069「準備」
このあたり一帯を治める領主の娘、エマニュエル・ド・ナヴァルは非常に押しが強い少女だった。
そして心身ともに弱りきっていたリオナンドは、あれよあれよという間に事を運ばれ……結果。
最低限の栄養補給をさせられたあと、領主の屋敷で風呂に入るという、謎の展開を迎えていた。
リオナンドの見た目は完全なる行き倒れ寸前の浮浪者だというのに、あまりにも至れり尽くせりな待遇だ。
しかも風呂から上がったら散髪までする用意があった。
これはエマニュエル本人が直々にリオナンドの髪を切る、と言い始めたのを周りにいた男三人衆が止め、最終的にはリオナンド自身が自分で切ることになる。
髪もそうだが、伸び始めてから一回も切ってないんじゃないかというぐらいに伸び放題となっていた髭も、リオナンドは自分で切ることになったのだが……これが意外と失敗してばかりだった。
『剣の達人も髭剃りは苦手なんだな』
「……剣なんてもうずっと握ってないし、これは髭剃りだし、そもそもこんなの使うの初めてだし」
リオナンドはブスッとした顔で言い訳した。
いわゆる安全剃刀ではない直刃の剃刀である上に、リオナンド自身の『思い切り』が良すぎる点も失敗する要因なのだろう。
彼は髭を一度にバッサリ切ろうとして、その度に頬を何回も切り、治癒聖術で癒やしながら処理を進めていた。
しかし初めてとはいえ、さすがは天才的な運動神経を持つリオナンドだと言うべきか。
手先もかなり器用だったようで、少し慣れた後半は思い切りの良さはそのままに、見事な手際であっという間に生えっぱなしだった髭を圧倒的な深剃りで消し去った。
元から毛が細いというのもあるのだろう、最終的には深剃りも相まって、まるで最初から生えていなかったのように見えるほどリオナンドの顔面はツルツルになった。
「えっ!? すごい、まるで別人ね!」
屋敷の一室にて。
服も貸し与えられたものに着替え、身綺麗になったリオナンドを見て、エマニュエルは目を丸くして驚いていた。
「思ってたよりもずっと若そうだし、何より……」
「おい、あんちゃん。元気になったならさっさと出て行きな」
エマニュエルの言葉を遮るように、ゴロツキが前に出て言う。
「ちょっと、どうしたのよケイン? いつもなら『働いて返せ』って言うくせに……」
「……ケイン?」
リオナンドが訝しげに眉をひそめると、エマニュエルはニッコリと笑って答えた。
「そう、この顔の怖い人、ケインって言うの。あ、顔と名前が合ってないって言われるの気にしてるから、言わないであげてね」
「お嬢……それもう、お嬢が言ってるようなもんだからな……?」
ゴロツキは渋い顔で言った。
ちなみにゴロツキという呼び名はわかりやすいため、改めるつもりはない。
顔がゴロツキだしな。
「そう?」
「そうだよ……いや、そんなことはどうでもいい。とにかくお前! いいから出てけ!」
「……強引に世話を焼いておいて、用が済んだら出ていけ、か。随分と勝手だね」
リオナンドは小さく笑って言った。
司祭が死んでから、リオナンドは厭世じみた発言や皮肉屋のような態度が目立っていたが、それは今も変わらないようだ。
「うるせえ。身奇麗にしてやっただけありがたいと思え」
「ちょっと待って! リオ、アナタどこか行くあてはあるの?」
「…………」
「ないのね?」
リオナンドが黙っていると、エマニュエルは勝手に納得したように頷いた。
「それならアナタ、ここで働きなさいな!」
「お嬢! ちょっと待て! コイツは……!」
「ケイン」
今まで黙って控えていた体型ガリガリの眼鏡、略してガリ眼鏡が中指で眼鏡をクイッと持ち上げながらゴロツキの肩に手をやった。
