消えない歴史と遺産
ヴェストの南、ヴェルア港。貿易船は主にこの港に到着する。水夫が積み荷を降ろし、馬車に積み替えて各々の目的に運んでいく。ライト達は王都行の馬車に乗り、王都へと向かうことにした。
「アルトは王都の出身なのか?」
「いえ、出身は東の方です。王都へは買い物に行こうかと思いまして」
「……もしかして、東方には物資が回ってない?」
ヴェストの東はヴォルファルアに隣接している。戦争自体は条約こそ結ばれてはいないものの、実質的な休戦状態だ。しかし、最前線の東域では小さい諍いがあったりして緊張状態だと聞いた。
「そこまでは…ただ出身の村は本当に片田舎といいますか、もともと人口も少なくて。流通している物自体が少ないんです」
アルトは大仰に肩を竦めた。
窓の外の景色は何時の間にか無機質な建物ではなく、豊かな森になっていた。鬱蒼と茂る森は陽光を遮り、薄暗い。ライトたちが王都へと進むにはこの森を抜け、さらには街を二つ、そして王都の外にある森を抜けなくてはならない。順調な道のりでも二日は掛かる。
「──ライト様」
落ち着きながらも凛とした声でレシアに呼ばれ、ライトは異変を察知する。
整備されていない森の中の道で速度が出ていなかったが、突然、馬の嘶きが聞こえて馬車が停止した。揺れる箱馬車の中に乗客の悲鳴が上がる。
「野盗か」
呟いてみて、溜め息を吐く。馬車の行く手に現れたのは数人の男たちだった。カーテンの隙間から様子を窺えば、馬車を囲むように男の姿がある。
「この辺りは落ち着いていた筈なのですがね」
窓を覗いていたレシアは肩を竦め、ライトを振り返った。
「ライト様はこのまま……と、聞いて下さる筈はありませんよね」
「当たり前じゃん」
当たり前だよ、レシア。今はティラミスで多少機嫌が直ったとは言え、食べ損ねたデザートの怨みはまだ晴れていないんだから。食べ物の恨みは怖いんだぞ?
内心ふつふつと沸上がるライトの憤りなど御見通し。慣れた側近は苦笑するだけで「困りましたね」と口先だけは咎めるように口にした。二十人が優に乗れる馬車の中で阿鼻叫喚状態の他の乗客。その間をすり抜け、レシアとライトは出入り口へと向かう。
「何で、お前まで…」
出入口に着いた所でライトは同じようについて来たアルトの存在に気づく。
「人数はいた方がいいでしょう?」
「……怪我しても責任は負わないぞ」
野盗が扉を開ける前に勢いよく扉を開け、その反動で一人を弾き飛ばす。そのまま外に出ると、ライトは呆気にとられていた男の鳩尾を殴りつけた。不意を突かれた男は呻いて地面に倒れ込む。これで二人目だ。他方ではレシアが男を切りつけていた。一人は既に地面に転がっている。
「てめえっ!」
反撃があると思っていなかったらしい男達も本気で斬りつけて来る。
しかし、レシアは王城の騎士団でも第一部隊に所属し、その中でも上から五本の指に入る腕を持つ。剣を振り回すだけの大男など相手にもならない。
レシアに対する心配はなく、ライトはアルトの様子を窺った。彼は喧嘩慣れしているのか、二人の男達を華麗に躱しながら素手で倒していたが、ライトは内心落ち着かなかった。いくら喧嘩慣れしていても、刃物を持つ相手に素手では危険だ。ライトが目の前の蹴り倒し、加勢に行こうとした時、ふり幅が大きい剣先がアルトの顔を掠めた。
「アルト…!」
悲鳴を上げそうになったが、そんな心配など一瞬で消えた。
