地球未満の惑星
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宇宙船で、およそ一年。
それが地球と『ホープ』との距離。
『ホープ』――すなわち、希望に満ちた水の惑星。
だけど、まばゆいその名の裏には皮肉が隠されている。希望を抱いて『ホープ』にやってくる者なんてまずいない。望まずして訪れる人間がほとんどだ。増えすぎた地球の人口をくじ引きで間引くような仕組みが、いまでも確かに存在する。移住を強いられたひとの多くは『ホープ』を嫌い、憎んだ。
『地球未満の惑星』と蔑んだ。
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自分でもわかるくらい、性格はおとなしい。従順なところもある。見た目に関しては友だちから「特徴がないのが特徴」と言われている。あまりうれしくない評価だけれど、事実、そうなのだから、文句のつけようがない。毎朝、洗面所の鏡のまえに立つたび、冴えない自分と顔を突き合わせることになり、今日もぼーっとした目をしているぞと答え合わせをさせられる。
大学に通いながら、宅配ピザのアルバイトをしている。学業より仕事で忙しい。店長にお願いして、あえて多くの勤務時間をもうけてもらっているからだ。あまり仕送りも期待できない貧乏学生なので、たくさん働かなければならない。
季節は夏。
ちょっと動いただけでも、額から汗が噴き出す。
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今夜もアルバイト。ユニフォームは赤いキャップに黒いポロシャツ、ベージュのズボン。電話、もしくはネットで注文を受け次第、てきぱきと品物をこしらえ「いってきまーす」と宅配に出かける。受けつけてから一時間以内に届けなければ半額になってしまう。お客さんからすればメリットしかないルールだ。リスクは店側が一方的に負う。味も悪くないので、リピーターが少なくない。繁盛していると言っていいと思う。
リピーターの中でも、レベルが高いとでも表現したらいいのだろうか、かなりの頻度で電話をかけてくるお客さんがいる。週に一度ならかわいいほうで、多いときになると二日や三日に一度。しかも、オーダーは決まって高価なクアトロピザ。Mサイズで二千五百円、いつも依頼されるLサイズは三千円もする。
一件目の宅配を終えて帰ってくると、今夜も注文が入っていた。同僚は出払っていて、だからぼくが対応する。ピザは店長がつくってくれていた。手際も性格も口も悪い小太りの彼は、「オーバーしたら減給な」などと脅してくる。いつものことだ。気にしない。
屋根の付いた三輪の原付バイクを走らせる。夜も蒸す。『ホープ』において、四季折々の色彩がもっとも美しいとされる国であることは誇らしいけれど、正直、夏はいらない。必要経費以外はケチらないといけない状況に置かれているのだから、エアコンの出番すらほとんどない。悲しいながらも、それが現実だ。
店を出てから、およそニ十分で到着した。二階建てのアパートは薄汚れていて無愛想で、おせじにも垢抜けているとは言いがたい。部屋は肩を寄せ合うようにして横並びになっているだけだ。家賃は高くないだろう。戸境壁だって薄っぺらいのではないか。目的の部屋は二階。錆びた階段を上がり、細かいひび割れが目立つ通路を進み、チャイムを鳴らした。「はーい」という女性の声。愛想のよさを窺わせる快活な声。戸を開けたのは、長い黒髪がとても綺麗な細面の女性だ。ルームウェアは、白い長袖のTシャツに黒いロングパンツ。たばこのにおいをまとっていることが意外に映る。
品物と現金を交換する。きっちり三千円。女性は「いつもありがとう」と言い、にこりと笑う。ぼくはその笑顔が好きで、ついでに言うと女性のことをとても美人だと思っている。年上っぽいのも、ポイントが高い。
二十歳になっても甘えん坊であることは、自覚している。
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二日後の夜にも、女性から注文が届いた。やっぱり、クアトロピザのLサイズ。同僚の一人が時間をオーバーし、三枚も半額にしてしまったので、店長はすこぶる機嫌が悪い。よって、準備ができたらすぐに「いってきまーす」、ぼくは逃げるようにして出発した。
珍しく、夜風が心地よい。気分がはずんでいるのがわかる。また会えると思うと素直にうれしい。今後の注文はすべて自分が担当したいなとまで考える。たぶんいまのぼくは、変に口元がゆるんだ気持ちが悪い顔をしていることだろう。
アパートに到着。足取りは軽快。錆びた階段もひび割れた通路も気にならない。目当ての部屋のチャイムを押す。女性が姿を現した。やっぱりたばこのにおい。気づかないふりをして品物を手渡し、代金を受け取った。
「いつもありがとう」
面と向かったときは、その言葉しか聞いたことがない。もっと話したいと考えたりもするのだけれど、あいにくぼくはただのピザ屋のバイトくんだ。「ありがとうございました」とお礼だけ言って立ち去ることにする。顔を見れただけでも、ラッキーだ。いい夜だったと断言できる。
でも、今日はつづきがあった。
「ちょっと、お願いしてもいい?」