「よしなさい。見苦しいですよ。いくら彼が美形で、お嬢さまに近づけるのが不安だからといって……」
「ばっ……んな理由じゃねぇ!」
「いずれにせよ、問題ありませんよ。お嬢さまの『見る目』は確かです。そうでしょう?」
「ぐっ……いや待て、そもそもコイツ自身、ここで働く気なんてねぇはずだ。なぁ、そうだな? あんちゃん」
「……そんなことないけど?」
「なっ!?」
ゴロツキが驚いた表情で目を見開く。
それを見てリオナンドは少し愉快そうに笑いながら言った。
「いい加減、放浪の旅も疲れたから……もうそろそろ腰を落ち着けるのも悪くないと思ってたんだ。働かせてもらえるならありがたい。一生懸命、働くよ」
「てめぇ、どういうつもりだ? ここに来るだけでもあれだけ嫌がってたのに……」
「身奇麗になって気が変わったんだ」
リオナンドの言葉を聞いて、エマニュエルは満面の笑みを浮かべた。
「決まりね! 歓迎するわリオ! 正直、今はいくら人手があっても足りない状況だから」
エマニュエルはテキパキと雇用契約や給料についてリオナンドに説明すると、自身は風のように部屋から去っていった。
リオナンドはひとまず使用人として雇われたらしく、今後の仕事内容に関してはメイド長がやって来て教えてくれるらしい。
「おいお前」
エマニュエルとガリ眼鏡が部屋を去ったあと。
一緒について行かず残ったゴロツキは、その強面で存分に睨みを利かせながら言った。
「オレぁお嬢の『見る目』を信用してる。だが……お前はどこか得体が知れねえ。今まで拾ってきたヤツらとは何かが違う。オレにはわかるんだ」
「…………」
「お前は相当『やる』男なんだろう。泥まみれで死にかけの時はわからなかったが、こうして正面で向かい合って見たらわかる。オレもそれなりに修羅場をくぐってきたからな。だが……」
ゴロツキはその大きな拳をリオナンドの目の前で握り締めて見せた。
「もしお前がお嬢に危害を加えようとしたら、絶対にお前を殺す。どれだけお前が『やる』男だとしても、オレの命を懸けて殺す。いいか、これはオレだけじゃねえ。お嬢にはオレみたく命を懸けるヤツが沢山いるんだ。だからくれぐれも、変な考えは起こすんじゃねえぞ」
「……わかった」
「わかればいい。……しっかり働けよ」
ゴロツキはそう言うと、こちらに背を向けて部屋から出ていった。
『リオナンド、どういうつもりだ?』
「どういうつもりって?」
『放浪の旅は疲れた、腰を落ち着けるのも悪くない、一生懸命働く……どれも驚くべきことに本心のようだが、まさかそれだけじゃないだろう?』
「へぇ……フェイスさんって、そんなこともわかるんだ」
リオナンドは感心したように言ってから、呟いた。
「まあ、そうだよ。疲れたのは本当だし、腰を落ち着けるのも悪くないと思ってるけど、別にずっとここで働くためにそうするわけじゃない。これは『準備』だよ。次の段階に移るためのね」
『準備? 次の段階? ……なんのことだ?』
「それは……まあ、そのうちわかるよ。今はとにかく、ちゃんと働いてお金を稼がないとね」
リオナンドはそう言うと、この部屋に近づいて来ている気配に意識を向けた。
三十代後半の女性……エマニュエルが先ほど言っていたメイド長と呼ばれる人物だろうか。
エナジードレインという呪いを抱えているリオナンドが、普通の仕事をどれだけこなせるか不安なところではある。
しかし軍隊を潰して回る放浪生活よりはよほど安全だ。
『わかった。俺はしばらく黙る。リオナンド、健闘を祈る』
「うん。それじゃまたね」
女性の手によって部屋のドアが開かれると、リオナンドは背筋を伸ばしてそちらに向き直った。




