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とある国の物語ー野生化した姫君

作者: 本堂まいな

とある小国に美しく優しい姫がいた。

姫はその麗しき外見に相応しく優しいお心を持っていた。

 

誰にでも慈悲をかけ、花を慈しみ、蝶を愛で、自然を愛した。

陽だまりのような、愛らしい姫君であった。


しかしその姫はのちに、悲しき運命を辿る。

姫の母が亡くなり、その喪が明けて間もなく王である父が後妻を迎える。


姫の美しさに嫉妬した後妻は、王を唆し魔物が住むと言われる森へ、姫を捨て去った。


悲しき運命に見舞われた姫を思い民は嘆いた。

誰もが姫の死を疑いはしなかった。


しかしそれは真実ではなかった。


自分では何一つ出来ない、世の理を何も知らずに育った深窓の姫君は、身一つで追い出されたが、儚く消え去りはしなかった。

蝶や花を愛でることしか出来ぬ姫は、庇護してくれる者を全て失って、絶望に沈んではいなかった。


生きると言う母との約束を守るため。

姫は森で野生化していたのである。



とある大国に若き王がいた。

冷酷無慈悲でありながらも、公正無私。


相反する二つの性質を併せ持つ王は、恐れと共に支持を集め、賢王として名を広めて行った。

鑑賞に値するそのご容姿も、民衆から人気高い理由の一つであった。

 

芸術を嗜む優男が多い都で、野性味を帯びた肢体を持つ王。

炎のような瞳と相まって、凄味のある顔つきは王と言う絶対の地位がなくとも、世の女性の憧れと歓心を買った。


そのように誉れ高く、無欠であるような王には、たった一つだけ、欠点があった。

王は大の女嫌いで在らせられた。

 

女と話すと吐き気を催し、女に触れると蕁麻疹が出ると病的なまでの。

そんな王は敵が多く、ある日敵の姦計に嵌り負傷したまま川に落ちてしまう。


この話は、森でブイブイいわせている野生化した姫君と、非道なまでの女嫌いである王との、恋の物語である。


***


二人の出会いは森の奥だった。


その日姫は自らの昼食をアユにしようと決め、川へ向かっていた。

磨いて尖らせた石を、長い棒の先につけひたすら川底を突きまくるという狩猟は、まさに原始的。


しかし人がいない魔の森に流れる川の魚は油断しているのか、日に数匹は捕まえることが出来た。

姫が気配を消しながら川底を突きまくっていると、川上からどんぶらこっこ、どんぶらこっこと大きな男が流れてきた。


姫は少し悩んだものの、流れた男を岸へ引き上げた。

かろうじて生きてはいるようだが、酷い怪我を負っている。


魔の森は死の森。弱きもの、怪我をしたものは、他の糧となるのが定め。

そんな森の掟に従って生きてきた姫であったが、さすがに捨て置くには心が痛む。


仕方なしに姫は自らが立てた掘っ立て小屋に連れて帰ることにした。

姫の二倍の大きさである男を担ぐことに問題はなかった。


今の姫君は、どう猛な肉食獣と同等に戦えるほどの戦闘力を身に付けていたのである。

時として、男と同じ大きさの獲物を担いで持ち帰ることもあるのだ。


とはいえ、重いものは重い。

やっとの思いで家にたどり着いた姫は、男を寝台へと転がした。


そんな乱暴な扱いにも、男の目が開くことはなかった。


姫は手早く薬を取り出すと、一番の深手と思われる肩の傷へとそれを塗りたくった。

水でも飲ませようかと思ったが、川でたくさん飲んだだろうかといらないかと思い直した。


男は滾々と眠り続けた。

姫が男を見つけてから三日後、男は目を覚ました。


男はぼんやりと覚醒した頭で、姫の姿をとらえた。

状況は分からないながら、女が側にいることに嫌悪感を覚え


「去ね」


と低く吐き捨てた。

それを受けた姫は、いやいや、あんたが去ってよ、と言い返した。

 

