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邪神  作者: 霧島樹


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097「危惧」

「ねぇ、フェイスさん……」


 街の中に入り、あまり人気のない道を選んで歩くリオナンドがおもむろに声を掛けてくる。


『なんだ?』


「わ、反応早い。もしかして起きてた?」


『ああ。少し前からうたた寝しながら起きていたぞ』


「……それ起きてるって言うのかな?」


 リオナンドが微苦笑しながら首を傾げる。

 少し呆れている気配もするが、俺は至極真面目に答えた。


『俺の中では起きている部類に入る』


「そっか……フェイスさんとは長い付き合いだけど、まだまだ知らないことが結構ありそうだね」


『毎日同じ屋根の下で暮らしている家族や夫婦ですら、長年共にいて初めて知る事実があったりするからな。俺はその比ではないだろう。何せ一日どころか、一年の大半を寝て過ごしているんだ。ここ最近はかなり起きてる率が高いが』


「あ、これでも起きてる率は高いほうなんだ……」


 リオナンドの微妙な反応にふと、前回の宿主であるタイチのことを思い出す。

 そういえばタイチとも、似たようなやりとりをしたような気がするな。


 ……いや、待てよ。タイチどころじゃないぞ。

 今まで完全に忘れていたが、思い返せばかなり多くの宿主と似たようなやりとりをしているような気がする。


『恐ろしいな……』


「え、何が?」


『以前キミにも説明した通り、俺は今まで数百人以上の人間に取り憑いてきた。その過程で今のキミとしたような会話をかなり多くの宿主としていたことに今、気が付いた……いや、思い出したんだ』


「あぁ……そういえばフェイスさんは千年以上、色んな人のところを転々としてるんだもんね。でも仕方がないんじゃないかな、それだけ生きてたら忘れることがあっても。むしろ思い出しただけでもボクは凄いと思うよ」


『それはそうなんだが……』


 今さっきわかったことだが、以前よりも明らかに、昔のことを思い出しにくくなっている。しかもその以前が、数百年とかそういう単位じゃない。せいぜいここ百年前後ぐらいなのだ。


 ということはつまり、言い方を変えるとここ最近で急速に、俺の機能が低下しているということだ。これが記憶容量の問題なのか、記憶機能の問題なのか、はたまた別の問題なのかは不明だが、機能低下の事実は変わらない。


『……リオナンド、もし俺が普通の人間と同じように老化したり、病気になったりしたらどうなると思う?』


 俺はもはや人間どころか生き物かどうかも怪しいから、老化や病気というより、劣化や不具合と言ったほうが個人的にはしっくりくるのだが、ここはリオナンドがわかりやすいように例える。


「え? それは……困るよね」


『いや、困るは困るんだが、それで死ねるなら……消えられるなら良いんだ。問題なのは、消えられない場合だ』


 記憶容量がいっぱいになり、古い記憶が思い出せなくなるぐらいであればまだマシというか、むしろ最高の部類だろう。問題は記憶機能や思考能力自体が劣化して、そのまま存在し続けることである。


『何も認識できないぐらいに頭が壊れるならまだしも、中途半端に壊れると非常に悲惨なことになる。例えば数分前、数時間前の出来事をすぐ忘れる、同じことを何度も言ったり聞いたりする、出来事の前後関係がわからなくなったり、理解力や判断力が低下するなど……』


「それって……つまり、ボケちゃうってこと?」


『…………まあ、端的に言ってしまうとそうだな』


 なぜか今、認めることに抵抗があったが、実際の症状は確かに痴呆だ。

 たしかタイチがいた世界の日本だと、いつからだったか認知症と呼ばれるようになっていたが。


「でも、人がボケちゃうのは……」


 リオナンドはそこでハッとしたように言葉を止めて、俯きながら拳を強く握った。彼が半ば反射的に言おうとしてしまっていた内容は何となく想像がつく。多分、この世界にも『ボケは神さまの御慈悲』みたいな言葉があるのだろう。

 神の存在を信じていない……いや、神を忌み嫌っているとすら言えるリオナンドにとって、その言葉が出てしまいそうになったこと自体が衝撃だったのだと思われる。


 リオナンドは歯を食いしばったまま、しばし動かずにいた。拳に込められた力が、指先の血の気を奪っていく。彼の信念に反する言葉が喉元までせり上がってきたことに、彼自身がひどく動揺しているのがわかった。


