その一
長い癖毛を後ろに束ねただけの男だった。
歳は三十そこそこ。背が高い。それでいて、筋骨も逞しい。眉も目も鼻も立派だ。口だけが、やや小さい。無精髭を蓄え、僅かな酒気を漂わせている。
庄屋の吉蔵は、その男を見て驚いた。まさか、このような男が来るとはと思ったのだ。
男は気軽な道服姿だが、着流しに二本差しという浪人が似合いそうな雰囲気がある。
珂那国(下総国)。天領、揚野村。その庄屋屋敷の客間である。
そこで吉蔵は、男と向かい合っていた。人払いをしているので、自分達の他に誰もいない。
若い頃から、近郷の儒学者・宇賀抄庵に師事して学問を学び、三十歳で庄屋に婿入りして、六年。旦那としての風格も漂ってきて、それなりの男になったと思っていた。この男の異様さに飲み込まれるまでは。
「あなた様が、御公儀の……」
吉蔵は、恐る恐る聞いた。男は薄ら笑みを浮かべて頷く。
「申し訳ございませぬ」
その薄ら笑みに、柄も言えぬ迫力を感じた吉蔵は、慌てて平伏した。
「よせよ。この風体だ。方々で『らしくない』とは言われるから慣れっこだ」
この男が、櫛橋月京奏世。公儀陰陽方の陰陽奉行だ。古今指折りの術達者で、櫛橋流の陰陽道と数多くの式鬼を操るという。
吉蔵は、その噂を代官の小泉式部太夫に聞いていた。陰陽道に通じた、凄い男が来ると。
しかし自分の目の前にいるのは、何とも野性味が溢れる荒々しい男だ。
月京の酒気を察し、吉蔵は酒を用意させたが、それを断られた。
どうも、酒は好きだが強くないらしい。ここに来る途中で、ついつい引っ掛けた酒で満足だと言った。
「話は代官所で粗方聞いた」
月京は、酒の代わりに出された茶を啜りながら言った。
「左様ですか」
「女ばかり攫われるんだってな」
「ええ……」
「最初に消えたのは、去年の夏で間違いないかい?」
「ええ。おゆきという、十四の娘でした。薪拾いの帰りに姿を消したそうです。次が、おぬい。そして、おきえ、おたえ、おたか、おえん。若い娘ばかりです」
「おゆき以外の娘は何処で消えたのだ?」
「それは様々です。子守や野良仕事、糸紡ぎ、中には寝ている時に消えた者も」
「ほほう」
最初は、人攫いかと思った。かどわかされ、売られるという話はよくある事だ。或いは、浪人や賊に何か悪さをされたのか。珂那を含む関八州は、治安が良いとは言えない。その為に、村には自警団があるほどだ。
しかし、人が多過ぎる。一人二人ならわかるが、六人もの娘がいなくなるという事は前代未聞だ。庄屋になって六年。こうした話は一度も耳にした事はない。
「それで、探しても探しても見つからないと」
「代官所のお役人にも話をして、方々を探しましたのですが」
「集団で村を抜けたという可能性は?」
吉蔵は首を横にした。その可能性は低い。消えた娘達は、それぞれ村内での立場が違う。村役人や富農の娘もいれば、農奴のように扱われる下女の娘もいるのだ。
「神隠しでしょうか?」
「さて、それはまだ判らん。よくよく調べれば、妖鬼ではなく人間の仕業だったという事も多いのだ」
「はぁ」
「まぁ妖鬼の仕業の可能性は高い」
「やはりそうですか」
「ま、そうでなければ困るのだがな」
「困る?」
「あ、いやこっちの話だ」
笑って誤魔化す月京を、吉蔵は鼻白んだ。本当に、この男が村を救ってくれるのだろうか。代官所は御公儀に報告すると、この男が遣わされた。公儀はこの男で十分と言う判断なのだろうが、どうも信用出来ない。
「兎に角、私が来たからには安心するといい」
「藁にもすがる思いでございます」
「櫛橋流陰陽道宗家の私が来たのだ。大船に乗ったつもりで安心するといい」
一つ頷いて、月京は立ち上がった。
「まずどちらに?」
まだ陽が高い。今からなら何処にでも行ける。その時は、自分が道案内するつもりだった。
「いやいや。私は休ませてもらおう。長旅で疲れたのでね」
呆気に取られる吉蔵を尻目に、月京は満面の笑みを浮かべた。




