008「懸念」
『何をしているんだ?』
「ちょっとな。確認の電話」
タイチがそう言ってからスマホを耳に当てると、やや間を置いて軽快なメロディが曲がり角の先から聞こえてきた。
「あー、やっぱりな」
『例の彼女か?』
「そういうこと。でも今は彼女じゃねぇよ。元カノだよ、元カノ」
『なるほど、メールも電話も連絡がつかないから直接会いに来たというわけだな』
「だろーな。よし」
『引き返すのか。直接会わなくて良いのか?』
「おー、会いたくねぇから遠回りする」
『そうか。そういえばタイチの家はどの辺りにあるんだ?』
「本当だったらそこの角を曲がってすぐだよ。遠回りするから家に帰るのにはもうしばらく掛かるけど」
『しばらくか……じゃあ俺はもう寝るぞ』
「何がどう『じゃあ』なのかサッパリ意味がわからないんだけど。『もうしばらく掛かる』ってオレ言ってるじゃん。人の話聞いてる?」
『聞いてるとも。『もうしばらく』程度であれば誤差の範囲内だからな。家に着いたも同然だ。今日話すべきことはもう話したから、他のことは明日話す。明日は朝に起こさないで、学校が終わったら起こしてくれ。……ああ、もちろんわかってると思うが、学校や授業をサボるのはダメだぞ』
「おいおい、嘘だろ……お前、まだ今日起きてから三時間も経ってないじゃん……」
『言ったはずだ。寝れる時に寝る。それが俺の方針だと』
「それにしたって限度があるだろ」
『学校が休みの日はもうちょっとがんばる』
「ちょっとかよ……意志弱いなぁ……」
『なんとでも言ってくれ。俺は強固な意志のもと、睡眠時間の確保に全力を尽くすまでだ』
「そこは意志強いのかよ」
『おやすみタイチ。また明日』
「自由だなぁ……おやすみ、フェイス」
俺は呆れたように言うタイチの声を聞きながら、意識を深い闇の中へと沈めていった。
◯
「……フェイス、おいフェイス」
『…………タイチか。なんだ? なぜ校舎から出ようとしている? まだ学校が終わるには早い時間のようだが』
「寝てたのにわかるのか?」
『わかる。千年以上もの間、寝て起きてを繰り返しているからな。一分単位はさすがに難しいが、一時間単位だったら基本的には誤差もなく起きた瞬間感覚で時間経過を把握することが可能だ』
「すっげぇ……けど超無駄な能力だな」
『そんなことはないぞ。状況把握に役立つし、なにより俺を予定より早く起こした宿主に対して即座に抗議ができる』
「ははっ、なるほどね。だけどさ、今回オレに対して抗議するのはそりゃ筋違いだぜ、フェイス」
『む? なぜだ? 俺は『学校が終わったら起こしてくれ』と言ったはずだが?』
「そうだよ」
『だったら……いや、そうか。なるほど』
「わかったのか?」
『ああ。今日は土曜日……つまり午前授業、ということだろう? なら時間がいつもより早いのも頷ける。どうやら今回は本当に俺の筋違いだったようだ。土曜日、そして午前授業というものを失念していた』
「へぇ、やっぱお前でもそういうケアレスミスってあるんだな」
『当然だろう。俺はただ長く生きてるだけの人間だからな。そもそも最後に日本へ転移したのだって五百年以上前の話だ。土曜日の午前授業どころか、土曜日ってなんだっけ? というレベルだ』
「……それ逆によく思い出せたな、オレが言う前に。やっぱお前人間じゃねぇよ。人間は五百年以上前のことなんて思い出せねぇし多分」
『そもそも人間は先に寿命がくるからな。……それはそうとして、タイチ』
「ん?」
『例の彼女……いや、元カノが約十メートル先、校門を出たすぐ脇の壁で待ち伏せしているぞ』
「マジか。学校にまで来たか」
『また引き返すのか?』
「当たり前だろ。学校の裏門から出るわ」
タイチはそう言うと校舎の裏側へと回り、裏門から学校の敷地外へと出た。
『そういえば、『学校にまで来たか』ということは、その元カノはタイチと同じ学校の生徒じゃないんだな』
