076「装備」
軽度のエナジードレインによって、エマニュエルが腰を抜かした日の夜。
リオナンドはひとり、静かに男性使用人の寝室を抜け出していた。
『リオナンド、どこに行くんだ?』
「……スラム街」
その一言で俺はリオナンドが何をしようとしているのか理解した。
『なるほど。確かにいくらまだ猶予があるとはいえ、魂の渇望は早めに解消しておくに越したことはないな』
「うん……何があるかわからないしね」
『わかった。であれば俺も今夜は集中して周囲を警戒しよう。キミなら問題ないとは思うが』
「ありがと。フェイスさんの感知はボクより鋭いから心強いよ」
『俺はそれぐらいしか役に立てないからな』
「そんなことないよ。フェイスさんと話しているだけで大分、気が紛れる」
リオナンドは穏やかに言った。
この屋敷に来る前より、随分と態度が柔らかくなっている。
エマニュエルの件はともかくとして、この屋敷での平穏な日々が彼にとって良い影響を与えているのは間違いないようだ。
『そうか。それなら良かった。……ん?』
リオナンドが廊下を歩いていると、上斜めの天井あたりから何やらキャーキャーと黄色い声が聞こえてきた。
「あの上は……お嬢さまの部屋、かな。こんな時間なのにまだ起きてるんだね」
『ふむ、しかしこんなに騒ぐと……ああ、メイド長が向かったな』
「それならもう解散だね。それにしても、何をあんなに騒いでたのかな」
『そうだな……』
俺の予想だと、リオナンドによる顎クイからのデコトンからの腰砕けが話題になっているのではないかと思うのだが……確証はない。
リオナンドは現在、非常に安定している。
余計な不確定情報を出して懸念材料を増やすのは避けたほうが良いだろう。
『……なんだろうな』
○
スラム街にて。金品をせしめようと襲いかかってきたチンピラから代償として魂をいただき、リオナンドは特に何事もなく、無事に屋敷へと戻った。
そして翌日の朝方。
リオナンドが庭の掃除をしていると、ひとりの大男が小さな野菜畑で腕を組みながら唸っていた。
「おはようございます、ダムさん」
「お……おぉ、リオくん。お、おはよう」
大男が人の良さそうな笑顔で挨拶を返す。
この一ヶ月でわかったことだが、リオナンドが一番最初にエマニュエルと会った時にも同行していたこの男はもともとこの領地で野菜を作っている農民だったらしい。
紆余曲折あってエマニュエルに拾われたあとは、その経験と意欲を買われて領地における農業関連の仕事を任され、富農とのやり取りから屋敷の菜園管理まで、幅広く働いているのだとか。
「どうしたんですか? 難しそうな顔して」
「あ、あぁー……こ、これなんだけども」
大男が目の前にある野菜畑を見る。
そこには見覚えのある赤い野菜が実っていた。
「トマヌですか?」
「そ、そうだぁ。お嬢さまが、トマヌの酸っぱくて青臭いところが嫌いだって言うから、甘くて青臭くないのが作れないかって、色々試してるんだけども……」
大男いわく、甘くて青臭くないトマヌの種を輸入し、肥料も水もたっぷりと与えて育てているのに、どうも上手くいかないという。
『トマトは与える水を少なくしたほうが甘みが増すと、聞いたことがあるな』
「……トマト?」
『ああ、いや、ここで言うトマヌのことだ。似たような野菜を昔、育てていた男がいてな。この野菜は非常に強く、水や肥料があまりなくても育つため、他と同じように育てると逆効果になってしまうこともあるらしい』
この世界のトマヌも同じかどうかは不明だが、見た目が完全にトマトだから同じ性質である可能性は十分あるだろう。
『肥料をどの程度使っているか、何を使っているかも聞いてみてくれないか? もしかしたらやり方を変えることで解決できるかもしれない』
俺がそう言うと、リオナンドは小さく頷いて大男に詳細を聞き始めた。
○
昼過ぎ。
リオナンドがメイド長からの指示で居間に行くと、そこには文官とゴロツキが待っていた。
「おう、リオ。色々と頑張ってるらしいじゃねえか。さすがはお嬢が見込んだだけのことはあるぜ」
「誰かさんは最初、そのお嬢さまの見る目を随分と疑っていたようですが」
