その一
人を斬る事など、容易い事だ。
そう思えるようになったのは、いつからであろう。
血煙を上げ崩れゆく男を眺めながら、九里才十郎は思った。
かつては上野と呼ばれた、諏訪国の山中である。名前は赤城山と言ったが、そんな事はどうでもいい。
斬った男は武士だった。襤褸の野袴と単衣姿の自分とは違い、折り目正しい旅装をしていた。おおよそ、何処かの家中なのだろう。少なくとも、自分のような浪人ではない。
才十郎は男の懐に手を入れると、ずっしりと重みのある道中財布を見つけた。
(すまんな……)
才十郎は片手拝みをして、道中財布を懐に仕舞った。
「そう恨めしそうに見なさんな。これも生きる為なのさ」
と、骸と化した男の見開いた眼を閉じてやった。
「運命ってものは、どう転がるか判らんもんだ。お前さんも今日死ぬなんぞ、今の今まで判らんかったろう。俺もそうさ。こんな賊になるなんて、考えもしなかったよ」
才十郎の生まれは九州の隈蘇国。百七十石取りの隈府藩士だった。父の孫一郎は勘定方の役人であったが、十七歳の時、母に横恋慕した同僚の国藤忠兵衛に、母共々斬られて死んだ。
忠兵衛は脱藩したので、自分は藩命を受けて仇討ちの旅に出た。それが二十年前。最初は初志貫徹に燃えていたが、二年三年と経って懐具合が厳しくなると、居場所が判らぬ忠兵衛を求めるあてのない旅に倦み、気が付けば賊になり果てていた。
(華々しく故郷に帰るつもりではあったがな)
忠兵衛が生きていれば、六十になる。運よく討ち取れても、隈府藩は歓迎しないであろう。この二十年で藩主は変わり、藩閣も様変わりしたと、風の噂で聞いた。
こうなってしまった事に、怒りはあった。運命を恨んだ。しかし、それは過去のものになっている。既に諦めてしまったのだ。どうでもいいと。今では、〔人斬り才十郎〕だの〔諏訪の鬼〕などと渾名される事に、自尊心すら覚えるまで堕ちてしまった。