そんなふうに言われたのだ。
ぼくの頭の中には、かわいらしいフォントのクエスチョンマークが浮かんでいる。
「ピザ、一緒に食べてくれない?」
ぼくは「えっ」と驚いた。当然だ。宅配に訪れたピザ屋の店員をピザに誘うなんて話、耳にしたことがない。
「忙しい? ああ、ごめんなさい。忙しいに決まっているわよね」
確かにこれからの時間帯、仕事は増える一方だろう。だけど、仲良くなってみたいという欲求が勝り、つい顔をぱぁっと明るくしてしまった。ぼくはあわててキャップのつばを下げる。それから「だ、だいじょうぶです」と返事をした。照れくさく感じているのが伝わってしまったらしく、女性がくすりと笑った。
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丸く小さな座卓を挟んで、ピザをつまみながら話をした。女性の名前はサユリ。年齢は二十五。職業は看護師。そして、恋人は元とび職。親方と大げんかをして、クビになってしまったらしい。以来、パチンコ屋に入り浸りだという。たばこを吸うのは恋人だと聞いて、少しほっとした。
「ピザはもう飽きちゃった」
女性は……サユリさんは、苦笑のような表情を浮かべる。好物にしているのは恋人であるとのこと。なぜかその事実もぼくを安心させた。まあ、細身のサユリさんは、とうてい、たくさん食べるようには見えないのだけれど。
ぼくはおずおずと「恋人さんは、いまもパチンコですか?」と訊ねた。
「スロット。出てるみたい」
「夕食は? ピザ、手をつけちゃいましたけど」
「友だちと焼き肉だって。ピザはおまえが食べとけってこと」
「ひどい話ですね」
「もう慣れたわ」
また苦笑いのサユリさん。訊くわけにはいかないし、訊くつもりもないけれど、必然的に色々と見えてきた。無職の恋人はサユリさんを利用している。彼女の稼ぎを使ってパチスロに興じているのだろう。ギャンブルは負けるものだと聞く。二人は以前はもっとよい暮らしをしていたのではないか。いまよりも立派なところに住んでいたのではないか。
「『ホープ』には、いつ来たの?」
「曾祖父の代です」
「意外と最近なのね」
「えっと……」
「サユリでいいわ」
「じゃあ、サユリさん」
「サユリがいいのよ」
「……サユリは?」
「もっと、ずっとずっと、むかし」
「恋人さんとは、どこで?」
「仕事中に右足を骨折して入院。病院ではおとなしくしてたし、すごくいいひとに見えたんだけどなぁ」
嫌なら別れたらいいだなんて、かるがるしくは言えない。そもそもぼくには経験がない。恋人がいた日常というものがない。男と女の話については、ごく一般的な知識しか持ち合わせていない。
サユリさんが……サユリがふいに、「きみは、自分が捨てられたひとの子孫だと思ってる?」と訊いてきた。「深く考えたことはありません」と答えた。すると、「敬語はやめよう」と彼女は笑った。だからぼくは「深く考えたことはないよ」と言い直した。
「しょせん自分は棄民だって言うひともいるよね。わたしの恋人もそう。だけど、そう考えるのは、とっても悲しいこと。自分を軽蔑しているのとおなじことだから。違う?」
「違わないと思う。間引かれたのは事実でも、希望を抱いていて訪れたひとは、きっといる」
「自分のことすら愛せないひとは、他者のことだって愛せない」
「それも、そのとおりだと思う」
「話が合うようで、うれしいわ」
どうしてぼくを部屋に上げたのか。ほんとうにピザを手伝ってほしかっただけなのだろうか。それじゃあ、ぼくがぶつけた質問のすべてに答えてくれたのはどうして? いきなり『ホープ』の話題を持ち出したことも、気にならなくはない。そのあたりの事情――サユリの思考を読めないでいると、彼女は微笑みを向けてきた。あまりに絵になるので見惚れてしまう。いま考えていたことをうっちゃってしまえるくらいの威力があった。憧れのひとが目のまえにいる。それだけでいい。
「きみの名前、訊いてなかったね」
「カナタっていいます」
「いい名前。でも、また敬語」
「ごめん」
「いいのよ」
サユリの提案で、ぼくたちは連絡先を交換した。
「カナタと同い年の弟がいるの」
彼女が無防備な理由が、少しわかった気がした。
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サユリの家に長居をしてしまったせいで、それからというもの店長に睨まれっぱなしだ。日を追うごとに当たりもキツくなっている。だけど、ぼくをクビにしてしまったら、また新しいバイトを募らなければならない。店長は教育はおろか面接すらめんどくさがるひとだから、ぼくにはまだ居場所がある。
狭いバックヤードで、休憩をとっていたときのことだ。使い古したスマホに、サユリからコールが届いた。メールでのやりとりは毎日つづいているけれど、電話は初めてだった。
「助けて、カナタ!」
切羽詰まっている感が、ありありと窺えた。
「サユリ、いまどこ? 家?」
「トイレにいる! 殴られたの!」
事の見当は、あっという間についた。ぼくは警察への連絡を促すより早くバックヤードをあとにし、迷うことなく店を飛び出した。うしろから「どこ行くんだ、テメー!」と店長の怒鳴り声が聞こえた。
