8話 ある少女の望み
「・・・・・・あぁ?」
「いや、お前の主張はもう聞いた。こいつがこう悪いとか、そういう言い訳はしなかったようだが。・・・他言したら容赦しないと、お前は誇らしげに言っただろ。」
冷たい風が吹く。
「で。お前はどうして欲しいんだ。俺は平穏な食事をしなきゃならないから・・・場合によっては見捨てるぞ。」
彼は死んだ目で、私に尋ねた。
「っ・・・。」
「お、おいおい、テメエ何をふざけたこと抜かしてやがんだァ?あんま調子乗ってるとヤクザ呼ぶぞッ!!」
困惑する私の頭を、怒鳴り声が掻き乱す。何をどういえばいいか、何も分からなくなる。が、彼はそれも差し置いて続けた。
「おー吠える吠える、威を借りて虎に成った気か。他力本願にしても、よくもまあそこまでチープな威嚇ができるよ・・・自分を大きく見せたいんなら、もうちょい上手くやった方がいい。───」
──言ってすぐ、壁の板が割れる。
「ひっ・・・!!」
拳は、体育館の壁に突き刺さっている。取り巻きの一人が声を上げ、落ちた木片がカランと鳴る。
「・・・なんつっても、これ舗装前の壁だから見た目よりもろいんだけどな。まあそれでも、多分お前らが殴ったそいつの顔よりは堅い。」
口調は、異様に落ち着いている。
「・・・で、どうする。こいつら全員の顔面を、お前と同じようにしばきまわせば満足か?それとも自分で殴り返したいのか。・・・左半面は十回以上、鼻っ柱に五回と右側を三回程殴られたお前は、これからどうする。」
無表情。男子生徒は眉一つ歪めずに、空気に冷たい圧をかけた。
「わた・・・しはっ・・・!」
左頬が痛くて、思ったように喋れない。蹴られたお腹が痛いから、息を吸うのがぎこちない。でも、言わなくちゃいけない。私の望みは何か、それが彼の期待にそぐわないものでも、言わなくちゃいけないと思った。
「どうした?こいつらの仕返しが怖いってんなら、その他にもやりようはあるが。」
違う。報復なんて興味もない。ただ私は───
「──許して・・・欲しいだけっ!!」
半ば叫びつつも、言った。
「・・・。」
無音の風が草を撫でる。彼の目は凍ったままで、少し怖い。声を出した反動で、こらえてたのにまた泣けてきた。情けなくてやになるけど、でも続けた。
「恋愛なんてって馬鹿にして、失恋の悲しさとか分かんなかったけどっ・・・!でも私を・・・咎めないで欲しいだけ!!怖い顔、向けないで欲しいってだけ!!」
優しい視線、それが私の望みだった。ピンクでも紫でもなくて、オレンジとか緑の視線。温かくて安心するって言うとガキっぽいけど、でもそれが欲しかった。優しくないのは嫌で、優しいのが好き。私の性根は、知ってたけど単純だった。
「・・・殴らなくていいんだな?」
確認する彼に、怖いけど頷く。
「つまり俺に、こいつらを殴るなと言いたいわけか。」
その男子生徒は段差に弁当を置いて、もとより姿勢を伸ばしながら立ち上がる。猫背だったから気が付かなかったけど、その背丈はしっかり高かった。
「ひぃッ・・・!!」
指を折って鳴らした音に、さっきまで憤怒をたぎらせていた女子たちの威性も消える。頷いたら私、今度はこの人に殴られるのかな。
でも、いいや。他の人が殴られるのを見るよりは、こっちの方がいい。私は目を閉じ唾を呑んでから、見開いて頷いた。
「・・・そうか。っはは。」
俯いて顔が見えなくなる。それから彼は、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「──なに、してるんですか?」
「ッ──!!」
反対側の曲がり角から出てきて言ったのは、別の女子生徒だ。彼女が見た現場と言うと、群れる女子と怪我だらけの私、その傍に立ちはだかる一人の男子生徒である。
「さて、と。・・・どうすっかな。」
彼が言って、女子たちは慌てふためく。青ざめた顔からは恐怖、この現場が全校の知るところになる事への恐れが垣間見える。報復なんて望んでないのに、このままいけば彼女らは間違いなく裁かれる。出来心だったことなんて知られず、私に言い寄るような奴らはここぞとばかりに出しゃばって彼女らを罵る。それは、いやだ。私の見た目が、再び彼女らを傷つけるのと一緒だ。
「・・・、・・・っ!!」
なにも、できない。私が言い訳すれば不自然、脅されていたことにでもなれば事態は悪化する一方だ。焦りと無力感が同時に襲って、私はなすすべもなく目を閉じる。
聞こえるのはこそこそと話す女子たちの声、それと。
「──オーディエンスも増えたところで、楽しいショーの続きと行こう。・・・今日二人目の犠牲者は、・・・お前だ」
砂利を踏み鳴らして近づいた彼の、狂気と覚悟に満ちた声だった。