星々だけが輝いて
感想に飢えてます。感想プリーズ
解体された魔獣の肉体がアリスの生み出して炎で焙られている。燃料は魔獣から取った獣脂だ。脂ののった肉が焦がされる旨そうな匂いが周囲を漂っているが、正直、食傷気味であり、気分は高揚しない。異世界に転生してもう二年が経つ、たまには魔獣以外の食べ物も食べたい。娯楽の乏しさや生活の質の低下には慣れた、というより諦めがついたが、食事という生物としての欲求に根差したこの渇望は如何ともしがたい。
「豆腐が食いたい。冷ややっこ、湯豆腐も」
「なんだ、それは」
残った魔獣の肉を光熱魔法と風魔法で急速脱水させ干し肉を作っていたアリスが振り向く。
「豆のしぼり汁を凝固剤で固めた食べ物。白くて四角くてつるつるしてる。豆の風味があって、口当たりがいい。疲れている時でもするする食べれる。転生前の世界でよく食べてた」
「ほう。この世界にもあっただろうか」
彼女は興味津々といった体で近づいてきた。自分の知らない話が好物なのだ。
「どうだろう、今まで旅してきた限りでは文化圏が違う気がするな。滅ぶ前にも、豆腐なんてなかったんじゃないか」
「世界が滅ぶ前なら作れただろうか」
「いやあ、俺豆腐作りの知識なんてないし、食う専門」
俺はアリスから目線をそらし、周囲を見渡した。岩と砂、それと枯れた河床が周囲に広がっている、辛うじて人類文明の名残を伝えるのは、帝国が作った石畳で出来た主要幹線道路だ、人類が完全に滅んでもこの道路は残り続けるだろう。俺たちは、この道路をひたすら南下している。その途中、集落の跡にぶつかることもあるがほとんどが無人、最後に僕以外の人に会ったのは一ヶ月ほど前だ。その中で一番年を取った長老格から、この道は第二帝都に通じていると聞き、特にやることもないので、その大都市を目指している。
肉が焼けたのでアリスと一緒に食事をする。アリスは本来、食事をする必要はないのだが、俺が一人での食事は味気ないと文句を言ったのでそれ以来、付き合ってくれるようになった。ちょっと申し訳ないなと思っていたが、いつかの食事の最中、アリスは出し抜けに「お前と食事をするのは幸せだ」と真顔で言ってきた。アリスなりにこの食事という行為を楽しんでくれていると知って俺は気が楽になった。
空を見上げると、代赭色の太陽が山脈の向こうに沈んでいこうとしていた。太陽、というより星々はこの世界の中で数少ない滅亡を逃れた存在だ。太陽が放つ光線の中には微量のマナが含まれている、しかし、それだけでこの世界を賄うには足りない。
食事の後片付けを終えた俺は、魔獣の皮から作った毛布を地面に広げ、その上に横になった。
「今日は一日、歩き続けただけだったね」
「でも、楽しかった」
アリスは事も無げに言った。彼女はありとあらゆることを楽しむことができる稀有な気質の持ち主だ。俺にとっては、ただ退屈だった岩と砂だからけの荒野の風景も、彼女はそこに何か新鮮な意味を感じ取る。百年以上、居城の大広間の光景しか知らなかったため、退屈を紛らわすため、見る物全てに意味を与えるような態度が身に着いたのかもしれない。
「そう言ってくれるのなら、君を連れ出した甲斐がある」
「あのまま城で朽ちていくのを待っているだけだったら、この楽しみは知らないままだった。感謝しているぞ、シズル」
俺は軽く頷いて、アリスを見つめる。アリスは見た目18歳前後のどこか鋭さを感じさせる造形をした美少女だった、烏の羽のような黒い髪が肩にかかっている。草臥れた灰色のローブを纏っているか、その可憐さはいささかも損なわれていない。
「もう寝ようか」
「分かった」
