ある友人の物語
「あと8年やけの」
のぶは言った。
あと8年。
彼が医師から宣告されている命の時間。
32歳の若さで、彼は生きることに見切りをつけてしまった。
肝臓が悪いらしい。
本人曰く、「肝硬変にはなっとらんと思う。肝炎よ。」。
治療を受けてほしい、生きていてほしいと泣いて頼んでも、「それは無理なんよ。」と、困ったようにのぶは言う。
「俺をよく思っとらん身内に暗殺されるけ。」
「受け入れる覚悟することで本来のチカラが湧いてくる。」
そう言って笑うのぶを見て、私は思った。
ああ、この人は生きることに疲れてしまったんだ、と。
のぶを追い詰め、全て奪おうとする彼の「身内」を憎いと思った。
のぶは福岡に産まれた。
2900グラムくらい、A型。
もっとも、そんな基本情報も、長じてから実母と連絡を取っていた時期に初めて知ったそうだ。
何故なら、のぶが4つのころ両親は離婚し、のぶは父親に引き取られたから。
離婚理由の言い分は父母の間で認識が異なる。
母は「こどもをおろせと言われたから。」とのぶに説明した。
父は「いつもいつも家にいないから。」とのぶに説明した。
どちらにしても、甘えたかった年頃にのぶは家庭を失った。
だからのぶは今でも甘えかたが下手くそだ。
急に料理のレシピの話をしだしたり、好きな歴史の話をしだしたり、私がわからないと言うと、「もういいっ」と拗ねてしばらく連絡がつかなくなる。
知り合って間もないころは、正直のぶが何をしたいのかよくわからなかった。
最近になって、「これがのぶの甘えかたなんだ」とわかるようになってきた。
そんな不器用なのぶの甘えを、今は少し可愛いと思っている。
のぶの実父は、私に言わせればクソガキだ。
離婚後、我が子を引き取ったはいいけれど、結局のぶと実父が一緒に暮らしたのはトータルで2年程だった。
邪険に扱い、虐待し、自分の都合のいいときだけのぶに甘えてきた。
挙げ句再婚してこどもが出来ると、新しい嫁の尻に敷かれて、家庭が上手くいかないとそれものぶのせいにして責めた。
のぶは父方の祖父母の手で育てられたけれど、実父の新しい家族も近くに住んでいる。
どの面下げてか知らないが、嫁とケンカして自分の家に居づらくなり、祖父母の家ののぶの部屋に寝泊まりしていたこともあるらしい。
しかし、決定的にのぶと実父の関係が壊れた出来事がある。
のぶとは9つ差の、腹違いの弟の結婚式だ。
のぶだけ、式に呼ばれなかった。
親類縁者、皆首をかしげたらしい。
それはそうだろう。
腹違いとは言え、のぶは長男だ。
それも遠方に住んでいる訳じゃない。
呼ばれていないなんて誰が思うだろう。
自分が産んだ子だけが可愛くて、守ってやりたいと願う継母の成せる技だった。
継母の我が子に対する愛情は海よりも深く、のぶの実父名義だった会社は嫁に名義変更されているそうだ。
わかりやすい話、のぶにはびた一文財産を譲らないために。
「なんか1つでもの、良くしてくれることがあったらの、俺も母さんと呼べたかもしれん。良くしてやらないけんと思ったかもしれん。でも無いけの。そんなの自分の為にならんけ、良くしてやらんのよ。」
その後、祖父母の家を訪れた実父とのぶは掴み合いの喧嘩になったそうだ。
それ以来、実父どころか実父の弟家族ものぶを怖れて、のぶが暮らす祖父母の家に近寄らなくなった。
だから今年のお正月も、のぶは1人で迎えた。
酒を飲み過ぎて吐血しながら。
私が近くに住んでいたら、飛んで行くのに。
のぶは心の底で、今でも実母の愛情を欲しているんだと思う。
でも申し訳ないけれど、この母親も大馬鹿だ。
離婚後、実家に身を寄せたのぶの実母は自衛官である父(つまりのぶの母方の祖父)の転勤で福岡から岩手へ移り住み、再婚して女の子を授かった。
のぶがまだ学生だったとき、実母とメールのやり取りをしていたことがあるそうだ。
ある日、のぶが「いつかほんとの親子になれるかな」と送ったメールに、実母は「無理」と返信してきた。
私にこどもはいないけれど、自分がお腹を痛めて産んだ子に、何をどうすればそんな言葉が吐けるのか、全く理解できない。
それでも、東北の震災のあと、のぶは実母に会いに行った。
そんな母親の身を案じて、1人岩手まで旅をしたのだ。
