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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
ログ・ホライズンEp12 円卓崩壊
107/134

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◆ Chapter2.01 




 ギルド会館で円卓の十一人ラウンドテーブル・デクリメントが集まっていたそのころ、レイネシアは思いもかけないショックをうけていた。

「え?」

「だから、〈D.D.D〉は解散する事務作業が忙しくて――」

 それでも貴族教育で受けた条件反射にも等しい自制心で表情を取り繕い、レイネシアはもう一度だけ、武装された塔のように見える〈D.D.D〉本部の門番に尋ねた。

「やはりリーゼさんはいらっしゃらないんですか?」

「〈円卓会議〉だからいないんだよ」

 表情がこわばるのが自分でもわかった。

 黒い制服に身を包んだ門番は、同情した表情で「リーゼさんも三佐さんも会議(それ)に出てるんだ。ごめんね」と続ける。

 レイネシアは丁寧に頭を下げて辞去した。

 〈冒険者〉の動きは唐突で風のように早い。〈大地人〉であれば、領地の行く末を決めるような会議は、一か月以上前から書簡の往復、文官の駐留、そして宴席が行われ、やっと数日にわたる話し合いがスタートするが、〈冒険者〉の場合は違う。いつの間にか予定が組まれ、身ひとつで疾風のように移動して少人数で儀式抜きの会議を行う。

 それは彼らの〈念話〉能力が大きく寄与しているわけだが、〈大地人〉には異様に見えるのも確かであった。

 そしてその〈念話〉能力がないからこそ、今のレイネシアのように尋ねてみて不在に行き当たることも起こり得る。レイネシアの背後には二人のおつきの侍女が控えてついてくるが、物思いに沈むレイネシアに話しかけることはない。マイハマの街ではありえないが、このアキバの街においてレイネシアはかなり自由な行動をしているし、許されている。

 建前は別にしても、それはここが〈冒険者〉の街であり、外部からの襲撃に関しては〈冒険者〉が身近にいれば戦闘能力において問題はないし、逆にその〈冒険者〉が悪意を持っていたとすればレイネシアの護衛がどのように頑張ったとしても、かなうはずもないという、考えようによってはずいぶん後ろ向きな理由が原因だった。

 とぼとぼと歩き、視線を上げたレイネシアは少し考え、大通りをさらに進んだ。

 地球世界では中央通りと呼ばれていた通りは、この一年で随分と様変わりをしていた。カタガワサンシャセンと〈冒険者〉が評したほどの大通りは、鉄の馬車の残骸を片付けた後はほとんど長大な広場と呼べるほどの幅を兼ね備えている。その幅を利用して、中央部には古代樹を生かした水場や植え込みが作られ、あちこちには四阿(あずまや)や屋台が出店した憩いの空間となっているのだ。それは、レイネシア達〈大地人〉が考える意味での「庭園」ではなかったが、確かにそれなりの美意識や背景を持ちデザインされたのどかな光景だった。

 別に何か考えがあるというわけではないが、リーゼにあって何か話そうと思って開けた時間であり、素直に館に帰る気になれないという、いわば気まぐれで散歩を続けただけだった。


「レイネシア」

「アカツキさま?」

 手招きされるままに近づけば、それは庭を望む板張りに大きな布の軒を差し出す茶房のようだった。アカツキは普段の黒い装束ではなく、大きな襟のかわいらしいワンピースを着ている。植込みの緑が配されたウッドデッキにはいくつものテーブルと、座り心地のよさそうな椅子が置かれ、アカツキはそのひとつに陣取り、とろりとしたお茶を飲んでいるようだった。

「レイネシアもお茶に来たのか?」

「そういうわけではないんですけど。……その、ちょっと外の空気を吸いたくて」

「おでこが怖くなってるぞ」

「まあ」

 柵越しに受け答えをするとアカツキは隣の椅子を少しずらして、麻色のクッションをもふもふと叩いた。

「こっちに座っていかないか? この店は素晴らしいのだ」

「そうなのですか?」

 含み笑いをするような表情の友人を見ると、先ほどまでの憂悶が少し薄れるようだ。小さくて可愛らしい黒髪の少女は、レイネシアにとってほとんど最初の友人である。お互い不器用で、周囲に迷惑をかけてばかりいて、エリッサに叱られることもたびたびだ。

「女子力が上がる」

「むむぅ。女子力ですか」

 不本意そうな表情をしながら(もちろんそんなことはない。ふりだけなのだが)レイネシアは、そのカフェへと入っていった。女性の店員に案内されて席に座ると、植込みの小さな花が目に入る。種類はわからないが、白く、ささやかなその花は、〈大地人〉のセンスでは庭に植えこまれることはないような種類だった。生垣のように茂る濃い緑に、白い星が散っているようで、可愛らしかった。

 後ろで見守ってくれていたメイドが別の席へ着くのを確認して、レイネシアも注文を済ませた。「チョコっぽいラテ」だ。アキバの飲食物にはこのような「っぽい」であるとか「みたいな?」が多い。レイネシアたちにはよくわからない、〈冒険者〉特有の奥ゆかしさなのだと思う。