アリスは衣服を脱ぎ始める。俺も高校の制服と下着を脱いで、裸になった。この世界で性交は数少ない娯楽だ、彼女とセックスするようになってから半年が経つが、それ以来、ほぼ毎日のように一日の終わりにセックスしている。彼女の肢体が夕日に照らされて輝く。張り出した胸、優雅な丸み尻、くびれた腰、神々しいのだが同時に性欲という俗な衝動をこれ以上なく刺激する煽情的な肉体だ。彼女は完璧な個体として生まれついたので、子供を産む機能はないと自己申告した。それでも性器は備わっていて、セックスで快楽を味わうことも可能だった。彼女は世界を味わうのと同じぐらい、セックスに夢中になった。一日の終わりに、俺が疲れてもう眠りたいと思っているときでも、彼女はセックスを求めた。俺は転生前は男子高校生だったが、その肉体を転生に当たって殆ど継続させている。彼女の性欲に応えるだけの体力はあった。
彼女の体を抱きながら、俺も快楽に溺れる。アリスと出会ってから、転生もまんざら捨てたもんじゃないと俺は思い始めた。セックスだけではなく、アリスの過ごす時間が愛おしかった。
数度にわたる絶頂の後、俺たちは特に言葉もなく、お互いを抱き合って眠ろうとする。アリスは目をつぶると一瞬で眠りについた。俺は寝つきがいい方ではないのでしばらくアリスの寝顔を見つめている。片手でアリスの額にかかった髪を持ち上げる。そこには痛々しい傷跡があった。やっぱり、この傷は治らないんだな、と哀れみの感情が浮かんでくる。だが、そのような同情は彼女の誇りを傷つけるかもしれない。俺はその傷跡にそっと口づけすると、空を見上げた、一面の星空が文明の炎が消えたこの大地を照らしている。俺は、しばらく夜空を眺めていたが、いつのまにか眠りについた。
太陽が地平線の向こうから姿を現すのが、俺たちの行動開始の合図だ。魔獣の残りの肉を食べ、荷物を背負うと道路をひたすら南下する、滅んだ集落に出会えば何か使えるものがないか物色し、魔獣が襲ってきたらこれを殺しその肉を食べ、必要があれば骨や皮を加工した。代り映えのしない日々が一週間続いた。次の日の昼過ぎごろ、小高い丘を背景に何か建物が立ち上がるのが見えてきた。
「あれが、帝国第二都市か」
アリスが前方を指さす。
「いや、そこまでの大きさじゃない。でも結構デカいね。中堅どころの城塞都市って感じだ。もしかすると人がいるかも」
「探知するか?」
「もっと近づいてからでいいよ」
それからしばらくするとアリスが呟く。
「城壁の上に、三人立っている」
「本当? 全然見えない……」
「目を潰そうか」
アリスは右手を上げ指を二本立てた。
「いや、いいです」
その手を制して歩みを続ける。やがて門扉が破損した城塞の都市の入り口にたどり着いた。背後の地形は盛り上がっていて、その先は見通せない。
「もう、城壁の上に人いないね」
「どっかに隠れているんだろう。いま探知する」
アリスは目を閉じて、両手を広げた。
「思ったよりマナの反応が多いな、百人ぐらいいそうだ」
「ええ? それは多いね。こんな大人数の集落久しぶりじゃない?」
もっともこの都市の大きさなら、本来のところ二千人ぐらい暮らしていてもおかしくない。辛うじて生き残った人々が肩を寄せ合って生きているのだろう。
いきなり攻撃される恐れもある。俺は気を落ち着かせて、一歩、都市の中に踏み込んだ。
都市の内部は荒れ果てていたが、形が残っている建物も多くある。俺には分からないが、アリスの顔色を見るにそこかしこに人が隠れていそうだ。かつては人で賑わっていたと思わしい大きな酒場の横を通り過ぎて、街の中央広場に出る。周囲の壁壁で仕切られた空を見上げると、晴れているとも曇っているとも形容しがたい霞がかかった天気模様だった。
地上に目線を戻すと、広場に繋がる東西南北の路地から武装した若い男女達が姿を現した。着ているものは粗末だが、手に持つ剣や斧は十分な手入れがされている。
「動くな、お前たち、何者だ?」
北の路地から現れたひときわ体格の良い頭目格と思われる男が口を開いた、頬に刀傷があり目は鋭く人相は悪いが、そんなに歳は行ってないように見える。俺の五、六歳上ぐらいだろうか。
アリスは無感情に男たちを見つめ口を開こうとしない。代わりに俺から説明する。
