072「伯爵」
「オーウェル・ド・ナヴァル伯爵だ」
ダークブラウンの髪と鋭い眼光が印象的な壮年の男性、オーウェルはそう言ってリオナンドを真っ直ぐに見据えた。
「キミがリオだな?」
「はい」
「そうか。歓迎するよ。うちは今、人手が足りなくてね。なんでも、キミはとても優秀なんだとか……そうだな? レイモン」
オーウェルは自分の隣に立つ執事に視線を向けた。
それ受け、執事は洗練された動きでお辞儀する。
「左様でございます、旦那さま」
「私はレイモンの見る目を信頼していてね。彼が優秀だと言うのなら、キミには人並み外れた能力があるのだろう。しかし」
オーウェルが目を細めてリオナンドを見る。
「今のナヴァル家にはあまり余裕がなくてね。もしかすると、キミの能力に見合った報酬を支払うことは難しいかもしれない」
「…………」
リオナンドは無反応で黙っている。
それを見て何か思うところがあったのだろうか。
オーウェルは首を小さく振って言葉を続けた。
「いや……迂遠な言い方はやめて、単刀直入に聞こう。リオ君。キミはいったい――何の目的でここに来た?」
場の空気が張り詰める。
話の内容といい、この緊張感といい、一介の使用人に対するものではない。
明言はしていないが、間違いなくリオナンドが『死神』だという前提で話している。
リオナンドもそれをわかった上で、受け答えを考えているのだろうか。
すぐに返答をせず、少し間を置いてから淡々と答えた。
「働きに来ました」
「それは使用人としてかな? それとも……」
「使用人として」
リオナンドは無表情で即座に答えた。
普通の使用人なら愛想がないと叱責されてもおかしくなさそうな態度だ。
しかし執事はもちろん、オーウェルもそれを咎めない。
それどころか、オーウェルはどこか安堵したように笑顔すら浮かべた。
「そうか。それならば改めて、歓迎しよう。報酬も難しいとは言ったが、なるべく善処するつもりだ。しかし……キミの力はあまりに強い。強すぎる力は、時に刃物として例えられる。その刃物を――」
「刃物として使われる気はありません」
リオナンドはオーウェルの話を遮って言った。
「もし仮にボクが刃物だとしたら、自分の意志でのみ、自分を使います」
唐突なリオナンドの断言に度肝を抜かれたのか。
オーウェルは目を丸くして固まっていた。
「それでは、失礼します」
「ま……待ちたまえ!」
踵を返し、勝手に出て行こうとしたリオナンドをオーウェルが呼び止める。
「キミをここに置くのはこちらにとっても相応の危険が伴う! 仮にもナヴァル家の使用人として働くのであれば、こちらの――」
リオナンドは話の途中で急に止まり、今度はカツカツと早歩きでオーウェルがいる机の前まで近づいていった。
それを見て、執事は静かに自らの懐へ手を入れ、オーウェルは動揺した。
「な、なんだ? わ、私はあくまで、雇い主として――」
「……綺麗な花ですね」
リオナンドは机の上にある、小瓶に生けられた一輪の赤い花に視線を向けて言った。
「え? ……あ、ああ。娘の趣味でね」
「そうですか」
リオナンドがそっと赤い花に手を触れる。
すると花はみるみるうちに萎れ、枯れ果てた。
「っ……!?」
「……ボクはあくまで、使用人として働きます」
リオナンドはオーウェルに満面の笑顔で言った。
「周囲の方々に危険が及ばないよう、十分に注意します。危険が迫れば『排除』もしましょう。もちろん、使用人としても十二分に働きます。……それでよろしいですね?」
「わ……わかった。それでいい」
「ご配慮、ありがとうございます。それでは……失礼します」
リオナンドは優雅に礼をして、今度こそ部屋から出ていった。
●
リオナンドが部屋から出ていったあと。
オーウェルは背もたれに寄りかかり、大きくため息をついた。
「ふぅ……『死神』を駒にはできなかったな」
「……肝を冷やしましたぞ。あまりに蛮勇が過ぎます。先代と同じ道を辿るおつもりで?」
「はは……伯父上と一緒にしないでくれ。私は別に危ない綱渡りが好きというわけじゃない。ただ、踏み込まねばならない時は踏み込むというだけだ。おかげで収穫も大きかった」
「そうですな。思っていた以上に彼は……人間、でした」
「ああ。話が通じる上に、随分と理性的で親切だ」
絶大な『死神』の力があれば本来、交渉など無意味に近い。
にも関わらず、彼はこちらに危険が迫ればそれを排除すると言うなど、譲歩の姿勢を見せた。
「彼の目的は依然としては不明だが、着地点としては悪くない。むしろ今後に期待できる。しかし……恐ろしいな。これが『死神』の力か」
オーウェルが枯れ果てた赤い花を見て呟く。
するとほぼ同時に、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
「お父さま、エマニュエルです。お預かりしていた書類をお持ちしました」
「……入っていいぞ」
「失礼します。こちらが収支の……あ!」
エマニュエルは枯れ果てた赤い花を見て、驚き声を上げた。
「私が置いた花……枯れてしまったの?」
「あ、ああ……」
「なぜかしら……昨日までそんな様子なかったのに。お父さま、何か心当たりはあります?」
「いや……特には……」
「……お父さま。なぜ目を背けるのですか」
「背けたつもりは……あぁ、そうだ丁度いい! お前が連れてきたリオ君のことを聞きたいと思ってたんだ」
「リオ? ……そうだわ! 私も丁度、リオについて話したいことがあったんです! お父さま聞いてくださる!?」
「え? な、なんだ……?」
○
『リオナンド、あれで良かったのか?』
「何が?」
『相手はキミのことを知っていた。であれば普通の使用人として雇用関係を続けるにしても、もっと良い条件で交渉できたはずだ』
「ああ……」
リオナンドは熱心に廊下の窓拭き掃除をしながら答えた。
「別に良いんだ。お金は必要だけど、そこまで大量になきゃダメってわけじゃないし。自由をもらっても結局、しばらくは大人しくしてるつもりだから意味ないしね」
『そうか』
確かにリオナンドはここ最近、かなり派手に動いた。
ほとぼりが冷めるまでは静かにしているのが無難だろう。
「まあ、正直かなり緊張してたから、相手に呑まれないようにするだけで精一杯だったっていうのもあるけど」
『道理で態度が硬かったわけだな。しかし相手はキミよりもっと緊張していたから問題はないだろう』
「そうだったの? 全然わからなかったよ」
『相手もなかなか表情を隠すのが上手かったからな。途中、キミが話をぶった切った時はさすがに驚きが顔に出ていたが』
「あー、うん。あのまま話されてたら、なんか上手く要求を飲まされちゃいそうな気がしてさ」
『良い判断だったと思うぞ』
そうして、しばらくリオナンドと会話を続けていると。
廊下の向こう側からエマニュエルが近づいてくる気配がした。




