086「到着」
「フェイスさん、着いたよ」
リオナンドの呼びかけで目を覚ますと、そこは見知らぬ街の通りだった。
夜遅い時間のようで、月明かりはあるものの周囲は暗く、出歩いている人間もほとんどいない。
『ん……ここがモントルイエか?』
「うん。正確にはモントルイエ地方のトレヴォランって街で、この辺り一帯を治めているモルグレーヴ辺境伯の館がある……」
『ああ、そこまで詳しく説明しなくても大丈夫だぞ』
どうせ覚えていられないし、覚える必要もないだろう。
要は今のナヴァル伯爵家にとって邪魔な人間がいる場所で、リオナンドの『次の段階』……つまり『戦争指導者の暗殺』を始めるにあたって、ちょうどいい人間がいるということだ。
ナヴァル伯爵家を取り巻くあれこれは目に見えてわかりやすい戦争というわけではないが、たしか敵勢力に屈した場合は対王国との最前線にさせられるという話だったと思うので、結果的には似たようなものだろう。
『それで、その辺境伯の館は……あれか?』
街の中心にある緩やかな丘の上に、周囲の建物と比べて一際大きい洋館が見える。
「うん。今から向かうつもり」
『そうか。館には何処から入るつもりだ?』
「え? 特には決めてなかったけど……入るとしたら裏側からかな?」
『なるほど。それも悪くはないが、可能なら正面から入ったらどうだ?』
「正面から? ……でも、それだと見張りの人に見つかっちゃうと思うんだけど」
リオナンドが困惑したように言う。確かに、一般的な暗殺であれば正面から入るなどありえない。無駄に騒ぎを大きくするだけだろう。しかし、リオナンドの場合は違う。
『見張りをソウルスティールすればいい。というより、館にいる人間は全員、ソウルスティールすべきだ。目的の辺境伯とは関係なくな』
「全員……」
リオナンドがピタリと足を止めて、低い声で呟く。
「それは……見せしめのため?」
『そうだな。それが一番大きな理由だ。戦争の要因となる指導者だけではなく、親族や仕えている周囲の人間全員が死神の狙う対象になるとわかれば、これは凄まじい恐怖を生み、非常に大きな抑止力になるだろう。そうなれば指導者が戦争に前向きでも、周囲の人間が止めるようになるかもしれない。もし止められないようであれば、戦争に前向きな指導者からは自然と人が離れていくようになるかもしれない』
「……でも、何の罪もない人も、いっぱい殺すことになる」
『それは仕方がない。戦争で何の罪もない民衆が巻き込まれて死ぬのと、どちらを許容するかという話だ。そもそも戦場に立っている兵士だから無条件に罪があるというわけでもないだろうしな』
もし『戦場に行け』という命令を拒否すれば殺される環境で戦場に行ったら、それは罪だろうか? これは賛否両論があるだろう。しかし誰も傷つけず、誰も殺さず、その結果として敵の兵士に殺されてしまったとしたら?
これには少なくない人間が同情し、彼に罪はないと判断するのではないだろうか。
『リオナンドの最終的な目的は、戦争によって人の命が奪われたり、不幸になる人をなくすことだろう?』
「……うん」
『であれば正面から入って関係者は生かさないようにしたほうが、結果的に早くそれを実現できる可能性が高い』
ただそれによって目に見える直接的な戦争行為がほぼなくなったとしても、裏での工作や暗殺、テロ、または経済面などでの争いはなくならないだろうし、この世界の文明レベルだとむしろ直接的な戦争が制限された分だけそれらは増えるかもしれないが……それを言い出したらキリがないから、ここは言わないでおく。
『それに効率の問題もある。キミは狙っている辺境伯の顔を知っているか?』
「知らない……けど、大体の歳とか風貌は事前に調べたよ」
『ある程度の権力を持っている人間であれば、似たような年齢や風貌の人間を替え玉として置いておくことぐらいは容易だろう。だがそのような場合でも、戦争指導者の本拠地にいる人間を全員ソウルスティールすれば無駄にはならない』
当たり前の話だが、いくら頭となる人間が生き延びたとしても、手足となる人間が全滅したら組織は成り立たないからだ。
もちろん頭が残っていれば再起は可能だろうが、かの有名な死神に狙われ、ほぼ全滅させられた組織の手足になりたいと思う人間が果たしているだろうか?