「そ、違う学校。中学の時は一緒だったけど。いやー、同じ学校じゃなくて良かったぜ」
『同じ学校だったら避けようがないからか?』
「そういうこと」
『そうか。……学校の前で待ち伏せするぐらいだ。ちゃんと話し合わなければいつまでも付きまとわれるんじゃないか?』
「大丈夫だって。ちゃんと昨日『アメリカの大学へ留学するから別れる』って理由をそれっぽく書いて長文メールで送っといたから」
『今日待ち伏せされている時点でとても大丈夫だとは思えないが……まあ、キミの元カノだ。対処はキミに任せる』
「おー、任せてくれ」
『では、ここからは本日キミに話すべき用件をいくつか……と、その前に、タイチ。キミは親から『お小遣い』を月にいくらもらっている?』
「お小遣い? 月に一万円だけど。うち父親だけでも年収一千万超えてるのに意外とケチなんだよ。その代わり欲しいって言ったものは変なものじゃなきゃ大体買ってくれるし、ちゃんとした理由があれば追加でお金くれるけど」
『なるほど。では特に問題なさそうだな』
「なんか買う必要があるのか?」
『ああ。タイチにはこれからサイクリング用の自転車を買ってもらいたい』
「……家に普通のママチャリがあるけど、それじゃダメなのか?」
『ダメだ。キミにはこれからサイクリングを趣味にしてもらうからな。ママチャリじゃあちょっと不自然だ』
「サイクリングを趣味にって……あー、そういうことね。『例の活動』をする際のカモフラージュにってこと?」
『そういうことだ。初回はソウルスティールをする際に電車で移動したが、本来であれば電車は移動手段として好ましくない。監視カメラがあるからな』
「ってことは次から月に一回はチャリで隣町とか、それより遠くとかに移動するわけ? マジかよ……」
『何を言ってるんだ。カモフラージュなんだからソウルスティールをしない時でもサイクリングするに決まってるだろう』
「え……」
『最低でも週一でサイクリングだな。もちろん、毎日でもいいぞ』
「……オレがサイクリングしてる間、お前は何してんの?」
『サイクリング中に声をかけたら危ないからな。もちろん寝ているが?』
「…………」
『…………』
「…………」
『…………』
「……働けよ」
『もちろん働くとも。睡眠時間の確保は重要な俺の仕事だ。全力を尽くす』
「いや、そーゆーことじゃなくて……はぁ……もういいや……」
『納得してもらえたようだな。では次の用件だが、これは簡単だ。次の期末テストまで猛勉強してくれ』
「はぁ!? なんでだよ。テストではお前が助言してくれるんじゃなかったのかよ」
『助言するとも。だがしかしそれは確実を期すためだ。キミ本来の学力と、テスト結果によって外から評価されるキミの学力に大きな差異があっては困る。怪しまれる懸念材料はなるべく排除したい。万が一ということもあるからな』
「前にも言ったけどお前、慎重すぎるだろ……どんだけだよ……」
『できる限りのことはやっておきたいだけだ』
「よく言うぜ。実際に行動するのはオレだっつの」
『そうだな。だが将来的にその苦労に見合う対価は約束しよう』
「へぇ、言ったな? 絶対だぜ」
『ああ。だから今は俺を信じて動いてほしい。絶対に損はさせない』
「オッケー、わかったよ。お前の言うこと聞いてりゃなんだか面白そうだからな。……んで、対価ってなんだ? 金か?」
『それはもう少し先になったら段階を踏んで話そう。その前にまだまだ準備があるからな。さて』
「……おい、まさか」
『俺はもう寝る。明日は十五時以降に起こしてくれ』
「いや、それマジで言ってんの? まだ今日お前が起きてから三十分も経ってないんだけど?」
『マジだ。おやすみタイチ』
「嘘だろ……」
俺は呆然と呟くタイチの声を聞きながら、深い闇の中へと意識を沈めていった。