その五(最終回)
タイトルを「月京妖し語り~風説百魔草紙~」に変更しました。
身体が動いた。
何故? と、それを考えるよりも先に、俺は背を向け、背後にいた藤九郎という男を人差し指で弾いた。
柔かい人間の頭蓋が潰れ、脳漿が飛び散った。
(逃げねば)
それは、本能の囁きだった。
藤九郎の死体を飛び越え、俺は廊下に出た。
「しゃらくせぇ」
俺は、天井を突き破った。
もう、姿を消す必要はない。兎に角。逃げなければならない。この場を離れ、態勢を立て直した後に、あの陰陽師を始末し、姫を喰ってやる。
それにしてもだ。解せない。何故、俺が姫を襲う事が判っていたのか。
俺は、天井を破り、板張りを、畳を弾き飛ばしながら考えた。
糞。何故だ。何故、俺は騙された。
(いや、あいつ)
座頭鳥の阿盲の顔が浮かんだ。
そうだ。違いない。あいつが俺を陰陽師に売ったのだ。
猛烈な腹立たしさを覚えた時、
「御名答」
という、陰陽師の声が聞こえた。
「此処は」
我が目を疑った。
逃げていたはずだというのに、俺は姫の〔あの部屋〕にいたのだ。
しかも五本の太い指は、動かぬよう荒縄できつく戒められている。
「畜生。幻術を見せられたのか」
「〔俺〕よ。私は、お前に一つ学んだ」
「なんだよ」
「それはな、妖鬼も『出る杭は打たれる』という事だ。お前は人を喰った。それも印西を荒らすような形でな。お前の仲間が忠告したらしいが、お前はそれを聞かなかった。それどころか、あれだけ止められた姫を喰おうとした。そこで、お前の仲間は私に協力を申し出たわけだ。姫はこの藩の宝。藩主の千葉内染正胤綱は姫を溺愛しておる。その姫を喰われれば、人間は妖鬼を見境なく討ちかねんと、心配しての事らしい」
「つまり、俺は売られたのか?」
「まぁそうだが、お前は秩序を乱したからなぁ。この国には、『空気を読む』という事が重要でね。それが出来ない奴は制裁を受けるのが習わしだ。生まれたばかりのお前には、それが出来なかった。それ故に、お前は討たれる羽目になったわけだ」
「人も、妖鬼も同じか」
俺は急に可笑しくなって、一笑した。
「太兵衛」
陰陽師が呟いた。視界に、裸体に甲冑姿の男が現れた。手には、驚くほど穂先が長い、大身槍。
「くくく。俺は何の為に生まれたんだろうなぁ、陰陽師」
「それを人間の私に問うか」
「おっと。そいつはお角違いか」
俺は鼻を鳴らし、目を閉じた。
闇より生まれ、闇に帰る。何の為に、俺は妖になったのか。全く判らぬ一生だった。
「さらばだ」
俺の身体に、ゆっくりと穂先が入ってきた。
痛み。それと共に、記憶とある光景が鮮明に蘇った。
それは人間として生まれ、飢え故に賊となり、磔刑となって死んだ俺が、最後に見た光景だった。
俺の目の前には、嬉々として処刑を楽しむ、千葉内染正とあの姫が立っていた。
そうだ。俺は、復讐したかったのだ。俺を飢えに、賊に押しやった、千葉一族に。




