けないとかいう話じゃなくて、こっちが頑張ればあっちの水運利権ぶっ飛ばすことにしかならないし、あっちの水運活かすならアキバ放置で関西開発しろって話だし」

 カラシンの背後でおつきのタロとアカツキが、口をへの字にしたまま同じポーズで手をばってんに交差させている。

「んじゃおめえどうすんだよ。円卓復活の旗頭やんのか?」

 アイザックの問いかけにカラシンは急に顔を背けると「そこは、ほら。ねえ? 〈第八商店街〉(うち)も大規模流通になっちゃったから、迂闊な動きは死につながるっていうか。安易に全部突っ込むと転がった先で困るっていうかねえ」

「なんだよ煮え切らねえな。チキンかよ」

「そんなこというなら、アイザック殿がやってくれればいいじゃないですか? 旗頭」

 口をとがらせて一転攻勢に出たカラシンに、小指で耳の穴をほじっていたアイザックはしれっと答える。

「肩入れすんのは(やぶさ)かじゃねえが、〈黒剣騎士団〉はイセ(コー)の後見するって決まってる。旗頭になってもアキバ第一にはできねえぞ」

 アイザックの背後では呆れ返った顔のレザリックと、いつの間にかその隣に移動していたアカツキが、同じポーズでやはり腕をばってんに交差させている。

「二股だ! 二股男がいますよみなさん。女の敵ですよ!?」

「ちいせぇことをうるっせえな」

 深刻に始まった会談は、こうして一瞬でなしくずしにぐだぐだの状況になっていた。 


 そこはアキバ中心部、ギルド会館地下の会議室だった。上層部にある〈円卓会議〉の間ではないが、実務者同志の下話に用いられる静かな空間だ。落ち着いた調度がそっけなくはない程度に配置されたその部屋に、元〈円卓会議〉の大勢が集まっている。

 彼らが囲む中心は〈記録の地平線〉のギルドマスター、シロエと憂いに満ちた美貌の少女、レイネシアの座るソファーであった。六人がけのソファーには、シロエの側には隣にソウジロウ、そして反対には直継。それに向かい合うようにレイネシアと彼女を挟むようにヘンリエッタとリーゼ。

 そのソファーを注目するように、会議テーブルや暖炉の前、壁際などと思い思いの場所にアキバの中心的な人物が集まっている。ミカカゲ、ナズナにくりのん、カーユ、レザリック、櫛八玉、にゃん太。ギルドマスターだけでもマリエール、茜屋、ミチタカ、アイザック、カラシンが見つめているのだ。

 斎宮トウリとの電撃的な会見が成立した翌日、シロエの声がけで主だったギルドの主要人物がギルド会館のこの部屋に集められていた。シロエが告げたのは、〈円卓会議〉体制の実質的な崩壊と、善後策の検討。

 誰もが認めにくいことだったが、〈円卓会議〉体制はすでに破綻している。

 それがなぜここに至るまで露呈せずに済んだかといえば、参加ギルドの自主性を活かす〈円卓会議〉の特殊な運営形態の影響が大きかった。〈円卓会議〉がいかに高名であろうと、その実態は地域の自治組織にすぎない。街路の整備や空き店舗の斡旋のやりくりなどといった末端業務は、それを引き受けているスタッフ(つまり参加ギルドの該当メンバー)が働いている限り、日常的な処理が進んでいくのだ。

 これらの業務はすでに作業手順が確立している上、見た目でもその重要性がわかるために、実を言えば〈円卓会議〉上層部が放置していても、現場で勝手に進んでいく。その自主性は本来良いものなのだが、それゆえに〈円卓会議〉体制の崩壊の自覚を阻んでいたといえる。

 現場的は優秀でありがたくもあったが、ある一面とても悪い結果となって現れてしまったのは、アキバの不幸だっただろう。


 〈円卓会議〉体制の崩壊というのは、最高意思決定機関であるはずの〈円卓の十一人〉ラウンド・デクリメントの歩調の乱れとすれ違いである。そもそも、政治家でも企業経営者でもないアキバの住民たちは「指導者」というものを置かず、末端のやる気と工夫で突き進んできたのだ。今回の一件は、そのツケだというのが正しかったかもしれない。


 公平に判断をするならば、シロエたち〈円卓の十一人〉ラウンド・デクリメントも現場に劣らず優秀で、うまくやったし、やり過ぎたのだ。本来であればこんなボランティアで互助的な組織、数ヶ月で崩壊しても当たり前、むしろそのほうが可能性は高かったのだ。にも関わらず、互いが互いに気遣い合い、一年以上もの間うまく行ってしまった。そのせいで、もっとちゃんとした正規の組織の立ち上げをしないで済むと錯覚してしまったのだ。

 それは、災害あとの生活復興に利用した仮設住宅にそこそこ居住性があったために、正規の新居を用意もせずに仮説の広場を新しい街と錯覚して住み着いてしまったような、そういう種類の間違いだった。


 耳を傾けるレイネシアにそういう事情はわからなかったが、今回の一件がレイネシア自身の婚約拒否というだけではなく、アキバの統治に関わるお家騒動的な事件なのだということは理解できた。

 レイネシアに理解できないのは、通常、お家騒動というものは、継承する候補がふたり以上いて、その勢力同士が主導権を闘う――つまりはどちらが勝者か決めるというものであるはずなのに、この部屋にいるメンバーは誰しもがそれを譲りあっているように思えることだ。

