会談
ヴェストの王宮では相変わらず不穏な空気が漂っていた。木々はざわめき、鳥達が寄り付かない。
……で、何故、俺は此処にいる?
ライトがいるのは、ヴェスト城の会議の間と呼ばれる場所である。ライトは初めて入ったこの場所に酷く居心地の悪さを感じていた。
会議の間には、長方形の卓がある。ヴェスト王ハルラスト・カイルを初めとした国の重臣たちが座っている。壁際には等間隔を空けて衛兵が人形の如く並んでいる。衛兵は席に座っている者のように喋りはしないが、視線だけが此方を見ていると思うと、非常に居た堪れない。
ホラーだ、ホラー……マジで能面とか怖い。
ライトの席の横には、ヴェスト国軍の元将軍――ハールス・ロイドが座っている。今はライトの護衛の一人になっている。
……まぁ、ほとぼりが過ぎたら元に戻ると思うけど。陛下も、将軍職から王子の御守りっていう処分で周囲を納得させただろうから、問題ない筈だ。
その他にも参謀長やら国王補佐官と言った重臣が集まっているが、王を含めて皆が眉間に皺を寄せて気難しい顔をしている。
何故、ライトが此処にいるかというと、時は数日前に遡る。
エリシアントから襲撃があって以降、ヴェスト城には不穏な空気が流れていた。それも当然だが、それ以外の慌ただしさも感じていた。その理由を知ったのは、数日前の夜のことであった。
「ヴォルファルアから使者が来た?」
驚いたライトは、レシアに聞き返した。
「はい。エリシアントについて話がしたい、と申しておりました」
エリシアント……その国の名を聴いた瞬間に体が強張った。
「それから国王陛下から言伝を預かって参ったのですが……ヴォルファルアとの会談にライト様も御出席されるように、と」
「は……?俺が?」
そして、ライトは現在の状況に至る。……本当に、どうして俺が呼ばれたんだ?
ライトは目のやり場に困り、視線をずらして行った。すると、一つの空席を見つけた。今も尚、昏睡状態の異母兄はこの会談に出席することはできない。
しかし、ライトには異母兄の代わりに成れる筈がない、と自覚している。そんなことはルークの実力を知る者なら、誰が見ても明らかだ。ライトは溜息を一つ漏らした。
……日陰者でいられれば良かったのに、何故こうなった。
『うーん……痒い』
「は?」
魔力の呟きに、思わず聞き返す。……しまった、ルクスは他人には見えないんだった。
ライトの態度に眉を顰める者がいるが、傍にいたロイドがライトに身を寄せたことで庇ってくれた。目配せで感謝の意味を込めると、ロイドは軽く瞬きをして離れた。……こういう時にルクスの存在を知っている者がいると有難い。未熟者で申し訳ない、ロイド殿。
(どうした、ルクス)
痒いって言われても、俺は痒くないぞ。
ルクスに問いかけると、ルクスの声が耳元で聞こえてくる。
『この間からなんか干渉されている気分……でも、今日は更に強い。強大な魔力持ちが近くにいるかも』
干渉?一体どういうことだ?
疑問に思って再度問おうとすると。
「――ヴォルファルア王陛下がご到着致しました」
その声と同時に、会議の間の扉が開いた。会議の間に入って来た二つの人影がライトの目に映り込む。
嘘。
思わず、呟きそうになった。二人は余りにも若過ぎる。手前を歩くのは、最早少年である。ダークブラウン色の眼と髪を持ち、白い服の上に黒の外套を纏っている。
若い……いや、幼いだろ……いやいや待て、ちょっと待って!
ライトは彼らに見覚えがあった。
三ヶ月ほど前、ライトは彼らと共闘した。海賊が公海に逃げ、追って交戦に持ち込んだまでは良かったものの、海流に流されてヴォルファルアの艦船に衝突する事態になった。その時、ヴォルファルアの艦船を率いていたのが、この二人だ。
身分は高いと思ったけど……。
貴族の子息を通り越して、更に王太子をすっ飛ばして、国王。
愕然としているのは、ライトだけではない。重臣も軍部の人間も動揺を隠せていなかった。二人が会議の間に入ると、少年王が口を開いた。
「お初にお目に掛かる。……ヴォルファルア王アレン・クラリストと申す」
ヴォルファルア王は既に変声期を迎えているらしく、低く落ち着いた声だ。
その落ち着いた声と態度に、ライトは愕然とした。
……普通、こんな敵地の中で平然としていられるか?
