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◆ Chapter4.04
乱戦になった。
状況を説明するとすれば、三対三の戦いということになるだろうか。
受け手側は〈武闘家〉のカナミと犬狼の求問、そして〈守護戦士〉のクラスティである。
攻め手側は雷を操る魔獣・鵺を筆頭に、超高レベル〈刀剣術師〉エリアス=ハックブレード、正体不明の〈古来種〉葉蓮仙女。
戦力比を考えればバカバカしくなるほど劣勢である。
魔獣・鵺は十二人戦闘クラスのモンスターだ。エアリスは一〇〇レベルの〈古来種〉。さらに葉蓮仙女がいる。本来でいえば二十人規模の部隊が必要な相手だろう。
だがクラスティには恐れも不安もなかった。うずくような戦いの熱気と、それ以上に好奇心に突き動かされて三日月斧を振るう。愉快な時間の始まりであった。
武力闘争というのは興味深いものだ。
〈エルダー・テイル〉というゲームから始まったこの世界特有の事情なのかそれとも一般的にそういうものなのかはわからないが、様々な機微を魅せる。
クラスティがエリアスと戦った時、その一対一の戦いの趨勢は、個人の戦闘能力そのものと精神的な駆け引きが握っていた。特に重要なのは、精神の動揺を抑える自制心と、隙を見抜く洞察力だ。クラスティがあの戦いを命を落とすことなく切り抜けることが出来たのは、あの時点においてエリアスよりも精神的優位に立っていたせいである。
特にクラスティの持つ〈空を征く瞳〉の特徴もそれを後押しした。視界を増やすというこの口伝は、清澄な精神があってこそ真価を発揮するからだ。
一方で一般的な大規模戦闘である二十四人戦闘クラスの集団戦闘において重要なのは、役割分担と意思伝達、それを形にした連携となる。個人の戦闘能力や冷静さが不必要というわけではないが、それは最重要ではなくなり、他者とのかかわりや普段の訓練が意味を深めてくる。この規模の戦闘においてもっとも重要なのは、戦況に対応した戦術を柔軟に、ひとつの生物のように繰り出せるかという意思疎通そのものだ。
それに対して今行われているような三対三の戦いというのは、ひどく原始的で、めまぐるしく、それでいて油断の出来ないものであった。
「ぐがあっ!」
耳の後ろを金剛のつま先で高速に蹴りぬかれた鵺は、咥内に圧縮された雷球をエリアスに向かって吐き出してしまう。カナミがわざと仕掛けたのだ。エリアスは血走った瞳を怨嗟に沈めながら、水晶の大剣でその雷球を受け流そうとするが、相性が悪い。紫電は水流にまとわりつくように、エリアスの身体を包み込む。高い抵抗能力を備える魔法鎧を身に着けているせいか、大きなダメージを受けるということはないが一瞬動きは鈍る。
その隙にまるで弾丸のように突進を仕掛けた求問は下から跳ね上げるような体当たりを加えた。
交通事故のような音を立ててエリアスは吹き飛ばされた。
「どどど、どうしよう!? エリエリにあたっちゃったよう」
「わざとやってたんじゃないんですか」
おろおろと取り乱すカナミにクラスティは視線もやらずに応えを返した。
三対三の戦いはめまぐるしい。その様はピンボールのようだ。
一対一の戦いであれば自分と敵のことだけを考えればよかったが、三対三の戦いにおいては互いに二名ずつの仲間がいる。連携が発生してしまう。しかし、そこで起きる連携とは大規模戦闘のように計算されて訓練されたものではない。どちらかと言えばその場のひらめきで生み出される即興的な要素が強い。
少人数対戦で最も必要とされるのは、戦闘センスである。その難しさは大規模戦闘に勝るとも劣らない。
そしてそういう戦いに関して、カナミは天性の才能を持っているようだ。先ほどから鵺は戦いにくそうにしている。その攻撃を回避し続けることによって、カナミはヘイトを稼ぎこみながらも大規模攻撃には敵味方を巻き込まざるを得ないような位置取りを繰り返して、中間距離へのけん制を続けている。長い戦闘経験が必要だと思われる行動だが、それらすべてを天然でやっているらしい。