「えーっと」

 所在無げに小さく(ひきつりながら)笑みを浮かべてみれば、対面に座る黒髪眼鏡の青年が、状況を取りまとめるように説明をしてくれた。

「今回の件がなくても〈円卓会議〉体制の存続に無理があったことは確実です。意思決定のシステムを整備した形での再構築は不可避でした。またそれとは別に〈アキバ統治府〉の問題があります。〈アキバ統治府〉の理念にはうなずける部分もありますが、その理念に乗るのならば〈大地人〉の東西激突の最前線に借り出される。僕達の主導権は失われるでしょう」

「戦争になるん?」

「なるかどうかについて意見をいう力は、弱くなるでしょうね」

 マリエールのつぶやきに、眼前のシロエは丁寧に応える。

 レイネシアも生真面目な表情を作ってうなずいた。

「幸いにして、アインスさんとの取り決めはできました」

 更に解説は続くようだ。

「今度の日曜日、〈銀葉の大樹〉の広場において投票を行います。一人一票。〈アキバ統治府〉と僕達。そのどちらかに投票してもらい、勝ったほうがこのアキバを治める。恨みっこ無しの一回勝負です」

「よくそんなもん、あの糸目が納得したな?」

「いや、あっちだってそれは飲むだろう。勝って俺たちを全員追い出すつもりなら全面戦争だが、アインスたちが望んでいるのはそうじゃない。豊かで平和なアキバを望むのならば、あんまり俺たちを怒らせて、出て行かれても困るだろ」

 そういうことなのかと、レイネシアはミチタカの言葉で腑に落ちた。

 これはまさにお家騒動なのだ。

 どちらが勝つにせよ、大きなしこりを残してしまっては、結果として家全体の活力が下がってしまう。

 ミチタカの〈海洋機構〉は巨大な生産氏族だ。農業や牧畜という意味での生産はさほど手広くはないが、鍛冶師と土木と建築のギルドを束ねあわせたような一門で、アキバで取引される農機具などの鉄製品の過半数を彼らが作り出している。

 そんな巨大な一門を、主導権争いとはいえ無配慮に叩き潰してしまっては、お家騒動そのものに勝てたとしても、アキバのその後の生き残りが難しくなってしまう。シロエとアインスが、敵対を避けつつもギリギリのせめぎあいをしていたのは、そういう背景があったのだとレイネシアは気がついた。

 とするのならば、今この部屋で話し合われているのは、旧円卓会議派とでもいうべき一党の党首を決める会議ということになるだろう。

 アインスと斎宮の率いるアキバ公爵勢力に対抗するためには、こちらも小さな氏族を糾合して勢力を作らなければならない。その理屈はよく分かる。

 もっといってしまえば、なぜこんなことで紛糾しているかも、分からないではない。

「あの、もしかしてなんですが」

「どうしました?」

「こうして問答になっているのは、クラスティ様がいないからでは?」

「その通りです」

 よくできました、とでも言わんばかりの表情で隣のリーゼがうなずいてくれたので、レイネシアは非常に晴れやかな気分になった。やはりそうだったのだ。クラスティがいないという不満の気分を、自分以外の人々も共有してくれたので、レイネシアとしてはかなり救われつつ、嬉しい気分だった。

 あの無責任な妖怪は、レイネシア以外のところでつくづく外面がいいために、レイネシアがいくら不満を述べたところで話半分に流されてしまうことが多いのだ。こうして大勢で心覗きの不始末を弾劾できるのは、レイネシアの精神衛生上とてもプラスなのだ。

「ええ、わかります。クラスティ様がしっかりいてさえくれればこんな事にはならなかったのではないかと思っていたのです」

「私もそう思います。ミロードが大陸でふざけているから、こちらはその尻拭いでてんてこ舞いです」

 リーゼも真剣な顔で頷いてくれる。

 背後の方では櫛八玉が「うーんそれはどうかなー。どこにいても面倒ばっかり起こすと思うけどなー」と反駁しているが、手を握り合ったレイネシアとリーゼは都合よくスルーして頷き合うのだった。


 一方その周囲では冒頭のように、「その新しい〈円卓会議〉後継の組織はどのように運営されるべきか?」「どのような理念と施策を推進していくべきか?」「誰が代表者として引っ張っていくべきか?」「そもそも〈アキバ統治府〉に勝てるのか?」といった難しい話が行われているのだが、その段階の問題となってしまうとレイネシアには参加することが難しい。理解そのものはかろうじてできるのだが、なぜそれが重要なのかがわからないので、当然、どう解決すれば良いのかについては、ちんぷんかんぷんだ。

「〈円卓会議〉のままではダメですか?」

「ダメでしょうね。そもそもそれが壊れた結果今のような状況になったわけですから、その名前をまるごと引き継いでも〈アキバ統治府〉には勝てませんわ。というか、現状勝ち目がまるで無いのでこんなに困っているんですけれどね」

 仕方ないので小さな声で相談をすると、今度は反対側に座るヘンリエッタがそう解説をしてくれた。

「勝ち目、ありませんか?」

「ええ、いまのところ。このアキバに住まう〈冒険者〉の数は一万前後。それに比べて〈大地人〉は最低でも三万に届きます。投票をするのならば、アキバ公爵の名前で支援を約束し、さらには斎宮の支援が公な〈アキバ統治府〉に勝てる術はないでしょう」

 それはたしかにそうだろうとレイネシアは頷いた。

「いえ、でも、そこはシロエさまが」

 その上でなんとか明るい声を絞りだす。

「へ?」

「先輩がどうか、したんですか?」

 ヘンリエッタに相談したはずの言葉は、その会話に出てきたシロエ本人と、その隣のポニーテールの〈武士〉に拾われた。

「えーっとそれはですね」

 レイネシアは(不本意ながら)得意とする冬薔薇の微笑でもって「シロエさまのお知恵に〈縋(すが)らせていただければ、このように難しい局面であっても光明を見いだせるかと」と告げる。

