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記憶  作者: 今田侑耶
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軍歌 1

  徐州徐州と人馬は進む。徐州居良いか住み良いか。


 私の父は内地で終戦を迎えた。戦地には行っていない。だが、この歌を口ずさむ度に父の話を思い出す。


 戦地には行っていないが父は学徒動員で応集はしている。出征の船を待っている間に終戦になった。出征していたら父は戦死し、姉と私は生まれていないだろう。

 応集した父は訓練をうけた。班長をしていたそうだ。訓練と言っても兵装を身に付けてひたすら行軍するだけ、という。だが、兵装は60~70kgもあり一日に何十kmもの行軍に脱落者が相次いだそうだ。父の班にも一人 行軍について行けない人が居て、父はその人にずっと付きっきりだったらしい。教官は『お前が潰れるからそいつは捨てて行け。』と言ったらしい。父は教官に頼み込んで二人分の兵装を背負い、ロープで自分と繋いで最後まで引っ張って歩き通したと言う。

 脱落者がどうなったのかは聞かなかった。だが逃げて見つかれば脱走兵として銃殺。なんとか生きて戻ってもペナルティー付きで更に訓練。逃げ延びても周囲は皆敵(非国民扱いで密告されるか石を投げられる)状態。下手をすれば故郷の身内も同様の扱いを受けるのは自明の理。良くて山野に隠れ住んで命を繋ぐ程度だろうか。



  友を背にして道無き道を行けば戦野は夜の雨

  「済まぬ」「済まぬ」を背中に聞けば「馬鹿を言うな」とまた進む。兵の歩みの頼もしさ


 軍規違反と承知の上で、友を置き去りには出来ぬ人情よ。だがそれも余裕のある行軍中であればこそ赦されるゆとりである。


 

 父は生きて戻った。戻った息子を見たとき祖母はそれが自分の息子とは思えなかったそうだ。父はひょろりと痩せて背の高い人だが、その時は栄養失調で浮腫(むく)み靴すら履くことができないほどに膨れ上がっていたそうである。


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