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月京妖し語り~風説百魔草紙~  作者: 筑前助広
第四回 開かずの魔
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その一

 その話を与板市之丞よいた いちのじょうから聞いた時、栄生帯刀さこう たてわきは思わず鼻で笑っていた。

 夜須やす藩上屋敷の蔵で、夜な夜な女が啜り泣く声が聞こえるのだという。そのような話を、生真面目な夜須藩中老が、遥々深川まで来て話すのだから、滑稽で仕方がない。


「そんな馬鹿な話があるかよ」


 そして寝そべったままの帯刀は、二日酔いの気怠さから、大あくびを見せた。


「馬鹿な話があるから、わざわざ来ているのですよ」

「そいつはご苦労だねぇ」

「そもそも、御舎弟様が藩邸を嫌って深川なんぞに住むから、しなくていい苦労をしているのです」

「ふん。俺にゃ、深川の濁った水が合ってんのさ」


 帯刀はごろり寝返りをうち、与板に背を向けた。

 帯刀は、生まれも育ちも江戸である。だが、藩邸の暮らしが嫌で飛び出し、この深川に流れてきた。もう十年も前の話だ。

 それでも、夜須藩との関係が切れたわけではない。時々戻って、仕事を手伝う事もある。

 だからとて、積極的に関わろうとする気はなかった。夜須藩主・栄生利永の弟に生まれ、他家にも養子に出ず風来坊として、無頼を気取っている身である。それに、生きる為に必要なついえも貰ってはいない。


「だからってぇ、俺に何の用だい?」

「お殿様がお召しです」

「へぇ、兄貴がねぇ」

「ええ。『女が泣いて気味が悪い。家臣も宿直とのいを嫌がるので、帯刀を深川から引っ張り出して何とかさせろ』との事でございます」

「へっ、俺は陰陽師でも拝み屋でもねぇってんだ」


 そう嘯いて、帯刀は身を起こした。


「坊主にでも頼んだらどうだ」

「経をあげましたが、治まりませぬ」

「そらそうだ。大方、女中が虐められて泣いているのだろうよ」

「いや、その可能性はございませぬ。私も泣き声を聞きましたが、蔵の周囲にも中にも人はおりませんでした」

「じゃぁ、何だってんだい?」


 四十路近い与板は、暫く沈思した挙句、


化生けしょうの仕業かと……」


 と、答えた。

「かっ、真面目に言ってんのかよ。妖怪や幽霊が化けて出るって、素面しらふじゃ言えねぇ事だぜ」

「私も信じられませぬ。しかし、現に起こっているのです」

「生まれて三十年近くなるがよ、何人も斬ったぁ分際で、一度も化生の類など見た事ねぇぜ。恨めしいっと化けて出てもよさそうなのによ。それともあれかい? 俺が斬った野郎共は無事に成仏出来たというのか」


 すると、与板は含み笑いを見せた。


「おいおい、何笑ってんだ。気持ち悪いぜ」

「十両。と、お殿様が申しておりました。それで、御舎弟様が引き受けるだろうと」

「……」


 帯刀は暫く沈黙したが、生あくびをして片手を差し出した。

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