末
いつの間に眠っていたのか。
気が付くと、私は自室のベットに寝かされていました。
ちらりと見た時計は午後17時10分。
時計から目を離して、グルりと部屋を見回すと、私のほかにもう一人。
イシイ先輩という人がいました。
私が目を覚ましたことに気が付くと、イシイ先輩が顔を寄せてきて、
「みんなは帰したから心配すんな。それよりおまえ、あの踏切に行ったんだろ? ミツシマから聞いたよ。とんでもないもん連れてきたな」
そう言ったのです。
なんのことか全くわからない私にさらにイシイ先輩は続けます。
「あれだろ? 女見たんだろ? 全身真っ赤なやつ」
そこで記憶がフラッシュバックしてきました。
そうだ、あの最後の瞬間、確かに女が立ってた。
思い出した。
そうだ……そうだ!
たしか最後に――
「あそぼう、って言われただろ?おまえ」
「えっ……なんでわかったんですか?」
「だって、ずっとおまえの部屋の前に居るぜ?今もあそぼうって呟き続けてる。あぁそうだよな、なんで見えるのかって気になるよな。 俺の家って寺だからさ、昔っからあぁいうのが良く見えるんだよ」
と、淡々とにこやかに語るイシイ先輩。
そんな先輩とは裏腹に、私は全ての血液が汗になって噴き出してきたのかと思う程、冷や汗をダラダラと流していました。
まさか憑いてくるなんて……
どうしたらいいんだ……
二つのことが頭の中をぐるぐる回り続けました。
何とかならないのかと頭を抱えてへたり込むと、イシイ先輩は私の肩を叩いて「大丈夫」と言ってくれました。
叩かれた方から人の温かさというか、イシイ先輩の不思議な力のお蔭なのか、なにがどう大丈夫なのか全くわからないはずなのに、なぜかスッと冷めるように安心していきました。
そんな私の顔を見てもう大丈夫だと思ったのか、イシイ先輩はニコニコとした表情で「方法は三つあるけど聞きたいか?」と尋ねてきたのです。
私は一も二もなく「教えてください」と縋り付きました。
イシイ先輩曰く、方法は3つ。
「1つめは、誰かを代わりに差し出すこと。やり方は簡単、誰かをこの部屋の前に呼び出すか、俺を追い出せばいい。ただ、憑かれたやつがどうなるかは……わかってるだろ?」
「2つめは、この部屋に残ってあいつ帰るのを待つこと。ここに来る前におまえの部屋の前に清め塩を山盛りにして扉前に置いて、寺から持ってきた特殊な線香焚いてるから入ってはこれない。だからおまえはただじっとしてればいい。もちろん部屋から出るのは厳禁。最低3日から5日は出なければ大丈夫だと思う……が、絶対ではないからな」
と、ここでまで一気に話をしたイシイ先輩が急に押し黙ってしまった。
あれ、最後の一つは?
気になった私は、
「あの、すみません。最後の1つはなんですか?」
そう聞いてみました。
イシイ先輩は私の声を聞いてゆっくりと顔を下に俯かせ、私の顔は見ずに答えました。
「3つめは……おまえが死ぬこと。そうすれば外に居るあいつはいつまでもずっと遊べる相手が手に入る。ただな、たぶんこれやったらおまえはずっと死んでからもあいつと一緒に居なきゃいけない。だから天国とか地獄とかそう言った通常とは違うところに魂を持ってかれることになる……」
「そんな……本当に……」
「本当だ。俺は一回だけそういったヤツを見たことがある。そいつ自身は普通のよく見る霊だったんだけどな、左腕に気味の悪い頭だけの霊が癒着してやんだよ。そいつはずっとタスケテ、タスケテって言ってんだけど、頭だけの方はひたすら笑ってた。たぶんアレは、頭だけの方に連れて行かれたやつだ。3つめの方法が一番他の人に害がでない。でも、この方法だけは俺は取らせないつもりだ。でもまぁ、おまえがどうしてもって言うなら止めはしないけどな」
一気に捲し立てるように話しきると、再び沈黙するイシイ先輩。
そして選択を迫られ、押し黙る私。
どうする……
一つめは論外だ。
