隠し通路にて、事件発覚
真っ暗な通路だった。
隠し通路の入口の扉はゆっくりだったが、確りと閉じてしまい、目が慣れるまでレシアが何処にいるのかも認識できなかった。
通路の燭台に火を付けると、それだけで随分と助かった。ランプを持って通路を照らすと、かなり奥まで続いていた。石造りの通路で、かなり古い。流石、歴史ある城と言うべきか。
「何処に繋がっていると思う?」
「此処から傾斜になっていますから、少なくとも王城外には出られそうです。隠し通路の使い道は人目に付かず王城を出ることですから、当然と言えば当然ですが」
レシアがランプで照らして傾斜と示す。一階の部屋から入って下に続くのだから、確かに外に出ても王城内の高さではないだろう。
(それにしても、ミカエル嬢は本当に此処を進んだのか?)
通路内はランプで照らしても心もとない。ドレス姿の令嬢が歩ける場所だろうか。足元を何度も確認しながら奥に進んでいると、少し広い通路に出た。壁には文字が綴られているが、掠れていて読めない。足場の悪い通路は一本道だったが、暫く進むと道が三つ又に別れた。これでは仮に令嬢がこの通路を通ったとしても何処へ行ったのか分からない。
「どうする?こっちに行くか、そっちにするか」
左右を示し、さらに前方の道を指すと、レシアは考え込んだ。
「ライト様、五年前の一件…忌々しい男のことを覚えていらっしゃいますか?」
「古狸何号のこと?」
不意に問われて、ライトは眼を瞬かせる。五年前の忌々しい男と言われても、ライトには誰のことか分からない。五年前の一年の間にも様々なことがあったし、程度に差はあっても大体は忌々しい部類に入っただろう年だけに、該当する案件が山ほど浮かぶ。
「確か、五号か六号ではないかと思いますが…バルティアです、元財務官僚だった」
バルティア、と呟いてから「あぁ、違うよ、七号だ」と訂正する。ライトは一部の官僚のことを「古狸何号」と呼んでいる。家臣や役人の中でも不正疑惑のある輩たちのことで、最近では二十六号までいる。その内、十人くらいは既に領地・爵位の返上、実刑を受けている筈だ。
ライトが男のことを覚えていると伝えると、レシアは表情を曇らせた。
(話を振っておいて何だ、その表情は…)
絶世の美女を泣かせたなんて──勿論、性別は男だが──、余りにも良心が痛む。
客観的に見ても、どうやっても年下の俺が悪者になるくらいの破壊力だ。自覚して欲しい。それで痛い視線を向けられる俺の身になって欲しい。
それは兎も角、ライトは溜息を吐いて用件を尋ねた。
「で、どうした?」
「この先はおそらく〈麗鳥の館〉の宝物庫の下に繋がっています。また妙なことをする輩がいなければいいのですが……あの足跡も気になりますし」
途端に、けろりと表情を無に変える己の側近の変わり身の早さに、ライトは半眼になりかけた。
「……ちょっと待て」
彼の表情の変化に呆気にとられかけたが、レシアの顔の前に手を翳して、その発言の先を止める。
古狸七号あらためバルティアは五年前、宝物庫から多数の宝石を持ち出して横領した。彼が財務官僚で宝物庫の鍵を持っていたから犯行は簡単だったようだが。
「この通路を使って横領が行われているとでも?……いや、確かに足跡はこの通路に続いていたか」
女性物の足跡の下にあった、男物の靴跡。何故、あのような痕跡があるのだろうかと不思議に思ったが、ミカエルの失踪ばかりが先に立っていたため、ライトの頭から抜け落ちていた。
常用しているなら掃除してしかるべき。しかし、あくまでも此処は隠し通路だ。王族しか知り得ない通路であり、常用する人間がいる筈もない。
(いや……偶然知った輩が悪用している可能性もあるのか。うん、もの凄く嫌な予感。聞きたくなかった)
ライト自身も王族だが、これは勝手気ままに装飾をずらしたから発見した通路だ。王族以外の誰かが見つけていないとは限らない。
何よりライトの不安に拍車をかけたのは、レシアの嫌な予感はかなり的中率が高いからだ。それはもう、「千里眼とか持ってないよね?」と本気で聞きたくなるくらいには。
「……財務記録に不自然な点がないかも確認するべきか」
ライトは眉間に人差し指を当てて呻いた。もしかして異母兄が何時もより疲れていたのは、立て続けに起きた問題のせいだろうか。
一先ずレシアの感覚を頼りに宝物庫の方へと足を向ける。東に向かう間、通路は幾つかに分かれていたが、レシアは特に迷う素振りもなかった。その間、レシアは同じ歩幅で歩いた。距離を測っているらしい。何度目かの分かれ道で右に折れた。
どれくらい歩いただろうか。レシアは、ふと足を止めて上を見た。ランプを掲げて天井付近を照らして見せる。
「……此処?」
「はい、嫌な予感は的中するものですね」
にっこりと微笑むレシアは落ち着いていた。
(でもね?この状況と合っていない気がする。凄んだ笑みって、美人である程怖いんだよ)
ライトはレシアの視線の先を見た。地下通路の天井に穴が開いている。石だから地道に削り取ったのだろうと思うが、この分厚い石を削ろうとしたその根気に関心さえ抱く。
いや、本当に。その根気、仕事にいかせよ。
そう思った俺は悪くない。序に言うなら、俺の仕事増やすな。
穴の大きさは大人が一人通れる程度で、上からは穴を隠すためか空の箱が置かれている。それなのに地下の方はお粗末すぎる。
ねぇ、如何にも通りましたとばかりに梯子を放置って、甘くない?
