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邪神  作者: 霧島樹


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073「蕃茄」

「私ね……生のトマヌがね、どうしても食べられないの」


 廊下でリオナンドを見つけたエマニュエルは、開口一番そう言って立ち止まった。


「生臭いっていうか、青臭いっていうか……どうしても、あの感じがダメで。赤くて中身がドロっとしてて、酸っぱいのもイヤ。原型を留めないぐらいに調理してあればなんとか、大丈夫なのだけれど」


「……そうですか」


 リオナンドはやや首を傾げながら相槌を打った。

 いったい何の話だ、と思っているのだろう。


 実際、俺も彼女が何の話をしているのかサッパリわからない。

 わかるのはせいぜいトマヌがこの世界のトマト的なものなんだろうな、ということぐらいだ。


「お父さまもトマヌは小さい頃からどうしてもダメだっていう話だから、これはもう体質的なものなのかもしれないわ。でも、そういうのって生まれつき何でも食べられる人には理解されにくいじゃない? 好き嫌いなんてワガママなだけだ、って」


「あの……何の話でしょうか?」


「えっと、だから、その……お父さまにね、そういう、他の人には理解されにくい事情がある人もいる、って言われて……そういうのを認めるのも貴族としての度量だって……だから!」


 エマニュエルはリオナンドをキッと睨みつけて言った。


「アナタが私の握手を拒否したの、もう気にしてないから! それだけ!」


「え……」


 そしてエマニュエルは返事を待たず、そのままリオナンドの横を足早に通り過ぎていった。


「握手……」


『なるほど。多分、父親にキミが自分の握手を拒否したことについて話したら、それとなく諭されたんだろうな。許してやれと』


 オーウェルの立場からしてみれば当然、そうなるだろう。

 なにせ娘の握手を拒否した相手は『死神』だ。

 娘との軋轢をそのままにしておくのはリスクが高すぎる。


「ああ……あれ、気にしてたんだ」


『……キミも存外に鈍感なところがあるな。俺も人のことは言えないが』


「…………」


『リオナンド? どうした?』


「……うん。いや、なんだか、元気な人だなって思って」


 リオナンドはそう言って小さく笑い、再び窓拭き掃除に戻った。




 ○




 翌日の昼過ぎ、使用人の控え室にて。

 リオナンドはメイド長に練習として紅茶を淹れていた。


「……作法、茶葉の量、蒸らし加減、温度……いずれも問題ありません。良いでしょう。合格です」


「ありがとうございます」


 そしてメイド長が控え室を去り、リオナンドが練習に使った食器を流し台で洗っている最中。近くにいたメイドのひとりが横から話しかけてきた。


「リオってすごいねぇ! 何回かやっただけでもう合格なんて! しかも三日目で……私なんか一ヶ月ぐらいずっと合格もらえなかったのに」


「……あの紅茶はよく自分でも淹れて飲んでたから」


「あんな高級なのを? へぇ……茶葉の選別も習ってないのに一発でやってたし、やっぱりリオってそうなんだ?」


「そうなんだって……何の話?」


「もともとは良いとこの貴族だって話! そこらへんの下級貴族じゃ高級茶葉の選別なんて無理でしょ? 噂にはなってたけど、やっぱりー、っていう……あ」


 メイドが正面を向いて固まる。

 視線の先には、一度部屋から出て行ったはずのメイド長がいつの間にか立っていた。


「貴方……」


「え、えーっとぉ……り、リオは洗い物も問題なさそうですねー! いやー、頼もしい!」


「…………」


「あは、あははは……もう私、必要なさそうなので、持ち場戻りまーす……」


 メイドはそう言って逃げるように控え室から出て行った。

 それを見てメイド長はため息をつく。


「まったく……油断も隙もありませんね。リオ、今後似たようなことで作業が止まっている子には貴方からも注意するように」


「はい」


「洗い物は……終わりましたね。丁度、お嬢さまがお茶をご所望です。文官サージェスの分も合わせてふたり分、お持ちしてください」


「承知しました」


 リオナンドはメイド長の指示通り紅茶を用意し、エマニュエルが働いているという部屋へと持っていった。


「失礼します。お茶をお持ちいたしました」


「ありがとう」


 リオナンドが部屋に入りお茶を出すと、エマニュエルは微笑んで礼を言った。

 だがその声には昨日までの元気がない。どうやら消耗している様子だ。

 彼女の横には大量の書類がいくつも積み上がっている。


「あ……そうだ、リオ。アナタ計算できる? ちょっとね、手伝ってほしいことが……」


「お嬢さま。現実逃避せずに手を動かしてください。このままだと一生終わりませんよ」


「だって……だって……!」


「だってじゃないです。手を動かしてください」


 文官は顔も上げず、書類に向かってひらすらペンをガリガリと走らせていた。

 よく見ると、こちらもかなり消耗しているように見える。目の下にある隈がすごい。


「こんなの無理よ! いくら手を動かしても終わらないわ!」


「仕方ないでしょう。人が足りていないのですから」


「私、誰か探してくるわ!」


「それは他の人間が全力でやっているので、お嬢さまは手を動かしてください」


 リオナンドはふたりの会話をよそに、エマニュエルの手元にある書類をじっと見つめていた。そして書類の一点を指差して、ポツリと呟いた。


「ここ、計算が違いますね」