 もう少しで夕暮れが始まりそうな遅い午後、街を渡る風はさわやかだった。

 昨日までの雨の気配も去り、梢を鳴らすさやさやという音色が涼しげだ。


「美味しい……」

「うむ」

 両手の間でカップを挟むように視線を落とすと、満たされた液体はマーブル状の表面になっている。ゆっくりと回転するその模様が美しくて、レイネシアはしばしの間見とれた。

「少しだけほっとしました」

 ぽつりとつぶやいてみれば、ここ数日ずっと緊張していたような気がする。だから「なにかあったのか? マイハマから来た黒い馬車の人に叱られたのか?」というアカツキの言葉に、びっくりしてしまった。

 常々〈冒険者〉は特別だとは思っていた。これがクラスティであれば妖怪だと納得もできたが、友人であるアカツキにまでそんな読心能力があるとは思いたくないレイネシアだ。

「なんでご存じなのですか?」

「見ていたのだ。主君とお出かけをしたら、コーウェン家の紋章を付けた馬車がレイネシアの家に向かっていったから。使者の方だったら、茶色の箱馬車だろう? 黒塗りの立派な馬車だったから、何かお報せなのかと思って。さっきまで怖い顔してたから」

 いわれて納得した。

 〈冒険者〉はとても身軽な人々なので、どこへ行くのも徒歩であったり、そうでなければ騎乗生物で出かける。馬車を使うというのはめったにない。〈大地人〉が馬車に望むような輸送能力の話でいえば、〈冒険者〉は〈魔法の鞄〉で済ませてしまう。そんなわけで、アキバの街において貴族の馬車はずいぶん目立っていたのだろう。

 アカツキがそれを見たのは偶然のようだが、もしかしたらもうすでに噂になっているのかもしれないと、レイネシアは考えた。

 それにしても――。

「怖いですか?」

眉間(おでこ)がんーってなって。主君と同じだ」

「そう……ですか……。そんなつもりはないのですが」

 レイネシアは額のあたりに触ってみた。友人の言う「主君」という言葉の優しい響きには責めるような色が一切ない。だから、この指摘もレイネシアを心配してくれてのものだということが分かる。レイネシアは素直に受け取る。

(心配させてしまうほど表情に出てたのでしょうね)

 反省すべきなのだろうが、それはどこか安心できるような感傷もつれてきていた。取り繕っても分かってくれる人がいるというのは、温かいものなのだとレイネシアはこの半年の間で学んでいる。

「じつは、お母さまがいらしまして。その、婚約を……。婚約ってわかりますか?」

「馬鹿にしないでほしい。〈冒険者〉にだって婚約くらいあるのだ。結婚の約束だろう?」

「ええ。約束というか、もう実際には結婚のようなものなのですが。……それが決まったようなのです。もしかしたらアキバ(ここ)を離れなければならないかもしれません」

 だから素直に胸の内を吐露した。

 きっと自分がしゃべっていることは、どこか的外れなのだろうとレイネシアは思っている。たぶん「素直にしゃべる」ということは、とても難しいことなのだ。多くの人たちはみな、それを生まれた時から学んでいる。自分やアカツキはこの件において新人で、まだ勉強が不足しているのだ。

 でも、だからこそ、なるべく思いが壊れないように、丁寧に言葉を探さなければいけない。

「……む」

「あの、そんなに悲しんでいただかなくても。その、普通のことですので」

「私が困ってるわけじゃなくて、レイネシアが困った顔をしているのだ」

 困ったような顔、といわれて、本当はどうなんだろう? とレイネシアは疑問を感じた。

 不幸せなわけではない。

 苦しんでいるわけでも悲しんでいるわけでもない。

 では困っているのだろうか?

 それはレイネシアには分らない。

 胸を焦がすような、ちりちりとした、焦るようないたたまれないような、何かをしなければならないのにそれがわからなくて惨めなような、そんな気持ちは、ある。名前は付けられないが、何かを失ってしまうような、寂寞の気持ちはある。

 それは母サラリヤの言葉に反発できなかった瞬間からずっと抱えていた。

 エリッサに励まされたのに、何をすればいいかわからない自分へのいらだちは強くなった。

 レイネシアにとって、母はいろいろな意味で意識せざるを得ない相手だった。乳母とエリッサに育てられたレイネシアにとって、母は無条件に甘えられる相手ではない。むしろ、貴族社会における教師としての意味合いが強い関係だったと思っている。淑女としての教養や話し方、作法、立ち居振る舞い。それらはすべて、母サラリヤの監督のもとレイネシアに授けられた。もちろん母がすべてを教授してくれたわけではなく、家庭教師のチームを監督していたという意味ではあったけれど。

 そういった家庭教師たちの瞳には、いつも母が写っていたように思う。

 レイネシアは〈イースタルの冬薔薇〉と呼ばれているが、それは母サラリヤの〈イースタルの真珠〉という二つ名に影響を受けたようなものだ。人々にとってレイネシアは、その麗しい美貌と才知で慕われた母サラリヤの再来であるらしい。それを彼女は幼いころから学んだ。

 人々が望むハードルは母サラリヤの高さであって、幸か不幸かレイネシアはそれに食らいつくことができたのだ。少なくとも公式行事の礼儀作法や、評判においてはだが。

 ――母に叱られた記憶はない。

 でも、いつでも母を前にすると叱責を受けたような気持になってしまう。

 それはレイネシアの中にある劣等感のせいだった。アキバに来てからすっかり疎遠になったと思っていたその気持ちが、やはりぬぐいがたく己のうちにあるのだと、先日の来訪はレイネシアに思い知らせてくれたのだ。


