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月京妖し語り~風説百魔草紙~  作者: 筑前助広
第三回 夜の山
18/31

その四

 小屋には、老いた夫婦がんでいた。

 話を聞くに、どうやら樵に雇われて、この小屋の管理を任されているという。

 二人は血相を変えた二人を、温かく囲炉裏の側に迎えてくれた。

「おやおや、それは災難でしたのう。まぁ、粗末ですが粥でも召し上がって下され」

 と、老父は粥に香の物を乗せた椀を差し出した。

「おお、かたじけない」

 素朴な味だが、温かさが身に染みた。又助なんぞは、急いで掻き込んでいる。

「しかし、ここらに熊はおりませんがなぁ。なぁ婆さん」

「ええ、ほんに。山犬ではございませんか?」

「あの唸り声は山犬ではなかった」

「うむぅ……」

 老父が老母に目配せをした。

「もしや、犬神いぬがみの仕業では?」

「ほほう」

 犬神とは憑き物とされるが、この諏訪国では、犬の顔と人間の身体を持つ妖鬼として語られる。この話は、諏訪に流れてきて聞いた話だった。

「犬神? んなもの迷信だろうよ爺さん」

 勝手に囲炉裏の粥を注いでいる又助が、米粒を口から飛ばしながら喚いた。

「んにゃ、おりますよ。犬神は」

 そう言った老夫婦の顔が、みるみるうちに犬の顔に変化へんげしていった。


「ほら」


 才十郎は椀を投げ出し、大刀だけ掴んで小屋を飛び出していた。

 無心で駆けた。やはりいるのだ。この世ならざる者は。

「兄貴」

 又助も並んで駆けている。不幸中の幸いか、雲が晴れ月が覗いている。

「すまねぇ、兄貴。まさか化け物がいるなんぞ」

「しゃべるな。兎に角、山を下りるぞ」

 あの老夫婦が追ってきている。それは肌を刺す禍々しい氣で判る。

「待て」

 唸るような人語だった。

「喰わせろ」

「人殺しの肉を喰わせろ」

 その声は何故か、耳の側から聞こえてくる。

(糞。どうなってんだ)

 才十郎は隣りを駆ける又助を一瞥した。

 が、その姿が無かった。喰われたのか。いや、悲鳴などは聞こえなかった。

 どうなっている。考えたが、答えは出なかった。これが婆さんが言っていた、妖鬼というものか。

 不意に視点が反転した。転んだのだ。木の根にでも足を掛けたかと思ったが、地から生えた手に両足首を掴まれていた。

「嘘だろ、おい」

 才十郎は、苦笑いを浮かべた。もがこうとしても、強い力で掴まれびくともしない。

「糞」

 才十郎は腰の一刀に手を伸ばした。


「やめて……」


 その声は、女のものだった。

 そして地面の土が隆起し、人の顔が伸び出て来た。

「お前は」

 紀芽裳だった。

 白目が無い、真っ黒な瞳を見開き、不気味にわらっている。


「逃さないわ」


 すると、地面から無数の手が伸び出て来て、全身を掴まれた。

 才十郎は声も出せなかった。


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