082「最悪」
一週間後の夕方、森の中。
新たな商会との交渉を終えた、帰路の途中にて。
リオナンドは馬車の中で外を警戒していた。
馬車内には彼の他にサージェスとエマニュエル。
外は護衛隊長ケインが指揮する領兵たち、四十八名が馬に乗って前後を固めて走っている。
ケインとリオナンドを合わせれば総勢五十名の護衛。
領兵があってないようなものと言われているナヴァル伯爵家にとっては、最大規模の動員だ。
出張の行きに敵対勢力の襲撃はなかった。
もし今回襲撃があるならば帰りの今、来るに違いない。
それをリオナンドもわかっているのだろう。
一見していつも通り外を警戒しているように見えるが、全神経を集中して魂の索敵を行っているのがわかった。
『リオナンド、ずっとその調子では疲れ切ってしまうぞ。いざという時のために少し休んだほうが良い。索敵はしばらく俺が変わる』
「…………」
リオナンドは微かに頷き、深呼吸しながら馬車内に視線を戻した。
馬車の向かい座席ではエマニュエルが目をつぶって寝ており、その隣ではサージェスがリオナンドとは反対側の窓から外を眺めていた。
「ん……? おや、いつの間にかお嬢さまは寝てしまわれたようですね」
サージェスはエマニュエルを見ると、苦笑しながら小声で言った。
「仕方ありませんね。今日はお嬢さまも随分と頑張っていましたから」
「……そうですね」
「リオ君もお疲れさまです。今日の交渉も見事でした。もう何も問題はありませんね」
「ありがとうございます。サージェスさんにご指導いただいたおかげです」
「私が教えたことなんて表面的な知識だけですよ。とはいえ、それが貴方の為になったのであれば嬉しいです」
サージェスはそう言うと、隣で眠るエマニュエルを穏やかな目で見つめた。
「……貴方のおかげで、お嬢さまも苦手な勉強を随分と頑張るようになりました。最初は反発心からだったようですが」
「ボクは特に何かした覚えはないんですけどね」
「はは、あれだけ煽っておいて自覚なしですか。これはお嬢さまも先が長そうですね」
「……何の話です?」
「おや、とぼけるおつもりで? 私はもうすっかり、将来ナヴァル家の当主となった貴方に仕える気なのですが」
「…………」
サージェスの言葉にリオナンドはしばらく押し黙ると、窓の外に視線を向けて口を開いた。
「……お嬢さまの好意については、知っています。ですがボクは、ずっとナヴァル家にいることはできない人間なので」
「なぜですか?」
「今まで数え切れないほどの罪を犯しているからです。本来ならばこうして生きていることさえ許されない。罪人なんですよ、ボクは」
「それは悪意を持って行った罪ですか?」
サージェスは眼鏡を中指で持ち上げながら言った。
「それとも自らの下劣な欲望を満たす目的で行った罪ですか?」
「…………」
「違うでしょうね。お嬢さまの人を見る目は確かですから。貴方はそのような人間ではない。何かを守るためにあえて自ら罪人になることはあっても、自らの欲望を満たすために罪を犯すことはない」
「……どのような理由があろうと、罪は罪です。取り返しはつかない」
「それは困りました。その理屈で言うと私も取り返しがつきません。私も罪人ですから」
初耳だったのだろう。
リオナンドは驚いたようにサージェスを見た。
「私は昔、仕えていた主人の暗殺計画に加担しました。主犯の男に自分と母親の命を脅され、他に選択肢はありませんでした。しかし罪は罪です。主犯が捕まり事態が発覚したあと、私は裁判で死刑を宣告されました。私は情けなくも、法廷で泣きじゃくって許しを請いました。母は病気がちで、私がいなければ誰も世話をする人間はいませんでしたから」
サージェスは過去を振り返るように語った。
「もちろん判決は覆りませんでした。主人殺しは親殺し以上の大罪です。どのような理由があっても、前例を作ってはならない。そして刑の執行日。私はオーウェルさまの手によって途中で別の罪人とすり替えられ、死んだことになりました。……実はその時、法廷には当時のお嬢さまが裁判を見学しに来ていましてね。私の主張と情けない命乞い聞いて、オーウェルさまに私を救うよう懇願してくださったそうです。恥も外聞もなく泣き喚いた私を見て、『あんなの貴族として死んだようなものじゃない。死刑はもう十分よ』と。……私は、お嬢さまに救われたのです」
「…………」