「わたしたち毎回困ってる気がしますね……」

「レイネシアは、クラスティ(こわいめがね)と付き合うんだと思ってた」

「クラスティさまですか? そんな。まさか」

 静かに沈んでいたレイネシアは、だからそんな友人の言葉にハッと顔を上げた。とんでもない。そんなだいそれた。怖いです。だってあの妖怪ですよ? と否定の言葉が脳裏を駆け巡り、頬が染まるのも自覚できないほどだ。

「だって気にしてたみたいだから」

「それは、守護騎士さまですから……」

 レイネシアは言い訳するように視線をそらして続ける。

「つまり、その――守護騎士というのは貴族(わたしたち)の風習では後見役なのです。守ってくれる役割、のような意味です。本当でいえば、私は、こんな風に街をふらふらと出歩けるような立場ではないのです。私がアキバの町で、こうしてメイドを連れただけで自由に出歩けるのも、クラスティさまが後見役として立ってくださり、このアキバの街がクラスティ様の領地だからなのです。私はクラスティさまの庇護下にあるとみなされているのです」

「アキバは〈D.D.D〉の領地じゃないぞ」

 不思議そうに小首をかしげるアカツキに、レイネシアは説明を続けた。

「ええ、もちろん存じ上げています。わたしも。お祖父さまだって。この場合、〈自由都市同盟イースタル〉の領主の方に言い訳として立てばそれで十分だったわけです。つまり建前ですね」

「そうか」

 ええ、そうなんです。とレイネシアは説明をやり切った自分に少しだけほっとして胸を張る。

「でもその守護騎士? と恋仲になっていけないわけではないんだろう?」

 しかし追及は終わっていなかったようだ。

 こういう話の流れになると思い出されるのは、フエヴェルとアプレッタの二人であった。あの二人も恋愛談議になると決して手を緩めない。他人の恋愛話ロマンスを聞いても仕方がないと思うのだが、だがしかし、だとすれば追撃を断ち切るためにはレイネシアも彼女たちに倣い反撃に出るべきなのかもしれない。

「……むむむ。アカツキさんが手を緩めてくれません。アカツキさんだって、シロエ(こわいめがね)さまとお付き合いしていらっしゃるくせに」

 効果はてきめんだった。

 反撃を予測していなかったのだろう。赤くなってうつむくアカツキは小さくなり、囁くような声で言い訳じみた「別に主君は怖くない。優しいし〈鷲獅子〉(グリフォン)に乗せてくれる」などという反論をする。その様子は思わず抱きしめたくなるほどで、レイネシアでさえ、他人をからかうのは楽しい部分があると認めざるを得ないほどだった。

 ゆであがったアカツキが気持ちを静めるためにカップを抱えるのを、レイネシアはにこやかに見つめた。

 たぶん、恋の話というのは、本来こういうものなのだろう。

 友人と囲む甘いお茶に、サクサクとしたお茶菓子。

 涼やかな午後と、賑やかな噂話。

 いま初めて知ったが、それは確かに心弾むようなそれでいて秘密めいた経験だった。

 ――惜しむらくは、レイネシアの立場において、それは友人の持ち物をからかう程度しか許されていないということだろうか。どこかがちくりと痛んだが、レイネシアは微笑んだまま受け流そうとした。


「ずるい。レイネシアはそういう話をしてくれたことがない」

「――それは、これでもコーウェン家の娘ですから、結婚は家が決めるものです。そう教えられてきましたし、今でもそう思っています。だいたい、後見人で守護者という割に、あの妖怪メガネは今この場所にいないんですから。本当だったら、お父様やおじいさまに文句を言って止めてくれるのだって、守護騎士の役割なんですよ? 私に不利益がありそうなら抗議していただかないと」

「そうなのか?」

「そういうものなのです。考えたらなんだか理不尽な気がしてきました」

 レイネシアはおどけたように、憤慨の表情を作ってクラスティの責任を追及した。そしてクラスティが消えてから半年近くの間、そんな非難をエリッサやメイドたちに繰り返してきたことにいまさらながらに気が付いた。何度も繰り返したからだろう、クラスティに対する非難と責任転嫁の言葉は、泉からあふれるように出てきて滑らかに言葉になった。

 そうしていると不思議なことに心の中の憂悶もすっと軽くなるのだ。

 きっとクラスティは、レイネシアにこうやって責められるために守護騎士になったのだ。レイネシアはそんなことをほとんど信じていた。

「中国にいるって主君が言ってた。たぶん救出作戦が行われると思う」

「救出作戦が必要な方ではないと思います。きっと今頃すました顔でご馳走を食べてたり、木陰のハンモックで一眠りしているに違いありません」

 クラスティほどふてぶてしくて、始末に負えなくて、わがままで、唐突で、強くて、性悪な男性をレイネシアは他に知らない。殺しても死なないとはまさにクラスティのことで、クラスティが誰かにひどい目にあわされているということはレイネシアには全く想像できなかった。