「俺たちは旅人だ、北部のロスデリアから南下を続けている。敵意はないから武器はしまって欲しい」
「お前ら二人だけか?」
「そうだよ」
「じゃあ荷物置いて、この街から出ていけ。この街にお前らの居場所はない」
「いや女は残れ」
別の男が熱心にアリスを見つめて言った、彼はやがて前かがみになる。仲間の女の一人が露骨に顔をしかめる。
「まあ、そう言わず。他の集落がいまどうなってるかとか気にならない? 俺たちの見聞きしたものを教えるよ」
「殺されたいのか? はっきり言うがお前ら雑魚だろ。マナを全然感じねえぞ」
この世界におけるマナとは万物の活力のようなものだ。人間だろうと魔獣だろうと強い奴はそれに相応して体に宿るマナが多い。特に人間は外部のマナを取り入れるのが肉体の構造上難しいらしく、ほとんどを自分の体が生み出す自前のマナに頼っている。確かに今の状態のアリスの体にマナは乏しく、俺に至ってはほとんど皆無だ。彼が我々を取るに足らない者として扱うのも分からなくはない、ただちょっとばかり考えが足りないと思うが。
「かかってくるなら相手になるよ。戦うのも一つの娯楽だ」
そう言って、俺は腰から短刀を抜いた。漆黒の刃に日光が反射する。
「いい物持ってんじゃないか、お前にはもったいねえ」
男は狂暴な笑みを浮かべると片手をあげた、包囲の輪が縮まりだす。
「アリス、君は手を出すな。こいつらは俺が倒す」
そういうと、アリスは首を振った。
「それはずるい。私も戦いたい」
アリスはローブを脱いだ、年期を帯びているが金糸で飾られた豪奢な黒い衣服が露になる。彼女は右手を突き出し、左手を奧に構えた。
「女は拘束しろ、男は殺せ、行け」
頭目の男が号令する、男女が武器を上段に構える。その時だった。
「辞めろ馬鹿者」
北側の路地から怒鳴り声が響いた。白髪の老人が杖を掲げ、こちらを憤怒の表情で睨みつけている。
男は、しばらくその老人と睨みあってたが、やがて一つ舌打ちをし、武器を下ろした。
老人はゆっくりと近づいてくると、杖で男を殴った。思ったより威力があるようで男は割れた石畳に倒れ込んだ。
「何しやがる」
「それはこちらの台詞だ。お前は貴重な戦力を消耗する気か」
「消耗だと、こんな雑魚相手に俺らが後れを取るとでも」
「そこよ」
老人は杖で俺たちを示した。
「この者どもからは、殆どマナを感じない」
「だから……」
抗弁しようとする男を老人は再び殴った。
「本当にマナがなかったら、魔獣が出る荒野を旅なんぞ出来るわけがなかろうが。この者どもは自分の実力を隠しているのだ」
男は這いつくばりながらその言葉にハッとしたようだった。そうだ、その点に考えが至らないのは未熟と言える。もっとも老人の言葉も正鵠を射ているわけではないのだが。
老人は我々の正面に立った。
「わしの名はクシウス、この街の長老の一人だ。そこで倒れているのはロスタム。そなたら名は?」
「俺の名前はシズル、こっちはアリス。あなたがこの街で一番偉い人ですか?」
「いや、最長老は病に臥せっているので、代理でこの街を取り仕切っておる。そなたたちは旅人と言ったな、北部、ロスデリアからだと。北はどうなっている、機能を維持している都市はあるのか? 帝国は?」
「この街と同じですよ、わずかな生き残りが固まって過ごしている集落はありますが、まとまった勢力はありません。帝国は滅びました」
俺の言葉を聞いた、老人たちは硬い表情をして黙った。
「やっぱり俺たちもう終わりなんだ……」
手斧を持った背の低い男がへたり込みながら呟く。
「……終わりだぁ?」
倒れていた男、ロスタムが立ち上がる。その眼には炎が燃えていた。
「俺たちが生きている限り、終わりじゃねえ。石にかじりついてでも生き延びてやる」
ロスタムは背の低い男を睨みつける。男はその眼を恐れるように他の男の陰に隠れた。
「ところで我々のことなんですが」
俺は手をあげながら言った。
「できれば、寝所を借りたいです。ここしばらく屋根の下で眠ってないもので」