「私は以降、それまでの名前を捨て、サージェスとしてナヴァル家に尽くしました。サージェスという名もお嬢さまからいただいたものです。オーウェルさまが伯爵となりこちらに越して来るまでは、当時の屋敷内からも一切出ることはありませんでした。実はお嬢さまが貴方を拾ったあの日が、『サージェス』として初めて外に出た日だったのですよ。本当は生涯、外に出ることなくナヴァル家の影として尽くそうと思っていたのですが……」
サージェスはエマニュエルを見て眩しそうに目を細めた。
「お嬢さまに説得されまして。今ではまるで、普通の人間のように陽の下を出歩けています。本来ならば取り返しのつかない罪を犯した私が、です」
「…………」
「リオ君。私は貴方がどんな罪を犯したのかは知りません。しかしそれが悪意を持って犯した罪でないのであれば、貴方は生きて罪を償い、そしていつかは普通の人間として暮らしていく……そのような未来があっても良いと、そうは思えませんか?」
「…………サージェスさん、ボクは」
『話の途中にすまない。リオナンド、敵だ』
「っ!」
即座に立ち上がったリオナンドを見て、サージェスは事態を察したのだろうか。
緊張した面持ちで頷いた。
「話の続きはあとにしましょう。リオ君」
サージェスは馬車の扉を開けたリオナンドに言った。
「お気をつけて」
「――はい!」
○
馬車の外に出たリオナンドは御者台に乗り、前方を走るケインに敵の襲来を知らせた。それを受け、これまでの襲撃でこのやり取りに慣れているケインがすかさず全隊に指示を出す。
「全隊、止まれ!」
馬車と共にその先頭を走る騎馬隊が急停止する。
すると同時に前方の森からゾロゾロと、無数の敵が現れた。
どうやら奇襲は避けることができたようだ。
敵の集団は一見して山賊のような風体をしているが、武器や防具の質が明らかに山賊のそれとは違う。前回までの襲撃とは異なり、恐らくその正体は戦闘を本職とした兵士だと思われる。
「おいおいおい、嘘だろ! こりゃ前回の倍以上……百は超えてるんじゃねぇか!?」
「問題ありません。打ち合わせ通りボクが攻め、他の方は全員守りでいきましょう。ただ……」
リオナンドは全隊の前に出て、興奮した馬をなだめるケインに言った。
「少し数が多い。できれば早急にここから離れてください」
「おい、それはいくらなんでも……!」
「早く!!」
そう言っている間にもリオナンドは敵兵の魂に向けて精神を研ぎ澄ませ、ソウルスティールの準備をしていた。
普通に戦えば『討ち漏れ』は避けられないと確信したのだろう。
ケインはハッと何かに気がついたように周囲を見渡すと、大声で叫んだ。
「――わかった! 全隊後退! 来た道を戻れ!」
ケインの指示に領兵がどよめきの声を上げる。
「何をやってんだおまえら! いいから早く戻れ! 全隊後退! 後退!!」
怒号を上げながらケインが方向転換して走り始めると、戸惑っていた騎兵たちも慌てて追従を始めた。
●
「隊長! 正気ですか!?」
護衛隊長ケインの横を馬で並走しながら、部下の領兵が叫ぶ。
「あれだけの人数を彼ひとりに任せるなど!」
「おまえ何を見てやがった」
ケインが馬車の前を先導しながら部下を諭す。
「相当な数の弓兵がいただろうが」
「しかし、こちらは騎兵です! 速攻をかければ弓兵など!」
「バカ野郎、そういうことを言ってんじゃねぇ。あれだけの弓兵が姿を見せて、なんですぐに攻撃してこなかったと思う? 騎兵は強いが、遠距離の先制攻撃には弱いのが常識だ。普通に考えたらおかしいだろうが」
「それは……確かに、あの距離ならば弓矢は届くはずですが……」
「罠だよ」
ケインはそう言って舌打ちした。
「落とし穴だかロープだか知らねえが、歩兵が待ち構えてるんなら対騎兵用の罠を用意してるに決まってるだろうが」
「……だとしても! 彼をひとりで置いていく理由にはなりません!」
「なるんだよ。オレは最悪の事態を考えて行動してる。今回、最悪の事態ってのはなんだ?」
「武神と名高い彼が死に、追手が健在でこちらに来ること……」
「違う。最悪はお嬢を守り切れないことだ。そしてあの場面でお嬢を守り切れない場合ってのは、どんな状況で起こり得る?」
ケインの前方に見える、先ほど通った時には誰も居なかったはずの街道。
そこには夕日に照らされてこちらに影を伸ばす、無数の兵士が立っていた。
「――別働隊に挟み撃ちにされる状況だ」




