序 美しき幻想譚は《季節》から紡がれる
『アニセカ小説大賞』に参加するため、新連載いたします。
これまで夢見里とは違った本格ファンタジーですが、お楽しみいただければ幸甚でございます。
季節が微かに息をしていた。
まるみを帯びた莟が震える。透きとおった紫の、触れることがためらわれるほどに繊細なはなびらがいま、緩やかにほどけようとしていた。重なりあったはなびらがひとつ、ふたつと捲れあがる。
それは美しい光景だった。
傷だらけの少年だけが、静かに莟を見つめていた。
上質な絹の洋服は破れ、傷から滲んだもので赤く濡れていた。鼻の頭はすりむけ、頬にはよごれがついている。ひどい格好だ。けれど瞳だけは、輝いていた。
彼は呼吸さえわすれて、その光景を仰視していた。
莟がついた茎は人の背たけを優に超え、まるまると膨らんだ莟も大きかった。どれほどの大輪が咲き誇るのか、想像もつかない。綻んだはなびらのすきまから、柔らかな光があふれてきた。はなびらを透かして人影が浮かびあがった。
莟のなかに誰かが眠っている。
少年がのぞき込むのを待たず。
花が、咲き誇った。
八重咲の、優麗なる花形は、どの季節を彩る、どんな植物とも違っていた。馥郁たる香りがふわりと漂い、薄絹のような光が一帯に満ちる。歓喜に震えるはなびらのまんなかに種子を結ぶための子房はなく、少女がひとり、膝をかかえて眠っている。
一糸纏わぬ姿で、穏やかに寝息を繰りかえす。頬に薄紫の光を受けて、透きとおった肌が際立っていた。少女の肌は積もり始めたばかりの雪のようにけがれがない。少女はその白皙に、銀の髪を巻きつけていた。光が繊維になったような、艶やかな銀髪だ。地上の生き物ではないかのように、彼女は綺麗だった。
銀細工の睫毛を瞬かせて、少女は目蓋を持ちあげる。
眸も銀。光が差すと眸は虹を帯びた。鏡のなかに華が飾られているような、万華鏡の眸だ。
麗美を極めた瞳が少年にむけられる。傷ついた姿が、その綺麗な双眸に映しだされた。彼は銀の瞳に映り込んだ自分がよごれた格好をしていたことにあらためて気がつき、なぜか後ろめたいと思った。
少女はまだ微睡んでいたが、なにを想ったのか。
ふわりと、彼に微笑みかけた。
すべてが奪われ、侵されたこの地域で。
こんなにも美しく、季節が産まれた。