079「交渉」
「おや? 何か気に入らないことでも? 私は確かに『検討する』と言いましたが」
「……こちらとして、その検討の『先』を望んでおりますので」
リオナンドが微笑を浮かべながら言うと、商会長は「なるほど、なるほど」と頷きながらソファから立ち上がった。
「わかりました。少々お待ちください」
商会長は客間の奥にあるドアを開けて部屋から出ると、しばらくして小さな巾着袋を持って戻ってきた。
そしてその中からおもむろに透明な宝石を取り出し、机の上に並べていく。
「これは世界でもっとも硬いと言われる宝石、ディアマンですが……最近は錬金術による人工ディアマンが流行っていましてね。人工とはいえ非常によく出来たもので、一流の鑑定士でも人工ディアマンを見分けるのは難しい」
ディアマンという透明な宝石は見たところ、ダイヤモンドのようだった。
機械で加工していないせいなのか、あるいはあえて差異を出しているのか、並べられたディアマンはそれぞれ形やサイズが微妙に違っている。
「さて、ここに十個のディアマンがありますが、そのうち九個は人工物で、天然物はたったひとつだけです。これらの中から天然物がどれからを言い当てることができたならば――その目利きに敬意を表し、ナヴァル伯爵家のため可能な限り協力することを誓いましょう。いかがですか?」
「…………」
「そ、そんなのムチャよ! 譲歩になってないわ!」
「そうですか? 私としては随分と譲歩しているつもりですが」
思わず出たのであろうエマニュエルの言葉に、商会長は笑顔で答えた。
「さあ、どうします? こちらとしてはこのままお帰りいただいても一向に構いませんよ」
「…………」
『リオナンド』
考え込んでいる様子のリオナンドに声をかける。
『受けるといい。勝算はある』
「……わかりました。その目利き、挑戦させていただきます」
『ただその前に正解となる宝石をあらかじめ紙に書いておいてもらおう。十個の宝石にそれぞれ番号を振った上でな。あとから正解を覆されても困る』
「しかしその前に天然物の宝石がどれか、あらかじめ紙に書いておいていただけますか? 十個の宝石にもそれぞれ番号を振っていただけると助かります」
「はは、それは確かに必要なことですね。良いでしょう」
商人は別室で十までの番号を書いた紙を用意すると、横一列に並べた宝石の前にそれぞれ配置した。
そしてこちらから見て机の奥側に紙を一枚、机の上に置いた。
「この紙の裏には、正解となる天然物がどの番号か書いてあります。アナタの目利きが終わるまでこの紙に私は手を触れませんのでご安心を。ああ、宝石に触る際はこの手袋を付けてください。それでは……どうぞ」
「わかりました」
リオナンドが手袋を付けたタイミングで、体内の深淵から探し当てておいた宝石鑑定士の魂を召喚し、俺自身に重ねる。
過去に取り込んだ魂の経験や知識を一時的に借り受ける能力――偉人同化。
俺が持つ数少ない奥の手だ。
『リオナンド、七番の宝石を手に取ってゆっくりと回して見たあと、息を吹きかけてくれ。曇りが取れる速度を他と比較したい』
リオナンドは俺が言った通りに宝石を手に取って回して見たあと、その表面に息を吹きかけた。
『よし、次は六番の宝石を――』
○
十個の宝石を一通り手に取って見たあと。
「さて……では、お分かりになりましたかな?」
「はい」
リオナンドは短く答え、俺が指定しておいた六番の宝石を持ち上げた。
同時に、商会長の魂が大きく震える。
「これです」
「…………理由を聞いても?」
「光の屈折がほんの少しだけ、他とは違います。それに」
リオナンドはニッコリと笑って言った。
「これを持ったとき、アナタの魂が震えました。それが一番の『決め手』です」
「魂が、震え……?」
商会長はポカンとした顔で呟いたあと、肩を揺らして笑い出した。
「はは……はっはっは! 魂の震えですか! 顔には出さなかったつもりですが、なるほど、なるほど! 己の魂に嘘はつけませんな! いやはや、これは一本取られました!」
商会長がそう言いながら正解の紙を裏返すと、そこにはリオナンドが選んだ宝石と同じ『六』の数字が書かれていた。
○
話を聞くところによると。
どうやら先代の領主は今回、話し合っていた商会長と個人的に仲が良かったらしい。
そして商会長は今の領主が先代を蹴落として現在の地位についたと思っており、エマニュエルたちに反発的な態度をとっていたのだとか。
リオナンドを気に入った商会長は今までの非礼を詫び、この地に残ってナヴァル伯爵家へ全面協力することを約束した。
「しかし、素晴らしい目利きですな。一流の鑑定士でも判別が難しいものを……」
「運に恵まれました。次に同じことをしろと言われても多分、無理ですよ」
「はっはっは、あれだけ自信満々に言い当てておきながら何を仰る。独特の言い回しといい、リオ殿はまったく面白い方ですな。どうです、我が商会に来ませんか? 高待遇を約束しますぞ」
商会長の言葉にエマニュエルが椅子をガタッとさせながら立ち上がる。
「ダメです! か、彼は私の……従者ですから!」
「……と、お嬢さまも仰っているので、残念ながら」
「おやおや、これはこれは……はっはっは、わかりました。では転職したくなったらいつでも来てください。これは社交辞令ではありませんので」
「ありがとうございます」
「ちょ、ちょおっと! 目の前で堂々と引き抜きをかけないでくれます!? リオも転職する予定なんてないって、ちゃんと断って!」
「それは難しいですね。先の予定は未定ですので」
「っ!?」
「わっはっは! 主を前にして大胆な物言いですな!」
商会長の笑い声が客間に響く。
こうしてエマニュエル一行による初の会談(という名の説得交渉)は成功に終わったのであった。
○
翌日の昼過ぎ。屋敷の一室にて。
「ボクが交渉役、ですか」
「はい。旦那さまの許可はすでに取ってあります」
机を挟んで向かい合っている文官が、眼鏡を中指で持ち上げながら言う。
「武官や執事候補としての話も上がってはいましたし、今後もしかするとそれらの仕事に従事していただく可能性もありますが……今、優先すべきなのは領地の基盤を固めること。それには貴方が交渉役として必要だという結論に至りました。ケインやメイド長とも話し合い済みです」
「お話はわかりました。しかし昨日の宝石を当てたのはまぐれというか、ハッタリのようなものですが、よろしいのですか? ボクは専門家ではありませんので、次にもう一回やれと言われても自信はありませんが」
俺が事前に話しておいた通りにリオナンドが説明する。
過去に取り込んだ魂を呼び出す偉人同化は、活動力の消費が激しい。
そうそう連発はできないため、鑑定士の能力が常に使えると勘違いされては困る。
「構いません。むしろアレがハッタリであれば、なおさら貴方が交渉役としてほしい。あの場でなんら動じずハッタリをかませる度胸、譲歩を引き出すため食い下がる粘り強さ、そして何よりも話している相手の心を掴む人心掌握術……何もかもが私よりも優れている。交渉に必要な知識についてはもちろん、しばらくは私が補佐役としてついて行きますのでご安心を」
「……わかりました。ご期待に添えられるよう尽力します」
「よろしくお願いします。……ああ、ちょうどいい。そろそろ時間です」
文官はそう言って立ち上がると、部屋のドアを開け放った。