「エリエリがダークエリエリにぃ」
「……」
「さっき『どかなければ斬る』って斬られたんだよ!?」
「……」
もっとも天然なので、言っていることは情けない。相槌を打ってやる気にもならなかった。
肩をすくめて、鬼のいぬ間にと鵺に対して攻撃を加える。
葉蓮仙女が何らかの支援を企図しているようだが、鵺の身体はワンボックスカーほどもある。その巨体を障害物に見立てて、視線を遮ってやればそうそう攻撃を加えられることはない。膝の回転を用いて〈タウンティングブロウ〉や〈アーマークラッシュ〉などの至近距離に向いた技を叩きこみ、隙を見せずに、魔獣の攻撃の起点を丁寧に潰す。
エリアスとカナミは、相変わらず有効打を相互に与えられぬまま、舞のような戦いを続けている。
カナミのいい加減な説明ではわかりづらかったが、二人はここへ至るまでの旅路で知り合った仲間なのだろう。そうであるならば、エリアスはカナミに任せるのが道理というものだ。
エリアスの剣技は身体で味わったが、|前回のほうが楽しかった《、、、、、、、、、、、》。案の定、安易な狂気など戦力の足しになるわけもない。
とはいえがっかりすることはないだろう。戦場にはまだ食べきれないほどの料理が残っている。クラスティは冷静にそう考えて鵺の向こうにいる首魁に標的を定めた。
鵺もさることながら、自分からは手出しをせずに手札を隠し続ける葉蓮仙女も老練な雰囲気を身にまとっている。
(それとも怯えているのか)
クラスティの視線に反応して半身となり、射線を警戒する仙女にそんな印象を抱いた。ストーブに触れた子供がやけどを覚えたような、それはそんな仕草だった。
クラスティは数百行に及ぶ検討思考を駆け抜けた。
葉蓮仙女の話した内容についてだ。
――魔獣は宙から送られた。
――各地に軍勢を送ることが可能になった。
――それは召喚術の技術が共有化され資源が整ったから。
――指示は西王母より発せられた。
なんのことはない。
整理をしてみればこの一件を演出したのは自分たちだという、映画の黒幕にありがちな自意識を満たす情報開示のでしかない。
つまりは敵だ。侵略の宣言だ。
クラスティはにやりと笑った。
もはや二割にも満たぬHPの残量も気にかからぬほど朗らかな気分で巨大な三日月斧を振るう。その清々しい爽やかさに、唇の端が吊り上がり、くいしばった歯が覗くことも自制できなかった。
素晴らしい。
助けてやったと恩着せがましくすり寄って来た仙女に興味はなかったが、打倒してもいいとなれば話は全く別だ。解決《駆除》してしまってもよいというのならば断わる道理もない。敵対を宣言してくれるというならば、それは素晴らしい生誕祭の贈り物だろう。
クラスティの奥深い部分が謎めいた振動で知らせる。
葉蓮仙女は「本当の敵」でもあるのだ。
エリアスと対峙した時のように、対戦者としての敵ではない。簒奪者としての敵だ。奪われた記憶の空洞を吹き抜ける風のような魂の振動がクラスティにそれを確信させた。
仙女とそれに連なるものは、クラスティの私有財産を奪った。その確信がクラスティの笑みを深める。彼女が為したのはまごうことなき敵対宣言であり、行為であり、存在闘争の開幕曲であった。
クラスティもまた、この仙女からすべてを奪いつくしてよいのだ。
視界の端では濁ったオーラを噴き上げるエリアスが力任せの攻撃をカナミに繰り出していた。困惑したようなカナミが余裕をもって回避するが、当たらない攻撃そのものが彼自身を深く気づつけているらしい。もはや意味も取れないような獣声をあげて猛攻に移る。
颶風のようなその連続攻撃を、カナミは身をかがめ、あるいはトンボを切り、籠手で滑らせて何とかしのいでいる。確かに押しているのはエリアスだが、その攻撃に先日の切れは無かった。精神の濁りが技を曇らせているのだ。
なぜ友人であるカナミに敵対を?
