その二
俺は、また町に出た。
空腹を覚えたからだ。
闇より生まれ出て、幾日が経ったろうか。
人は、既に八人喰った。七人は女で、一人は男。
男は仕方なく喰べたが、旨い代物ではなかった。少しだけ喰って、捨てた。不味い物を喰べねばならぬほど、人間の数は少なくない。この町には、人が多くいるのだ。
男の不味さと共に、処女の旨さも学んだ。あれは旨い。だから、最近では子供の女を選んで喰っている。
(さて、どいつにしようか)
天守閣の屋根の上で、俺は今夜の飯を物色していると、隣に鴉が一羽とまった。鴉にしては、型が大きい。丸々として、よく肥えている。
「ほう、おぬしか。最近此処を荒らしておるのは」
「誰だ、お前は?」
「くくく」
鴉が嘴を大きく開けた時、〈にゅうるぅ〉っと口の奥より初老の坊主頭が出て来た。
「お前の先達じゃ」
「鴉の口から人の顔か。気持ち悪いな」
「気持ち悪いとな。異形のお前がそれを言うか」
と、男は白く濁った両目を、俺に向けた。
「儂は座頭鳥の阿盲と言う者じゃ。お前は誰ぞ?」
「俺は〔俺〕だ」
「お前は〔俺〕だと申すか。わけが判らぬのう」
「俺は目を覚まして以来、〔俺〕だ。〔俺〕以外の何者でもない」
「お前は〔俺〕か。だが、お前は大手という妖に似ているぞ」
「大手? いや、俺は妖なのか」
すると、阿盲が盛大に一笑した。
「お前は、妖だという事も判らなかったか。まぁ無理もないのう。妖は鏡にも水面にも姿が映らぬ。その異形を見る事もあるまい」
阿盲が言うには、俺は七尺ほどの大きな手だそうだ。掌の所に、人間の目と鼻、そして口があるという。
(なるほど、そりゃ異形だ)
と、俺はそれを聞いて思わず笑った。
「お前に、名前は無いのかのう」
「判らぬ。何も思い出せんのだ。俺は誰かで、何かをしていたとは思うが」
「そうか。儂と同じじゃのう」
「阿盲も思い出せぬのか」
「遠い昔の話だかの。闇より生まれ出でてより、何も思い出せぬ。しかし、いつしか自分が座頭鳥である事は判った。そして、名も貰った」
「名を貰えるのか?」
阿盲は、頷いた。
「お前のような〔同類〕にのう。そうだ、お前に儂が名をやろうか?」
「へ、嫌なこった。〔俺〕は大手の俺でいい」
と、俺は二の丸の方に目をやった。若い娘が大人の女達と遊んでいる。此処まで良い匂いがする、旨そうな娘だ。
「俺なら、俺でいいがの。で、〔俺〕よ。あの娘には手を出すなよ」
「へぇ、お前の飯か?」
「いいやぁ。あの娘は、この藩の姫というもんじゃ。あの娘を喰らえば、人はいよいよ黙っておらぬ」
「へへ。阿盲は腰抜けか。人など、何が出来るよ。弱っちい生き物じゃねぇか」
「お前は判らぬのだ。人間は怖いぞ。おぬしはただでさえ、人間を喰らい過ぎて目立っておる。あやつらに目を付けられたら終わりじゃ」
「腹が減るから仕方ないだろうよ。阿盲は人を喰わぬのか?」
「喰らっておる。だが、慎重に吟味し、死んでも支障の無い者を選んでおる。他の妖もそうじゃ。故にお前の乱行には眉を顰めておるわ」
俺は鼻を鳴らし、肩を竦めた。喰われるだけの人間に、そこまで怯える気持ちが判らない。今まで毛ほどの傷も与えられた事は無いのだ。
「妖は腰抜け揃いだの」
「儂はな、何度も仲間が人間に滅せられるのを見てきたのじゃ。人間は怖いぞ」
「去ね、阿盲。俺は誰の指図も受けん」
「愚か者め。だがな、二の丸の姫だけは喰うなや? この藩の妖が全て滅する事になる」
そう言うと、阿盲の頭は口の奥へ戻り、何処かへ飛び去っていった。
(何を言いやがる)
偉そうにしやがって。俺は、憤慨した。俺は他の妖とは違う。人間に負けぬ力がある。俺が喰いたい人間を喰べて何が悪いのか。
「お」
俺は、橋の袂で泣いている娘に目をやった。歳は八歳ほどか。処女であるのは間違いない。
「今夜はあいつにしよう」
俺は舌なめずりをした。
豆知識:人間は妖鬼と呼び、妖鬼は自らを妖と呼びます。