 もちろん言い終えたあと心細気に視線を伏せるのも忘れなかった。


 部屋の中には静寂が訪れた。

 レイネシアとしてはその静寂の意味がわからなくて非常に焦っているのだが、このような状況で取り乱すわけにもいかず、顔そのものは伏せたまま、視線だけで素早く周囲を伺う。

 なんだか微妙な表情をしているミチタカ、楽しそうに微笑んでいるソウジロウ、ニヤニヤと笑っているカラシン、変な生き物でも見たかのように呆れ気味なアイザック――。確認したくはなかったが、ちらりとだけ見た正面のシロエは口元だけは笑いの形だった。

「ヘンリエッタさん?」

 シロエの穏やかな問いかけに、レイネシアの隣の女史は「はい、なんでしょう、シロエ様?」

 と微笑みながらも、座っている位置を僅かに逃がして後退したようだった。「アカツキから聞きました」

「な、なんでしょう?」

「『具体的な方策はシロエに任せれば問題ない』とレイネシア姫にアドバイスしたそうですね?」

 そのとおりだ。

 アキバでやった仕事を無にはしたくない。

 〈冒険者〉と〈大地人〉の間でお手伝いを続けたい。

 そんなふうに願いを振り絞ったレイネシアに、ヘンリエッタたちは助言してくれたのだ。その後押しを受けて、レイネシアは斎宮という貴族社会最高位の権威の前に立つことができた。彼女たちがいなければ、とてもではないがあんな勇気を持つことはできなかっただろう。

「いえいえそんなことはありません! 違いますわ」

 腰を浮かせたヘンリエッタは拳を握りしめて熱弁を振るう。

(へ?)

 ちゃんと助言をしてくれたのに、と言葉をはさもうと思ったレイネシアの脇で、ヘンリエッタは頬を染めたまま器用に身をくねらせた。


「そんな曖昧なことは申しません! ちゃんと『まっくろクロエ様に任せれば石橋よりも安心堅固な鋼鉄の城壁。並み居る殿方は完全粉砕ですわぁ!!』と太鼓判を押させていただきましたっ」

「そうだぞ! 『主君に任せればサファギンの亜種など海鮮丼についてくる緑のピラピラ程度の妨げにしかならない!』とちゃんと口添えもしたのだ!」

 ヘンリエッタの断言に飛び込んできた親友アカツキも拳を握りしめて同調する。

(ええ、そのとおりですとも!)

 レイネシアは頼もしい助力者と揃ってうなずいた。

 そんな女性陣に、シロエはなんだか微妙に崩れた表情でこめかみを押さえていた。



◆ Chapter4.05 



「いや、無理でしょ」

 長い空白のあと、口を四角に開いたシロエが無表情に手を振った。

「無理ですか」

 困ったレイネシアはそのシロエの言葉を、オウムのように繰り返す。

「全然無理でしょ。勝てないでしょ」

「え? それでは……」

 なんだかんだいって、レイネシアは安心していたのだ。

 ヘンリエッタとアカツキという信頼すべき友人が「太鼓判を超えた祝砲判ですわぁ」などと保証していたせいである。それは今回のアドバイスがそうだったというだけのことではなく、今までの付き合いの中で折りに触れ聞かされてきたシロエの評判が「どのような逆境でも必ず勝利をもたらす名参謀」というものであったからだ。

 どんなに状況が厳しくても、シロエに頼み込めば、あっさりどうにかなるだろう。レイネシアは、意識しないうちに、そう楽観していたらしい。

 そのシロエが、目の前の拝むような手のひらを左右に動かしている。

 助けを求めるように周囲を見回せば、誰もが微妙な表情をしているようだ。

「そのう……」

 なにかを言おうとしたわけではないが、それでも何も言わないということに耐えかねて、言葉を発しようとした時、唐突にカラシンが声を上げた。


「うわあ。もうだめだあ。〈円卓会議〉はおしまいだあ」

「え、え……?」

「だって考えてもください。〈大地人〉が三倍ですよ!? 三倍といえば二倍より多い。これは勝てないですヨ!」

「はい?」

 両手で顔を覆って嘆くカラシンに掛ける言葉がなく、レイネシアは慰めるように手を上げ、それも難しくて再び下ろした。

「あー。うほん。……確かに事態は深刻だ」

 腕を組んだミチタカが熊のように何度も頷く。

 その声にレイネシアの不安は膨れ上がった。

 確かにレイネシアが安心していたのは、ヘンリエッタとアカツキのアドバイスからのそれにすぎない。油断が過ぎていたのではないだろうか。

 言葉を失ったレイネシアに、暖炉前のアイザックから声が掛かる。

「そもそも、これはマイハマ公爵家の問題でもあるんだぜ。姫さんそのへんわかってるのか?」

「え……?」

 のんびりとしつつもどこか鋭いその声に、レイネシアはぎくりと背筋をこわばらせた。思いもよらない角度からの言葉だったからだ。

「おい、カラシン。説明」

 顎で指示をするアイザックに、カラシンは肩をすくめると、講義をする教師のような口調でゆっくりと話し始めた。

「コーウェン公爵家の後継者は三人。第一公女リセルテア、第二公女レイネシア、そして末子で男子の公子イセルス。慣習で言えば、イセルス公子が家を継ぐのが当たり前ですよね。しかし、イセルス公子はまだ幼くて状況は流動的だ。コーウェン公爵はお披露目でイセルスを推しましたが、これから何があるかはわからない。第一公女リセルテアは自分が後継者争いから辞退したことを明確にするために臣下に嫁入りして継承権を放棄しました。――でもまだ第二公女レイネシアがいる。彼女が婿をとって公爵家を継ぐという可能性があるので、イセルス公子で完全に確定したとはいえない」