関係のないイシイ先輩に全部押し付けるなんて考えられない。
2つめはどうだろう。
我慢すれば無事……かもしれない。
3つめ……
死んですべてが丸く収まるならこの選択もアリ、かもしれない。
でも、死ぬのは……怖い。
無責任かもしれないけど、まだ死にたくない。
なら、もう答えは決まっていた。
「イシイ先輩、俺、まだ死にたくないです。だから、この部屋であいつが居なくなるのを待ちます」
私の答えを聞いたイシイ先輩は一瞬厳しい目つきをしたが、すぐに笑顔を見せると「任せろ」と言って立ち上がった。
「じゃあまずは、」と呟きながらイシイ先輩は持ってきていた大きめのリュックからくしゃくしゃになったお札を1枚取り出すと、お経のようなものを唱え始めました。
すると、お札はみるみるうちにピンと張り、しわが一つも無くなっていました。
しわのなくなったお札を入り口のドアの中心に押し付け、更にお経のようなものを唱え始めるイシイ先輩。
唱え終わったのか、ゆっくりとお札とドアから手を離すと、何も書いていないお札だけがひらひらと落ちてきて、お札に描かれていたはずの文字はドアに転写されていました。
じっとりと汗をかいたイシイ先輩は、袖口で乱暴にそれを拭うと私の方に振り返り、
「俺もまだまだだなぁ。爺さんなら一瞬なんだけど……でもこれで大丈夫だ。念の為に壁と窓と床と天井にも結界を張っておこうか」
そこから、窓、壁、床、天井に同じことを繰り返す。
全てが終わった頃には、もう夜中の10時になっていました。
イシイ先輩はドカリと床に腰を下ろすと「遅くなったけどメシでも食おう」と言ってリュックの中からカップ麺を2つ取り出して私に手渡してくれました。
私は、「ありがとうございます」と言い受け取り、ポットに入っていたお湯を注ぐ。
3分経って蓋を剥ぎ取り、カップ麺をすする。
今日、初めての食べ物だった。
腹はそんなに減っていなかったはずだったのに、一口食べるともう止まらなくなり、あとは最後の一滴まで無言で食べ続けた。
そんな私の姿を見てイシイ先輩は、
「そんだけ食えれば大丈夫だな。良かったよ、まともにメシが食えたみたいで」
と、やはり優しい顔で笑っていました。
だから私も久しぶりに笑顔になれました。
それからまた数分が過ぎ、そろそろ寝ようかと思ってベッドに腰掛けました。
私が寝ようとしている姿をみてイシイ先輩は、
「疲れただろ?早く寝ろよ」
と促してくれました。
が、そうもいきません。
イシイ先輩がまだこの部屋にいるんだから。
「イシイ先輩、ありがとうございます。もう俺は大丈夫なので自分の部屋に帰ってもらっても大丈夫ですよ」
そう言って帰ってもいいですと言った瞬間、イシイ先輩は大笑いしてこう言いました。
「あっはっはっは! もう誰もこの部屋から出らんねぇよ。 だって出たら結界の効果がなくなっちまう。それにまた何度か張り直さなくちゃいけない。更に言えば、外にはあいつがいるんだぞ? ホイホイ出ていったらこっちが憑かれちまうからな」
確かにそうだ……
私は、完全にイシイ先輩までこの部屋に閉じ込めてしまった。
本来ならわざわざ私と一緒に居なくてもいいはずなのに……
申し訳なさでいっぱいになって何も話せなくなる私。
私を見た、イシイ先輩はニッコリと笑って、
「気にすんな。俺は初めからおまえが生きたいって言うと思ってこうしたんだから。それにここに閉じこもろうなんて思わない奴がこんなに準備万端にしてくるか?」
そう言って持ってきた大きめのリュックをひっくり返すと、ドサドサと中から大量のインスタント食品やお菓子が落ちてきました。
男二人が3食食べても1週間は持ちそうな量でした。
食料の山を見せて「どうよ!」と笑う先輩に、私はしっかりと「ありがとうございます」と返して、この日は寝ることにしました。
もちろん、ベッドはイシイ先輩に使ってもらいました。