普通はいないだろう。頭が方針を変えるなりするならともかく、変えないならまた死神がやってくるのは目に見えている。
『あと単純に、侵入先では片っ端からソウルスティールしたほうが安全かつ、後々の憂いがないというのもあるな。まあ、館の人間をほぼ殲滅するような形になるから、最初に話していた指導者の暗殺とは少し内容が変わるが』
「少しどころじゃないよ……」
リオナンドはゲンナリとした声で言ってから、大きなため息をついた。
明らかに嫌そうな態度だ。
『気が進まないか?』
「それはそうだよ。ただフェイスさんの言うことはわかるし、もっともだと思う。長期的な目で見たらそのほうが早く戦争が減って、全体で見た場合の犠牲者も減るんだろうなって。でも……女の人とか、子供までソウルスティールする必要はないんじゃないかな」
『なぜだ?』
「え? えっと……」
リオナンドは深く考えて言ったわけではなかったのか、俯いてウンウンと唸った後、思いついたように自分の手のひらを拳で叩きながら言った。
「ほら、戦争で戦うのは大多数が大人の男だし、戦争を指揮するのも、戦争を始めるのも大人の男でしょ? それに昔、自警団の人に聞いた話だと犯罪で捕まる人もほとんどが大人の男で、女の人や小さな子供は全然いないんだって。いても盗みとか、軽犯罪ばっかりだって。だから……みんな殲滅までは、しなくていいんじゃないかな、って……」
『なるほど』
確かに戦争をするのは男で、主導するのも男だ。大体の世界においてそうであり、それはこの世界でも変わらない。
二十一世紀の地球も犯罪者の割合を性別で分けると男が八割だったし、凶悪犯もそのほとんどが男だったから、リオナンドの言う通りこの世界も似たようなものなのだろう。
『確かにな。より大きな恐怖、もとい抑止力を生むことを考えた場合、関係者は例外なく生かさないでおいたほうが効果はあると思うのだが……男の関係者が全員いなくなるだけでも十分な恐怖はあるだろうし、組織として機能不全に陥ることは間違いない』
「それじゃ……女の人や子供をソウルスティールしなくても、いいよね?」
『殲滅するというのは選択肢のひとつだからな。大きな問題はないと思うぞ』
それに関係者を殲滅するといっても、その時その場にいなかった人間というのは必ず出てくるだろう。復讐の目を摘むと言っても限度がある。
「そっか……よかった……」
『…………』
ほっとしたように胸を撫で下して歩き出すリオナンドの様子から、彼に対する配慮が足りなかったことに気が付いた。
俺にとってはソウルスティールで命を奪うことは魂の保管と同義で、決して悪い事ばかりではないと考えているし、リオナンドにもそれは何度か説明しているのだが……やはりそれを信じられるかどうかは別の話なのだろう。
もしくは、信じたとしてもこの世界で死ぬことには変わりないから、そこに忌避感があるのかもしれない。
「着いた。……門番はふたり、だね」
貴族街を進み、緩やかな丘の上を進んで行ったリオナンドは、道の脇にある木に隠れて辺境伯の館に続く門へと視線を向けた。
幸か不幸か辺境伯の館は丘の上にあり、周囲に建物がないので見張りの門番が倒れてもすぐ騒ぎになることはないだろう。
「それじゃ……いくよ」
リオナンドはそう言うと外套のフードを目深に被り、木の陰から道に出て歩き始めた。




