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月京妖し語り~風説百魔草紙~  作者: 筑前助広
第四回 開かずの魔
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その五

 金杉上町かなすぎかみちょうを安楽寺前で左に折れた帯刀は、つらつらと一人歩いていた。

 深編笠に着流し。手には、京都であがなった聚楽酒じゅらくしゅ。本邦随一の味わいと言われる銘酒だ。

 厚い雲に覆われた、雨が降りそうで降らない昼下がりである。

 帯刀は朝から微かな頭痛を覚え、何とも機嫌が悪かった。先ほどは、キャンキャン煩い犬を蹴り上げて追い払った所だ。


「何故、俺がこんな使いっ走りをせにゃならんのかねぇ」


 不機嫌な帯刀が、独りちに呟いた。

 昨夜である。女の化生の退治に失敗した帯刀は、利永によって櫛橋月京という男への使者を命じられたのである。


(兄貴も、最初はなからそいつに頼みゃよかったんだ)


 あの夜、化生を逃した帯刀は、ありのままを利永に報告をした。すると利永は一笑し、


「やはり無理だったか。ならば、あの男に任せる他に術はないのう」


 と、月京の名を挙げたのだ。


「公儀陰陽方の陰陽師で、妖鬼退治に於いては古今無双らしくてのう。しかも、銭次第では仕事を請け負ってくれるという。ここに二十両あるから、頭を下げて雇うてこい」


 風流以外には吝嗇りんしょくな利永が、二十両を帯刀へ手渡した。


(この重み。俺のじゃねぇのが惜しいね)


 本来なら、この内の十両は自分が手にするはずだった。だが依頼は失敗となったので、結局何も手にしていない。そればかりか、こうして使いを頼まれる始末である。


(俺って奴は、何てお人好しかねぇ)


 栄生家からは、びた一文も援助を受けていない身空である。使いっ走りをしている暇があれば、口入屋にでも行って働かねばならない。そうしないのも、やはり兄の頼みを断れない、お人好し故だろう。

 などと、ぼちぼち歩いていると、左側に櫛橋家の屋敷が見えてきた。

 東叡山寛永寺の裏手、西蔵院不動堂の御行松おんぎょうまつの側の百姓地の中に、その屋敷はある。

 思ったより大きく、帯刀は微かに驚いた。

 櫛橋家は旗本であるが、調べた限りは大身ではない。それがこうして大きな屋敷で暮らせるのは、陰陽師として幕府に保護されているからだろうか。


「寛永寺と共に、鬼門封じってわけか」


 と、遠くに見える寛永寺の後姿を一瞥した。

 この位置は江戸城より見て、鬼門の方角。そうした点を考えて、この地に屋敷を構えたのであろう。神君家康は江戸を盤石な武士の都とする為に、南光坊天海に命じて霊的防御を施したというが、これもその一環という事か。すると、屋敷が大きいのも頷ける。

 屋敷の塀に沿って歩き、立派な門の前に立った。

 まるで自分の到来を歓迎するように、その門扉は大きく開け放たれている。


「邪魔するぜ」


 帯刀は、遠慮なく中に入った。


(へぇ、こいつぁ)


 大きな屋敷に見合った立派な庭園かと思ったが、そこには広い菜園が広がっていて、奉公人とも近郷の百姓とも見える野良着の男達三人が、土を弄っている。


「月京さんはいるかい?」


 帯刀は声を掛けた。しかし、返事はない。聊かの腹立ちを覚えた帯刀は、菜園に入りもう一度言った。

 すると男の一人が顔を上げ、苦笑いを浮かべた。


「おいおい。俺は江戸前の駄洒落を言って、お前さんを笑わそうとしているわけじゃねぇよ。月京さんはいるかと聞いているんだぜ?」

「……」


 男は自分の耳を指さし、そして顔の前で手を振った。


「なるほど、すまん邪魔したな」


 帯刀は肩を竦めて、母屋に向かった。どうやら、月京は耳が利かぬ者を雇っている慈善家らしい。

 母屋へ辿り着いた帯刀を待っていたかのように、一人の女が奥から姿を現した。


「ほう、これは月京さんの趣味かねぇ」


 女は、二十歳前か。美しい細面だが、まだ顔には幼さがある。しかし、趣味というのは、その格好だ。女は、今時珍しい白拍子姿なのだ。


「お待ちしておりました」

「待っていた? 俺をか」

「ええ」

「人違いじゃねぇのかい? 俺は報せも入れてねぇぜ」

「栄生帯刀様でございましょう?」

「こいつは不思議だね。どうして俺が来るのを知ってんだ?」

「さぁ、私はあるじに命じられただけでございますので」


 そう言って女は、背を向け歩き出した。着いて来いという事か。

 何とも摩訶不思議だ。これが陰陽師の力なのだろうか。あの化生を見て以来、妖鬼だの呪術だのに対する見解を改めていた。闇には、〔この世ならざる者〕が潜んでいるのだと。それ故に、まずそのタネに強い興味を惹かれた。

 長い廊下だった。不思議な事に、奉公人らしい姿は一つとしてない。それ故に、屋敷内は静かだった。静寂だの無言だのというものが我慢ならない帯刀は、女に声を掛けた。


「お前さん、名前は?」

八仙花はっせんかと主には呼ばれております」


 源氏名のような名前に、帯刀は鼻を鳴らした。


「それも趣味ってわけか。しかしまぁ……」


 中々の女だ。微かに花の良い香りもする。何より、その身体。丸みといい張りといい、触り心地の良さそうな八仙花の臀部を、帯刀は繁々と見つめていた。

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