アルトは何の躊躇もなく相手の腹に蹴りを入れ、そのまま地面に沈めた。その反動で彼の顔に巻いていた白い包帯が解け、アルトは慌てた様子で包帯を押さえた。
しかし、一瞬だけ青年の顔が露わになったのを目聡く捉えた者がいた。
「う、うわ!お前…!」
アルトの顔を捉えて悲鳴を上げたのは誰だったか。アルトに蹴りつけられた男か、それとも他の人間か。愕然とした、恐怖が入り混じった声に誰もが動きを止めた。
「ヴォルフェルスの呪いだっ…!」
「なんで、こんな所に!」
口々に叫ばれる言葉の意味を、正確に理解するのは難しい。盗賊が襲ってきた時のように阿鼻叫喚状態に陥った乗客達と、罵倒や怒号が飛ばす盗賊達にライトも手を止めた。
悲鳴や怒声に晒された青年は面倒になったのか、押さえていた包帯を離した。
「──だから、嫌なんですよ」
一つ溜息を吐いてアルトは顔を上げた。黒絹のような髪が肌を流れ落ち、露わになった彼の顔を捉えた瞬間、ライトは息を呑んだ。
火傷も大きな傷もない顔。ただそこにあったのは、目を奪われる色の瞳だった。
闇を溶かし込んだ、漆黒の瞳。
深青色の左目と対をなすそれは、この国に存在してはいけない者の象徴。
「混血種…」
ぽつり、と零れたそれは誰もが口にはしなかった、『禁忌』の言葉。
その場が凍りついたかのように誰もが口を噤んだ。
ライトが思い出したのは海上ですれ違ったヴォルファルア艦船、そこからライト達に向けられたダークブラウン色の瞳。ヴェスト人が持たない瞳の色だ。
同じヴェルファート島内にいながら、ヴェスト人とヴォルファルア人は異なる容姿を持ち、その間に生まれる子供は左右異なる瞳を持って生まれることがある。人々は、その子らを〈混血種〉と呼んでいた。
(混、血種…ってことは…)
整った顔立ちに並ぶ、深い海のような蒼と新月の夜空のような漆黒の瞳。つまり、目の前の青年はヴォルファルアの民の血を引くということで。
「この売国奴め!人の風上にも置けねぇ…うぉ…!」
アルトを罵った野盗の一人が、言葉尻に呻き声を上げる。アルトの顔に釘づけだった人々が、まるでネジを巻かれた絡繰り人形のように一斉に呻き声を上げた野盗と、その野盗を踏み付けるレシアに視線を向けた。
男を足蹴にして清廉と佇むレシアは、己の下で呻く男に冷やかな視線を向けている。見かけが整っているだけにいと恐ろし。レシアは微笑んでいてもその目が笑っていないことが多いから尚恐ろし。
「盗賊の貴方が、それを言います?」
それは尤もだ。ライトが思わず吹き出した。
「そうだなぁ、人を襲って財産奪って酒盛りするような人間が言える台詞じゃないよね」
売国奴?彼の親の思惑など知らんが、現在進行形で犯罪やらかしてる癖に何を言う?
今責められるべき存在はお前らだが?自分を棚に上げるお前らこそ、人の風上に置けないぞ?そもそも説得力皆無。
その場に不似合いな、無邪気な笑みを浮かべるライトに自分達の立場を思い出したのか野盗たちが刃物を構えた。遅いし。
止まっていた時が動き出す様に、静まり返った森が再び戦場と化す。聞こえる悲鳴も罵倒も入り乱れ、時に尚アルトを指して「ヴォルフェルスの呪いが云々」とか言い出す始末。
ヴォルフェルスの呪い?一体、何の冗談?明らかに人災じゃん。
因みに、ヴォルフェルスは先代の王朝だけど、王家を含めて多くの人が先代王朝に敬意を払っているから言い方を付けた方がいいよ?人を否定するなら、自分も否定される覚悟はできているよね?
……信仰って、扱いに気を付けないと危ないからね。一部の人の間でものすごく逆鱗になり易いの。