「しょうがねえだろ、時期が時期だ。ウチを狙ってるとこの人間かと思ったんだよ」
「もし仮にそうだとしたらあまりに潜入が運任せすぎますし、手段が雑です。私はむしろ正規のルートで入ってくる人間のほうが警戒度は高いと思いますね。まあ、私でしたらそんな迂遠な方法よりも賊を雇って直接襲わせますが。今のナヴァル家は弱り切っている上に味方がいませんから、やりたい放題です」
「怖いこと言うんじゃねぇよ……」
文官とゴロツキいわく、以前までナヴァル家が治める領地は数多くの商人が行き交う、かなり栄えた地域だったらしい。
これは北西と南西に辺境伯領、東に王国領という立地に加え、先代領主の手腕が大きいものだったという話だ。
「しかしまあ、先代がちょっとやりすぎちまったらしくてな。有利な立地を盾にボロ儲けしまくって、しかもその利益を中抜きまでしてたのがバレたらしくてよ……」
北西と南西の辺境伯領はもともと仲が悪かったにも関わらず、ナヴァル家に対する制裁のため手を組み……結果、先代領主は死刑となり、財産をゴッソリと没収されてしまったのだという。
「そういうわけで先代の弟だった今の旦那さまに代替わりしたわけだが、どうも最近それとは別件でキナ臭い動きがあってな……」
「そこまで話す必要はないでしょう」
文官がゴロツキを制止する。
「リオ君。ひとまずキミが覚えておくことは、ナヴァル家は今かなり厳しい状況に立たされているという事実です」
先代領主が裁かれた時点ではまだ離れていなかった商人たちも、これから先はナヴァル家の雲行きが怪しいと判断したのかここ最近、次々とこの領地から離脱していっているらしい。
ナヴァル家にとって領地に富をもたらす商人たちは生命線であり、彼らの離脱は死活問題だという。それを食い止めるために来週、エマニュエルがとある商会に話をしに行くのだとか。
「お嬢さまが……?」
「言いたいことはわかりますが、問題ありません。実質的に話をするのは私です。しかし、私はナヴァル分家であればともかく本家では日が浅く、言葉に旦那さまやレイモン殿ほどの重みがありません。その点、お嬢さまは実務能力はともかくとして領主の娘であり、その肩書には重みがあります」
つまり話をつけるための肩書をエマニュエルが担い、話自体は文官が担うことによってそれぞれ足りない部分を補う形らしい。
「そこでキミには来週の会談に行く際、お嬢さまの護衛を務めてほしいのです」
「ボクが、ですか?」
「ええ。旦那さま直々のご指名です。旦那さまはキミを随分と評価しているようですね」
「……そうですか」
リオナンドはあまり嬉しくなさそうだった。
どういう意図であのオーウェルという男がリオナンドを指名したのかは不明だが、ただ単純に有能だから重用しているというわけではないのは明白だ。
「オレとしちゃ、お前だったら問題ないとは思うが……まあ、護衛と言っても他にも何人かいるし、オレもいる。そうそう出番はないだろ。むしろあっちゃ困る」
ゴロツキはガハハと笑うが、文官は無表情で眼鏡をクイッと持ち上げた。
「とはいえ、有事の際にはお嬢さまの剣となり、盾となる必要があります。ケインは問題ないとは言っていますが……リオ君、キミは戦える人なのですか?」
「戦えます」
「そうですか。では今のうちから装備を用意しておく必要がありますね。ケイン」
「おう、装備だな。短剣と長剣があるが、どっちが良い?」
「……木剣はありますか?」
「木剣? 鍛錬用にあるにはあるが……」
「ではそれでお願いします」
「は? いや、おいおい、冗談……」
「冗談ではなく。ボクは刃物を使いたくないんです」
リオナンドが淡々と言うと、ゴロツキは目を丸くして驚いた。
そして文官と目を見合わせたあと、大きくため息をつく。
「……そんなんじゃ戦えねぇだろ」
「いえ、戦えます。木剣だとしてもボクは誰にも負けません」
「は、はぁ? おいおい、随分と大きく出たな」
「事実ですから」
「言うねぇ……じゃあ試してもいいか? ちょうどお前とは一度、手合わせしたいと思ってたんだよ」
「いいですよ」
こうして、リオナンドとゴロツキは腕試しをすることになった。