 たとえ〈冒険者〉の友人から、遠い大陸で難儀をしていると聞いてもそんな風にはさっぱり思えないのだ。

 きっとクラスティはクラスティ以外の誰かのせいで困るなんてことはないのだろう。自分とは全く逆で、自由なクラスティをうらやましいとレイネシアは思う。

 だからそんなクラスティへの反撃の意味で、(レイネシアの思う限り)最高に不機嫌な表情を作って、嫌みな言葉を選びあげた。

「そうでなければ。……そうでなければ、きっと全部投げ捨てて戦いの中で消え果るような、何もかもどうでもいいみたいな、全部まとめて捨て去るような、あの妖怪メガネは、そんな顔でもしてらっしゃるのでしょう」

 レイネシアは胸を張ってそう宣言した。

 だがその声色は、誇り高いマイハマ領コーウェン家の息女としては、すこしばかり弱気に響いたかもしれない。思い切るための言葉は、レイネシアが思っていたよりも寂しげに響いてしまったのだ。

「――それをひっぱたけないのは、少し残念です」

 しばらく時間がたって付け加えたその言葉を、レイネシアの友人は何も言わずにそっと受け止めてくれたのだった。




◆ Chapter2.02 




 廃墟ビルのリフォームが進んできた〈大災害〉後のアキバだったが、ここにきて住居ベースの改造はぺースが鈍化を始めている。それは、約二万数千のアキバ住民にたいしての住宅供給がひととおりを手当てを終えたためだ。

 〈冒険者〉の少なくない割合が〈大災害〉直後の混乱と不安を覚えていて、既存のギルドホールでの集団生活を選んだことは、必要な部屋数をかなり削減することに寄与している。街の廃ビルに個人部屋をわざわざ作った〈冒険者〉よりも、〈三日月同盟〉のようなギルドホールでの生活を選んだ〈冒険者〉のほうが多いのだ。一人暮らしの部屋を外へ借りるのであれば、地球生活のマンションやアパートに相当するものはアキバにおいて長期貸しの宿屋がそれにあたる。どちらもリフォームの必要はない住居だ。

 一方で、非住居型のリフォームはその需要が増大していた。

 商店や集会所、研究所、大型の施設など、既存のビルを利用してそういった施設を求める人々は増えているのだ。それは日々の生活が安定し、商売や開発に力を入れ始める〈冒険者〉の増加や、アキバの街で商売を始めるという夢を持つ〈大地人〉の流入が原因であった。

 〈大災害〉直後は手探りで行われた廃墟の清掃とリフォームであるが、一年を経過した現在では相当なノウハウが蓄積されている。〈冒険者〉のなかに建築の専門家が多く含まれていたわけでもないし、仮に含まれていたとしても資材の信頼性の調査や、資材そのものの統一ができない現在、構造計算の精度もろくに出ないのではあろうが、そこは〈冒険者〉的な豪快さで「丈夫な分にはいいだろう」ということで、自然石や鉄骨が豊富に用いられている。豊かな自然とメニュー作成のいくつかの部材、そして個人重機たる〈冒険者〉の工事能力は、予算や工期にしばられた地球世界のそれよりも、ある意味無茶が効く条件でもあったのだ。


 そのようなリフォームを受けた大型雑居ビルの地下、本来であれば地下駐車場として用いられていた空間には巨大な書棚が乱立しているスペースがあった。もっとも、書棚と言い切るのは多少語弊がある。不気味な仮面、怪物の干からびた手、瓶詰の目玉、黄金のきらめきをこぼすネックレス、古びた絹のドレス、おびただしい枯草や、昆虫の標本……。それはどちらかといえば、博物学者の乱雑な書斎と言えただろう。

 家主は全く望んでいなかったのだが仲介者と業者の心遣いで作られた応接スペース(現在では家主の生活スペース)で、その家主たるリ=ガンとシロエたちは向かい当っていた。隣に座っているのは、相変わらずの忍び装束に身を固めた小柄な美少女アカツキで、こういう会談に参加を希望するのは珍しいのだが興味があるということで同行している。

「これは美味しいですね!」

 リ=ガンは両手にそれぞれ持ったチーズケーキとキッシュを交互にぱくついた。旺盛な食欲から見ると、しばらく食事もとっていなかったらしい。魔法の水差しからそれだけは無制限に湧き出るこげ茶色のお茶のようなものを飲んでにこにこと食べすすめる。

 菓子箱を開いたシロエは焦りもせずにこちらも持参の〈魔法の鞄〉(マジックバッグ)から愛用のインク壺とノートを取り出していた。

「あらかじめお手紙は読みましたが、あー。貴族の歴史、ヤマトの歴史、ですか」

 喉を鳴らして飲み込むリ=ガンにシロエはうなずいた。

「ええ。どうしても僕らは背景情報の理解が荒いんですよね。この件に関しては、〈ミラルレイクの賢者〉たるリ=ガンさんが一番詳しく、偏りのない情報をくれると思って」

「シロエ様にそう言われては、断り切れませんね。ええ、ええ。その程度のことであれば、もちろんですとも、このリ=ガンに任せれば安心ですよ!」

「お願いします」

 素直にシロエは頭を下げる。

 〈エターナルアイスの古宮廷〉でも感じたが、この賢人は意外にも説明が非常にうまい。一芸没頭型の教授は熱意のあまり説明が下手であるというのが大学での経験なのだが、どちらかというとリ=ガンは説明がうまい講師タイプだとシロエは思っている。

