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なりそこないの唄

作者: スカイ

『なりそこないの唄』


 彼女と僕は突然旅をすることになった。


 出会ったのは森の中に開けた広場で、僕らの他に影は無かった。鬱蒼と樹々が茂る森の中では、そこだけがぽっかりと穴が開いたようで、秋の夕暮れの柔らかい日差しが差し込んでいた。迷い込んだ広場の中央に、彼女はただ一人佇んでいた。

 いつから此処にいたのだろう、数刻前に降った雨のためか、腰までもある髪はつややかに濡れている。栗色で始まる髪は、毛先に行くにつれて黄金色へ変化する。軽くウェーブした髪は今まで見たどんな髪よりも、美しいと思った。

「誰?」

僕が見ていることに気が付いたのだろう。彼女がこちらに顔を向ける。当然のように色白の小さな顔。淡い青色の大きな瞳に、長い黄金色のまつ毛。くるりとカールした毛先には、水滴が光っていた。

 声をかける言葉を探るうちに、沈黙が訪れてしまう。そのうち、何も言わない僕を不安そうに見つめて、彼女が小さな声で言葉を紡いだ。

「ごめんなさい」

大きな瞳から、大粒の涙が一粒はらりと落ちる。涙は地面に落ちて、花に溶けて消えた。花がくすぐったそうに揺れる。

「泣いていたの?」

「ええ、ごめんなさい」

ごめんなさい。そういって、彼女は僕に頭を下げた。生成りの麻のワンピースに、水滴が落ちる。ぎゅっときつく結んだ小さな拳が、小刻みに震えていた。瞳に涙を浮かべた彼女を、それでも美しいと思ってしまう。

「謝ることはないよ。僕は君に何もされていない」

「あなたは、私に伝えに来たのではないの?」

「何があったのかは知らないけれど、それは僕じゃない」

 僕が言うと、彼女は少し安心したようにほっと息をついた。指先で涙を拭って、しっかりと僕を見つめる。吸い込まれるような瞳に見つめられて、ドキリとする。柔らかそうな、朱色の唇がゆっくりと動いた。

「そう……。私はここで裁きを待っているの」

「裁き?」

「歌えない花守は必要ない。だから……」

私は裁かれるの。呟くように紡がれる言葉は、樹々のざわめきの中に消えて行った。俯く彼女に、影が落ちる。

 「花守? 君が?」

「ええ。なりそこないの、ね」

なるほど、此処は花守たちの森だったのか。それなのに彼女は、唄を歌えないのか。

 花守は唄を歌うことで、花に精気を与える役目を担っている。だから、歌えない彼女は、大地の法に裁かれてしまうのだろう。

 こんなにも美しい彼女が?

「……裁きが下ると、どうなるの?」

「きっと、消えてしまうわ。皆がそうであるように」

仕方がないものね。彼女は諦めた顔で、薄く笑みを浮かべた。

 消えてしまう。こんなに美しい彼女が消えてしまうなんて、僕には耐えられない。そう思った時、するりと言葉が抜け出た。

「ねえ、逃げようよ」

「……逃げる?」

「今歌えないならば、これから歌えるようになればいい。そうしたら、此処へまた戻ってくればいい」

彼女が歌えるようになるのかは、わからなかった。自然の摂理は、抗ってはいけないと定められたもの。理解してはいたが、そんなことの一つや二つはもう気にならなかった。

 言葉に力がこもって、気が付くと彼女へ手を差し出していた。パラパラと広場に雨が降り始めた。空に雲は無かった。

 彼女は、差し出された手をすぐに握ることはしなかった。けれど、迷っているようでじっと考え込んでいた。

 雨はだんだんと強くなって、広場の草木は濡れそぼちた。空に雲は無かった。

 僕と彼女だけは、濡れずに立っていた。

「裁きから逃げたら――」

「どうなるの?」

「わからない。逃げた時のことなんて、考えたことも無かったのよ」

「じゃあ、逃げようよ。大丈夫、僕が守ってあげる。ほら」

「だって、歌えない花守は……!」

「歌えるようになればいいだろう? さあ、行くよ!」


 

僕は彼女の手を引いて、無我夢中で走った。歌えない花守の逃走を、森の樹々は怒っているようだった。彼らの声は僕にはよく分からなかったが、彼女には伝わっているらしい。美しい顔がくしゃりと歪んで、悲しみに覆いつくされる。それでも、彼女は走るのやめなかった。 

 日が完全に落ちてしまう前に、彼女と一緒に森を抜け出た。辺りは土砂降りで、森の前の小川は、溢れて海になっていた。

 空に雲は無かった。

「どこに行くの?」

海沿いの小道は月明かりで照らされていた。前を歩く僕に、彼女は息を切らせて聞く。花守として育ってきた彼女は、あまり走ったことがないのだろう。麻のワンピースは乱れていて、裸足の足は傷だらけだった。小さな白い足に、痛々しく赤が映える。ごめんなさい、と心の中で謝る。彼女は濡れていなかったのだけが、唯一僕の救いとなった。

 僕も息を切らせて、彼女の問いに答える。

「どこにいこうか。僕らに戻る道はないからね」

「ごめんなさい」

「謝るのは、もう無しだよ。それに、もとより僕は前に進むしかないんだ」

「本当に、ご一緒しても良いの?」

「もちろん。僕が言い出したんだからね」

 彼女はもう裁きの話はせず、僕の手を握ってついてきた。大勢の旅人たちに踏み固められた小道は、森の中の獣道よりはよっぽど歩きやすかった。彼女もそうだったようで、道が大きくなってからは、僕の隣を歩くようになった。