→洗脳あるいは催眠、意識誘導
→問うまでもなく葉蓮仙女による
簡潔に結論を出してクラスティの興味は途切れた。
意識誘導に対する忌避感があるわけではない。人とは何かにつけて影響を受けてしまうものだ。教育とは程度をわきまえて有用性を重視した洗脳だし、主体的な人生というのは自己暗示のたまものでもある。
そうである以上、それを施した葉蓮仙女も惑わされたエリアスも、それをもって邪悪だと弾劾したり、弱さを責めるつもりはない。どこにでもある光景であり、それが戦闘の場で起きたということに過ぎない。
しかし一方で、苛立ちや侮蔑感に近しいものは感じる。
その気持ちを刃に乗せて解放しながらクラスティは鵺を跳ね飛ばすように、葉蓮仙女に一撃を加えた。
「エリアスを弱くしたのは貴女というわけだ」
ヴェールの下で見開かれた瞳と視線が交錯して、クラスティはそれを確信した。
弱くなるというのは、それは明らかな悪だ。
洗脳や意識誘導が悪ではなかったとしても、その結果劣化が起きるのならば悪だと断じる。それがクラスティであった。
仙女に感じる嫌悪感はそのまま歓喜でもあった。
なぜなら、その明らかな悪をなしたこの存在とこれから存在をかけた闘争が出来るからだ。
湿った布団を思い切り切りつけたような、濡れた音が何度も響いた。
葉蓮仙女はやはり高度な戦闘能力を持っているらしい。大地から現れる泥の壁がクラスティの攻撃を遮る。それは雷撃の威力を大地に逃がす性質があるらしく、鵺の攻撃に対する鉄壁の防御でもあった。
それを察した鵺は威力こそ落ちるものの、広範囲に影響を与えるタメの長い雷撃の吐息に攻撃手段を切り替える。一回一回の威力は落ちているためにすぐさま絶命に至るということはないが、回避することは現実的には不可能だ。雷鳴の魔獣は、泥の壁を用いた葉蓮仙女ごと巻き込んで攻撃を仕掛けてきている。HP回復能力の落ちたクラスティにとってそれは厄介な攻撃だった。
「たとえ弱くなったとして大英雄は貴方たちの命を刈り取ろうとしている」
せせら笑うような淑女の声をクラスティは鈍器のような籠手を叩きつけることで遮った。
「わたしはハイボクから学んだ。これが採取ではなく狩猟であるということを。あなたたちはタシかにランク三を持たないが強者ではある。あなたたちはあなたたちの剣で死に絶えるのだ」
それがエリアスをこちらへ差し向けた理由なのか。
苛立ちが募るほどに笑みも深くなる。
たぶんこの女性には何もわかっていないのだ。
人生とはつまるところ試すためにある。クラスティはそう考える。
何が出来て、なにが出来ないのか。つまりは実験だ。生命とは、その実験に用いるためにある。いつからかかわからないが、クラスティはそう考えていた。世界には膨大な量の課題がある。それらを解決できるのか、出来ないのか――その答えを知るために人は駆け抜ける。須臾の生命を燃やす。
もちろん、すべきではない邪悪な実験もあるのだろう。しかし挑むというのは人の本質だ。それを否定することはだれにもできない。羽ばたこうとする鳥を籠に閉じ込めるのは簒奪であろう。
狂うのは良い。
しかしそれで出来ることが出来なくなるのは、本末転倒だ。
エリアスは出来たことが出来なくなった。彼が長い研鑽の果てに可能とした技術が失われた。その様は寂寞として哀れだ。
その苛立ちが、クラスティの振るう〈鮮血の魔人斧〉に力を与えた。
「あなたたちはここで死に絶える」
「それは試さないとわかりませんね」
クラスティはぎらぎらと輝く瞳で睨みつけながらかすれた声で囁いた。
人の生きる意味は、物事の可否を試すことだ。
命はそのための道具である。
己を試すことがクラスティにとって最大の喜びであった。
己を試すことすら禁じられた幼い檻のなかでそれだけを夢見ていた。
そしてクラスティは「不可能だ」とうそぶく輩の前で難事を成し遂げ、高慢に見下したその表情が屈辱でゆがむのを見ることが、たまらなく好きなのだ。
今、世界はクラスティに試験の可否をゆだねている。
クラスティは残りわずかとなったHPを燃やし始めた。
◆ Chapter4.05
山稜すべてのあちこちで戦闘が突然発生し始めた。