正論である。そこは姫の家である。


男は姫を見て、怪訝そうに顔を顰めた後で、手当された傷を見て鳥肌を立てた。

意識のないうちに、女が自分の体に触ったことが我慢ならなかったのである。


姫は剣呑に睨み付ける男に構わず、食事を運んできた。

緑色のドロドロしたスープは、食欲を誘う色でも匂いでもなかった。

男は極限までに腹を空かせていたが、その器を受け取ることはなかった。


「食べなよ、これ。毒なんて入れてないから」


姫は苦笑しながら、器を押し付けた。


「信じられぬ」


「本当だって。カエルをじっくりコトコト煮込んだスープだよ」


「……っ!?」


スープから飛び出しているカエルの手を見た男の顔色が悪くなった。

姫はやはり回復はしていないのだなと思い、スープを飲んで休むように促した。


姫は器を寝台の片隅に置き、自分は焼いたアユと、果物、野菜のスープを食べだした。

男の腹がきゅっと切なく鳴った。それなのに男は片隅のスープに手を伸ばさなかった。


「お腹減ってるんでしょ。遠慮しないで食べなよ」


「……」


男は何も話さなかったが、遠慮などしていないと顔が物語っていた。

森の生活に慣れ切っていた姫はとうに忘れていたが、世間ではカエルは食用に受け入れられていない。しかし森では、何よりも滋養があるものとして知られていた。


正式な名は知らぬが、姫はこのカエルを万能カエルと呼んでいた。

男に塗った薬の原材料も、このカエルなのである。

 

しかし都で育った男はむろん、そのようなことは知らない。

なんて意地に悪い女だと忌々しく思い、姫が食べようとしたアユを奪い取った。

一口食べると止まらなくなった。数日間何も食べていなかったのである。

 

男は夢中になってアユを貪り食った。骨すら残さぬ食べっぷりであった。


「アユ好きなの?」


姫はそれを止めることなく見守っていた。

冬眠明けのクマのようだと思いながら、見学していた。


姫はアユを追加で焼きに行った。

その隙に、男は姫の野菜スープと果物を食べつくした。

戻ってきた姫は空になった自分の食事と、男に用意した手つかずのカエルのスープを見やった。


「カエル嫌いだったの? 魚と味が似ているのに、変なの」


そう言いながらぐいっとカエルのスープを飲み干した姫を、男は何ーっ!? と叫ばんばかりの驚きの表情で見ていた。

食べれぬものを嫌がらせとして置いたのだと疑いもしなかった。


もぐもぐとカエルの手が姫の口の中に消えていくのを呆然と見ていた男は、この女は一体何者だと言う今更なことに思い当たった。


魔の森で普通に暮らすなど、明らかに普通の女ではない。

男は魔物などの存在は信じていなかったが、しかし森が危険なのは疑いようもない事実だ。

どう猛な大型獣もいれば、危険な小動物もいる。


姫が何者か分からぬ男は、油断せぬように女の動向に目を光らせた。

姫が自分の側に寄るのを拒絶し、警戒心を露わにした。


姫は基本男を放置していたが、しかし男が森の掟を知らぬ危ない行為をしそうな時だけはそれを制した。

口で言って聞かぬ時は、実力行使に打って出た。


男は夜行性の肉食獣が闊歩する外へと、出て行こうとしたのである。

姫がそれを押しとめると、離せとそれを振り払い、寝台から下りようとしていた。


「一体……どうし…。あぁ、催した?」


「……」


「小? それとも大? 夜は危ない。それに最も人が無防備になる時だからね。そこにあるツボを使って。私が護衛として見張ってもいいけど、嫌だよね」


男は無言で拒絶を示した。しかし生理現象はいかんともしがたい。

男は究極の選択に悩みながらも、姫のデリカシーのなさに驚きを覚えてしまった。

 


