077「人気」
屋敷の外、開けた場所にて。
文官は眼鏡を中指で押し上げながらゴロツキに言った。
「ケイン。彼は旦那さまも目をかけられている優秀な人材です。ケガはさせないでくださいよ」
「そりゃわかってるが……多分、いらない心配だと思うぜ」
「なぜですか?」
「オレの勘だと、コイツは相当やれるヤツだからな」
「にわかには信じ難いですね。彼はどう考えても頭脳労働向きです」
「それは知らんが……まあ、試してみりゃわかることだ」
ゴロツキは物置から二本の木剣を取り出し、片方をリオナンドに投げ渡した。
「ほらよ。おし、じゃあ……好きに打ち込んでこい」
「わかりました」
リオナンドは気負いなく返事をすると、スタスタとゴロツキに向かって歩き始めた。ゴロツキは何も構えず近づいてくるリオナンドを訝しげな目で見ている。
リオナンドは視線を気にせず、ゆっくりと木剣を持ち上げた。
そしてそれをゴロツキの持つ木剣にそっと添える。
「おいおい、やる気あんのか……ぬあ!?」
リオナンドの木剣がまるで生き物のように素早くうねる。
すると次の瞬間、ゴロツキの木剣は空高く飛ばされていた。
「ありますよ。やる気」
「なっ……なんだおい、今の……」
「……ケイン。何やってるんですか」
文官が大きくため息をつく。
「ち、ちがっ……今のはちょっと油断してただけだ! リオ! もう一回やるぞ! もう一回!」
「わかりました」
仕切り直して再度、ゴロツキが木剣を構える。
今度はリオナンドが近づいて来たと同時に、ゴロツキが木剣を振り下ろした。
リオナンドはそれを半身で避けながら、自分の木剣を素早くうねらせた。
直後、先ほどと同じようにゴロツキの木剣が天高く舞い上がる。
「のおぁ!?」
「……ケイン? 遊んでるんですか?」
「だ、だから違うっての! おいリオ! その手品みたいなの止めて普通にやってくれ!」
「別に手品ではないんですけど……」
リオナンドが不満そうに言うと、渡り廊下のほうからエマニュエルがやって来た。
「アナタたち、何をやってるの?」
「リオ君の腕試しです。来週の会談について来てもらうことになりましたから」
「ああ……お父さまが言ってた彼を同行させる話、本気だったのね。でも護衛じゃなくて、従者としてでしょ? 彼、戦えないでしょうし」
「そうですね。私もそのつもりでしたし、いざという時に最低限、お嬢さまの盾になる覚悟があれば構わないと思ったのですが……彼が自分で『戦える』と言ったので、ケインが確認しているところです」
「そうなの?」
エマニュエルがリオナンドに視線を向ける。
それに気がついたリオナンドは愛想笑いのつもりなのか、ニッコリと微笑み返した。
エマニュエルの顔がみるみるうちに赤くなり、そっぽを向く。
……なんともまあ、わかりやすい反応である。
リオナンド自身はわかっていなさそうだが。
「隙ありだぜ!」
ゴロツキの木剣が迫ってくる。
それをリオナンドは体を反らして避け、体勢を戻すと同時にゴロツキの首に木剣を添えた。
「隙があるなら言っちゃダメでしょう。一本です」
「い、今のを避けるか……よし、じゃあもうこっからは手加減なしだ!」
「どうぞ」
「ちょ、何を言ってるんですかケイン! やめてください! ケガをさせないでくださいって……!」
「サージェスさん、ボクなら大丈夫です。万が一にでもケガはしません」
リオナンドは文官に向かってサラッと言った。
というかリオナンドなら万が一、ケガをしても治癒聖術があるからまったく問題ないだろう。リオナンドが治癒聖術の力を明かすかどうかは不明だが。
「おいおい、自信満々に言ってくれるじゃねぇか。別にオレもケガをさせる気はないけどよ。一応、今まで腕っぷしで食ってきた人間なんでな。いくらお前が強かろうと、一本ぐらいは取らせてもらうぜ。青アザぐらいは覚悟しろよ?」
「どうぞ。無理だと思いますが」
「ははっ……行くぜ!」
○
数十分後。
ゴロツキはリオナンドから未だ一本も取れないでいた。
もちろんリオナンドはその間も幾度となくゴロツキから一本を取っている。
「ハァ、ハァ、お、お前、本当に、身軽だな」
「どうも」
「くっ……涼しい顔、しやがって」
ゴロツキが額に流れる大量の汗を腕で拭う。
対してリオナンドは汗ひとつかいていない。
力量の差は瞭然だった。
「せめて、鍔迫り合いに持ち込めれば、負けねぇんだが……な!」
「そうですか」
リオナンドはゴロツキが放った振り下ろしの攻撃を、初めて避けずに木剣で受け止めた。ゴロツキが間髪入れず両手で木剣を押し込んでくる。力なら勝てると思ったのだろう。
しかしリオナンドは片手で木剣を持ったままそれに拮抗し、それどころかそのままゆっくりと押し返し始めた。
「ボクは鍔迫り合いでも、負ける気はしませんが」