どこから湧いたかはわからないが〈常蛾〉、〈月兎〉の名を持つモンスターが虹色の光とともに現れて侵略を開始したのだ。戦っている相手は、主にモンスターである。この〈狼君山〉にもとから暮らしていた〈大狼〉や〈賢狼〉といった種と争いになっているのである。
山のふもとのほうでは〈冒険者〉の群れもまた、虹色をまとったモンスターと激突しているらしい。春翠がいればそれが彼女の属する護衛ギルド〈楽浪狼騎兵〉であると分かったかもしれないが、峠から見ただけのレオナルドにはそこまでの判別はつかなかった。
わかるのは、突如この山脈が騒がしくなって物騒になったということだけだ。
皮肉な話だがこの騒乱がレオナルドとコッペリアの二人に取るべき道を知らせた。
騒ぎの最も大きな中心部にこの事件の何らかの手掛かりがあり、そこに恐らくカナミもいるだろうからだ。
コッペリアとレオナルドは騒乱をたどるように山肌を進んでいった。
レオナルドとしては、「騒ぎの最も大きな中心部にこの事件の原因がある」であるとか「原因はカナミである」とは表現しなかった自分に満足を覚えていた。おおよそそうであろうとは思っていても、直接それを指摘しないという人間関係に対する留意である。
もっともそんな気遣いをコッペリアが必要としていたかどうかは疑問であった。レオナルドの発言に対して「マスターの存在確率が高いということに同意しまス」とあっさり答えていたからだ。
とにもかくにも、二人は戦闘を避けながら、それでも仕方ない場合は撃退しところどころにがけ崩れの発生した岩山を上へ、上へと進んでいった。
その広場にたどり着いたのはイーストリバーよろしく花火が打ち上げられたからだ。地元っ子におなじみのこの花火は独立記念日の名物で、メーシーズが主催していたはずだ。レオナルドはそんなに意識したことはない。独立記念日といえば、パレードがひっきりなしに通りかかるのを眺めながらオフィスの屋上へ出て(もちろん仕事なんてするはずがない!)ビールを飲みながらバーベキューというのが、正しいIT技術者の姿であると信じている。
まあ、実際に打ち上げられたのは花火ではなく雷球だったし、はでな騒音はハイスクールのチアガールが行うパレードではなくカナミだったわけだ。
戦闘音に導かれるように崩落から広間に飛び降りたレオナルドとコッペリアは状況のひどさに立ちすくんでしまった。
独立記念日のだらけた夏の午後を思い浮かべていたレオナルドのショックは人一倍だが、それは自業自得だとあきらめる。花火代わりに大規模殲滅攻撃を次々と打ち上げるのは、よい。祝砲変わりだと笑い飛ばすこともできるだろう。パレードがわりに巨大な魔獣と戦っているのもNYMの試合みたいなものだ。レオナルドはこの球団のファンで、チケットが手に入るなら独立記念日の花火を球場で見ることも多かった。
それくらいの騒動は、カナミと旅をしていれば、そういうこともあるかもしれないと思う。
いやな達観の仕方だが、まあ、あるのだろう。
だがだとしても、それが大規模戦闘クラスのモンスターだというのはどうなのだ? 戦っているのはカナミとモンスターである狼だ。とうとう獣にまで手を出したらしい。いやそれは混乱だ。現実逃避が始まっているのだ。
そのうえその大激戦をさえ背景に、カナミとエリアスが拳と剣を打ち付けあっているのは、意味が分からなかった。
「何やってんだよ!」
「あっ! ケロナルド! ちょうどいいところに無事だった?」
「無事だよ何がちょうどいいかわからないよ説明してくれ。ドキュメント配布でも良いから」
「いま多忙なんだよ」
「見ればわかるけどエリアスは――」
のんびりとした問答は許されなかった。
瞳を濁らせたエリアスが槍のように構えた大剣ごと突っ込んできたのだ。左右に分かれて回避したカナミとレオナルドの隙間を駆け抜けていったエリアスは、そのまま鍾乳洞の岸壁に激突し、水煙を上げて周囲へと瓦礫を撒き散らかした。もちろん、それで戦闘不能になることなどはない。猫背になったままガラガラと水晶の刃を引きずった姿が、巻き散らかされて霧のように立ち込める水滴の中から現れる。
「なに起きてるんだよ!」
「わたしにもわからない。多分悪のへんてこビームかなにかで――」
子供か!