 それは〈冒険者〉の口から語られるマイハマ家のお家事情であった。

 父フェーネルの子供三人の行く末は、カラシンが語った通り。

 貴族の娘としていずれ何処かに嫁ぐと覚悟し、どのような運命も受け入れると考えていたレイネシアは、家の命令に従いアキバの大使とでもいうべき役を務め、現在に至る。

「わたしはコーウェン公爵家を継ぐつもりなんてありません」

 レイネシアはそうはっきりと口にしたつもりだが、その声はずいぶん小さく響いた。誰かに迷惑をかけたいなんて思ってはいない。自分は自分の分をわきまえて慎ましく暮らしたい。そう思っているのは本当なのに、実際そう過ごせていない自覚は有る。


「でも、それを確実にするためにはレイネシア姫を除かなければならないわけですよね。イセルス公子に周囲の支持や手柄があれば別ですが、現実にはレイネシア姫のほうに人気があり、アキバでも大使の任務を上手にこなしてしまった。もうこうなると嫁に出すくらいしか無いわけですけれど、〈自由都市同盟イースタル〉のどこへ嫁に出しても、レイネシア姫のいまの功績から言えば大きすぎて、嫁に出した先が力を持ちすぎる」

 うつむくレイネシアにカラシンの言葉は続いた。

 気づいていなかったわけではないが、そういうふうに告げられるのは身にしみる。レイネシアが公爵家にたいして野心を持っていると疑われているとか、血族同士のいがみ合いが想定されているというよりも、レイネシアの努力が、そしてそれ以上にアキバに命をかけた多くの民草の、職人や開拓民や流民たちのなけなしの勇気が、存在しては迷惑だったものとして語られるのが辛い。

「だから今回のように、それならいっそ斎宮家に出そうなんて話も湧いてくるわけで」

「そうですね……」

 呟く言葉にも力がない。


「だっていうのに、シロエ殿に丸投げは、あまりにも無慈悲では……」

 カラシンの言葉に、レイネシアは胸を打たれた。

 言われてみればそのとおりだ。

 今回の一件は、〈冒険者〉同士の仲間割れというはなしではなく、アキバの未来を賭けた一件であり、レイネシアはその片方の重要な当事者なのである。

 シロエの「参謀なんてそんなものです、お気遣いなく」という自嘲するような言葉にレイネシアは今日何度目になるかわからない頭を下げる。

「す、すみません。シロエ様っ」

 シロエは静かに何度か首をふると、「それはいいんです。でも」と言葉を続けた。

「〈円卓会議〉が限界を迎えた原因のひとつは、やはり、それが〈冒険者〉の組織だったからなんです。この街の住民の過半数は〈大地人〉だったのに、彼らの『自分たちを守ってくれる領主がいない』という不安に気づくことができなかった」

 レイネシアはその指摘に唇を噛んだ

 たしかにその問題は〈円卓会議〉の欠陥だったかもしれない。

 しかし〈大地人〉の視点から言えば、その『自分たちを守ってくれる領主』の候補はレイネシアだったのだ。レイネシアが彼らの意思を軽んじ、守りきれなかったからこそ、アキバ公爵などという存在しない者が担ぎだされた。

 〈円卓会議〉の問題かもしれないが、明らかにレイネシアの問題でも有る。それを今まで放置していたという意味では、現在のこの状況は、レイネシアの無能の結果でもあるのだ。


「まあ、なんだ。今回票握ってるのは〈大地人〉だろ。ってことは、もしこっちが負けるなら、それはアインスの人気に姫さんがまけるってこったろ?」

「姫さんが今までやってきたことが、負けるってこった」

「はい。おっしゃるとおりです」

 レイネシアはアイザックの出した結論を受け止めた。

 言われてみればもっともなことばかり。子女だからと言って気楽に構えていたレイネシアだが、自分のやってきたことを大事にしたいと決意したいま、その怠惰がどれほど問題だったのかよく分かる。

「レイネシア姫にも、ご理解いただけましたか? 勝つためにはレイネシア姫も本気になっていただかねばならないということを」

 レイネシアは力強く頷いた。

 やっとわかった。

 この戦いは〈円卓会議〉や〈冒険者〉のものではないのだ。

 このアキバという豊かで幸せな街において、レイネシアたち〈大地人〉がどのように暮らすのか? 〈冒険者〉の付属品として、ただただ農作物や鉱物を供給する従者として暮らすのか、それとも彼らの友として新しい繁栄の助けとなるのか――それを選ぶための戦いなのだ。

 それはつまり、レイネシアがいままで〈水楓の館〉でやってきたことそのものではないか!