『さて、顔には出さなくとも内心はあわあわしているかもね』
対面した印象に愕然としていると、ルクスの揶揄する声が聞こえてくる。
(……煩いよ、ルクス。痒みは収まったのかい?)
「これは、これは……随分と若い王だ」
口を開いたのは卓に両肘を突き、ヴェスト王ハルラスト・カイル。王の眉間の皺、眼下の隈は健在であり、四十三という年齢には似合わぬ、厳かな雰囲気を醸し出している。……昨晩寝ていないのですか、陛下。
「先王は昨年亡くなったもので……まだ即位して間もない若造ですが、どうぞ宜しく」
ヴォルファルア王のダークブラウン色の瞳は真っ直ぐに敵前を捉えていた。
「それから、此方はルイス・グロア。私の補佐官だ」
アレンは自身の後ろに立つ、二十代と思われる青年――ルイスを紹介した。長い黒髪の男で、眼は黒真珠の様だ。目鼻立ちが整った男だが、中性的な顔立ちのせいか、線が細い印象を受ける。
『ありゃ、グロア家の人間か……強大な魔力持ちは多分、彼だ』
ルクスの呟きに、ライトは微かに眉を顰める。
『彼、僕が見えているしね……もしかしたら、レシアの結界が必要かもしれない』
ルクスの指摘に、ライトはルイスと呼ばれた青年を見やる。確かに此方に向けられた視線は、王とライトの間……というよりライトの肩辺りを見ているようだ。魔力が高い人間は他の人間の魔力を感知できるらしい。ライトは未だによく分からないが。
成る程……場合によって、ルクスも含めた会談になる訳か。
ヴォルファルア王は分からないが、物怖じしない姿は侮れない。流石、王と言うべきか。
ライトは指で簡易魔術の陣を描く。レシアへの連絡を入れておいた方が良さそうだ。直ぐに「了解しました」と簡単な返事が来る。部屋の外で待機しているだろう。
「――では、此方も紹介をするとしよう」
参謀長や国王補佐官といった重臣を紹介していった。席順に名を呼んでいき、ヴェスト王に名を呼ばれた者は一礼する。ライトも同様に王に呼ばれ、二人に一礼した。
「……この場にいる者の紹介は以上だ」
「では、早速本題に入りましょう。我々……ヴォルファルアは数年ほど前から、大陸にあるエリシアントに目を光らせてきました」
前置きなど必要ないとばかりに本題に入る。しかし、それは此方も同様だ。
『……あの国ねぇ、ハスレンも言っていたけど、昔から高圧的なんだよね』
エリシアントの名が出た瞬間に、その場にいる全員の顔色が変わった。……呆れたような口調だけど、ルクス、ハスレンって誰?
「エリシアントは国土を広げようと周囲の国に戦争を仕掛けていたので、嫌でも目につきます…我々としても同時に二つの国と戦うことは避けたいところ。そんな時にある疑問が生じました……疑問とは我々と貴方方が戦争を始めたきっかけ……我が国の姫君と貴方方の国の王子殿の死について」
ヴェスト側の人間がどよめく。「嘘だ」「彼方の姫君が」等と思うことを口々にすれば、ヴォルファルア側は密かに溜息を吐いた。
「……やはり御存知でなかったようですね」
アレンの冷めた眼が、ヴェストの人間を見ていた。まるで「だから戦争を始めたんですよね」とでも言うような眼だ。
確かに宣戦布告をしたのはヴェストであった。ヴォルファルアにしてみれば、謂れの無い罪で攻められていたのだから、このような態度も仕方ないのだろう。どよめくヴェスト側を余所に、アレンは話し続けた。
「我々は当然貴方方を、貴方方は我々を疑い宣戦布告をする……我々はエリシアントの手の平で踊らされていた」
「……その根拠は?エリシアントが貴国の王女と我が国の王子を殺害したと言う証拠はあるのか?」
誰もが動揺を隠せない中で、ハルラストは淡々と言葉を発した。
その疑問に、アレンは斜め後ろに立つ側近と目配せをする。
「そこで、ヴェスト王陛下にはお願いがあるのですが」
敵国の王の頼みは意外な――そして、信じられないものだった。
「この城にいる筈の、私の部下を呼んでも頂けますか?」
◆◇◆◇◆
一体、誰が信じるだろう。
敵国の王の部下――すなわち密偵が易々と城内に入り込んでいるなど。
「なっ!一体誰が!」
重臣の一人が卓を叩いて立ち上がった。そして、呼応するようにその場がざわめきだした。
が、ハルラストが形式上持ち歩く剣で床を叩くと、一気に静まり返った。
「……そうか、やはり、『あの者』は其方の人間だったか」
一人だけ理解したような口振りのハルラストを、周囲の重臣が凝視する。
「混血種の『アルト』だろう。隣室に待機させている」
自国の王の言葉に誰もが驚愕したが、冷静だったのはハルラストだけではない。まるで、当然とでも言わんばかりに敵国の王は口端を吊り上げた。
ハルラストの命令を心得たように忠実な部下が部屋を出て行くと、広間が騒然となった。
(…アルト、が何?)