そのツッコミは完遂できなかった。
突如発条仕掛けのように飛び込んできたエリアスは無数の短剣のような氷の塊をレオナルドにたたきつけてきたからだ。
おそらく、巨大な両手剣を振り回していては、二刀流の〈暗殺者〉であるレオナルドを捉えきれないと思ったのだろう。その攻撃選択は正解であった。しかし、だからと言ってレオナルドもタダでやられてやるわけにはいかない。氷の嵐に火属性の〈幻想級〉双刀〈ニンジャ・ツインフレイム〉を差し込んで、その熱気と炎の威力で相殺を図る。
「エリアス卿の脈拍および色彩に異常が見られます。治癒をご所望で――」
しかしそんな瞬間でもコッペリアはコッペリアだった。
思慮深そうな仕草で小首をかしげ、恐れげもなくエリアスに近づく。
きっとエリアスが何らかの状態異常にかかっていて、それを癒そうとしたのだろう。レオナルドの武器が作り出すフィールドから一歩出たコッペリアは、両者の激突が巻き起こす衝撃波を直接浴びる。とっさに武器を横に振り払ったレオナルドだが、小柄な少女をかばうところまでは届かなかった。
もっとも、侍女服に見えるとはいえ重装甲板金鎧を装備するコッペリアの防御能力は、敏捷性に極振りをしたレオナルドの比ではない。氷や飛礫の欠片を軽い金属音だけで跳ね返している。
そのコッペリアの伸ばした手が、払われた。
エリアスが何かに苦しむような瞳で凶暴にうなりながら拒絶したのだ。
なおも助けようと再び手を伸ばすコッペリアを抱えて、レオナルドは横に飛んだ。
その背後に迫るのは、巨大な氷の断頭台だ。効率や命中率を無視した、あけすけなほどの必殺攻撃。普段のエリアスであれば、あてるのが難しいために選択さえしないような大技を、悲鳴のような蛮声とともに振り下ろしてくる。
腕の中に小柄な少女を抱えながら、レオナルドはその瞳の中を覗き込んだ。
そこには苦痛に引き裂かれるエリアスの姿があった。
苦痛と激怒に引き歪んだ赤く燃える瞳で武器を振り回す姿は、たしかに凶猛だったが、レオナルドには自暴自棄になって離職をした同僚を思い出させた。やはりあの崩落の中で垣間見たエリアスは幻ではなかったのだ。
「俺は……呪いを……」
多分、それははっきりした意思のもとに紡がれた言葉ではなかっただろう。
唸り声に紛れたようなつぶやきだった。
しかしそれを聞いたレオナルドは、なんだか腑に落ちてしまった。
(こりゃ無理だわ)
あっさりとそう思った。
フローと仕様書を小脇に抱えたニューヨーク在住のギークとしてではなく、〈崩落〉と共に青春を過ごした一人の男子として、悟った。
エリアスと戦って彼自身を取り戻すのは、コッペリアやカナミには無理だ。
自分がやるしかない。
レオナルドは自分でも不思議なほどあっさりとその決意をした。
「下がってて、できれば、離れて!」
突き飛ばすように胸の中の少女をカナミの方向へ投げて、その反動を用いてレオナルドは側転をした。ひとつ、ふたつ。空中でひねりを加えたきりもみ回転で、くすんだ灰藍の魔獣を蹴り飛ばし、エリアスのもとへと舞い戻る。
「どおおりゃあああああ!」
技はない。
ただ力任せに、広げた腕の中にエリアスを抱えて、NFLのタッチダウンのようにダイブした。
地球世界の生身だったらそれだけで傷だらけになりそうな、鍾乳洞の岩肌を二人で転げ滑り、角度の良いパンチを二三発交換し合って、身をひねって立ち上がる。
「女には聞かせられない愚痴ってあるもんな」
レオナルドはそう言った。
うん、そうだ。
心の中で彼は大きくうなずいた。
自分がエリアスにしてやれることは、それなのだ。
「気持ちはわからないけれど、そういう時があるのはわかる。それに俺も――」
どちらが接近したのだろう。
糸で引き寄せあうように距離が縮まり、水晶の大剣と炎を吹く双刀ががっしりと噛み合った。
「せいっ!」
保たないと判断したレオナルドはエリアスの腹部に蹴りを入れると、斜めに力を逃がす。刀身を交差させる受けは最も防御に優れる型だが、それでも刀身二メートルに及ぶ〈水晶の清流〉を受け止めるには力不足だった。
