「月が綺麗だから私はお菓子を食べない」
私は職場のお茶係を任されていて、給湯室のコーヒーを補充したり、休憩の時間にお菓子を配ったりしている。決められた予算のなかで皆が喜ぶお菓子を考えるのはとても楽しいけれど、たった一人、主任だけは私が買ってきたお菓子を絶対に食べてくれない。
最初は甘いものが苦手なのかなとか、職場ではお菓子を食べない主義なのかなとか思っていたけれど、
この間取引先からもらった大福を食べていたから、そういうわけでもないらしい。
今日は私のお気に入りのブッセを買ってみたけれど、やっぱり机の上に置きっぱなしだ。
「お菓子、お口に合いませんか?」
「ん?」突然話しかけられた主任が不思議そうに顔を上げる。
「私の買ってくるお菓子、いつも手をつけてくれないので」
私が机の上のブッセを見ていることに気がついた主任は、少し照れくさそうにしながら答えた。
「小沢さんの選ぶお菓子は見た目もきれいで美味しいって、持って帰ると妻と娘が喜ぶんだよ」
「え・・・」
主任はスマホを取り出すとフォルダを遡って一枚の写真を見せてくれる。
そこには、カラフルなあられをテーブルの上に並べて満足げな表情をしている
小さな女の子が写っていた。
「この間、小沢さんが買ってきてくれたあられを持って帰ったら、
全部出してテーブルの上に並べだしてさ。
ママは白いの、私はピンク、パパは緑ねって。
自分の分を全部食べた後、白いのも、緑もって言いだして、
結局ほとんど娘が食べたんだけど。」
主任は「食いしん坊で参っちゃうよ」と言いつつ、とても嬉しそうだった。
「そうそう、前にマドレーヌをもらって帰ったときなんて、
俺が風呂に入ってる間に妻と娘で半分にして食べちゃって。
頭数に入れてもらえてないの、ひどいよなぁ」
そう言って笑う主任に、私は自分用にとっておいたブッセを差し出す。
「じゃあこれも、良かったらどうぞ。」
主任は「あれ、そんなつもりじゃなかったんだけどな」と頭をかく。
「でも、ありがとう。喜ぶよ」
一段とやわらかく優しい表情になった主任を見て、
私は表に出せないまま終わってしまった片想いと、
お気に入りのブッセにさようならをする。
主任の机に並ぶ2つのブッセを見ながら、
次はどんなお菓子を買ってこようかと考えるのだった。