 もしかすると、まだ自分は神の存在を否定し切れていないのではないか……なんてことまで考えているかもしれない。

 俺から言わせれば、よく知っている言葉が反射的に出てきそうになっただけじゃないかと思うのだが。


「フェイスさん、ボクは……」


『話の途中で悪いが、物陰に隠れてくれないか。そこの路地にある樽の裏とか』


「たる? たるって……あ、樽か。えっと、なんで……」


 そこまで言って、自分でも気が付いたのだろう。

 リオナンドは直前の疑問を口にすることもなく、すぐに口を閉ざした。

 そしてすぐ近くの路地に入って、俺が言った通り樽の裏へと身を滑り込ませる。


「……沢山の人が、こっちに向かってきてる」


『しかも全員男で、一番多い年代は……二十代から三十代、か』


「ボクの追手……かな?」


『どうだろうな。今のキミに敵対行動を取れる勢力は中々いないと思うが……もし仮にいるとしたら、少なくとも無策ではないだろう』


 もちろん敵勢力の頭が残念で、特に新しい策はなく数の力でリオナンドを捕まえに来た、もしくは始末しに来たというパターンもなくはないが……そんなこちらに都合の良い可能性は考えるだけ無駄だ。


『リオナンド、相手がキミを把握しているのか、そもそも探しているのかすら定かではないが、いずれにせよ見つからないことに注力してギリギリまで手は出さないほうが良い。まだ相手にどんな策があるかわからない』


「うん」


 樽の影に身を潜めながらリオナンドが息を殺していると、石畳を踏みしめる音が徐々に近づいてくる。もちろんそれはひとつではなく、十や二十といった数でもない。感知範囲内だけでも百は優に超えている大所帯だ。後続はまだまだいるようなので、全体は今のところ予測がつかない。


 どんな集団にせよ、これだけの人数が大した騒ぎもなく街中に入って来れるということは、少なくともナヴァル家にとって明確に敵対している勢力ではないということが窺える。でなければ街の衛兵はポンコツ以下の案山子である。


 そんなことを考えている間に、足音がリオナンドの隠れている路地のすぐ近くまでやって来た。

 規則正しく、無駄のない足音――訓練された者たち特有の歩みだ。


 リオナンドはそっと身を縮めながら、樽の僅かに開いた隙間から片目だけ覗かせる。物音ひとつ立てぬよう神経を尖らせながらも、目はしっかりと集団の様子を追っていた。

 通りでは鎧の鳴る音と共に数人の騎士が立ち止まり、周囲に目を配っている。白銀の鎧に、胸元にはデネボラ教であることを示す五芒星の印。


 リオナンドはそれを見た瞬間、息を呑んで樽の隙間から目を離した。

 俺が覚えているぐらいだ。リオナンドにとっては忘れるはずもないだろう。

 約十年前に聖都で相対したあれらの騎士は、聖国が誇る精兵、聖衛騎士だ。


 立ち止まっていた聖衛騎士たちは何か短く言葉を交わした後、他の集団と歩調を合わせそのまま通りを真っ直ぐ進み始めた。

 先ほど周囲に目を配ってはいたものの、路地などに入ってくる様子はなかったことから、街の中でリオナンドを捕まえようとしている、というわけではなさそうだ。


 やがて三百を超える聖衛騎士たちがすべて通り過ぎると、リオナンドは大きくため息をついてから、呟くように言った。


「もう誰も……いないよね」


『いないな』


「聖衛騎士があんなに沢山……何をしに来たのかな」


『目的は不明だが、少なくとも市街でキミを探しているというわけではなさそうだった。だがあれだけいる聖衛騎士がこの時期、この土地に来ている時点で死神とまったく無関係とは思えないな』


「それじゃあ、いったい何を……」


 リオナンドはそう言いながら慎重に路地から顔を出し、聖衛騎士たちが歩いていった先を見つめた。微かに舞い上がる土埃の向こうに、小さく聖衛騎士たちの背が見える。だが、それも角を曲がって、やがて完全に視界から消えた。

 通りに静寂が戻る。数分前まで大量の金属音と足音が響いていたのが嘘のようだ。


『リオナンド、聖衛騎士の目的はともかく、今はすぐに街を出るのが先決……リオナンド?』


 聖衛騎士たちが視界から消えた後、通りに出て彼らが向かった先を見つめながら、リオナンドはポツリと呟いた。


「あっちの方向って……」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は彼が何を言いたいのか悟った。

 聖衛騎士たちの向かった先――それは、街の北側。

 貴族街を抜け、古びた並木道の向こうに聳える、重厚な石塀と黒鉄の門。

 ついこの間までリオナンドが仕えていた、ナヴァル家の屋敷がある方角だった。

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