第十五譚 季節は《生》きている
「城ですか?」
食後の茶を運んできたハルビアが聞きかえしてきた。
雪はあれから、やまずに降り続いていた。
頭に雪を乗せて帰ってきたふたりにハルビアは急いで、風呂の準備をしてくれた。外套はすっかりと濡れてしまったので、いまは暖炉の前にならべて、乾かしているところだ。
落ち着いてから、セツはハルビアに案内を頼んでおいて急にいなくなったことを詫びた。今晩は無理だが、朝になって吹雪がやんでいれば、医者にも謝りにいくつもりだと伝える。ハルビアは「気になさらなくても、きっと、だいじょうぶですよ」と言ってくれた。
夕食には綿羊蹄の尾の煮込みに魚の串焼きなどがならび、昨晩と変わらず豪華だった。今晩はハルビアと一緒に食卓をかこみ、賑やかに食事を終えた。後片づけを手伝い、食後のお茶が運ばれてきてから、セツは昼から気に懸かっていたことを尋ねたのであった。
「西側の雪の壁から南の方角に城があったので」
ハルビアは数秒考え込んで、城というものに思い当たったのか、「ああ」と声をあげた。
「あの城ですか。昔この土地を統治していた男爵の城……だったと聞き及んでいます」
「だった……ということは、いまは」
「ええ、終わらない冬の発端となった豪雪が城に続く道を塞いでしまって。当時の町の人々が雪を掻いて、なんとか城までたどり着いた頃には、城に暮らしていたものは一人残らず、凍えて死んでいたそうです。男爵は中央都からやってきたので、この土地の気候に慣れていなかったのでしょうね。
それからは町の人は城に近づかなくなって、積年の雪で道は埋まってしまい、いまでは荒れ果てていると思います」
「そうですかぁ。それでしたら、いまは、あの城にはいけないのですねぇ」
「あの城にはなにも残っていませんよ?」
それほど興味を持たれるとは意外だったのか、ハルビアはきょとんとしている。
「冬が終わらなくなったのはいつでしたか?」
「ええっと、確か、七十二年前だと」
「ずいぶんと昔ですねぇ」
思考を巡らせつつ、セツは紅茶を飲んだ。
茶葉に乾燥させた果実をまぜた紅茶は、湯気からも熟した果実の濃い香りが漂ってきた。これに蜂蜜を垂らして飲むと、寒い晩でもぽかぽかと暖まって、安眠できるそうだ。
「城は冬の発端となった豪雪に埋もれ、滅びた。ならば、そこにこの終わらない冬の手掛かりがあるかもしれません。調査をする価値はありますよぉ」
春を殺めたのが町の者とはかぎらない。
男爵の軍が季節殺しに及んだとも考えられた。
「まずは手掛かりをつかまないと。声は、絶えず聴こえているんですけれどねえ」
「声ですか?」
ハルビアが首を傾げた。丁寧に編まれた髪が揺れる。
「あれ、話していませんでしたか? 僕には季節の声が聴こえるんです」
「それはあの、料理をする人が素材の声が聴こえるというのと」
「いえいえ、それとは違います。そうじゃなくて。実際に声が聴こえるんですよ」
へらへらと笑いながら、彼が言えば、ずいぶんと胡散臭い。
「それは、季環師のちからということでしょうか?」
「そうとも言えますが、正確には季節読みと言います。季節を読む才能がなければ、季節と接触することはできません。季節の転換期には、一般人でも季節を見掛けることがありますが、その程度です。季節を読める者が就く職種のひとつが、季環師なんですよぉ」
「そうなのですか、それでは季節に関係する職は、他にも種類があるのですね」
「季節に携わる職は多岐に渡ります。季節の循環を護る者がいれば、各地をまわって季節を披露する者もいて……季環師とは決して、相いれない職業もありますがねぇ」
セツは喋りながら、時々だが、暖炉に視線をむけた。
この地域の暖炉は燃え続けていても暑くなく、春の陽だまりのような心地よさがある。
暖炉の前のもっとも暖かい場所を陣取って、クワイヤは暇をもてあますように寝そべっていた。いまは薄手の外套をかぶっている。暖炉の側でぱたりぱたりと、ちいさな踵が緩やかに動いている。動物の尾のようだ。
愛おしむような視線をそそいで、彼はまた、会話に戻る。
「季節読みの才能は、生まれつきのものであることがほとんどです。なんらかの経験を経て、季節を読めるようになる者もいることはいますが、実に希ですねぇ。勉学を積んで、習得できるものではありません。季節の息吹が感じられるかどうかなので」
「季節を読む、ですか。あの、季節には、声があるのですか? ほんとうに声が」
「ええ、僕らと変わらない、かたちのある声ですよぉ。才能を備えていないものには、近づかなければ聴こえないほど、細やかなものですが」
湯気をあげている木製の杯を置き、セツは言葉づかいを変える。
「季節とは無形のものではありません。それぞれが生物のかたちを持っています。おんなじ季節であってもそのかたちは地域によって違い、翼を携えた春もいれば、鰭を持った春もいます。冬もそう。猛獣であったり、人のかたちを模したものもいます」
ハルビアは驚いた声をあげた。
季節が生物だなんて想像だにしていなかったに違いない。その様子をみて、セツはにがく微笑んだ。細められた目の端からは、微かだが、哀れみが滲んでいる。
「外の者はみな、季節がどのようなものかを知っています。冬が、長すぎたんですね」
彼は静かに続けた。
「季節は生きています。だから、殺される」
「殺され、る?」
その言葉の不穏な響きに、ハルビアは一瞬、呼吸をとめた。
不穏で、恐ろしく異質だった。
殺されるという言葉は、彼女のなかでは決して、季節とは結びつかないはずだ。季節が生きているということに実感が沸かないのに、季節の死に、考えが至るはずもなかった。
言葉の重さだけが、ずしんと彼女の鼓膜に残る。