武器攻撃職としてレオナルドの膂力は人間離れしたレベルにあるが、それでも方向性としては瞬発力と速度に偏った成長を選択している。比してエリアスは、筋力と持久力をぬかりなく鍛えた万能型の戦士だ。それだけならまだしも、十に及ぶレベル差がある。
〈エルダー・テイル〉においてレベル差はかなり大きい。
いかなる状況でも絶対にひっくりかえせないというほどではないが、すべての対峙行動に大きな影響を与える。それは攻撃の命中率、回避率だけではなく、毒や麻痺の抵抗可能性や、実際に与えるダメージを減少あるいは増加させるといった範囲にまで影響を与えるのだ。
〈幻想級〉のアイテムを備えた大規模戦闘攻略部隊は、自分たちよりも三から五はレベルの高いモンスターと戦うが、それは入念な準備と戦術を駆使したうえでの挑戦である。PvPで十レベルの差だといえば、一般的には、戦いが成立しないほどの差だ。
だがレオナルドはそんな不都合を無視して果敢に攻め立てた。
鈍い鋼をこすり合わせるような、あるいはたたきつけあうような音が響く。
〈ニンジャ・ツインフレイム〉の手続き型効果は、有効な火炎ダメージを与えることができていない。同じように水の流れをまとったエリアスの武器に阻まれているのだ。
「強いな」
肩で息をしているレオナルドはそう告げた。
チーム戦と違って個人での戦いは消耗の速度が段違いだ。特に燃費の悪い〈妖術師〉や〈暗殺者〉という攻撃職は、本気で大ダメージ攻撃を繰り出せば、そのMPを数分のうちに枯渇させてしまう。
後先を考えない攻撃で、レオナルドのMPは半分も残っていない。
そこまでして、何とか打ち合える程度に見える。それほどの戦力差を嬉しく思いながら、レオナルドは間合いをにらみ続ける。
「やっぱ、エリアスは強くないとな」
その言葉が届いているのかどうかはわからない。
しかし、赤く濁った瞳のエリアスは聞き取りづらいほどにしゃがれた声で「お前に何が判る」とつぶやくと、レオナルドの首を跳ね飛ばすべく、水晶の剣を最後の陽光に閃かせた。
◆ Chapter4.06
わからないさ、それは。
レオナルドは激しい剣劇を舞いながら、そう思う。
まるでわからないということはない。
しかし、エリアスの苦しみを受け取ることはできない。
レオナルドはエリアスと旅をしてきたし、その明るさも、愚直さも、隠した悲哀も知っているつもりだ。彼が同胞を失ったことに悲嘆し、その原因は自分の力不足にあるのではないかと罪悪感に苦しんでいたことも知っている。
でもそれらは、知っているだけで、わかっているとは言えない。
わかるとは、言えないし、言うべきでもないだろう。
旅の仲間なんて、他人より少し近しい程度のものだ。
脇腹に焼けるような痛みが走った
交通事故もかくやというような惨状で緑色のスーツが裂けている。もともとこの防具は隠密性能に重きを置いたものであって、対冷気抵抗はほとんど持ち合わせないのだ。
わずかに鈴を鳴らすような音。
引き換えに突き出した鋭い刃は、エリアスの首だけをかしげた姿勢で回避されている。白いサーコートの襟をかするだけで精いっぱいだったようだ。
それが今の二人の間にある戦力差そのものである。
HPの少なくない割合をおとりに使って、襟足をかするので精々。
確かにエリアスもかなりのダメージを受けているが、それはレオナルドとマッチアップを始める前に消耗していたことが原因だ。
だがその戦力差は、心地よかった。
エリアスが弱かったらもっとずっと悲痛な気持ちになってしまっただろう。
「それでこそエリアス=ハックブレードだからな!」
言い放った言葉が、まるで実態を持つ雷撃魔法であったように、エリアスは濁った瞳をわずかに見開いた。その指摘がまるで倦んだ古傷に触れたかとでもいうように、手負いの叫びをあげて刃をふるう。
さすがにその攻撃を受けるわけにはいかなかった。
余波だけで装甲を貫通するほどの衝撃が通るのだ。刃の直撃を受ければ四肢が欠損する可能性すらある。レオナルドは寸前で身を引きながら、自らも双刀を振るう。一撃の大きさで勝てないのならより早く。
「だって、アンタ、あいつらの仲間じゃないか!」
到底届かないだろうと思いつつも、レオナルドは叫んだ。