見つかったら一発アウトなんだけど?
少しはこちらも隠す努力をしましょう、と助言したいくらい。
思わず溜息を漏らすライトの横で、レシアは状況を調べている。膝をついて石を手に取ると、指の腹で石の角に触れた。石の摩耗具合から経過時間でも計算しているのだろうか。
「これだけでは何とも言えませんが、二週間は経過していますね。ここまでして何も盗っていない筈がありません…陛下にご報告して早々に此処を封じましょう」
「それがいいな。兄様の引き攣った笑顔が想像できるよ」
レシアの提案に、ライトは迷わず賛成する。
あぁ、本当に今日もヴェストは腐りきってる……どうしてこうも次々に不祥事を起こすのかな?
この国に生まれて早十五年、何度目かも分からない事件に頭を抱えたくなるよ……大体さ、もともと税金で暮らしてるくせに、なんで欲をかくかな?慎ましく生きやがれ!
役人の報酬を考えれば十分に暮らしていけるし、役人には貴族が多いから没落しない限り生活に困ることもない筈なのに、何故、危険を冒して自身の首を絞める真似をするのか。ライト自身が庶民生活に慣れ親しんでいるせいか、官僚の腐敗体勢に噛みつきたくなる。
「虚栄心ですかねぇ……見栄っ張りには困ります」
ライトの心を読んだようにレシアは溜息を吐く。過去にも多くの腐敗官僚や役人を見てきた彼にとっては、もはや日常的ともいえる事態で、いちいち怒る気にもなれないのだろう。呆れ顔の側近に「戻ろう」と呼びかけ、ライトはそこで言葉を止めた。
カツ…ン、カツ、ン。
不意に足音が聞こえた。石だから反響するのか、近くに感じる。
レシアも気づいたらしく、ランプを外套で覆って隠し、辺りを暗くする。目が慣れるまで少し時間が掛ったが、相手には気づかれた様子はない。たどたどしい足取りなのは足場の悪さが原因だろうが、どうやら相手は灯を持っていないようだ。
「(……盗人か?)」
「(わかりません。あまり歩き慣れていないようですが)」
暗がりだが、顔を近づければ相手の唇の動きで読み取れる。レシアの言葉を読み取り、ライトは壁に寄って少しだけ近づいてみる。
暗闇に慣れた眼は闇の中に浮かぶ影を捉えたが、それが妙なものだと首を捻った。その影が纏う服はドレスのように裾が広がっている。裾の長い外套でも纏っているのだろうか。人影がたどたどしい足取りで遠ざかっていくが、何か石にでも躓いたのか、大きく影が動いた。
思わず身を乗り出しそうになったが、此処で見つかっては隠れた意味がない。しかし、これが捜索対象の令嬢ならば、寧ろ確保しなければならない。
「(…レシア、もしかしたら盗人じゃなくて令嬢かも)」
あれが外套でないという保証は何処にもないが、灯も持たずに一人となれば令嬢の可能性が高い。それと同時に女性の足でここまで来られたのかと思うと、やはり異母兄の「計画性はないけど行動力は評価する」という台詞が頭を過って、思わず頭を抱えたくなる。
「(それは…)」
影の正体が令嬢かもしれないということに、彼も何と言っていいか迷ったらしく口を閉ざす。
「(一先ず、捕獲しましょう)」
唇がそう動いたのを見て、ライトは頷いた。ランプから外套を外し、人影の方へと向かう。足音は潜めて一気に距離を詰める。
「そこにいるのは誰だ?」
そう問いかけた瞬間、人影が飛び跳ねた。ランプで照らし出すと、人影は眩しそうに腕で顔を覆うが、それは件の令嬢で間違いなかった。
「……やっぱり、ミカエル嬢でしたか」
フリルのドレスと白銀の髪、おそるおそるライトを捉えた瞳はルビーのような赤。うら若い少女──ミカエル・ラティス嬢は怯えた小動物のようだった。それらを認識した瞬間、予想をしていてもやはり気が抜けた。
「ライト、殿下」
戦慄く唇がライトの名を紡ぎ出す。瞬間、彼女はライトの胸に飛び込んできた。
「あの、ミカエル嬢!?」
勢いに押されて後ろのレシアにぶつかりつつ彼女を受け止めたが、ミカエルはライトの服を握りしめ、肩を震わせていた。
「……怖かったんですか?もう大丈夫ですよ」
考えてみれば、この通路は真っ暗闇だ。活発だとはいってもランプも持たずに一人で暗がりに入り込めば心細くもなるだろう。ミカエルを無事に発見し、ホッとしたのは束の間だった。
「──おい、さっき何か音が」
捜索隊の声だろうか。石造りの壁に反響した音声が何処から聞こえるのか、ライトには解らなかったが、複数の足音とともに声が聞こえた。
「あの令嬢じゃないか、上で探してるって言ってたぞ」
が、応じた声にライトは眉を顰めた。
(捜索隊じゃない…?)