 もしこの戦いに負けるのならば、それは今までレイネシアがずっとやってきた〈大地人〉に少しでもアドバイスをして〈冒険者〉と結びつけるあの仕事が無駄だということだ。

 最初からマイハマ公爵家の権威を振り回し、イースタル各地から特産品を買い付けて〈冒険者〉に売りつけるのが正しかったと認めるようなものではないか。

 先ほどヘンリエッタに尋ねた時、その言葉「今回の投票ではまず勝ち目がない」という答えに、レイネシアはなるほどと納得して頷いてしまったが、そこからして今では顔から火が出るような思いだった。

 泣きながらすがりついた自分の仕事の価値を、自らあっさりと投げ捨ててしまうところだったのだ。

 その愚かさ、浅はかさを痛切に感じたレイネシアは、こんどこそ深々と頭を下げた。

「申し訳ありませんでした。シロエさま。自ら誠実さを示すことなく、そのお知恵にすがろうなどとは、コーウェン公爵家の血を引くものとしてあってはならない態度でした」

 レイネシアは毅然とした態度で謝罪する。

「もとよりわたしはコーウェン公爵家の後継者として十分な教育を受けたとは申せません。最初から継承などとは考えてもいませんでした。……でもやっぱり、斎宮様のもとへ嫁ごうとは思えません。貴族としては間違いなのでしょうが、〈水楓の館〉のお仕事が楽しかったですし、それにその……斎宮さまは、本当はわたしになんか興味はないのだとも思います。この度の争いはわたしの我儘から出たことでもあります。ですから、私にできることがあれば、なんなりとお申し付けください。そのうえで、この街に〈大地人〉が根付く知恵があるのなら、お教えくださいませ」

「ああー。そうですね」

 なんだか気まずそうに視線をそらすシロエだったが、励ますようなカラシンの「ここは、シロエ殿」という誘いに頭を掻きながらレイネシアに教示してくれるようだった。


〈守護戦乙女〉ガーディアン・ヴァルキュリーとしてですね」

 ごほんごほんと拳を口元に当てて席をしたシロエは、真面目な表情を取り戻しレイネシアに相対する。レイネシアも背筋を伸ばして問い返した。

「〈守護戦乙女〉、ですか?」

「ええ、ほら、〈守護騎士〉っていうのがいるんでしょう? 〈大地人〉には。女性を後見する騎士の役目というか」

「ええ。嫁入り前の女性の面倒を見る役割ですね」

 レイネシアは頷いた。この都市にやってきた空の旅。そしてこのアキバにレイネシアが留まる理由だ。

「クラスティさんが投げ出した」

「はい! 放り出して逃げるなど前代未聞です」

 東国随一の参謀と賞賛されるシロエは、流石にレイネシアの脳裏に浮かべた考えなどお見通しのようだった。無責任な妖怪心覗きがレイネシアの〈守護騎士〉であり、それは理不尽な思い出だ。

 流石にクラスティの蛮行は〈冒険者〉にとっても思うところがあるらしく(というのもリーゼや三佐にはさんざん謝罪されていたのだが)シロエも気まずげに、クラスティを責めるような発言をした。レイネシアはそれに勇気づけられた形だ。

「ご存知のように〈冒険者〉には身分も性別差もそちらに比べて対してありませんからね。姫は、クラスティさんの代理をお願いできませんか?」

「それは……。私には経験も武力もありません」

 ためらうレイネシアにシロエは静かに首を振る。

「そのへんは、クラスティさんをとっ捕まえてやらせればいいと思いますよ? ほら、加護者であるクラスティさんの面倒を逆に姫様が見てやるって言えば、あの人、すごい顔で嫌がりそうですし」

 口の端を吊り上げるその表情には凄みがあり、〈冒険者〉に慣れたレイネシアとはいえ、その圧倒的な気迫には背筋に氷柱を差し込まれたような気分になる。

「クラスティさまの、面倒を?」

「ええ。こう、上から目線で」

「……なんだか、わくわくしますね?」

 しかし、提案そのものは魅惑的だ。

 シロエに対する怯えは若干残っているレイネシアは、上目遣いでおずおずと訪ねたのだが、その返答は「ええ」というものだった。

(怖い。でもなんだか、頼れます! そうでしたか……。アカツキさんが信頼する英雄の貫禄とは、こういうことなのですね……)

 根に持っているようなシロエの薄い笑みに、レイネシアはこくこくと頷いた。その意味は「とてもいい考えだと思います!」と「私には敵対しないでください」の等分ミックスだ。


「互いに守り合うというのは、新しいアキバを生み出す上で、重要な考え方だと思うんですよ。ダメ人間なクラスティさんを助けてあげるというか」

 我が意を得たりとばかりに説明を続けるシロエの背景で、リーゼが呟く「ミロード……」という言葉。ミチタカの「諦めろ、いないのが悪い」という返答。レイネシアとしてもそこは何度も強調したい。いないのが悪い。まさにそのとおりだ。どんな英雄であっても、その場にいなければ何の戦果も上げられないのだ。その認識は、レイネシアに圧倒的な優越感をもたらした。

 クラスティはアキバにいない。

 レイネシアはアキバにいる。

 それは、アキバを守れるのはレイネシアで、クラスティはなにをされても文句が言えないということであった。

(こちらを見透かして怖がらせる妖怪眼鏡なんて怖くありません! ここでひとつ貸しを作って、立場の違いというものを自覚させてあげなければなりません!)

「実務に関しては、クラスティさんがもどれば、それ以前は周辺がお助けすると思いますので」

「はい」

 決意を新たにしたレイネシアは、すっかりと乗り気になってシロエの言葉を受け入れる。

「|〈新生〈円卓会議〉議長ガーディアン・ヴァルキュリー、お願いできますか?」

「はい! レイネシア=エルアルテ=コーウェン。謹んでそのお役目、受けさせていただきます!」

 今現在、勝ち目が薄いというはなしも、勝つためにはなにをしなければいけないのかという話もすっかり頭の片隅に追いやられ、レイネシアは晴れやかな気分で引き受けた。新しい〈円卓会議〉があるのであれば、そこは〈冒険者〉と〈大地人〉がともに作り上げるものであってほしい。