男と姫の生活はしばらく続いた。

まだ満足に体を動かせない状態で、男がこの森を抜けるのは不可能であったからだ。


男はずっと姫を警戒し、その一挙一動を見張っていたが、姫が何者なのかさっぱり分からなかった。

男が姫の素性に探りを入れれば、姫はあっさりと生い立ちを話した。

薄幸の人生をあっけらかんと話す姫に、男は呆気に取られてしまった。


「……この森に捨てられても生を諦めぬのか」


「母様と約束したからね。強く生きると」


姫の母もここまで強く生きろとは言っていないだろうが。

姫は亡くなった母との約束を守り、どんな苦境に陥っても生きることを諦めなかった。


生命力にあふれた女だと、男は思った。

強い目をしている。

媚を含ませた女の目ばかり見てきた男は、姫の強い目の光に、引き込まれてしまった。


なんて、なんて強い女なのだと。


「私にはこの森で生き抜く牙も爪もない。でも智恵がある」


そう言い切った姫は、獣が嫌がる匂いを家の周りに巻きながら、獣よけの罠を張り巡らせていた。

全力で生き抜こうとしていた。

こんな森の中でたった一人でも、姫は絶望を感じてはいなかった。


なんて、強い女なのだろうか。

自分の周りにいる女は、男の関心を買うことだけに時間を費やし、見苦しいまでに宝石で飾り立て、鼻が曲がるほどの香水を纏い、媚を売る事だけに長けていた。


姫のような女に初めて出会った男は、諦めることをしない姫の強さに次第に惹かれて行った。

男の傷は癒えた。

男は魔の森を出て、自らがあるべき場所へ戻らねばいけなかった。


出ていくと短く言った男を、姫は嬉しそうに、しかしほんの少し寂しさを見せて、そっかと返事をした。

男の回復を喜ばしく思ったが、男が去ることを姫は寂しく思った。


最初は厄介なものを拾ってしまったと思ったのに。

横柄で感謝の欠片もない男など、早く出ていけばいいと思っていたのに。


いつからだろうか。

男の目が優しくなった。男の態度が変わった。


汚物のように姫の手を嫌っていたのに、男の方から姫に触れるようになった。

姫が肉食獣と戦って怪我を負えば、おろおろとしながら姫の手当てをした。


怪我に慣れた姫には大したことないのに、自分が怪我した時以上に大騒ぎし、姫を大事に扱った。

誰かに大事にされること。

それは姫にとっては遥か昔のことで、心配そうに怪我を見る男に姫の心はほんのりと温かくなった。


「一緒に来い」


「……え? でも……」


恐らく姫が生きていることを知れば、継母も父もそれを奪わんとしてくるだろう。

姫とて森で一人生きることを好むわけではないが、さりとて国に戻れば命を狙われる。

 

姫は男を巻き込みたくなかった。


「……ありがとう。でも……守るのは難しいから……」


「難しくなど……。我は」


男は大国の王だと自身の身分を明かそうとした。姫を守れる力があると。


「多分、森を出ればあなたを守ることはできない」


しかし続いた姫の言葉に、盛大なる勘違いに気づいた。

姫は男を守ろうとしていたのだ。


姫は男を自分よりも遥かに弱い生き物だと思い込んでいた。


今夜はご馳走だーとイノシシを担いで帰ってきた姫を見て、男は明らかに慄いていたから。

正直に言えば、あれは血まみれになりながら、嬉々としてイノシシを捌いていた姫に慄いたのだが、姫はイノシシを男が怖がったのだと勘違いしていた。


勇猛果敢で時として軍を率いる男は、決して弱くなどなかったのだが。


言葉を婉曲的に選びながら、男が弱いから一緒に行くのは無理だと言う姫にむっとした男は、その口を自らの口で塞いだ。


女嫌いの男にとっても、姫にとっても初めても口づけであった。

女に口づけるくらいなら、豚としたほうが遥かにいいと思っていた男だが、初めて知るその柔らかさに陶然としてしまった。


徹底した女嫌いであった男だが、やはりこういったことは本能に組み込まれているのだろう。

姫を逃がさぬように腕に抱え込んで、状況について行けずに反応が鈍い姫をいいことに、好き勝手していた。


「我と来い」


「……」


「無理やりにでも連れて行く」


有言実行である男は、激しい口づけにより呆然としている姫を自国へと連れて帰ったのである。



自国へ連れて帰った姫を、男はそれはそれは溺愛し、大切にした。

女嫌いの名を返上し、時間さえあれば姫に触れた。

片時も離さぬほど、姫を愛し続けたのであった。


姫の祖国からも守り抜いた。もとより国力が違う。姫の継母も大国相手には成す術がなかった。

憂いがなくなった姫は、男の国を良きものにしようと共に生きた。

女嫌いの王は、愛妻家の王として親しまれるようになった。


これはとある国に伝わる少し変わったおとぎ話。

めでたし、めでたし。


と、こう締めくくると昔々の物語のようだが。

実は割と最近の、とある国の王と王妃のお話である。


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