当たり前だ。それはエリアスの知らない世界のこと。
レオナルドくらいしか語らないこと。
エリアス=ハックブレードは輝かしいヒーローの一人だ。
ハルクや、スパイダーマンや、ソーや、バットマンの仲間の一人だ。
困難や絶望に際しても気高く誇りを失わず、勇気を持って立ち上がり、戦う人々の仲間。
絶対不屈の意思を持ち栄誉ある殿堂に集う者たちの一員だ。
レオナルドが憧れる、その一人なのだ。
「俺はアンタのことしっていたよ。――〈テケリの廃街〉で出会う前から。ずっと知っていた。エリアス=ハックブレード! 世界で唯一の〈刀剣術師〉。全界十三騎士団の一つ〈赤枝の騎士団〉に所属する〈エルフ〉の英雄。妖精族に育てられた〈尊き血族〉。三人のアネモイの想いと共に両手剣〈水晶の清流〉を受け取った」
〈エルダー・テイル〉は何もゲームの中だけで楽しまれるわけではない。
広大な世界に散らばる無数のクエストは到底一人のプレイヤーが発見しきれるような数ではないので、その情報は共有される。攻略サイトや掲示板、あるいはメッセンジャーによる口伝えで、ゲームの情報は様々に伝えられていく。
特に、MMORPGの常として、新しく導入されたイベントやクエストは多くのユーザーの間で情報共有される。エリアスの登場するようなイベントは、拡張パックのメインストーリーにかかわるようなものが主だったから、なおさらだった。
ゲーム開発者の夢を詰め込んだような、典型的な二枚目の英雄キャラクターがエリアス=ハックブレードだ。長くたなびく金髪にサファイアの瞳。真っ白いコートに巨大な魔法剣。登場するクエストだって百を超える。
〈エルダー・テイル〉というゲームにおいてもっとも有名な登場人物の一人が、エリアス=ハックブレードなのだ。
ほかのサーバーではどうかわからないが、少なくとも北米や欧州などのラテン語圏サーバーにおいてエリアスは〈エルダー・テイル〉のアイコンとでもいうべきキャラクターだった。
そんなヒーローと〈テケリの廃街〉で出会い、ともに旅をした。
それは再び起きるかどうかわからないほどのめぐりあわせで、幻想的な旅だった。
「〈冒険者〉の間だって、エリアス=ハックブレード。アンタのことは有名だったんだぜ。〈大地人〉の守護者。境界をまたにかけて飛び回る十三騎士団の誇る英雄。アンタと轡を並べて戦った〈冒険者〉だって少なくはない。オレたちだって、アンタの噂をしていた」
「黙れっ」
吠え声とともに氷の嵐が襲ってきた。
エリアスの魔力が暴走し、その背中には翼のような氷の盾が生えている。
レオナルドは高揚と使命感に突き動かされて、さらに半歩、死線に踏み込んだ。
降り注ぐ氷の結界魔術は、短剣というより槍のような大きさでレオナルドを傷つける。断続的に低下していくHPの減り方は、グラスのワインをこぼしてしまった時のように急速だ。
「いいや黙らないね。〈闇の城塞〉では〈光の守り手〉のリーダーとしてエルフを守り、〈竜の巣〉では〈冒険者〉とともに悪竜ザッハートに立ち向かった。絶対無敵の剣技〈妖精剣〉を操って、時には〈冒険者〉と対立することもあったけれど、それはすべて〈大地人〉を守るため。間違いなくこの世界の守護者だった」
守護者という言葉がエリアスを打ち据えたようだった。
永遠の悲嘆で凍り付いたような瞳が、レオナルドを見つめ、言葉にならない涙を流しているように見えた。
レオナルドはいま橋を架けるのだ。
エリアスを応援していた何百何千という、気のいいギークたちの好意を届けるのだ。それが〈配達人〉たる彼の使命だった。傷ついて落ち込んでいる、この頭の悪いヒーローに、自分自身の価値ってものを、教えてやらないといけない。
「ちゃんと知ってたよ。赤鼻のルビエンス姫に騙されて幽閉されていたことだって。お話しじゃおだてられて騙されてしびれ薬を飲まされたってことになっていたけれど、本当は、あの哀れな姫がかわいそうになって、だから薬を飲んで話し相手になっていてやったんだろ? 金色のイノシシ狩りの時、トネリコの槍を宿屋に忘れていったのはアンタじゃないのか? ちゃんと知ってるよ。オレは……オレたちは……」
――あなたにとって彼は、彼女は、どんな人?