 ぽつぽつと彼女が話をする。僕が相槌を打つと、嬉しそうに笑った。美しい瞳は月明かりに照らされて輝いた。黄金色の髪が潮風に靡く。栗色だったところも、もうずいぶんと黄金色に近づいてきたようだった。雨はしとしと降っていて、星は夜空で輝いていて、僕らは濡れていなかった。

 

 僕らはずっと歩き続けた。花守は雨を嫌うために、深い森の奥にいるのだとかつて聞いたことがあった。それが本当かはわからないけれど、雨が降りしきる中で、花守が彼女を追ってくることは無かった。

 東の空が白み始めたころ、遠くにポツンと灯りが見えた。それは僕がよく知っている家で、家の主は、僕がただ一人信頼できる他人だった。ここまでくれば安全だ。

 もう彼女に隠しておくことは出来ないな。隣を歩く彼女を見つめる。美しい横顔は整っていて、今は笑顔に溢れている。僕のためだけの笑顔。

 さあ、話さなくちゃ。

「ねえ」

「なあに?」

僕の問いかけに、彼女は首をかしげてこちらを見る。もう少し明るければ、彼女の顔をもっとよく見ることが出来たのに。そんなことを考えながら、次の言葉を紡ぐ。僕の役目は、終わりに近づいていた。雨はもう霧雨になっていた。もう、これ以上集めることは出来なさそうだ。

「君は、あの家に行くんだ。あの家の主は、君が次にどうするべきなのかを教えてくれるよ」

「あなたは?」

「僕は、此処でお別れしなくちゃならないよ」

「どうして!」

 彼女は、僕の思ったいたよりも別れを悲しんでいるようだった。繋いだ彼女の手に、ぐっと力がこもるのが伝わってくる。そんなことをされると、別れが惜しくなってしまう。

 それでも、言わなくちゃ。雨はもう霧雨だ。

「あのね、僕は『雨』なんだ」

「雨……?」

彼女が不思議そうに聞いてくる。当たり前だ。雨の天候を司る精霊である『雨』が地上にいるのはおかしい。『雨』は雨を降らせて各地を渡り歩くものだから。

「詳しくは『雨』だった。『雨』でありながら、僕は雨を上手く操ることが出来なかった。だから」

だから。彼女は黙って僕が続きを話すのを待っていた。僕らはもう立ち止まっていて、繋いだ手はそのままに向き合っていた。彼女の空色の瞳が、僕に続きを促す。

「だから、僕は、裁きを待つしか無かった」

「そんな」

「なりそこないの『雨』は必要ないからね」

 裁き、という言葉を聞いたとき彼女の顔はさっと青ざめた。それでも、僕は構わず続きを話す。僕にはもう時間がない。

「それで、怖くなって逃げたんだ。ずっとさまよっていたら、森に迷い込んだ」

そして、君を見つけたんだよ。 

 彼女はずっと、僕の顔を見つめていた。きれいな瞳に見つめられて、恥ずかしくなって話すのが早くなる。太陽は徐々に顔を出しはじめた。僕の体の先は、もう霧になっているようだった。もう、時間がない。

「君に一目惚れだよ。可笑しいね、雨が花守に恋をするなんて」

笑っちゃうよね。そういって僕は笑ったけれど、彼女は笑わなかった。そして、ドキドキする僕の気持ちはお構いなしに、彼女はそっとキスをした。

 突然のことに驚いて、僕は声が上ずってしまう。

「花守は雨が嫌いなのは本当だったんだね。君を此処まで連れてくることが出来て、良かったよ。なりこそないの『雨』にも、好きな子を守ることは出来るんだって」

 なりそこないなりに、必死で雨を操った。彼女の為に操った。私情を許さない大地の法を破ってしまったけれど、彼女をここまで連れて来ることできたのだから、悔いはない。

 僕が誇らしげに言うと、彼女は微笑んだ。それから、僕の腰に両腕を回して、胸に顔を埋める。僕はもうドキドキが止まらなくて、なりそこないも悪くないと思う。

 心臓がトクトクと駆ける。このままで居ようと叫ぶ。けれど、僕は最後の役目を果たさなくてはならない。彼女を、逃がさなくては。

「ほら、朝が来る。急がなくちゃ。僕は、このまま此処にいるよ。こんなに沢山雨を降らせてしまった。もうすぐ裁きが下る。君に見せたくは無いな」

言って、彼女の綺麗な髪に触れる。きっと、僕はこのまま消えてしまうのだろう。そうしたら、彼女は此処に独り取り残されてしまう。それは、彼女に申し訳なかった。

 彼女の髪は、もうすっかり黄金色だった。さらさらとなびく花守の黄金色は、朝日を浴びて煌いた。

 僕の胸に顔を埋めていた彼女が、ゆっくりと顔を上げる。そして綺麗な朱色の唇から、一言だけ紡がれた。

「最期まであなたの傍にいるから」


 朝日が霧を照らして反射し、周囲は黄金色に輝いた。

 樹々はうんと伸びをして、花は微笑み、ダンスを踊っていた。

 黄金色の霧の中心にたった独り、花守の少女が座っていた。 


 広い大地に、草木に力を与える美しい『なりそこないの唄』が響き渡った。


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