「……え?」


「ここと、ここと、ここも。こっちは……ひとつ手前の記入から間違ってます」


「え? え?」


 リオナンドの指摘した箇所を横から文官が覗き込む。


「見せてください。……確かに、間違っている。リオさん、貴方これらが間違っていることを……暗算で?」


「ええ、まあ……収支の計算ぐらいなら」


 リオナンドがそう答えると、エマニュエルはその場で勢いよく立ち上がり言った。


「私、メイド長に言ってくるわ! しばらくリオを借りるって!」


「いえ、メイド長は事後承諾で十分でしょう。お嬢さまはそれよりも旦那さまに許可を取ってきてください」


「わかったわ!」


 文官は駆け出すエマニュエルの背中に「五分で戻ってきてくださいね! 寄り道せずに!」と叫んでから、部屋の端に置いてあった椅子をひとつ持ってきた。


「どうぞ、こちらに掛けてください」


「あ、はい」


「いやはや、助かります。今この屋敷は深刻な人手不足でして。計算ができる人材自体は少なからずいるのですが、他の仕事で手が回らないのです。その点、新人の貴方であれば引き抜いてもさほど問題はない。使用人も人手が足りないという話は聞いていますが……」


 文官が山になった書類の束をドサリ、とリオナンドの前に置く。


「今の私たちほどではないでしょう。では、よろしくお願いしますね」




 ○




 そして夜。

 リオナンドとエマニュエルと文官の三人は、机の上に置いてあるロウソクのランプを唯一の光源にして、ひたすら書類と向き合っていた。

 今この屋敷ではロウソクも貴重らしく、無駄遣いできないらしい。


「……今日はここまでにしましょう。これ以上は能率が下がります」


 文官がそう言って手元の書類を整えると、エマニュエルはバッタリと机に突っ伏した。


「お、終わった……終わったのね……」


「お嬢さま、終わってません。明日もあります」


「いやぁ……やめてぇ……終わったことにしてぇ……」


「灯りを消しますよ。カギも締めるのでおふたりとも部屋から出てください」


 文官の言葉を聞いてリオナンドが席を立った、その直後。

 リオナンドは自分に迫ってきたエマニュエルの手に反応して身を翻した。


「ちょっと待って、リオ……って、ちょっと! なんで避けるの!?」


「すみません、触られるのは苦手なので」


「触られるのって……袖を掴もうとしただけなのに? 手とかじゃないのよ?」


「そうですね。しかし苦手なのです。なかなか他の人には理解されにくいですが」


 リオナンドがそう言うと、エマニュエルは気まずそうな顔で押し黙った。

 つい先日に自ら話した内容を思い出したのだろう。


 しかしリオナンドの言い方が冷たく、ともすれば皮肉っぽく聞こえたからだろうか。エマニュエルは素直に認められないようだった。


「で、でも……」


「それにお嬢さま。伯爵家のご令嬢ともあろう方が、服の袖とはいえ気安く男性に触れるべきではないでしょう」


「ぐっ……! で、でもだって、そんな公の場でもないのに、堅苦しいじゃない?」


「いいえ、堅苦しくありません。伯爵家のご令嬢として最低限の品格です。ここは場末の酒場ではないのですから」


「ば、場末の酒場っ!?」


「失礼しました。口が過ぎたようです。ともかく」


 リオナンドはエマニュエルを警戒するよう、更に距離を取った。


「淑女たるもの、もう少し『しとやかさ』を意識したほうがよろしいかと。……それでは、失礼します」


「なっ……!」


「ああ、そういえば」


 部屋を出て行こうとしていたリオナンドは、ふと何かを思い出したように振り返った。


「先ほど、『ちょっと待って』と仰っていましたが……何か御用でもありましたか?」


「くっ……! あ、明日も来てくれるわよね……って、そう言おうとしただけよ!」


 エマニュエルが顔を真っ赤にしてとても悔しそうに答えると、リオナンドはフッと小さく笑って、いかにも『できる』使用人らしい、完璧なお辞儀で返した。


「お望みとあらば」




 ●




 リオナンドが一足先に退室したあと。

 エマニュエルはプルプルと全身を震わせながら、ブツブツと呟いていた。


「なんなの……なんなの……? なんで最後、ちょっと笑ったの……? バカにしてるの……?」


「お嬢さま、早く部屋から出てください。灯りが消せません」


「サージェス! 見てたでしょ!? なんなのあれ! あまりにも……あまりにも失礼じゃない!?」


「いえ、まったくもって正論ですね」


 エマニュエルは驚愕に目を見開いた。

 それを見てサージェスは小さく咳をして、眼鏡を中指で押し上げながら言う。


「尊き血の身分にも関わらず、誰にでも別け隔てなく接するお嬢さまの姿勢は美徳です。しかし彼が言ったように今は伯爵家のご令嬢。これからは淑女として相応しい振る舞いを身に着けるべきでしょう。これは前々から私も言ってきたことです。……まあ、彼の言い方は少し無愛想でしたが」


「少し!? あれが少しなの!?」


「本当のことを言われるのは耳が痛いものです。彼の態度を改めさせたいなら、まずは彼の言う通り淑女として相応しい振る舞いを身に着けたほうがよろしいかと。部下の忠言を聞くのも上に立つ者の務めです。あと早く部屋から出てください。カギを締めますので」


「わ、わ、わ……」


 エマニュエルは天を見上げて叫んだ。


「私の味方はどこにもいないのーーー!?」


「……いい加減にしないと、閉じ込めますよ?」

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