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月京妖し語り~風説百魔草紙~  作者: 筑前助広
第二回 闇より生まる
13/31

その四

「だ、誰?」


 しとねから身を起こした女が、言った。

 姫だ。白い寝間着一枚で、少し寝ぼけまなこだった。


(ほほう)


 勘が鋭い。人間風情、俺の姿は見えないが、その気配は察する事が出来るらしい。


「誰なの?」


 姫が、怪訝な表情を聞いた。

 その声を初めて聞いた。この声で泣き叫び、喚く悲鳴を味わいたい。そして、そのさえずりりに耳を傾けながら、柔らかな肉を喰うのだ。


「俺だ」

「俺?」

「そうさ」

「曲者ね」

「お前、俺を恐れないのか?」


 姫は切れ長の目で俺を見据え、一つ頷いた。その仕草にも、姫の持つ高貴で優雅な雰囲気がある。


「小さな時から、感じていましたの。〔俺〕様のような存在を」

「声も聞こえるのか?」

「時々」


 姫に怯える風は、微塵もなかった。それどころか、今では俺に向かって微笑んでさえいる。


「俺はお前が喰いたい」

「存知ておりますわ」

「何故だ?」

「判りません。でも、そう伝わりましたの」

「それで、姫は俺に喰われるか?」

「私が決めていい事なのかしら?」

「いや、俺が決める」


 すると、姫は苦笑して立ち上がった。

 そして背を向け、おもむろに寝間着を脱ぐ。白く華奢で、女になろうとしている裸体が露わになった。


「おっ、おっ……おお」


 俺は、言葉にならぬ声を漏らし、口の端から涎がたれるのもそのままにした。


「どうせ生きていても駕籠の中の鳥。ならばいっそ、ひと思いに」

「喰うぞ。俺はお前を、今から喰うぞ」


 一歩前に出た。あと、一歩。それで姫の柔肌に、俺の五本の指が届く。

 しかし俺は、そこである変化に気付いた。

 身体が動かないのだ。おかしい。何故だ。何故、身体が動かない。


「貴様」


 俺が喘ぐように言うと、姫の視線が俺の背後に向いた。

 水干を纏った男が、祓串はらえぐしを手に立っていたのだ。


「謀ったな、姫」


 が、目の前にいたはずの姫は、そこにいなかった。

 代わりに立っていたのは、三十過ぎの男だった。

 五芒星の擦文すりもんが施された純白の褐衣かちえに、括袴くくりばかま。そして癖毛を結った頭には、立烏帽子。


「おっと、残念。私は姫ではなく、通りすがりの陰陽師だ」

「陰陽師だと」

「そうだ。お前がこの印西いんざい藩で人を喰い荒らしていると聞いてね。それで調べてみると、妖鬼の分際で姫に懸想けそうしていると言うではないか。そこで私は藩に掛け合って、こうした罠を仕掛けたわけさ」

「小癪な」


 俺は五本の指に力を込め動かそうとしたが、僅かに動くだけで、それ以上どうにもならない。


「ほう。この結界の中で多少は動けるか。藤九郎、ぬかるなよ。思った以上に出来る妖鬼だ」


 と、陰陽師が苦笑して水干の男に言った。


「何をほざいている、人間が」

「威勢が良いな」


 陰陽師は、太刀を抜き払った。


「お前、名は?」

「名前か。俺は〔俺〕だ」

「名前が無いのだな、お前は。見た目は大手おおてという妖鬼に見えるが、名を付けてくれる仲間がいないのか」

「名前などいらん」

「まぁいい。〔俺〕よ、話はお前の仲間から聞いた。お前は生まれたばかりのようだな」

「知らん。俺は誰で何なのか、全く知らん。気付いたら、此処にいた」

「なるほど、それは残念。お前に妖鬼になった経緯など聞かせて貰おうと思ったんだがな」

「それはすまんな。で、俺を殺すか?」

「ああ、お前は人を喰い過ぎた。それに殺さぬと、銭が貰えぬのでな」


 陰陽師はそう言うと、太刀を上段に振り上げた。

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