「ぐ、ぐおおおぉぉ!?」
限界まで押し切られたゴロツキは、どうやっても押し返せないことを悟ったのか、やがて素直に負けを認めた。
「ふぅ……参った。力も技も速さも、何もかもオレの完敗だ。只者じゃねぇとは思ってたが、ここまで実力に差があるとはな。ははっ……一周回って逆に爽快だぜ。なんも悔しくねぇ。ははは……」
ゴロツキのこめかみがピクピクしている。
どう見ても悔しそうだ。負けず嫌いなのだろうか。
リオナンドとは年齢差がある割に大人げない。
とはいえ、リオナンド自身も決して大人げのある対応とは言えないが……よくよく考えれば彼は十五の頃から人とあまり接しないで生きている。
当然と言えば当然かもしれない。
「これで、ボクには木剣を持たせてもらえますね?」
「それはダメだ」
ゴロツキの返答にリオナンドの眉がピクリと動く。
話が違う、と思っているのだろう。
「いくら従者といえど、側近が木剣なんて持ってたら侮られる。それだったら持ってないほうがマシだ」
「……鞘に入れてればわからないのでは?」
「木剣用の鞘なんてうちにはねぇよ。だがお前の実力はわかった。手ぶらにしておくのは惜しい。……ちょっと待ってろ」
ゴロツキは物置から鞘に入った長剣を持ってくると、リオナンドに差し出した。
「模造剣だ。練習用に分厚く頑丈に作ってある。刃は元からない。これなら良いだろ」
「…………」
リオナンドは模造剣を受け取り、鞘をズラして剣身を見た。
そして少しの間、葛藤するように鈍色に光る剣身を見つめたあと、何かを諦めた様子で言った。
「……わかりました。これで良いです」
「これで良いですって、お前なぁ……これだけ特別扱いされててまだ不満なのかよ。お前が旦那さまのお気に入りで、剣の達人じゃなけりゃぶん殴ってるぞ」
「やめなさい、ケイン」
文官が眼鏡を持ち上げながら近づいて来る。
「彼には最初から荒事を担当してもらう気はありません。彼は大事な文官候補なのですから、いたずらに脅かさないように」
「文官候補? いやいや、どう考えても武官向きだろ。今まで何を見てたんだよ」
「いいえ文官向きです。彼は書類仕事が非常に正確で速い。加えて礼儀正しく、お嬢さまに対しても忠言できる胆力と知性があります。メイド長からは教養、品格ともに十分だとも。武官にしておくには惜しい」
「そりゃこっちのセリフだ。いいか、このオレに競り合うどころか、子供扱いするぐらいの達人なんてどこにもいやしねぇんだ。ただでさえうちは領兵が貧弱っつーか、ほぼ皆無なんだからよ。こんなの武官にしない手はないだろ」
「おふたりとも、いい加減にしてください」
文官とゴロツキの言い合いに、どこからかやって来たメイド長が参戦する。
「彼は次期、執事候補として私が教育しています。将来、旦那さまの右腕として働けるように」
「「えっ」」
「彼は使用人として雇われました。当然、私の管轄です。何か問題でも?」
「それは……」
「なんつーか……」
文官とゴロツキがモゴモゴしている。
どうやら彼らはメイド長に対しては強く出れないようだ。
「あ……そ、そういえばお嬢さまは彼の文官としての実力を知っています。ここはお嬢さまにもご意見を伺ってみましょう」
「おいこら、汚えぞサージェス!」
「お嬢さま、彼には何が向いているとお思いですか?」
「え……?」
唐突な質問を受け、なぜかボーッとしていた様子のエマニュエルはリオナンドをジッと見つめ……何を考えたのだろうか、ボッと顔を真っ赤にして言った。
「そ、そそそそんなの知らないわよ! なんで私に聞くの!? 勝手にすればいいじゃない!!」
エマニュエルはそう言ってそっぽを向くと、ズンズンと歩を進めてその場から去っていった。
「お、おい、お嬢、なんで怒ってんだ……?」
「さぁ……?」
「それでは皆さん、解散しましょう」
メイド長がパンパンと手を叩く。
「これでは皆、仕事になりません」
「ん? 皆って……おわ!?」
ゴロツキが屋敷のほうを見て驚愕の声を上げる。
屋敷の窓からは、敷地内中から集まっているであろう何十人ものメイドたちがこちらを覗いていた。
「おいおい、オレがボロ負けしてるの全部、見られてたのかよ……」
ゴロツキが頭を抱えて落ち込む中、メイド長が覗き見していたメイドたちを追い払い、その場は解散となった。
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「ったく、オレも鍛え直さねえとな……ってうお!? ダム!? お前、いつの間にいたんだ!? っつか無言で後ろに立ってんじゃねぇよ! 心臓止まるわ!」
「ご、ごめん……あ、あのぉ……」
「あん? なんだ?」
「リオくんは、農業にも……向いてると思うんだけんど……」
「いや、遅えよ!!」




