094「決別」
ナヴァル家から出ていくことを認めたリオナンドに、その理由を問い掛ける。
『やはり、キミを自分の娘と結婚させて王国から独立、の辺りが原因か?』
「まあ、ね……このままだと、断っても外堀から埋めようと色んな手を使われる気がしたから、先手を打っておこうと思って」
『なるほどな。かなり良い先手だと思うぞ。途中まで俺も騙されたぐらいだ』
あれだけの怒りだ。オーウェルは人の機微に敏いほうなので、リオナンドが途中から本気で怒っていたのは察していただろう。
リオナンドの上手いところは、自分の怒りを利用して自然にオーウェルを脅し、『制御できない危うさ』を見せつけたところだ。
『あれだけしっかりと脅しておけば、ここから出ていったキミを追いかけて泣き脅しや、娘を使った色仕掛けなどをしてくることもないだろうからな』
リオナンドは昔と比べて敵へのソウルスティールを躊躇わなくなったし、むやみやたらと人助けをするような性格ではなくなったが、根本的な部分では甘い部分が残っているし、情に厚い。
色仕掛けはともかくとして、しばらく共に過ごしたナヴァル家の人間や、あれだけ自分への好意をあらかさまにしているエマニュエルに泣き脅しされたら、下手すればズルズルと屋敷に残ってしまいかねないだろう。それを考えたら今のうちに屋敷を出ていくのは英断だと言える。
これは予想だが、リオナンドが干渉しなければもうほぼ確実にナヴァル家が没落するという情報が得られたのが、屋敷を出ていくと決意できた決め手だったのではないだろうか。
リオナンドの性格上、ほんの少しだけ手助けしてナヴァル家が復活するなら、次の戦争が起こるまでは残って手伝い続けた気がする。
「うん……レイモンさんが戦おうとしないでくれて良かったよ」
リオナンドは心底、安堵したようにため息をついた。
確かに先ほどの場面でレイモンと戦うことになった場合、ほぼ間違いなく殺す気がないであろうリオナンドは苦戦を強いられたに違いない。
そんな会話をしながら屋敷の二階から一階へ降り、廊下の角を曲がったところでリオナンドはエマニュエルと鉢合わせした。
「あっ……リオ」
「ご機嫌麗しゅうございます、お嬢さま」
リオナンドはそう言って廊下の壁に寄り、胸に手を当て軽く頭を下げながらエマニュエルに道を譲った。しかしエマニュエルは先に進むつもりはないらしい。その場に立ち止まってリオナンドに声を掛けてくる。
「リオ、こっちから来たってことは……もしかして、お父さまに聞いた?」
「聞いたとは……何をです?」
「えっと……その、あれよ、あれ……」
エマニュエルは顔を真っ赤にして、指で髪の先を弄りながら小声で言った。
「わ、私との……結婚……」
「ああ、あの話ですか」
リオナンドが納得したように頷く。どうやらオーウェルは既に娘であるエマニュエルに対し、ある程度の話を済ませておいたらしい。随分と気が早い話である。リオナンドの『外堀から埋められそう』という懸念は当たっていたようだ。
「ま……まったく、困っちゃうわよね! いくらお家の取り潰しを回避するためだからって、こんな急に結婚の話だなんて!」
「そのお話ですが……」
「それにしても、あなたがまさか由緒ある公爵家の血筋だなんて思わなかったわ! 何をやっても勝てないのも納得……じゃなくて、ええと……あ、でも、今のあなた自身は身分を剥奪されているという話だし、没落寸前の伯爵家令嬢である私とは、わ、割とちょうど良いのではないかしら!?」
「あの……お嬢さま」
「で、でも私と結婚したら、その……危ない行動は慎んでほしいわ。もちろん、あなたのお陰で我が家が助かったという話は聞いているけれど、これからは……」
「お嬢さま」
リオナンドの冷たい呼びかけで、興奮して一方的に喋りまくっていたエマニュエルの話がピタリと止まる。
「な、何……?」
「ボクはナヴァル家を出ていきます。今までお世話になりました。では」
「え? ……ちょ、ちょっと待って!」