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断ることなく玄関の戸を開け、飛び込むようにして中に入った。トイレのまえで怖いことを喚き散らしていた体格のいい男と目が合う。ぼくはすぐに「警察を呼びました。もう来ます」と告げた。はったりだ。そんなひまはなかった。でも、その気転は功を奏した。男はいまいましげに顔をゆがめ、ぼくを突き飛ばして逃げていった。
「サユリ、サユリ、もうだいじょうぶだよ」
「ほんとうに……?」
「うん」
サユリが出てきた。
途端、泣き顔になって、勢いよく抱きついてきた。
「どこを殴られたの?」
「おなか。まえからなの。顔にやると、すぐばれるから」
「痛くない?」
「カナタがいるから平気。ありがとう。来てくれて、ありがとう……」
髪に染みついてしまっている、たばこのにおい。
サユリはかわいそうだなと、あらためて感じさせられた。
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一週間が経過した。サユリの恋人は戻ってこない。警察沙汰になっているかもしれないと考え、帰るに帰れなくなっているのだろう。お金を持って逃げたようなことはなかったはずだ。男の友だちの家にでも泊めてもらっているのではないか。それとも、サユリの他に懇意にしている女性がいたりするのだろうか。
ぼくとサユリは視線を交わすたび、より親しくなっていった。出会ってからまだ数日なのに、いや、数日だからこそ、奇跡や運命を信じたくなった。一緒に暮らしたいという思いを共有するまで、時間はかからなかった。アルバイトの稼ぎしかないから、お金については少なからず甘える格好になってしまうけれど、それでもいいとサユリは言ってくれた。準備が整ったら同居を始める。来る日も来る日もぼくのシングルベッドで抱き合いながら、呼吸をするようにして、おたがいに愛の言葉をささやき合った。
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ぼくはやっぱりアルバイトに精を出している。少しでも多く給料が欲しいから、さらにシフトを増やしてもらった。そのぶん、学業は著しくおろそかになってしまうけど、とにかくいまは貯金がしたい。結婚資金は出すと宣言した。
休憩に入った。バックヤードでパイプ椅子に座り、スマホを使ってサユリにメールを打つ。「ピザを届けようか?」と冗談をしたためた。すぐに反応があった。おかしいなと思う。電話だったからだ。
「カナタ、すぐに来て」
落ち着いた声だった。
「どうしたの? なにかあった?」
「あいつが帰ってきたの」
「あいつ? それって」
「いまの恋人はカナタだよ」
「すぐに向かう。待ってて」
ぼくはまた、店長を裏切った。
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玄関の戸を開けた瞬間、目に飛び込んできたのはルームウェア姿のサユリだった。白い長袖のTシャツに血が飛び散っているのを見ると、なにがあったのか、嫌でも悟らざるを得ない。部屋に充満しつつあるガスのにおいにどんな意味があるのか、その点についても理解できた。
「どうして、中に入れたの?」
「前向きな話がしたいだけだって言われたから。コーヒーまでごちそうしちゃった」
「別れを切り出したら逆上した?」
「プライドだけは高いのよ」
「左の頬を殴られたんだね。かわいそう。腫れてる」
「怖かったの」
「うん」
「ほんとうに、怖かったの……」
「安心して? 正当防衛だよ。なげやりになっちゃだめ。ライターを渡して」
サユリは頬に涙を伝わせながら、まるで赤ん坊がいやいやをするようにして、首を横に振った。
「もう消えて。カナタは綺麗なままでいて」
「そう考えるくらいなら、なぜぼくを呼んだの?」
「わからない」
「了解。わからないままでいいよ」
「わたしは刺したの。ひとを殺したの。汚れてしまったの」
「きみは美しいままだよ。ずっと、そのままだよ」
「お願いだから、わたしを捨てて」
「お断りします」
ゆっくりと歩いて、サユリのまえに立つ。震えている右手からジッポライターを取り上げ、蓋をしてからそれをズボンのポケットに入れた。コンロのガスもきちんと止めた。
そして、ぼくはとびきりの笑顔をつくる。
「さあ、サユリ。この惑星を感じに行こう!」
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高台にある小さな公園まで駆けた。手をつないで、一生懸命に走った。小高い丘に登る。ろくに息も整えず、激しいキスをした。サユリはずっと、涙を流していた。ぼくは「だいじょうぶだよ」と彼女の耳元でささやき、すっと離れた。
ぼくは左手、サユリは右手。
横に並んで、そっと指を絡め合う。
夜空を見上げる。
満天の星。
おまけに一つ、流れ星まで。
だけど、地球は遠すぎて見えない。
見えなくていいと、ぼくは思う。
サユリは「そうだね」と微笑んでくれた。
まだまだ未熟で未完成の関係だから、もっと愛し合える余地がある。
それがうれしい。
希望という、暖かい毛布のように肌触りのいい優しさに包まれながら、ぼくたちはここ――『地球未満の惑星』で生きていく。