 レイネシアにあるのは、その気高い願いだけであった。



◆ Chapter4.06 



 とはいえ――。

 レイネシアのその高揚感は一晩も経てばすっかり空気が抜けてしまっていたのだった。それは怠惰の虫が顔を出したというよりは、弱気の虫が襲いかかってきたと言ったほうが正確だろう。

 新生〈円卓会議〉を結成して今までレイネシアがやってきた仕事を守るのだ! と気炎を上げたのだが、〈水楓の館〉に帰ったレイネシアを迎えたエリッサの「ようございました。姫様もこれで独立ですね! 新しい家を興される。素晴らしいことかと存じますよ」という言葉に、すっかりと出鼻をくじかれてしまったのである。

 エリッサの言い分は、間違ってはいない。

 コーウェンの家の定めた婚姻を蹴飛ばして、お仕着せの仕事も否定して、自分の好きな様に生きるとなればそれはまさに独立だ。弟イセルスの継承順位を確定させるためにと降って湧いた結婚話を断り、なおかつコーウェン家に波風を立てたくないとなれば、これは独立して距離を置くほかない。

 貴族の常識から言えば、それは無くはない事態である。次男や三男が本家から独立して分家を起こしたり、功績を立てた騎士が新しい家を起こしたりすることは、珍しくはあるがなくはない。

 しかし家を割るというのは、通常、その家の勢力を削ぐことにもなるために歓迎はされないし、揉め事の原因であるか、あるいは揉め事の結果であることが多い。レイネシアの希望も、広い意味で言えばこの「揉め事の結果」だ。

 カラシンの説明では、コーウェン家は家中の派閥争いを避けるために、レイネシアを斎宮家に嫁がせるという手をとったとされていた。それは真実だろう。が、理由の全てであるというわけではない。婚姻外交の幾割かは、レイネシアを通じて〈神聖皇国ウェストランデ〉との間の関係を改善したり、情報や商業のやりとりを構築したいという思惑だということは、レイネシアにだってわかる。

 コーウェン家のそういった外交方針を否定したレイネシアは喜ばれる存在ではないだろう。――言葉を飾らずにはっきり言ってしまうのならば、家長の決定に泥を塗った反逆者である。切り捨てられるとまではいかないが、修道神殿に幽閉される可能性すらあるのだ。

(というか、想像していたら、どんどん怖くなってきました……)

 青ざめたレイネシアは膝の上で拳をぎゅっと握った。


 無論、レイネシアとて唯々諾々と家の命令に従うつもりはない。

 従えるのなら、受け入れられるのなら、そもそもこんな反抗じみた決断をすることなどなかったのだ。流れに任せていれば輿入れが決まったはずである。しかし、自分で選ぶために、仕事も人生も自分で手にするために、そしてクラスティにぎゃふんと言わせるためにそれらを覚悟して、あえて公爵家の命令に逆らうと決めたのである。

 だから、レイネシアの背筋を震わせるのは武者震いであるはずだ。

 こぼれ落ちるような白い花がいけられた花器に飾られた豪華な応接室で、レイネシアは祖父セルジアッド公爵と、母サラリアに向かい合う形でソファーに腰を下ろしていた。居心地が悪すぎて、内心では冷や汗をダラダラこぼしながらも、表情だけは必死で取り繕って視線を合わせ続ける。

 一応付き添いでエリッサとなぜかカラシン。それに護衛の〈冒険者〉がついてきてくれていたが、着席しているのは三名のみだ。


「許しません」

 レイネシアの報告はにべもなくサラリヤに切って捨てられた。

 まだ説明をはじめて五分も経っていないのにだ。

「お母様……」

「ダメです」

 母の隣では祖父が気難しげに、あえて言えば困ったような表情で腕を組んでいる。あるいは、と予想していたほどの怒りを見せていないことは救いだが、何を考えているのかレイネシアにはわからなかった。


 いくら気後れしているとはいえ、実家への報告と相談は必要だった。

 むしろそれこそが一番初めに行わなければならない、高い高いハードルなのだと、昨晩の高揚が冷めたレイネシアはエリッサに言われて気がついたのである。両親と当主が決めた婚約を拒否するのならば、何より彼らへの説得をしなければならない。

 そんなわけでエリッサは早朝から護衛の〈鷲獅子〉(グリフォン)に乗り、実家である〈灰姫城〉へと里帰りしていたのである。


「どこが問題なのでしょうか?」

 レイネシアは弱気になりそうな己を抑えて、それでもどうしてもおずおずとしてしまう声を振り絞る。

「いくつもあります。まず最初に能力の問題。レイネシアはアキバでの仕事を続けたいといいましたが、その仕事が本当にこなせているのですか? 次に信用の問題です。あえて下賤な言い方で言えば身のたてです。〈水楓の館〉の侍女はマイハマ城からの派遣ですよね。彼女たちの給金、館の維持費、それらをこれからどう払うのですか?」

 母サラリヤは激することこそ無いものの、いつもどおりの鋭利な舌鋒でレイネシアの説明を打ち砕きにかかってくる。

「極めつけはやはり配偶者の問題です」

 説明は終わり、とでも言うようにティーカップを持ち上げるスラリとした姿にレイネシアはすっかり気圧される。

 実の母とはいえ、サラリヤはレイネシアから見ても才女という他無い人物だった。聡明で理路整然とした口調は、レイネシアの劣等感を刺激した。勝てるわけがないという、幼い頃からの実感が否応なく蘇る。


「差し出口をお許しいただけるのならば、最初の問題については〈第八商店街〉が保証させていただきましょう。そもそもセルジアッド公にレイネシア姫を希望したのも、その働きと才知がアキバにとって不可欠だと考えたからこそ。相談役として姫がアキバにもたらしたものは、けして小さくはありません。その働きには十二分に価値があります」