言いたいことだけを言って歩き始めたリオナンドを、エマニュエルが後ろから引き止めようと手を伸ばす。リオナンドはそれがわかっていたかのように後ろを振り向くと、伸ばされたエマニュエルの腕を掴んで止めた。
「お行儀が悪いですね。何ですか?」
「ナヴァル家を出ていくってどういうこと!?」
「そのままの意味ですよ。以前少し話しましたし、旦那さまからも既に聞いているかもしれませんが、ボクは世間で死神と呼ばれている存在です。一か所には留まらない。いや、留まってはいけない。だから出ていくのです」
「そんな……」
エマニュエルは一瞬悲しそうに目を伏せたが、すぐにリオナンドを見つめ直して距離を詰めた。
「死神を……やめることは、できないの?」
「今さらやめられませんよ。今やめれば、平和の礎になった人々が無駄死になってしまう。それに、やめたところでどうするんです? まさか、あなたと結婚して穏やかに暮らすことができる……とでも? そんなこと、できるはずがない。下手すれば死神を続けるよりも、遥かに血塗られた道を生きることになるでしょうね」
リオナンドは自嘲気味に笑った。
確かに、リオナンドの血筋と死神の名を最大限にアピールして王国から独立したとして、それだけで平和に暮らしていけるかと言えば話は別だろう。
リオナンドのソウルスティールは発動が速く、ほぼ一秒にひとりのペースで人の魂を吸えるが、逆に言えばそれが限界値でもあるのだ。リオナンド自身の超人的な身体能力も相まって、単身での奇襲や暗殺という面では無敵に近いが、守りはどうしても行き届かない部分が出てしまう。
実際、街道で襲撃を受け文官サージェスが死んだ時は、守るべき対象よりも遥かに敵の数が多かった関係で、結果的にほとんどの味方を守ることができなかった。リオナンドの弱点は、自分自身ではなく周囲にいる味方なのだ。
だからこそ、リオナンドは『一か所には留まらない』と言っているのだろう。一か所に留まれば、どう取り繕っても根本的な部分で情に厚いリオナンドは親しい人間、つまり弱点となる味方を作ってしまうからだ。
「そ、それでも、私はあなたと……!」
「無理ですよ」
リオナンドが軽く掴んでいたエマニュエルの腕を強く握る。
すると今までは長袖の生地を挟んでいたこともあり、緩やかだったエナジードレインの勢いが強くなっていく。
「な、何……?」
「……このぐらいかな。どうですか? 歩けますか?」
リオナンドがエマニュエルの腕から手を離し、数歩ほど後ろに下がって両手を広げる。エマニュエルはそれを訝しげに見ながらも、足を一歩踏み出した。
「え……あれ……? あ、歩けない?」
足を踏み出したエマニュエルは、しかしその一歩目で自重を支えきれなくなったようにしゃがみ込んでしまった。
今さらではあるが、どうやらリオナンドはこの十年間で人をどれだけエナジードレインすると無力化できるか、感覚的に把握しているようだ。前回エマニュエルの額を押して倒した時もタイミングを計っている様子だったから、間違いないだろう。
「これはボクの体質です。布越しでもしばらく触れれば人の精気を吸い取り、素肌であればそれはもっと早い。身に覚えがあるでしょう?」
「え? ……あっ」
エマニュエルが目を見開いて声を上げる。
額を押されて倒れた時のことを思い出したのだろう。
「そしてこれは自分で止めることができませんし、勝手に止まることもありません。相手が死ぬまでね。そんなボクに例えば妻がいたとして、うっかり触れ続けてしまったら、どうなると思います?」
「それ、は……」
「もうお分かりですね? そんな男と結婚など、できるわけがない」
「っ……」
エマニュエルは言葉に詰まっているようだった。彼女は良くも悪くも素直だ。リオナンドの話を聞いて、確かに無理かもしれない、と思ったのだろう。
リオナンドは何も言えない様子のエマニュエルを見て小さく笑うと、そのまま背を向けて廊下を歩き出す。
その背中を引き止める声が聞こえてくることはなかった。