結果、警察沙汰になった。
のぶが来たことを知った実母が、警察に「殺される」と通報したからだ。
宿泊先のホテルに帰り着いたのぶは警官に囲まれたらしい。
「殺されても仕方ないと思えるくらいなら上等よ。」とのぶは言っていた。
でものぶの優しさは実母に伝わることはなく、ただのぶが1人、深く傷付いただけだった。
のぶは両親が20歳のときに産まれた子だ。
「共働きでの、オテンバな母親は遊びたい盛りやったけ、いつもおらんかった。ある日の、いつも託児所まで迎えにくる父親がなかなかこんでの、暗くなってくるなか1人で体操座りして待ちよった。回りの大人もそうなると必死であやしてくれたわ。」
「まだ若かったけ、こども育てることがどんなことかわからんかったんやろの。だからちょっと年取って家庭のありがたみわかるようになって、俺を怖れるようになったんよ。壊されたくないけ。」
「俺はの、人が気付かんこと、気にせんことに気付いてしまうきの、かしこいが気に入らんのよ。」
「それでも俺はの、長男やけ、損せないけんの。」
そんな理不尽な仕打ちを、のぶはこうやって受け入れてきた。
きっと何度も何度も噛み砕き、飲み込もうとしてはまた吐きそうになりながら。
のぶを育ててくれたおばあちゃんとおじいちゃんのお陰で、私はのぶと知り合った。
のぶのブログの「ありがた迷惑」シリーズ。
おばあちゃんが「寒かろうもん」と、犬のトマト君にカイロを直貼りしちゃった話。
何故かペットボトルにハイターを入れて冷蔵庫で冷やしてたのをのぶが知らずに飲んじゃって吐いた話。
のぶの料理を食べに来るのぶの友達はみんなおじいちゃんのお陰でマッサージが得意だと言う話。
これは個人的に連絡を取るようになって聞いた話だが、のぶの苦手な食べ物は芋の天婦羅、漬物、おから、チョコレート、菓子パン。
何故ならおばあちゃんが愛情を込めて嫌と言うほどこどもののぶに食べさせたから。
私もうざいほどの愛情を祖母にもらって育ったから、のぶのば様じ様の話は面白かった。
でも実はその中にもちょっと切なくなる話があった。
のぶがまだ小さいとき、おばあちゃんとおじいちゃんは旅行に行くことになり、のぶはお留守番することになった。
そのとき、見よう見まねで料理を作ってみて初めて、自分が食べさせてもらっていたごはんは調味料や出汁を使い、手間暇かけて作られたものだったと知った、という話。
こんな風に厳しくも愛情を受けて育った、とも取れるが、のぶが得意な皮肉にも取れて少しだけ悲しくなった。
「なんでば様じ様が俺に良くしてくれるかわかるか?自分のね息子の馬鹿さ加減に腹が立ちよるから、俺に良くしてくれるの。」
だけど最近、のぶが激怒する出来事があった。
おばあちゃんが入院するとき、犬のトマト君をのぶの実父に預けてしまったからだ。
あんまりのぶが怒ったから、2度目の入院のとき、今度は実父の弟に預けた、とおばあちゃんはのぶに言った。
でも、いざおばあちゃんが退院して、トマト君をおじさんの家に迎えに行こうと言うと、実は今回もトマト君は実父に預けられていたのだ。
「俺が怒るき嘘をつく浅ましさ。トマト君はどんな目にあっとったか。」
と、のぶは私に話した。
「けどトマト君連れ戻したのは俺のエゴやけの。」とも。
のぶはよく「愛が足りん。」「愛をください。」と口にする。
でも私が「好きだよ。」と言うとそっぽを向く。
多分、のぶが欲しい愛と私があげられる愛は違うものなんだろう。
母親のような、無償の愛。
それが足りないんだ。
のぶはよく「人に優しくしてくれますか?損してくれますか?」と問い掛けてくる。
私が「人に優しくすることを損やと思いたくない。」と答えると、のぶは笑う。
のぶにとって、人に優しくすることは身を削るようなことなんだろう。
自分を殺して、息を潜めて。
こんなにも不器用で、短気で、気難しくて、不安定で、寂しくて、悲しいくらい優しい人を、私は知らない。
それはとてもいびつな優しさだけれど。
自分の身に起こる不遇から絞り出すように人に差し出す手は、きっととても暖かいんだろう。
だから。
生きていてください。
きっとあなたが求める人は現れるから。
きっと満たされる日はくるから。
生きていてください。