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室内は、緊迫した空気が張り詰めていた。
怒りの炎を宿すマジュカに、何とかして許しを得たいハルセ。
どうしたら良いのか分からず戸惑いを見せるグレン。
そんな光景を、口を出さずにジッと見守っていたルイサは、ふと隣の部屋に視線を移した。
先程まで閉じていたドアが少し開かれており、ミーベルが床に積み重なった本の上に座っていた。
ルイサの視線に気が付いたミーベルは、フイッとその部屋の隣の部屋の方に顔を向けてから、また顔を戻す。
「マジュカ・・。私、嫌な予感がするんだけど」
低い声を出したルイサに、マジュカがビクッと肩を揺らす。
恐る恐るルイサの顔を見ると、その視線は隣の部屋を見つめていた。
(何で扉が開いているのよ!)
マジュカは慌てて指を弾く。
ダイニングには、バタンとドアが閉まる音が響いた。
「紅茶のお代わりはいかが?」
ティーポットを持って笑顔を見せるマジュカを無視して、ルイサは立ち上がる。
マジュカはティーポットを雑に置き、急いでドアの前に立って首を振る。
「大丈夫よ。問題ないわ!」
ルイサの表情は変わらず険しいままだ。
マジュカの目の前まで来たルイサは声を掛ける。
「ミーベル。ドアを開けて」
ルイサの声に、マジュカの後ろの内開きのドアがひとりでに開いていく。
ゲッという顔をしたマジュカを押し退け、ルイサは部屋へと足を進めた。
「キャー。何なのよ、この状態は!マジュカ!!!」
部屋の惨状を見て叫びをあげるルイサの声に、マジュカは頭を抱えた。
足元に歩み寄って来たミーベルをギリッと睨みつける。
「何で部屋のドアを開けたのよ!」
怒りを露わにするマジュカを横目に、ミーベルはクスリと笑みを零すと、ダイニングの机へと飛び乗った。
王子に出された手付かずの紅茶の前に座り、ペロペロと飲み始める。
「ちょっと、ミーベル!聞いてるの?」
「聞いているの?は私のセリフよ、マジュカ」
後ろから漂う殺気に、マジュカはパッと表情をにこやかに変えて振り返る。
「朝から掃除をしていたのよ。だから、こんな状態で・・」
「さっき本を読んでいたから、私が来た事に気付かなかったと言わなかったかしら?」
チラリと視線を移したルイサの目に、隣の部屋の床に開いたまま置き去りになっている本が映る。
それを見たマジュカはこっそりと指を弾いた。
パタンと閉じられた本は、ゆるゆると空中に浮かび上がると、本棚の前に積み重なっている本の上に静かに着地した。
エヘッと笑うマジュカに、ルイサがワナワナと肩を揺らす。
「マジュカ!二週間前に私が掃除をしてあげた部屋が、どうしてこんなに汚くなるのよ!あんたってば、本当に掃除が出来ないんだから!」
「ひいっ!」
ルイサの剣幕に、マジュカは頭を抱え後退りをする。
他の事は卒なくこなすマジュカだったが、どういう訳か掃除だけは苦手なのだ。
そんなマジュカを尻目に、ルイサは床に落ちている本を拾い上げて行く。
「わ、私も手伝おうかなぁ」
「邪魔だから紅茶でも飲んでて!」
部屋に足を踏みいれようとしたマジュカを、ルイサは押し出した。
部屋の近くにある棚から、ゴム手袋を出して手にはめると本棚へと向かって歩いて行く。
シュンと項垂れたマジュカの横から、ハルセが部屋を覗き込んだ。
「僭越ながら、わたくしもお手伝いをさせて頂いても、よろしいでしょうか」
ハルセの言葉に、ルイサは頷きを落とす。
「それじゃあ、お願いします。そこの棚に入っているゴム手袋をして下さいね」
「承知致しました」
ハルセは素直に棚からゴム手袋を出すと、手にはめる。
「本は壁にある本棚に。薬剤は隣の部屋の薬剤棚にお願いします。薬剤は色ごとに分けてあるので、その通りに仕舞ってください。蓋は開けず、液には触らないように気をつけて下さいね」