「お願いする」

 今日は円卓の制服でぴしりと決めたアカツキも、隣で真面目腐った表情で正座をしている。何を思ったかはわからないが、背景事情というシロエの言葉に食いついてついてきたのだ。

 にこにこと笑っていたリ=ガンは、その依頼に気をよくしたのか大きく一口キッシュにかぶりつくと、準備は整ったとばかりに話し始めた。


「さて、どこから話しましょうか。まあ、何はともあれ、全体の流れからでしょうね。細かい部分は後で質疑応答をしながら深めるとして、おおざっぱなところは抑えるのがよいでしょう。シロエ様には既知のこともあるかとは思いますがまずはお聞きください」

 滑らかな説明の言葉は、リ=ガンがその飄々とした態度にもかかわらず、シロエの依頼の手紙を受け取った時点で、ある程度説明の方針をまとめていてくれたことを表していた。

「――六百年ほど前に弧状列島ヤマトに産まれた統一国家、それが〈ウェストランデ皇王朝〉です。これが現在あるヤマトの貴族制度すべての始まりですね。この王朝は英雄クマソの大東征から始まったわけでして、まあ今となってはいろいろと霧の彼方なわけですが、このクマソが初代皇王となり、彼を頂点とした封建主義を確立しヤマト全土を支配しました。これが〈ウェストランデ皇王朝〉建国ですね。……当初、王朝の支配体制は盤石だったそうです。ヤマトはまだ未開でしたし、当時はサブ職の種類も今よりは少なかったとのことですしね。とくに〈騎士〉と〈文官〉の出現は大きかった。彼らによって統治のありさまが変わった。効率的になった。この場合そういった進歩は競争力を生みます。〈ウェストランデ皇王朝〉建国当時はヤマト全土が支配域であったわけではありませんが、どんどんとその領域は広がっていった。この辺は語ると長いですが、まあ、とにかく大きな国ができたということです」

 アカツキは隣でうんうんと頷いている。

 シロエは視線をリ=ガンに戻した。


「しかし多くの巨大国家の例にもれず、初代皇王の没後は徐々にその支配体制も緩んでいきました。まあ、その辺はどうにもならなかったと思います。誰が悪いわけでもない。この危険渦巻くセルデシア世界において〈ウェストランデ皇王朝〉は巨大になりすぎた! それが原因だと思いますねえ。この当時の〈ウェストランデ皇王朝〉の中心は、セトの海を中心とする一帯だったそうですね。この時期、皇王朝は腐敗しながらも急速に体制を充実させていきます。――まあ文化面や機構面では充実させていくわけです。もともとの体制が良かったんでしょうね。多少よろめきながらも、一番充実していた時期じゃないでしょうか。それというのも、公爵四家の出来が良かったからなんですが」

 ローマみたいなものかな? シロエはそう思ったが、そうでもないかと思い直した。ヤマト……つまり日本のさらにその四分の一の面積であれば、ローマほどの大帝国と比べるのは無理があるだろう。支配国家とはいえ、その規模ははるかに小さいはずだ。

「公爵四家って?」

 隣では不思議そうな表情でアカツキが尋ねている。今日の彼女はどうもやる気に満ち溢れているらしい。


「最初の質問がそことは、いやあ! お目が高い!」

 リ=ガンの調子のよい合いの手に、むふんと胸を張ったアカツキに説明はさらに続いた。

「〈ウェストランデ皇王朝〉の建国を支えた四つの家が、貴族の中でも最高位の公爵となっていたわけです。これがつまり公爵四家ですね。広大な穀倉地帯を含むナインテイル――えーっとシロエ様のメモでは九州ですか。その地域を治めていたのがナインテイル公爵家です。つぎにフォーランド公爵家。これはセトの海に浮かぶフォーランドを守り、開拓する使命を持っていました」

 シロエは〈エルダー・テイル〉の初期設定を思い出していた。あまり意識したことはなかったが、確かにおおよそそんな背景情報が存在したように思う。フォーランド……四国はコンテンツの少ない、危険なフィールドゾーンとして放置されていたはずだし、九州は〈醜豚鬼〉(オーク)との前線であったはずだ。

「次にウーデル公爵家。これは独自の領地を持たない代わりに、ランデという栄えた街をもち、のちに皇王を支える宮中貴族となっていきます。ウーデルの家が筆頭公爵という扱いでしたね。最後に東方の開拓及び守護の功績によって任じられたマイハマ公爵家。――この四つの公爵家はそれぞれ距離感に差こそありますが皇王と血のつながりを持ちつつ〈ウェストランデ皇王朝〉を支え発展させていったわけです。〈アルヴ戦争〉までは……」

 マイハマ公爵家の部分で、アカツキは表情を明るくした。

 望んでいた展開というよりは、知っている単語が出てきて一安心したのだろう。

 シロエといえば先行きの不安で暗雲垂れ込める心境だ。

 この経緯を聞いていると、アインスが受けたというアキバ公爵とやらは、どう転んでも厄介な火種になる予感しかしない。そもそもマイハマとアキバは近すぎる。貴族の感覚がどうなっているかについてはわからないが、勢力争いが発生せざるを得ないのではないか? 頭痛がしてくるのだが、今はそれは後回しだ。シロエもまた話の続きに耳を傾けた。