 思いもかけず援軍を出してくれたのはカラシンだった。

 昨晩の狼狽ぶりはどこへ言ったのやら、今日は朝から何くれとなく世話を焼いてくれている。移動の手配もこなしてくれたし、エリッサと何やら相談もしていた。不安になるレイネシアにも「怒られているなんて思わないほうがいいですよ。かまってくれてるんだ、って。そんなふうに思ってたほうが上司との仲はうまくいきます」とアドバイスしてくれた。

 上司ではなく母親なのだが、とおずおずと否定すると「同じようなもんですよ。僕らの故郷には『立っている者は親でも使え』ということわざがありましてね」と返された。

 アカツキから聞いて知っているが〈冒険者〉はタタミという床に座って暮らしているそうだ。考え合わせると、立っているだけで無理難題を押し付けられるので、姿勢を低くして過ごすということだろう。〈冒険者〉の秘密を垣間見た気がした。


「資金面に関しましては」

 エリッサが護衛に縁を金属で補強した木箱を運ばせた。

「マイハマから支給された〈水楓の館〉の支給金に関しましては、手を付けておらずこのように返却させていただきます」

(へ!? 聞いてない。聞いてないですよ、エリッサ!)

 丁寧な一礼を見たレイネシアは驚きのあまりそっちに振り返って訪ねそうになるが、そこを気力で押さえ込んで微笑んだ。額がじっとり湿っている気がするのは、冷や汗だ。サラリヤは涼しい顔で話の続きを促しており、常々「冷や汗など気力を込めれば引っ込みます」と言っていたのが思い出された。

(それは特異体質で普通の人間には出来ないんです。お母様)

 レイネシアはそれでも表情を取り繕い「エリッサに説明をお願いしてあったんですよ」というスタンスを取り続けた。そうしないと、あとでサラリヤからのきつい叱責がまっているからだ。


「ご存知のように姫さまはアキバの街でイースタル各地の商人や商会、貴族の皆さまからの要望を取りまとめ相談に乗っていらっしゃいました。仲介料、相談料、手数料などといった収入がございまして、これが思いの外大きくなっております。独立の資金面に関しましては、問題がないかと存じ上げます」

「どれほどの収入になるの?」

 無表情でありながらちらりと瞳を輝かせたサラリヤに、エリッサはいっそうやうやしいといえるほどの仕草で再び頭を下げる。

「お答え申し上げかねます。コーウェン公爵家から姫さまに与えられた仕事は、『〈冒険者〉の方に対する謝罪の誠意を見せること、そしてアキバの情報を持ち帰ること』でした。どちらも公務として滞りなくおこなっておりますし、仲介や相談に関しては姫さまの努力かと。お手伝いさせて頂いた立場から申しましても、家中の財務を詳らかにするなど侍女としてあるまじきかと考えます」

「言うようになったじゃない」

 レイネシアの市中買い食いなどは禁止されていたし、バイト代のうちからお小遣いを少しだけもらっていたので、〈水楓の館〉はとても貧乏なのだと無意識に思っていたが、どうやら違ったらしい。それ以前に独立とはいえ、お金のことなどほとんど考えていなかったレイネシアは自分を恥じた。

 しかしそういう物思いが出来るほど甘くない、それどころか冷気が吹き出るような言葉の応酬だ。

 ちょっとした違和感をじっくり考えてみれば、エリッサの言う「家中」とはまさに家の中のことで、コーウェン家のことであるならば、母サラリアに説明しないということはありえない。

(喧嘩売ってしまってませんか!?)

 レイネシアは必死に表情を取り繕うが、今度こそ冷や汗が流れでる。

 口を開かないのはひとえに、開いてしまえば「ふわわわわ」などという意味不明な悲鳴がでてしまいそうだからであって、〈巷(ちまた)で言われるように聡明で落ち着いた姫君だからということは、断じて無い。


「可愛らしい主筋のためですからね」

「……館の侍女は?」

 そんなことを考えている間にも話の方は進んでいたようだ。

 アカツキと話し合うようになってわかったが、世の中にはあたまの回るヒトというのが存在して、そういう人達に比べれば、レイネシアは察しの悪い方であるらしい。

 母から習得した「貴族的な態度」というのはある意味万能で、知識が足りなくても、会話の内容がわからなくても、周囲の方は勝手に納得してくれ、難しいことが避けてくれるという優れものである。しかし、本当に怖い「レイネシアを最初から標的にした難しい話」には歯が立たない。

 自分の願いを叶える役には立たないのだ。

 もっと勉強しておけばよかった、という後悔と、どうしてこうなってしまったんだろうという愚痴をねじ伏せて、レイネシアは耳を傾ける。

「そちらも取りまとめております。臨時での出張以外の侍女十二名は、引き続き〈水楓の館〉勤務を希望しております。俸給据え置きであるのならば、コーウェン公爵家から引き抜かれる覚悟があるとのこと。私も姫さまにお供する覚悟でございます」

 ――それも知らなかった。

 館の侍女たちは、今朝、マイハマの都に向かうというレイネシアたちを全員で一列になって見送ってくれた。それは〈緑小鬼〉の討伐に向かう父と騎士団を見送る城の侍従や侍女と、同じ光景だ。