不意にレシアがライトとミカエルを壁の奥へと押しやる。少なくとも捜索隊でないということにレシアも気づいただろう。腰に提げた剣に伸びた手や通路の先を見つめる視線に緊張感が宿る。
ライトがミカエルの細い体を抱き締めて壁と密着すると、彼女の身体が強張った。
「見つけたらどうする?」
「始末するしかないだろう、アレが見つかったら厄介だ」
物騒な会話に、ライトはレシアと視線を合わせた。アレというのは、恐らく先程発見した宝物庫に続く隠し穴だろう。
ライトはミカエルを抱える腕に力を込めた。彼女を先に保護できたのは幸いだった。もし、彼女があの男達に捕まっていたらと思うと、ぞっとする。
反響する音が徐々に近づいてくる。ライトの心音が高鳴った。近づいてくる足音に素早く反応したレシアは通りの陰からそっと出て行くと、相手が驚愕の声を上げる間もなく伸した。
「……終わったか?」
「はい…ですが、この二人を抱えて上に上がるのは骨が折れますね」
ライトが念のために確認すると、レシアはあっさりと肯定し肩を竦めたので、ライトは昏倒した二人の男を見る。レシアは体つきが華奢な割に強力なのだが、流石に彼以上の体格の男を抱え上げるのは難しい。二人の不審者を縄で縛り、気が付いても逃げられない様にした。
「あの、殿下…?」
恐る恐るといった風に声を掛けられ、ライトはミカエルを振り返る。恐怖と不安からか、彼女はライトの外套を掴んでいた。
「もう大丈夫です、ミカエル嬢。此処から出ましょう」
ゆっくりと、できるだけ優しく聞こえるように声をかけ、彼女の細腕に自分の手を添えて彼女の手を服からはがす。
「申し訳ありません、殿下…」
「行きましょう、皆が探しています」
レシアに先導するように指示して、ミカエルの手を握りしめる。手を繋いだまま、レシアの先導を頼りに隠し扉まで向かった。足場の悪い所を注意しながら、令嬢の歩く速度に合わせた。ミカエルの様子に注意しながら、とりあえず脱走の目的を探ろうとしたが、すすり泣く嗚咽が聞こえ、まだ答えられそうにない。
(困ったな……まぁ、明るい場所に行けば落ち着くか)
ライトはなるべく明るい話題を振った。彼女が応じなくても構わなかった。ただ無言でいるのは心細いかと思ったのだ。
暫くすると、落ち着いたのか令嬢がぽつりと話し始めた。涙声ではあったが、話せるようになったことにライトは安堵した。
「……私、お姉様を探しに行きたかったのです」
「お姉様?」
彼女の姉といえば、異母兄の婚約者のラミエルしかいない。彼女の姉は今、父親の公爵とともにノルデールに戻っている筈だが、とライトは眉を顰めた。
(まさか、彼女は姉君が領地に戻っていることを知らないのか?)
そんな馬鹿な、と思いつつ彼女に問う。
「ラミエル様はノルデールに戻られていらっしゃるのではないのですか?」
聞かされている事実を述べれば、彼女はぶんぶんと頭を振った。
「いいえ、お姉様はいなくなられたのです」
「どういうことです?」
彼女の返答にライトは思わず足を止めた。彼女を振り返ると、今にも溢れそうな涙を右手で拭い、震えるか細い声で彼女は答えた。
「お姉様は誘拐されたのです!もう一週間も前に!」
なんですと……!?