「三百七十年程まえ局地紛争から始まった全面戦争はやがて燎原の火のごとく世界を席巻しました。先住民族アルヴに対する拒絶と迫害がとうとう限界を迎えたのです。この時から世界は百年以上にわたる大戦乱の時代に突入します。シロエ様、信じられますか? ヤマトだけではありません。世界のすべてが戦争に明け暮れた、そんな時代があったのです。しかもそれは、終わらない類の悪夢でした。以前にも説明しましたがアルヴ最後の生き残り、〈六傾姫〉(ルークィンジェ)による〈第一の森羅変転ワールド・フラクション〉――すなわち無限に生まれ続ける亜人という世界への呪いが、この世界を悪夢へと塗り替えたのです」

 頷いていたアカツキは、不思議そうな表情で「主君、これ、前に聞いたことがある」と囁いた。講義を受けている気分なのだろう。シロエもまた口元に手を当てた小声で「そうだね。リ=ガンさんが、〈エターナルアイスの古宮廷〉で話してくれた、その内容だ」と囁き返す。

 三人しかいないこの地下の書斎では当たり前だが、その声は当然リ=ガンの耳にも入ったのだろう。にこやかに取り入れて話はさらに続いた。

「ええ、そのとおり。百年にわたるこの戦乱の中で、人類側――この言い方は好きではないのですが、我ら人類側も様々な方策を練りました。お恥ずかしながら我が〈ミラルレイク〉もこの戦乱の中で名をあげ賢者の号を拝したわけでして……。以前にも話しましたがノーストリリア計画 による〈猫人族〉、〈狼牙族〉、〈狐尾族〉の三獣族と、〈法儀族〉の誕生もこのころのこととなります。――これら反撃のための技術開発は世界的な潮流だったわけですが、ヤマトにはヤマトなりの事件や出来事もありました。世界規模で発生したこの大戦争時代の例にもれず、ヤマトもまた後世〈二姫〉と呼ばれるアルヴの魔女による侵略をうけていたわけですが……。亜人勢力はいくら撃退しても際限なく襲来する程に多勢であり、ナインテイル、フォーランド、マイハマの各公爵はかなりの苦戦状態にあったのです。特に東ヤマトにある諸侯連合――いまでいうイースタルの貴族たちは、騎士団の多くを王朝中心部、ランデ真領とよばれる土地の防衛に回していたせいで、窮地にありました。当然諸侯はヤマト全域の防衛計画の話し合いや、軍の再編成を中央に求めたわけですが、しかし、王朝政府はこの地方からの救援要請を無視。実質的には切り捨て政策を行ってしまったのです」

 アカツキがよくわからないようにきょとんとした表情を浮かべている。

 シロエもそれは大差がなかった。難しいというよりは、長すぎる説明に理解のタイムラグが生じたためだった。

「要するに……えっと、主君」

 救援を求めるアカツキにこたえるように、シロエは自分の言葉で整理してみる。

「首都防衛……なのか? のために軍を集結しておいて、政府は地方の切り捨てを行った? そんなことあるのか?」

「そうです。史書にそうは書かれていませんが、〈ウェストランデ皇王朝〉は自分自身を裏切ったのです」




◆ Chapter2.03 




「王朝の軍は皇王直下の〈禁軍〉と呼ばれていたわけですが、当時から地方の謀反を恐れた王朝は、貴族たちの軍備増強に渋い顔をしていたようです。どうも政治的な軋轢が中央であり、戦争中期までは『地方貴族がある程度消耗してくれた方が、中央集権に都合がいい』という宮中の判断があったようでして……。愚かしいとしか言えないのですが、この判断によって、フォーランド公爵領は完全に壊滅してしまいます。〈蜥蜴人〉(リザードマン)の浸透が思ったよりも圧倒的に早かった。セトの海の制海権を奪われた中央は、キョウの都に防衛線を構築。結果としてナインテイル公爵も〈醜豚鬼〉(オーク)軍勢との会戦で討ち死に……ナインテイルは空中分解に近い状況になりました」

 見捨てられたフォーランド公爵領は壊滅。

 ナインテイル公爵も援軍が来なかったことから死亡。


「懸命に〈ウェストランデ皇王朝〉を支え続けたマイハマ公爵家ですが、決死の覚悟で街道確保に向かった、当時の公子ルキウスが率いる〈時計塔騎士団〉がランデ真領郊外で壊滅するにいたって、精神的には中央と完全に亀裂を迎えてしまったのです」

(言葉もないな)

 苦いものでも飲み込んでしまったような気持ちのシロエはため息をついた。

 もちろん、中央政府を擁護することは可能だ。この中世的な世界において、即時通信は現代社会よりずっと劣っていただろう。援軍要請や、戦線のほころびだって、中央が察知するのは困難で判断に遅れが出たことは想像に難くない。

 また、仮に援軍を出したところで出しさえすれば現在と結果が異なっていたとは断言できない。敵軍のほうが戦力において圧倒的に勝っていれば、焼け石に水ということはありうる。戦力の温存は、直ちに愚策である証明ということはできない。

 しかしそれにしても、これはあんまりだといえた。

 ヤマトの文化はシロエが知る限り完全に西を中心としている。ヤマトの首都はキョウの都なのだ。それは、ゲーム的な文脈で、〈冒険者〉の本拠地が開発当初アキバに設定されたので、〈大地人〉の本拠地は関西に設定しようという程度の意味合いだったはずだ。しかし、このセルデシア世界における現実として現にそうなのである。で、あるならば、四国であるフォーランドや、九州であるナインテイルは、〈ウェストランデ皇王朝〉中心政府においてだって、関東などよりもよほど地勢的にも経済的にも重要な地域だったはずだ。それをなすすべなく失っている。