 なにを大げさな、と思っていた。

 しかし違う。あれは、自分たちの未来を頼んだ仲間に対する、小さいけれどせめてもの、彼女たちなり精一杯の心遣いなのだ。

 彼女たちだって家族がマイハマにいるだろうに、レイネシアに賭けてくれたのだ。

 独立。そして家を興す。その意味をレイネシアが真剣に受け取ったのは、いまこの瞬間だった。

「……準備してきたのね」

「サラリアさまのお言葉をいただきましたから」

 レイネシアにはまだまだわからないことがいっぱいで、なにをすればいいかも、誰がなにをしているかもわからないけれど、だからせめて自分を応援してくれた人の恩は忘れないようにしなくては、と思った。


「レイネシア?」

「ふぁいっ!?」

 でもどうしても要領が悪いというか、気がついた大事なことを噛み締めている間にまたもや話の風向きは変わっていたようだ。母の声に反応してみれば、祖父セルジアッドもこちらの表情を伺っている。

「あなたの旦那様はどうするの?」

(いませんからっ)

 レイネシアは恥も外聞もなく、首をブルブルと振った。

「コーウェン家のことは、良いでしょう。貴族のことはとても大事ですが、いまは一旦横に置きます。しかし、母としての私は横には置けません。あなたの結婚はどうするの? まさか修道神殿にでも入るつもり? それは母として賛成できません。結婚してレイネシアの子供を抱きたいと言うのが私の望みです」

 サラリアの言い分にレイネシアは追い詰められて必死に頭を働かせる。

「その、コーウェン家はイセルスが……」

「貴族のはなしではなく、母としてと言ったでしょう?」

 言葉に詰まったレイネシアは頭も真っ白になってしまう。

 言われてみればそうなのだが、もしかしてサラリヤは逃げ道を塞ぐためにあんな言い回しをしたのだろうか? 先程までとは一転して、冷たい無表情ではなく心配で少し困ったような表情さえ、疑いの視線で見れば何か企んでいるように見えてしまう。

 とにかく何か返事をしなくては。レイネシアはヘンリエッタから学んだ戦略「友軍を当てにする」を思い出してエリッサに話を振るように、横を向き声を発しようとした。

「僭越ながら姫さま。それはエリッサを始め〈水楓の館〉の侍女一同も同じ気持ちにございます」

(エリッサまで!)

 しかしその機先を制されてしまう。一縷の望みをかけてカラシンの側を見てみれば「子供用品かぁ……いいねえ、そういう平和的な商売、ナイスだね!」という呟きを受けてしまった。

 

「あなたの守護騎士卿はアキバを離れているとか? いましばらくのことならよくても、長引けばあなたは後見人に見捨てられた哀れな行かず後家と後ろ指を指されることになるのよ? これは貴族としてのプライドとは別の話。家族としてそんなあなたを見たくはありません」

「はい……」

 盛大なため息をつくサラリヤのまえで、レイネシアは身を小さくする。

 穴があったら入りたい、というが、レイネシアとしては布団があったら潜り込みたい。

「あなたはぼんやりしているから、旦那様を捕まえられるか心配なのです。お父様は孫可愛さにあなたを手元に置こうとして、あなたもそんな歳になってしまいました」

「サラリア!」

 避難するような言葉に、セルジアッドが声を上げるが、母サラリヤはそれに軽く片手を降ったのみで話を続ける。

「父様。言わせていただきます。私がレイネシアの年には、両手の数では足りないほどのプロポーズを受けていましたし、旦那様育成計画のノートは五冊目でしたよ。家族を心配させるものではありません」

 ぐぬぬ、と言葉を途切らせる祖父すらも援軍の宛には出来ないのだと悟ったレイネシアは、半ば捨鉢な気分で反論を決意した。仲間が当てにできないのであれば、櫛八玉から教わった戦訓「わたし自らが出る!」だ。


「そのぅ……わたしはこれから〈守護戦乙女〉ガーディアンヴァルキリーとして、後見されることなく……むしろ私がその守る側といいますか……アキバのみんなにためになるような……その」

 とはいえ、レイネシア自身が母を説得できるとも思えない。

 そこでシロエの話した内容をそのまま(というには要領が悪かったが)伝えることにした。なにしろ、レイネシア自身はそのシロエの説得に感銘を受けて仕事を引き受けたのだ。アキバの〈冒険者〉が頼りにする参謀シロエの言葉であれば、堅物である母サラリヤも耳を傾けてくれるに違いない。

「つまりアキバを治めるお仕事を……?」

「はい、そのお手伝いを」

「クラスティ様と一緒に?」

「代理で」

 レイネシアの新しい職場の人間関係を心配してくれるのはわかるのだが、そこまで子供扱いしてもらわなくてもいいのだ。レイネシアとしては誠実に相談役を務めてきたし、最近ではバイトまでして友人関係や縁故関係というものに理解を深めているのである。

 その思惑はあたり、サラリヤの瞳に興味深そうな光が灯り、しばし思案の表情を経たあと、値踏みするような一瞬の視線を消して、困ったような迷ったような表情で小首をかしげた。

「……」

「あの……お母様……?」

 長い長い沈黙の後、圧力に耐えかねたレイネシアが伺うと、サラリヤは許すような柔らかい表情で溜息をつくと、柔らかい声でレイネシアを認めてくれた。

「よろしいでしょう。クラスティ様と一緒になられるのならば、母もあなたの案に協力すること、やぶさかではありません」

「よろしいのですか!?」

「ええ。身の入る狩りのほうが自覚も育つでしょう。……ただし、一年以内にクラスティさまを挨拶に連れてきなさい。それが条件ですよ?」

 レイネシアは満面の笑顔で頷いた。

 たとえどんな困難がこの先待ち受けていたとしても、母サラリヤのこの心臓に悪い面談以上の修羅場など有るはずがない。そう考えればこの先の未来も明るいと信じられるのだった。

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