呪魘道
大岡主膳相光がその報告を聞いたのは、花も盛る卯月の二十六日の事だった。
江戸、桜田門側の鴻巣藩上屋敷。相光は、黄昏色に染まる奥の居室に、若い武士を招き入れていた。
若い武士は、鴻巣藩士・佐古十四郎。まだ二十歳にも満たないが気が回る、相光の小姓である。
「それは本当か?」
「はっ。昼前の事でございます」
親友であり幼馴染の旗本・畠山六郎兵衛が、突如として死んだのである。
「仔細を申してみよ」
「畠山様が昼前になっても離れの隠居所から起きて来ないので、娘が様子を伺った所、畠山様は刀を手に座したまま、こと切れていたとの事でございます」
「刀を手にしたままなのか?」
そう聞くと、佐古が頷いて応えた。
「しかし、外傷も争った形跡もございませぬ。畠山様は、ただ刀を手にしたままで」
「確かめたか?」
「はっ、この目でしかと」
相光は、大きく唸った。
「殿。そして、これが六郎兵衛様の側に落ちておりました」
それは、黄色地に朱色で文字が書かれた札だった。文字が意味する所は判らないが、これが魘魅に特化した、呪魘道に用いられる呪符という事は判る。
呪魘道とは、日本古来の鬼道に呪禁と陰陽道の妙技を掛け合わせ、創出した呪術の一つである。
「これは、やはり」
「同一人物の仕業かと」
佐古が、その呪符を裏に返すと、
〔北高辻雅連〕
と、記してある。
「おのれ、北高辻……」
昨年から、同様の事件が相次いでいる。
絵師の服部北郭、鷹司松平家の松平式部大輔、新御代官の下坂安左衛門。そして、畠山六郎兵衛。この四人の骸の側には、北高辻雅連の名が記された呪魘道の呪符がこれ見よがしに捨ててあったのだ。
この四人。その共通点は、全員が〔見える〕という事だった。つまり〔人に非ざる者〕を感じ、共存してきた者達である。これらは手下の捜査で判った事だが、驚いたのは相光もその見える者の一人だという事だった。
幼少期より、妖鬼の類を時折見えていた。今は相手にもしていないが、昔は六郎兵衛と共に、気のいい妖魔と戯れたものだった。
「佐古、銭は惜しまん。北高辻雅連を必ず捕縛せよ」
そう命じると、佐古は平伏し一間を辞去した。
(北高辻は、必ず儂の前にも現れるだろう)
そして、この命を奪う。奴の理由は判らないが、そうなる前に何としても捕縛せねばならない。
まだ、死ねないのだ。将軍家重公がお隠れになるまでは、この大岡は死ねない。
「殊勝な心掛けだな」
その時。相光の耳に、抑揚の無い冷たい声が聞こえた。
「何者だ」
誰もいない。誰も応えない。隣室には小姓が控えているが、この声に気付いている風もない。
「ふふふ。答えずとも、察しはついておろう」
「貴様は、北高辻雅連か」
「御名答。大岡相光殿」
すると障子がひとりでに開き、長身痩躯に漆黒の裃を纏った男が現れた。
「初めてお目に掛かる」
面長で鋭い目。北高辻雅連は、まるで蛇のような顔立ちだった。
「うぬが、六郎兵衛を」
「そうだ」
「なんと。曲者じゃ、誰ぞおらぬか? であえい」
相光は大声を出したが、それを見て北高辻雅連が鼻を鳴らした。
「この一間に、結界を張った。誰もこの部屋の異変には気付かぬ」
「糞」
相光は刀架に手を伸ばし、慌てて抜き払った。
「何とも、話が早い。流石は天下の側用人」
「刀の錆にしてくれるわ」
「それは楽しみだ」
北高辻雅連は、懐から呪符を取り出し、口の前に翳して、何やら呟いた。
「徳河、死すべし。徳河、滅ぶべし」
最後に聞こえたのは、それだった。
そして、放る。すると呪符は、空中で閃光を発し、唾液のような粘膜に覆われた、白い芋虫に変化した。
「このような幻術など」
相光が、芋虫へ一刀を振り下ろす。しかし、芋虫はそれを跳んで躱すと、頭部が六つに割れ、その中に潜んでいた牙が眼前に迫った。




