084「犠牲」
馬車の中に乗り込んだリオナンドが見たもの。
それは、肩に槍が刺さった状態でうつ伏せに倒れているサージェスと、その下敷きになっているエマニュエルだった。
「っ……!」
リオナンドが息を呑む。
するとほぼ同時に馬車がフワリと宙に浮き――次の瞬間、崖の下へ向かって落ち始めた。
状況を把握したリオナンドは即座にサージェスとエマニュエルを左手だけで抱きかかえ、右手で模造剣を抜くと、馬車から崖に向かって飛び出した。
そして崖の岩肌に、右手の模造剣を思い切り突き立てる。
「――あぁあああぁあああぁああ!!」
凄まじい衝撃と共に剣で岩肌が削れ、落下速度が緩やかになっていく。
しかし、いつまでも減速は続かなかった。
ギィン、という鈍い金属音と共に剣が折れたのだ。
抵抗を失ったリオナンドたちの落下速度は再び加速し始めた。
崖下に切り立った岩山が見える。このままいけば即死だ。
しかし岩山の向こうには森が見えた。落下位置が向こうであれば生き残れる可能性がある。
『崖を蹴るんだリオナンド!』
「っ!」
直後、リオナンドは崖を思い切り蹴って飛び――森の木々へと落下していった。
○
「う……うぅ……」
森の中、リオナンドが呻き声と共に起き上がる。
頭上の木々と地表を覆った厚い苔がクッションになってくれたのだろう、すぐそばに落ちたサージェスとエマニュエルにも目立った外傷はない。
「サージェスさん……お嬢、さま……」
サージェスはエマニュエルに被さるよう倒れていた。
リオナンドはそんなサージェスの右肩に刺さった槍を抜いて、彼をエマニュエルの横にひっくり返す。
「ぐぅ!?」
痛みで目が覚めたのか、サージェスはくぐもった声を上げて、出血が激しい左肩を右手で押さえた。
「ここ、は……」
「街道を外れた崖の下です。動かないでくださいサージェスさん、今すぐ治療を……」
『待つんだリオナンド』
当然のように治癒聖術でサージェスを助けようとしたリオナンドを止める。
『今キミがサージェスを癒やせば、恐らくふたりとも死ぬ』
「え……」
俺の言葉を聞いたリオナンドは、サージェスの右隣に並んで倒れているエマニュエルを見た。エマニュエルはサージェスを貫通して槍が刺さっていたのか、左肩辺りから出血している。
サージェスが身を挺して庇ったおかげか、露出した傷はあまり大きくない。
しかし傷の大きさに比べて出血は多かった。動脈が傷ついたのだろう。
このまま出血が続けば命に関わると思われる。
『キミの魂は渇望が急激に進んでいる。ここでさらに救済行動を取れば魂の暴走は避けられないだろう。ただでさえ限界に近いんだ。ふたりを救うことはできない』
「それは……おかしい。昔は、限界が来るまで何人か治癒できた」
『渇望の進行条件は年月によって変わることがある。それがキミの場合、救済行動を取れる人数の変動だったということだ』
「なんで……なんで、そんなことが……いや、それだったら、とにかく血を止めないと」
『応急処置もお勧めできない。治癒聖術ではない手当さえも救済行動となり、渇望を早める可能性がある』
「じゃあ……じゃあどうしろって言うんだ!」
『キミならわかっているはずだ』
すでに情報は提示した。
昔ならいざ知らず、今のリオナンドであれば答えに辿り着くのは容易だろう。
「それは……」
『選ぶんだリオナンド』
次の救済行動で暴走するほど限界が近いということは、片方の魂を吸って一度渇望を回復してから、もう片方を救うしかない。
『サージェスかエマニュエルか。助けられるのはひとりだけだ』
「助けられるのは、ひとりだけ……」
リオナンドの声に反応したのだろうか。
サージェスは虚ろな目でリオナンドを見ながら、言葉を発した。
「リオ君……お嬢さまを……」
「…………」
リオナンドはそれを聞いて強く拳を握った。
そして震える声で、サージェスに問い掛ける。
「サージェスさん……お嬢さまを救うために、魂を……その命を、貰ってもいいですか?」
「リオ、君……」
サージェスは出血多量で死にかけている人間とは思えない、穏やかな笑みを浮かべてリオナンドに答えた。
「意味がよく、わかりませんが……私は一度死んで、お嬢さまに救われた身……魂でも、命でも……使って、ください……」
「サージェスさん……」
「お嬢さまを……頼みます……」
サージェスは最後の力を振り絞るように言うと、静かに目を閉じた。
直後、魂の輝きが急速に失われていくのがわかった。
『リオナンド!』
「――わかってる」
リオナンドがサージェスに手をかざし、その魂を吸い取る。
それによりリオナンドの渇望は回復した。
しかし、それで人心地が付くというわけにはいかない。
リオナンドはすぐにエマニュエルの傷口を治癒聖術で癒し始めた。
エマニュエルの傷口がみるみるうちに治っていく。
代償として、一度は回復した魂の渇望が再びリオナンドを襲う。
「くっ……!」
『大丈夫か、リオナンド』
リオナンドは自分の胸を手で押さえながら、苦し気に頷いた。
決して楽観はできないが、今すぐ渇望に耐えられなくなるということはなさそうだ。
