ベランダの草原
気持ちの良い晴れの朝だ。
いつものようにベランダのプランターに向かう。ごく小さな家庭菜園ながら、手塩にかけた野菜たちが育っている、はずだった。
いや、野菜たちが育っていたことには違いない。が、野菜たちに紛れ、手の平サイズの鹿の幼獣が一頭、人参の葉を食んでいる。
寝ぼけているのだな、と目を閉じて深呼吸し、再度目を開く。鹿は消えない。
自家製の野菜に非合法な成分でも含まれていただろうか、と冷や汗が流れる。
一旦落ち着こう、と普段通りに朝食を摂り、仕事に向かう準備を整える。流石に自家製の野菜を食べる気にはならなかった。
深呼吸を繰り返し、意を決してプランターを覗き込む。
鹿は消えることなく、土の上を呑気に歩き回っている。
仕事に向かう気分になど到底なれないが、鹿が見えること以外問題はない。帰ったら消えていることを祈りつつ、仕事に向かった。
集中することなど全くできなかったが、終業と同時に帰宅する。
プランターには鹿が無防備に眠っていた。恐る恐る指先で触れてみる。鹿は起きることなく、指先にその体温を感じた。
翌朝になっても鹿は消えない。昨日と同じく、呑気に人参の葉を食んでいる。
下手にその体温を感じてしまったせいか、プランターから取り除くことも出来ず、このままにしておこう、と対応を諦めた。
そう決めてしまえば、気持ちは幾分楽になった。家庭菜園からの収穫は望めなくなったが、ペットだと思えば悪くない。
数日が経った。鹿は消えるどころか著しく成長し、立派な角を生やしている。
プランター内は時間の流れが速いのか植生も大きく変わり、丈の短い草が生い茂って、もはや草原の様相を呈している。
プランターを覗くという、朝の日課に変わりはない。見るものが植物から動物に変わっただけだ。
その朝はいつもと様子が違っていた。鹿はプランターの隅で硬直し、その視線の先には一頭のライオンがいた。鹿と同じく手の平サイズである。今にも鹿に飛び掛かりそうな気配だ。
プランターの中に酸鼻な光景が広がるのは御免だ。とりあえずベランダに転がっていた物で、ライオンと鹿を隔てるように仕切りを作る。
鹿は安心したのか狭くなった草原をゆっくりと歩き、ライオンは苛立ったように歩きまわる。
ライオンは飢えてしまうだろうか、と冷蔵庫から豚肉を取り出す。
指先程の大きさの肉を切り出しながら、結局のところ、自分以外の生き死にを考えるのは愛着によるものだな、とぼんやりと考えた。