コッペリアの思慮深い静かな問いかけが響いたようだった。
エリアスはレオナルドにとってどんな人なのか。
そんな答えはとうに出ているのだ。
クライアントの前ではネクタイを締めるいっぱしの技術者として、照れくさくて言えなかっただけだ。
もちろん嫌う人もいた。
ゲームはプレイヤーが楽しむものだ。プレイヤーよりも強力で主役じみた冒険が可能だというだけで、嫌う人は嫌う。エリアスの持つ〈刀剣術師〉という職業がプレイヤーには選択できない専用のものだったことも、評判を悪くする原因であった。
しかしそれ以上に好かれてもいた。登場当時は傲慢に描かれていた性格も、時を経るにしたがって、温かみや人間性を感じさせるものになっていった。その呪いのせいで、いつも肝心な部分では〈冒険者〉に頼らなければいけないという点も、ユーモラスだという評価を受けた。「エリアスさん」と親しみ(と若干の揶揄)を込めてWebでは呼ばれていた。
もちろんみんなの噂話の中では、からかわれ、同情され、そして笑われていたりした。画面の中から必死に平和を訴えるが、時には「わたしの呪いが不幸を振りまくのだ……」などと悲劇を語ったりもする。少し残念な英雄だ。
でも、愛されていたのだ。
愛する〈エルダー・テイル〉というゲームを代表するキャラクターだ。
愛されないはずがないではないか。
この世界でヒーローを志したレオナルドにとっては、なお。
「〈夢幻の心臓〉や〈神託の天塔〉ではさ、一緒にすごしたよ。今となってはどういうことになってるかわからないけどさ、あの侵攻作戦の時、オレも一緒だった。一緒に薄明の長い階段を上ったよ。勝どきだって一緒に挙げたんだ。覚えてないんだろうな。そう考えれば〈大災害〉ってのは正真正銘のクソだな。アンタはオレたちにとってだって、オレたち〈冒険者〉にとってだって、英雄だ」
「英雄がなんだ! この呪いがあるせいで、私は私を求める人々すら救えないっ。同胞さえ見殺しにしたっ。死の言葉にだって――あの響きが私を縛る。すべての〈古来種〉を呪縛しているんだ。この鎖を引きちぎるためだったら」
そう、引きちぎるためだったらなんだってやるだろう。
エリアスの表情は引き歪んでいた。度重なる大技の行使でMPが枯渇しているのだろう。笛の鳴るような呼吸を繰り返し、ずぶ濡れになったその顔は、泣いているかどうかもわからない。それほどまでの後悔が、エリアスの中にあるのだ。
その痛みがレオナルドにも伝わる。
こんなにも強力で、高名で、誇り高い伝説の英雄エリアス=ハックブレード。まともに戦えば鎧袖一触にしかされないその英傑と戦って、レオナルドのHPは残りもはや二十五パーセントしか無い。
二十五パーセントから、減らない。
エリアスの道は今ここで尽きている。
レベル一〇〇にも及ぶこの〈古来種〉の英雄はたかだかひとりの〈暗殺者〉にすら勝てないのだ。カナミがエリアスとは真剣に戦わなかった、そして戦えなかった理由がここにある。この結果をつきつけることを避けて、千日手になっていたのだ。
「この鎖を引きちぎるためだったら、どんな苦難も引き受けようっ。奪われないために、大地を守るために、エリアス=ハックブレードは妖精の血だって捨ててみせるッ!」
「ならいいさ! やってみろよエリアス! 悪役は俺が引き受けてやる。――カエルみたいに弱っちい、憧れだけの素人を、縊り殺して見せろよ!」
奇しくもエリアスとレオナルド残りHPはおおよそ二十五パーセントだった。そのすべてを掛けて二人は激突した。エリアスの選択した技は、無数の氷の短剣を断続的に発射する〈千丈の水の刃〉。レオナルドの選んだ技は改良を重ねた〈デッドリー・ダンス〉。
その硬度を下手な金属より高めた氷片を、レオナルドは鋼そのものを振るい砕いていく。砕かれた氷はダイヤモンドダストのように鍾乳洞の光を反射し、あたりを銀世界と変えた。
紙とペンから、モデリングツールとコードから産まれた友人をレオナルドは讃えた。
夢を預けた相手に憧れて、やがて夢を預かる側になりたいと夢想した。
学生時代、ほんの少しだけゲームプログラマーに憧れなかったといえば、嘘になるだろう。
押し付けなのかもしれないし、役割の強制なのかもしれない。
でもだとしても踏み出さなければ、触れ合うことが出来ないのも確かなことだ。
旅の仲間なんて、他人より少し近しい程度のものだ。
しかしその距離が親友であって悪いなんて誰が決めた?
トゥーン・タウンのパーティーに招かれたのだ。レオナルドはエリアスの友になると決意した。そしてそれは彼にとっては与えられるものではなく、勝ち取るものだった。
無数の攻撃が、空中に冷気と火炎の複雑な軌跡を描く。
二人の間でかわされるやり取りは、甲高い響きと虹色の光で紡がれる交響曲だった。
それはエリアスとレオナルドが学ぶべき、新しい世界の旋律で、二人のHPが一〇パーセントに達するまで続けられた。