「承知致しました」
手伝いを始めたハルセの後ろから、騎士達がゾロゾロと入っていく。
しかし、ゴム手袋の数が足りない。
五人いる騎士のうち二人は素手のまま片付けを始めた。
「うわぁー!」
数分後、部屋の片付けをしていた騎士から悲鳴が上がった。
ルイサが振り返ると、一人の騎士の右手が木の枝になってしまっていた。
「あっ。液体に触ったんですね。だからゴム手袋をしないと駄目なのに。素手で触っても平気なのは、マジュカだけなんですよ」
ルイサは涙目になっている騎士を連れて、ダイニングに顔を出す。
ダイニングでは、椅子の上で両膝を抱えたまま俯いているマジュカがいた。
「マジュカ。この人、何とかしてあげて」
小さく頷きを落としたマジュカは、パチンと指を弾く。
フワフワと空を飛んで来た小さな瓶に入った黄色い液体が、騎士の前まで来るとピタリと止まる。
騎士が恐る恐る右手を出すと、瓶の蓋が開いて傾いていく。
木になってしまった騎士の右手は、黄色い液体がかかるとパキパキという音を立てて亀裂が入った後、バキッと大きな音を立て崩れ落ちていった。
朽ち果てていく木の中から自分の手が現れた騎士の顔に安堵の笑みが浮かぶ。
「ゴム手袋が無い人は、本の整理だけにしておいて下さいね」
そう告げると、ルイサは片付けに戻っていった。
部屋の端で立ったままだったグレンは、先ほどの光景に目を丸くしていた。
(やっぱり魔女は凄い!)
彼の心の中でマジュカの価値が上がっていた。
未だに落ち込んだままのマジュカにそーっと近付くと、声を掛ける。
「えっと、さっきの発言だけど・・すまなかった」
ペコリと頭を下げるグレンに、マジュカは少し顔を上げて小さく頷きを落とすと、また顔を伏せてしまった。
終わってしまった会話に、グレンは戸惑いを見せる。
なんとか会話の糸口を掴みたいと、机に視線を移した。
「紅茶を貰いたいのだが、良いだろうか」
ゆっくりと顔を上げたマジュカは机の上を見る。
グレンに出した紅茶は、ミーベルが美味しそうに飲んでいた。
溜め息を零したマジュカはグレンを見る。
「こんな汚い部屋で、無理に紅茶を飲んでくれなくて結構よ」
プイッと顔を背けたマジュカに、隣の部屋からルイサが顔を出す。
「本当に汚かったんだから、いつまでも拗ねてないの!ちゃんと王子様に紅茶をお出しして!」
グッと言葉に詰まったマジュカは、嫌々席を立つ。
そして戸棚からティーカップを1組出すと、紅茶を注いでグレンに差し出した。
開いている席に腰を下ろし、ティーカップを持ったグレンは紅茶に口をつけた。
「あっ。美味い」
ポツリと呟いたグレンに、マジュカは嫌そうに眉を顰める。
「急におべっかなんて使ってくれなくて結構よ」
「いや。本当に美味い。それにさっき断ったのは汚いからじゃなくて・・」
グレンは未だに意識を集中させている蜘蛛に視線を移す。
チラリと見た大きな蜘蛛は、先程と同じ位置にいるままだ。
それを見たグレンはホッと胸を撫で下ろす。
そんなグレンを見てマジュカはクスッと笑みを零した。
「ボーラなら怖がらなくても大丈夫よ。滅多に下には降りてこないし、あそこから動くことは無いわ。ドカドカ足音を立てて入って来たから敵だと思ったのよ」
「べっ、別に怖いとかそういう訳じゃない。俺は男だし怖くはないんだ。ただ、急に目の前に来られたから、ビックリしただけだからな!」
精一杯強がってみせるグレンは、カサッと動いた蜘蛛の気配にビクッとする。
クスクスと笑うマジュカに、グレンは顔を赤くした。
「気にしなくていいわよ。私も最初は怖かったから。そのうち慣れると思うわ」
「そ、そうか。慣れる・・か」
あの黒々としてでかい蜘蛛に慣れる日は来るのだろうか。
そんな日が来るとは、どうしても思えない。
グレンは深い溜め息を落とした。