第二十九譚 《春》は祟らない
「あなたは、冬が終わらないことを望みますか?」
セツがヨウジュに尋ねた。
春を望まないことはすでに分かっている。だからあえて。
「私か。私は、実をいうと、どちらでも構わない」
意外な言葉がかえってきた。あれだけ「冬が終わらずとも、問題はない」と言い続けていたにもかかわらず、彼はそれを覆す。
ヨウジュは火のついていない煙草を弄びながら、喋り続ける。
「見たこともない春などは望まん。冬が続くのならば、それでもいい。冬患いが蔓延しても、それはそれだ。されど季節の循環が戻り、春が訪れるのならば、それもまた構わない話だ。町の者は変わることを恐れるが、漠然と恐れているにすぎない。旅人を敬遠するのもおなじだ。恐れることに根拠などはないのだ。私は漠然となにかを恐れることは、愚かだと考えている」
「あなたは、変革を受けいれてくださるのですね」
「害があるのならば、それが及んでから考えればよかろう。いや、結局は、措置など後でしか考えられないのだよ、そんなものだ」
煙草は、皺のある指をなめらかに移動する。
「だが、まあ、これは私の主張だがね」
煙草の先端が机をたたいた。彼はひとつ、つけ加える。
「ひとりの人間が町の業を負い、春に祟られ続けていることが、私にはどうにも承服しがたい」
「ハルビアの、父親ですか」
「いまはハルビア嬢がそうだ。具に言えば、その家系か。私はふたり、いや彼の妻を含めれば三名、犠牲を強いられたものを知っている。当時春を殺した者のことは、逢ったこともないので想像がつかないが、私がかかわった彼らは、善人だ」
「ええ、ええ、そうでしょうねぇ……僕からみていても、彼女は善人だ」
ハルビアは旅人を迎えいれ、暖かい料理を用意してくれた。冬に浸る町でただひとり、春にあこがれ、綺麗な季節を望んだ。悪意のかけらもなかった。彼女の望みをかなえたいと、セツは真実に思っていたのだ。
「私が医者になったのは彼らの為だった。だが、治療と研究は敢得ない結果を迎えた。親友の妻は出産直後になくなり、親友も一年経たず他界した。最後まで、彼は娘の声を聴くこともなかった。その娘も立ちあがることもできず、若くして命を落とすのかと考えると」
眉間を押さえて、ヨウジュが項垂れる。
火のついていない煙草が音もなく、机に落ちた。
「町の犠牲……いえ、冬を続ける為の犠牲ですか」
セツの表現を無言で肯定してから、ヨウジュは尋ねた。
「春は甦るのか」
町の者によって、殺されたのに。
「残念ながら、殺された季節は甦りません」
眠り続ける相棒の髪を梳きながら、セツは言った。
「ですが、欠けた季節がひとつだけならば、理に添って修復していきます。生物でいうところの子孫が産まれる。彼らは生殖をおこなわない。番になるということもない。親がいなくても、時が経てば、新たな季節が産まれます」
だから、あの黄金を纏った《光季》は、実の母親ではなかったのだ。けれど彼女が娘と言ったことにはちゃんと意味があり、愛があったのだとも、彼は理解していた。愛とはわかりやすいものだけではない。種が違えばなおさらだ。
「僕は、季節の声に誘われ、この地域を訪れました。たどり着いた時は《冬》の声だと思っていました。不眠不休で地域を護り続けた《冬》が助けをもとめているのかと。けれど違った。これは《新たな春》の声だ」
「《新たな春》だと」
「七十年経てば、新たな幼体が産まれて然るべきです。季節の循環が再開してもいいくらいだ。ですが、そうはなっていない。なんらかの妨げがあるということです。それを取りのぞいて、修正するのが僕の、季環師の役割です」
春の到来が現実のかたちを帯びてきて焦ったのか、ヨウジュが複雑な表情をする。
「春が、町に復讐をするということは」
「ありません」
はっきりと否定する。
「だがこれまで祟ってきたものだ」
「祟りではありません。ほんとうは、はじめから祟りなんてなかったんですよ」
「なんだと? あれが祟りでなければなんなのだ」
「それについては後ほど、場を設けて、お教えいたします」
セツは人差し指を立てて、意味深に微笑んだ。
「ところであれから、どれくらい経ってますかぁ?」
「……君がここを訪ねてから、二晩だが」
「それはよかった。それでは城に出掛けてからは、一晩経っているだけですね。いやあ、われながら頑丈ですねぇ。師匠に鍛えられた甲斐がありますねぇ」
砕けた物言いに戻して、セツは寝台から起きあがった。
寝台に取り残されたクワイヤが眠りから覚める。彼女は数秒ぼんやりとしていたが、すぐに事態を思いだして、声にならない声をあげて飛びついてきた。涙がぼろぼろと流れて、絹の生地に後を残す。万華鏡の瞳は涙に覆われて、星を砕いたみたいだ。
「うわああああん! ばかばかっ、死んじゃったかとおもったんだからぁ!」
「ごめんね、もうだいじょうぶですよ」
強く抱き締めてから、セツは普段のように、クワイヤを抱えあげた。
「おい、傷を縫ったばかりだ。まだ安静に」
「長くここに留まるわけにはいきませんからねぇ」
医者の制止を振りきって、セツは椅子にかけられていた外套をつかんだ。痛みは残っていたが、動くのに支障はなかった。
「お世話になりました。治療費は置いていきます」
机の端に銀貨を積みあげた。
鷲鼻の医者はにがにがしく視線を逸らす。
「……いま、君が町を去っても、私は責めない」
「去りませんよ、いやだなあ」
肩を竦めて、セツは笑った。
「町は、君の敵だ」
「わかっていますよ」
「また襲われないともかぎらない」
「ですが、この町の者は決して、悪人ではない。いえ、どちらかといえば、善人だ。よそ者は嫌いでも、宿屋の娘のことは大事に想っているはずです」
「それは……そうだが」
ヨウジュが言葉を詰まらせた。
なぜそこまでして、冬を終わらせようとするのかと、視線が尋ねていた。
「僕はただ、みなさんに《季節》をご覧にいれようとおもって」
季節は綺麗ですからねぇと、彼は素知らぬふりを装い、微笑んだ。