 戦史には詳しくはないシロエだが、状況的に、これはほぼ国家壊滅なのではないかと疑うほどだ。

 そのうえ東ヤマトの援軍を失うとは、過去の他人事でありながら胃が痛くなるような気持だった。


「そこで話が終わればよかったのですが……」

「まだあるのか」

 情けないアカツキの声にかぶるようにリ=ガンの説明は続く。

「〈ウェストランデ皇王朝〉って名前、不思議だとは思いませんか? いまは〈神聖皇国ウェストランデ〉を名乗っているでしょう?」

「そういえば」

「〈二姫〉の呪いにより〈ヘイアンの呪禁都〉と呼ばれるダンジョンがキョウの市街中心部に発生してしまったんですよ。自分たちだけを守ろうとした元老院はキョウの都を城塞都市化していたわけですが、それが災いしました。中心部から亜人が発生し、その電撃的侵略の結果、キョウの都は一夜にして陥落してしまったのです。のみならず時の皇王やその一族はすべて戦死してしまうありさま。辛うじて〈悪鬼〉をダンジョンに封印したものの〈禁軍〉のほぼすべては壊滅。まあ、正直に言えば王朝は滅亡です。終わったわけです」

 ほかの公爵や地方を生贄にするような醜いあがきのあげく、王朝は滅亡。

 良いところがひとつもないとはこのことだろう。

「ところがあきらめの悪かったのは、ウーデル公爵と元老院なんですよね。生き残りをまとめてイコマの地まで撤退し、そこで統治を再開したのです。そのうえでヤマト全土に対してランデ真領奪還を命じたんですよ」

 ランデ真領という言葉にピンと来なかったシロエだったが、文脈からそれがおおよそ「畿内」に近いニュアンスだと察した。京都に近い国々、程度の意味だろう。地球世界の日本で言えば都心部に似たような意味合いの言葉だ。だとすれば、横須賀に避難した臨時政府が都心部の奪還を号令したといった風情だろうか? そう置き換えて理解すれば、それそのものは理解できない命令ではない。しかし――。

「……とはいえ、この時点でナインテイルは大混乱、フォーランドは壊滅状態。実質この命令は、マイハマ公爵に対する全軍供出命令だったわけですが、マイハマ公爵もこれには激怒しました。息子を城門の前で見殺しにした元老院が、その所業には口を拭って都合よく援軍を求めてきたわけですからね。そもそもその命令を出したのは同格のウーデル公爵家です。皇王家はすでに滅びている。マイハマ公爵家が唯々諾々としたがう謂れはない。『それは皇王からの勅命ではない』と言い放って無視をしました」

「ふむぅ」

 腕を組んだアカツキも難しい顔をしている。

 そうなるよな、としか言えない流れだ。リ=ガンの説明もことの流れをわかりやすく呑み込ませるために調整しているものなのだろうが、それにしたとしても元老院およびウーデル公爵家の失策がひどいというコメントしか出ない。

 畿内の回復は確かに重要だろうが、事ここに至って号令をかけてもだれもついて来はしないだろう。

「それで東側の人々はウェストランデを嫌っているのだな」

 アカツキの言葉は、彼女なりにこの歴史を理解したことを示していた。

 もちろんそれはずいぶん端的な理解であり、様々な要素をそぎ落としてしまったものではあるのだろうが、それでもひとつの理解ではある。

「ええそうです。このあたりが、結局は現在まで続く東西確執の原因なわけですね」

 リ=ガンもアカツキの反応をうけて、手元のコップから濃茶をひと口飲んだ。アカツキも、シロエも、幾分ぐったりしたようにひんやりした地下室の空気を吸う。自分自身に直接関係する話ではなかったのだが、それでも理解して咀嚼するだけで疲労を覚えるような種類の歴史だった。


「斎宮家っていうのは、なんなのだ?」

 懐から出したメモを読み上げたのは、アカツキだった。その意外なまでに勉強熱心な態度に、シロエは見る目を改めた。シロエとしても、概要は知っているがそれは興味深い質問である。視線をリ=ガンにもどせば、彼も説明を補足する構えのようだ。

「そのあとの話を説明すれば、おのずとその疑問の答えにもなるでしょう。――〈禁軍〉壊滅後の〈元老院〉に兵力はなく、フォーランド逃散兵を吸収しながらなんとか再編をします。幸運だったのはこの段階で〈狼牙族〉の山間部族が助力してくれたことでしょうね。これで〈元老院〉は一息つけて、スザクモン攻略を進め、簡易結界を設置できたわけです。〈冒険者〉登場も助けになりました。そして新体制樹立を考えた元老院は、イセより先皇王の血筋を残す〈斎宮家〉を招聘しました。〈斎宮〉とは皇王家の女子が神祇(てんのかみ)に祈るために継承権を放棄した、まあ分家のようなものですね。この家を持ってきて「血筋は正当だから、皇族は途絶えていない」と言い張ったわけです。〈ウェストランデ皇王朝〉は皇王の力の強い王朝国家から、〈元老院〉の力の強い国家へと変わり〈ウェストランデ神聖皇国〉になったわけです」