ライトの頭も混乱していた。頭の中に疑問符ばかりが浮かんでいる。
何故、アルトの存在をヴォルファルア王が知っているのか。
王が隣室に待機していると言ったことは本当だったらしく、数分後、会議の間にアルトが入って来た。
何時ものように貴公子さながらの振る舞いで挨拶したことに問題はないが、顔を上げたアルトに、誰もが息を呑んだ。アルトが眼帯をせず、二色の瞳を露わにしていたのだ。……此処でばらすのか。
「久し振りですね。アルト」
「ルイス……何も、こんな大勢揃ってる場所で呼ばなくても……」
呆れた様子のアルトに、誰もが視線を向けた。
「より多くの方々に知っていた開くべきかと」
ルイスの言葉に、それは御尤もだけど、とアルトは一つ溜息を落とした。騒然としている会場内を、アルトは見回して一礼した。
「アルベルト・デュアルと申します。ヴォルファルア王陛下の伝令役を務めさせて頂いております」
アルトの正体に会場内がざわめくが、アレンが咳払いをすると静まり返った。
「では本題に戻りますが、我々はアルベルトに『あること』を調べて貰いました」
「あること?」
何処からともなく聞こえた声に、ヴォルファルア王が相槌を打ってから話を続けた。
「我々が知りたかったのは暗殺に使われた凶器……ルイス」
ルイスが取り出したのは、赤い布の塊だった。布を解いて行くと、そこには見たこともない形状の剣が現れた。
「これは、我が国の姫、アーリアの胸に衝きたてられていたといわれる剣……すなわち、彼女を殺害した凶器です」
うっ、と誰かが息を呑む音が聞こえた気がした。よく見てみれば、血痕らしき赤い痕がある。アーリア姫の血だろう。半信半疑だった者達も彼女が殺されたということを信じざるを得ない。
「アルベルトの報告では案の定、エリシアントで多く流通している鉱石から造られた剣と一致したそうです……勿論、同様の物がヴェストで使用されていれば証拠不十分ということで、この会談に置いての和平は白紙とする心算ですが」
アレンの平坦な物言いに、ヴェスト側の人間がざわつき始めた。ある者は顔色を青褪めさせ、またある者は「何を偉そうに」と歯噛みする。
アレンはアルベルトに視線を投げた。結果報告を求めているとライトでも解った。アルベルトが口を開くのを、誰しもが待った。
「ヴェストでは存在すら知られていない鉱石でした。此方で採掘される物でない以上、ヴェストであの剣を造ることは不可能でしょう」
誰もがアルベルトの言葉に息を吐いた。……安堵、だろう。
「勿論、凶器だけでエリシアントが黒幕だと断言はできない……しかし、関与を否定することもできない。件の鉱石は輸出禁止令が引かれている以上、他国でこれを作り、エリシアントに罪を被せるなど考えても実行は難しいだろう」
確かに、ヴェストとヴォルファルアに互いにいがみ合わせて、更にその罪を第三国エリシアントに擦り付ける小細工など、面倒なことはしないだろう。
「更にいえば、暗殺に使用する凶器は使い慣れている物に限る。それは何処の国であろうと、変わらない。そう考えれば、エリシアントへの疑いが益々強まる……そして何より今回の襲撃。エリシアントを敵と見做すのでは?」
アレンはハルラストを見据え、返答を待った。
「そういうことになるな」
ハルラストの返答に、アレンが口角を吊り上げる。
「我々の考えが正しければ、エリシアントは我々の敵にもなる……如何かな?敵の敵は味方と言うし、我々と手を組まないか?」
ひらり、と差し伸べるように手のひらを此方に向けるヴォルファルア王。その顔には正しく王の笑みが浮かんでいた。
……その話、マジですか?