『であれば、取れる選択肢はいくつかある。ひとつは――』
「ボクは彼女を守る」
リオナンドは未だ意識の戻らないエマニュエルを見ながら答えた。
「だから、ここを離れない」
『……そうか』
リオナンドの言葉に迷いはなかった。
であれば、俺に言えることはもうない。ここから先は賭けになる。
だが崖からサージェスとエマニュエルを抱えて飛び降りた時ほど、分が悪い賭けではないはずだ。
リオナンドは渇望に耐えるためだろう、近くにある木に背を預け、片膝を立てて座り込んだ。それから目をつぶると、無言で呼吸を整え始めた。
それからしばらくして――リオナンドは、賭けに勝った。
「はぁ……」
木々の隙間から見え隠れしつつ、こちらに向かってくる複数の敵兵士を見て、リオナンドは大きなため息をついた。
これは安堵のため息だろう。
敵がこちらに来たということは自軍の兵士が全滅している可能性もあるため、最良とは言えないが……少なくとも、助けたはずのエマニュエルをも魂の暴走で殺してしまうという、最悪の事態は避けられたのだから。
リオナンドは視界に映った敵兵士が全員、射程距離内に入ったことを確認すると、座ったまま意識を集中して、彼らに向けてソウルスティールを発動していった。
○
六人いた敵兵士の魂を全員分吸い、万全……とまではいかないが、少なくとも魂の渇望については十分に回復した後。
リオナンドは俺の提案で近くに転落していた馬車内のクッションや、死んでもう動かない馬の手綱などを取り外してエマニュエルに装着すると、彼女を背負って森の中を進み始めた。
クッションを背中に挟みつつ、手綱で身体にエマニュエルを括り付けて背負うことにより、エナジードレインを避けているような形だ。
それからリオナンドは歩を進め、途中でまた何人か敵兵士をソウルスティールして片付けながら、森の中から街道へ向けて移動を続けた。
『む……リオナンド』
「うん、ボクも感知している。でもあれは……」
街道手前の森で、俺たちは再び射程距離内に四つの魂を感知した。
リオナンドも覚えがある魂なのだろう、ナヴァル伯爵家の領兵だ。
こちらの姿が見えたようで、領兵たちは手を振ってきた。
敵の生き残りを警戒しているのか、声は出さずに近寄ってくる。
「フェイスさん、殺意はない……よね?」
『ああ、ないな』
味方であるはずの領兵に敵のスパイがいたことから、魂に殺意の波動がないか慎重に確認したが、近寄ってくる彼らには欠片も感じられない。
「リオ、生きていたのか! お嬢さまは……!?」
顔がハッキリ見える距離まで近づいてきたのは、護衛隊長ケイン直属の部下である領兵で、リオナンドもよく知っている男たちだった。
というか、四人のうち一人はケイン本人である。他の三人と違って一人だけ意識がない状態で馬に乗せられているが、生きてはいるらしい。
「無事です。気絶してはいますが、ケガはありません」
「お、おお……!」
「あの崖から落ちて生きているとは……!」
「よくやったリオ!」
領兵の男たち三人はエマニュエルの姿を認めると、口々にリオナンドを労い始めた。男たちの話によると味方陣営は他にはいないらしく、自分たちが最後の生き残りらしい。
「そうか、サージェス殿は……」
男たちは情報交換によりサージェスの死亡を聞くと、その命を惜しみつつ、改めてリオナンドを労った。
「すみません、ボクがもっと早く対処できていれば……」
「何を言ってるんだ。あれだけの敵に囲まれて全滅しないどころか、お嬢さまを守れたんだぞ? 十分すぎる成果だろう。なぁ?」
「おう。崖から落ちた時は正直、絶望的だと思ったが……まさか生きてるとはな」
「本当だよ。隊長も特に外傷もなく生きてるしな。落馬で頭を打ったのか何なのか知らないけど、運が良すぎだろ。不死身のケインとはよく言ったもんだぜ」
「ははっ、違いないな」
男たちは口々に同意しながら、馬上で意識を失っているケインを見て笑った。どうやらこの三人はケインが致命傷を負った瞬間や、リオナンドがその傷を治癒聖術で治したところは見ていないようだ。
『……彼らは敵じゃなさそうだな』
しばらく観察していたが、リオナンドにさっき言った通りこうして会話している男たちに殺意は感じられず、不審な様子も見受けられないから、まず間違いなく敵ではないだろう。ひとまずは安心だ。
となれば……寝るか。
エマニュエルを助けるにあたり過酷な選択を強いられたリオナンドの精神状態が心配で、今まで起きていたが……しばらく様子を見た限りでは問題なさそうだ。彼は本当に強くなった。
リオナンドも彼らといる間は俺と喋るわけにはいかないし、ここは睡眠時間を稼ぐタイミングだろう。人間と違って俺は寝れば寝るほど活動力を溜められるからな。
直近で五年ほど休眠させてもらったお陰でまだ余裕はあるが、寝て溜められる活動力よりも、起きて消費する活動力のほうが圧倒的に多い以上、寝られる時は寝ておかなければあっという間に余力がなくなってしまう。
俺は男たちと共に街道へと向かい始めたリオナンドにしばらく眠ることを伝えた後、意識を深い闇の中へと沈めていった。