「つまり、ニセモノの皇王家なのか?」

「まあイースタルの諸侯から見れば、そうでしょうね」

 アカツキのあまりにあけすけな質問に、リ=ガンも苦笑を堪えて答えた。

 ただ、すぐさままじめな表情に戻り続ける。

「しかしそれも微妙な話なんですよ。皇王家の正当な血筋なのか? といえば、厳密にいえば違うでしょうね。しかし親戚であるという事、しかもかなり近い親戚であるというのも事実なのです。――ヤマトにおいて〈ウェストランデ皇王朝〉というのは長い歴史を持っています。ダメなところもありましたが、おおむね平和で栄光に包まれた国家というイメージも強固です。多くの民草は、皇王家の血筋というだけで無条件に尊敬しますし、このヤマトの支配者だとみなしています。権威はあるんですよ」

 この件に関しては、そうなのだろうな、とシロエは思う。

 皇王としては認めないという〈自由都市同盟イースタル〉には、それなりの自由意思がありそのもとに認めていない。それは過去のいきさつや感情的な行き違いはもちろんあるだろうが、その一方で今更政治的な統合をしたところで利益がないという判断も、確実にあるはずだった。

 一方で臣従を求める〈ウェストランデ神聖皇国〉は、勢力拡大のためにも、ナインテイルやフォーランドの奪還のためにも、ヤマト〈大地人〉の糾合を企んでいる。もちろんそれは〈元老院〉や〈斎宮家〉の権勢欲に根差したものかもしれないが、だからと言ってそれが〈大地人〉の幸福に結びつかないかといえば、安定した統一政府という意味で貢献できる可能性が高い。

 どちらが良いか悪いかというわけではなく、立場や利益が異なっている。


「その権威が、アインスさんをアキバ公爵として任命したわけですね」

「ええそうです。公爵の叙爵など、いまのヤマトにおいて斎宮家以外にできることではありません」

「濡羽さんの気まぐれで|〈Plant hwyaden〉《ミナミ》が割れていると

思って気を抜いていたら……」

 シロエの予想では、〈冒険者〉同士がヤマト国内で大規模に争うような事態になる確率は、相当低いと考えている。

 しかし一方で、以前から〈大地人〉の、もっといえばヤマト東西の衝突は起こるのではないかと考えてきた。シロエが予想するここ数年という射程距離内で、ヤマトに訪れるもっとも醜悪な未来予想図がそれ――〈ウェストランデ神聖皇国〉と〈自由都市同盟イースタル〉の武力衝突であり、それに巻き込まれる〈冒険者〉たちだ。

 その未来に対してシロエなりに対策して手を打ってきたつもりもあるのだが、まさかそのための謀略がこんな足元で爆発をするかもしれないとは思っていなかった。アインスが情報を|〈Plant hwyaden〉《プラント・ フロウデン》に流すとか、経済や物流のジャンルでの謀略が行われるなどと考えていた。

 権威による叙爵など想定になかったのは、身分制度がすっかり過去のものとなった日本生まれのシロエの限界なのだろう。


「シロエ様たち〈冒険者〉のことはわかりませんが、ヤマトで謀略の本場といえば元老院ですからね。ウーデル公爵家が主導したのか〈斎宮家〉が主導したのかはわかりませんが、こういう手に出てくるとは私も思っていませんでしたけどねー」

「そうですよね」

 そんな反省と脱力を込めて頷くシロエと、慰めるアカツキに、リ=ガンが励ますような言葉をかける。

「しかし、まあ現実にはそこまでの権力があるわけではありませんよ。ご存知の通り、いまの〈元老院〉も〈斎宮家〉も実際何らかの兵力があるわけではありません。ナインテイルもフォーランドも滅びて中央に協力できる環境ではない。話には出しませんでしたが〈エッゾ帝国〉は〈自由都市同盟イースタル〉に輪をかけてウェストランデを嫌っていますしね。経済力だって、そりゃあそこらの〈大地人〉に比べれば莫大な財を持っているかもしれませんが、それでも〈冒険者〉の街であるアキバを左右できるほどあるわけではない。権威はありますが、逆に言えば権威しかないのが〈斎宮家〉というものです」

「権威……」

 確かに、そういう意味で言えばおそらく〈ホネスティ〉にもたらされる資金など、たかが知れたものでしか無いかもしれない。アインスが望む公共工事の予算などは、一回性のものではない。ある程度恒常的に発生する費用なのだ。

 またシロエがそうであるように、ヤマトの〈冒険者〉は身分制度がすっかり過去のものとなった日本人なのだ。誰ひとりとして〈斎宮家〉の権威に無条件にひれ伏すような人間は居ない。

「切り崩しでも企んでるんじゃないでしょうかね?」

 〈冒険者〉の切り崩しなど、この叙爵でどれほどの効果があるかといえば、ほとんど意味が無いのではないか? むしろ逆効果ではないかとしか、シロエには思えなかった。この点でシロエは自分に経験が足りないのを自覚していたし、それゆえ油断していたわけでもない。どちらかといえば、これは〈ウェストランデ神聖皇国〉の謀略が一手先へと進んでいると言えただろう。

 まだ見えてこないその効果に、シロエは厳しい表情で黙りこむばかりだった。


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