クシウスは顎に手を当てしばらく考えていたが、やがて決心したようだった。
「それぐらいならよかろう。ただし食事は提供できんぞ。いまこの街は魔獣狩りもできんのでな」
「魔獣が狩れない? なぜですか? ここにいる彼らを使えば……」
「俺らの手に負えない魔獣が出たんだよ」
ロスタムは悔し気に吐き捨てた。クシウスが言葉を継ぐ。
「一週間前から丘を越えて大型の魔獣がこの辺りに出没するようになった。二十人の武装した戦士で倒そうとしたがろくに傷を負わせることもできず数名が殺され撤退した、あいつがどこか別の土地に行くまで魔獣狩りは危険なので見合わせるしかない」
「どんな魔獣だ」
今まで黙っていたアリスが口を開くと視線が集中した。アリスはうるさそうに頭を振って繰り返した。
「どんな魔獣かと聞いている」
クシウスが咳払いして答える。
「一つ目の人型の魔獣だ。この都市の胸壁の下ぐらいに頭頂がくる。剣や斧で多少傷をつけたぐらいではびくともせん」
アリスは俺に笑いかけた。
「シズル、お前の好みではないな」
食べ物としてお前の好物ではないなという意味だ。実際その通りで、俺は人型の魔獣を食べるのがあまり好きではない、四つ足の生き物を模した魔獣であれば気にならないのだが、人型はやはり人肉食を想起するところがある。
笑顔を打ち消すとアリスはつまらなそうに言った。
「その手の魔獣は、おいそれとねぐらを変えない。というよりこの都市の人間を狙っていて、いまは偵察の最中だろう。この都市に大した防備がないことに気づけば、城壁を打ち崩し中の人間を皆殺しにするぞ」
「なぜそんなことが分かる?」
ロスタムは敵意を剥き出しにして聞いてきた。
「経験則だ」
見た目はロスタムより若いものの実はもっと歳を経ているアリスは、若い敵意を受け流しながら答えた。
険悪な雰囲気が漂う中、俺は声をあげた。
「もしよかったら、その魔獣、俺が倒そうか」
今度はみんなの目が俺に集中する。一瞬の沈黙の後、若者達は大きな笑い声をあげた、俺を嘲り侮蔑する笑いだった。しかしクシウスは笑わなかった。
「できるのか?」
「はっきり言って負けようがないです」
俺は胸を張るでもなく、当然のこととして答えた。
「奴を見たわけでもないのによくそんなことが言えるな」
若者たちの一人、長槍で武装した短髪の女が挑発するように言う。俺はそちらを見てにっこりと笑った。「こいつ……」若者たちに怒りが広がる。
「分かった!」
クシウスが大声をあげた。
「シズル殿、貴君にあの魔獣を討伐してもらおう。奴が再びこの都市の近くに姿を現すまで逗留するがいい。奴の姿が見えたら呼び出す。だが、食料は提供できんぞ。そんなにも強いのなら自分で用意したまえ」
「はい、短い間ですがよろしく」
「ミナ、来い」
老人が路地の向こうに向かって叫んだ。先ほどから彼の声量には驚かされる。
建物の陰から一人の少女が顔を覗かせた、両手で杖を握りしめ、緊張した面持ちでこちらを眺めている。それなりに整った顔つきをしているが痩せすぎだ。
「何をしている、さっさと来い」
老人の剣幕におびえたように顔を引きつらせて少女がこっちにやってきた。
「これは、ミナ。わしの弟子だ。こいつに寝床を案内させよう。ミナ、この者たちにどこか適当な家をあてがえ、中央広場に近いところが良い」
「か、かしこまりました。で、ではお客人どうぞこちらへ」
ミナは媚びた笑いを浮かべながら、俺たちの先頭に立った。案内されている途中、俺はアリスの顔を盗み見た。平然とした表情を浮かべているが、内心では黒い炎が燃えているのを俺は知っている。アリスは本心ではこの街の人間を一人残らず血祭りにあげたいのだ。
さて、この街では一体、何が起きるだろうか。退屈な旅の中での一瞬の刺激。俺は心が躍っていた。
続く
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